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断章:フルスイングのツッコミは空を切り続ける

「自分は大陸の西端からやや北西にかけての数カ所で、水練を行ったことがありました」

 カゲヤはそう説明を始めた。


「海でか?」

 リョウバが眉をひそめ、

「そうです」

 という答えにため息をつく。

「……私の常識では、水練とは川や湖でするものであって断じて海で行うものではないのだが」

「それは同感ですね」

 とエクスナも頷く。


 海戦というものがまず起き得ず、水場が絡む戦とは川を挟んでの攻防や湖を密かに渡る作戦などが一般的というこの世界においてはリョウバの言う通りであった。


「はい、別に水上や水中での戦法を鍛えるためというわけではなく、単純に泳力向上のためでしたので」

「それで納得するというわけでもないぞ」

「訓練を課したのはサーシャ様です」

「納得した」


「あの、よろしいでしょうか」とフリューネが口をはさむ。「ロゼル様という方同様に、サーシャ様という方のお名前もよくお話に上がるのですが、カゲヤ様のお師匠様というわけでしょうか?」

 その問いにカゲヤは一瞬目を閉じ、そして答える。

「その通りですが、サーシャ様についてはもっとわかりやすい説明があります。人族があの方につけた通称は『紅銀女帝』ですから」

「は?」

「ぅえぇっ!?」

 ポカンとするフリューネの隣で、会議中はあまり発言しないアルテナが思わず叫んだ。


 紅銀女帝――それは魔族最強と謳われる戦士の二つ名である。


「カゲヤ殿の師が、あの……、いえ、ある意味納得したというか、しかし……」

 呆然としながらぶつぶつと呟くアルテナ。

「……あの、聞いた身でありながら失礼ですが、よろしかったのですか? そのようなことを人族である私達に教えて頂いて」

 いち早く気を取り直したフリューネが尋ねる。

「たしかに一瞬考えましたが」とカゲヤは普段の無表情で言う。「紅銀女帝が存命していると知って、人族の側になにか有利なことが生じるとは思えませんでした」

 そう返されたフリューネも少し考え込んでから、「仰るとおりですね」と苦笑した。

 もとより死亡が確認されたわけではなく、ただ大荒野から姿を消しただけ。

 死んだと決めつけて戦略を練る愚将はいないだろうし、そしてそもそも対策を練ってどうにかなる類の相手ではない――紅銀女帝とはそういう存在でる。


「そのサーシャ様に連れて行かれた海ですが、遠浅というのですか、砂で満ちた海底を水面から視認できる程度の深さが続いている場所でした。ただ、よく見えるもうひとつの理由として、驚くほど海中の透明度が高いというのもありました」

 その説明で何やらピンときて嫌そうな顔をしたのはエクスナ。

「サーシャ様から課されたのは単純なものでした。『海底が砂地から岩場に変わるあたりまで泳いだら戻ってこい』という。私はその通りに沖へと泳ぎました。波も穏やかで潮流も弱く、それまでに川で行った水練に比べれば散歩のようなものだと感じました」

 その川でやった訓練がどんなものか聞いてみたいという思いをアルテナやリョウバが抱いたものの、いい加減話が進まなくなると思って口を閉ざしていた。


「異変が起きたのは水深が5メートルを越えたあたりです。不意に真下の砂地が沈み、大きな穴が生まれました」

「穴? 地上でたまに見る、流砂のようなものですか」

 モカがそう尋ねるが、カゲヤは首を振った。

「似たようなものかと思いましたが、その穴が開いた瞬間に急激な水流が生まれ、私はその穴に吸い込まれかけました。辛うじて穴の縁に手をかけたのですが、その縁が砂ではなく、肉だと気づいて穴の正体を知りました」

「え? 肉ですか? ――あっ」

 訝しむモカだったが、なにか気づいたのか声を上げる。

「ええ、その穴は砂地に潜んでいた生物が開いた口だったのです。直径は人が縦に2人は楽に並べられるぐらいだったかと思います。それが辺りの海水や砂もろとも私を吸い込もうとしたのです。口の奥は相当に深く、壁面には腕ほどの太さがある血管が浮き出ているのを覚えています」

 その光景を具体的に想像してしまったフリューネは絶対に海に入らないと密かに誓う。


「吸い込む力は当時の私が全力で抵抗し、閉じようとする口を両手で阻み、かろうじて脱出できるぐらいのものでした。牙がなく丸石のような歯が埋まっているだけのは幸いだったかと。そうして水面まで浮上してから見下ろしたときには、その生物は逆に砂を吐き出していました。ほどなく海底はもとの砂地に戻り、私はまた沖へと泳ぎだしました」

「いやいやいや」

「ちょっと待とうか」

 エクスナとリョウバが耐えきれずに突っ込む。

「何か?」

 と尋ねるカゲヤに、

「逃げ切れたのだから引き返すだろう普通」

 とリョウバが返す。


「まだ砂地は続いていましたので」

 淡々と返すカゲヤにさらなる突っ込みを入れる気力のあるものはおらず、ただ無言で首を振ったり天井を仰いだりする数名がいるだけだった。

 それを気にする風でもなく、説明が再開される。

「海底が岩場に変わるまでの間に、同じように口を開く生物が7匹いました。結局その正体はわからないままでしたが。そして復路でもまた吸い込まれそうになるのを繰り返し、さすがに浜に戻ったときは疲労困憊でした。その後は日暮れまで浜辺でサーシャ様と組手をし、夕食時には珍しく『今日はよく死ななかったな』と褒めていただきました」


(カゲヤが、無表情なのに嬉しそうなのがわかる……!)

 会議室にいる全員が差はあれど同じ感想を抱き、

(というか燃費のいい奴……)

 一部のメンバーはそんな呆れと憐憫の混ざった感想も付け足した。


「そうした水練を、場所を変えて幾度か行いました」と、カゲヤの説明は続く。「2箇所目では、海に入った瞬間に異様な動きづらさを感じ、次いで全身に痒み、ほどなく痛みが生じ、見れば皮膚が溶け出していました」

「どなたかのように毒でも流されましたか?」

 モカを見ながらエクスナが言い、

「ねえ、私がやったような言い方な気がするんだけど」

 とモカが律儀に突っ込む。

「毒ではありませんが劇物ではありました。私が飛び込んだのは海水ではなく、その一帯を埋め尽くすほど巨大な、海に擬態したスライムだったので」

「おおぅ」

 呻くエクスナ。

「スライムというと……」

 その脅威をよく知らないフリューネが顔を向け、アルテナが解説する。

「体表が消化器官という魔獣ですね。人間や動物の身体に貼り付いて捕食します。一般的な個体でも、常人なら10秒ほどで肉を溶かされ骨が露出します」

「一般的な……」

「はい。単純な構造ゆえか、大きさと強さがほぼ一致する魔獣です」


「よく生きているなお前」

「死ぬかとは思いました」

 リョウバの引き気味な声にもカゲヤは動じない。

「イオリ様がアレなんで隠れがちですけど、次にぶっ飛んでますからねそういえば」

 と単身で魔族領を突破し魔王の眼前まで迫ったことのあるエクスナが言う。どっちもどっちであると他のメンバーは思った。


「3箇所目はそれまでの罠めいたものではありませんでした。ただ海中へ潜って『それ』を見てこいという、それだけの指示でした」

「なんですか? 『それ』って」

 モカが尋ねる。

「例えるなら、太さがこの部屋の高さぐらいある海蛇」

 3メートル以上ある天井を見上げてカゲヤが言い、

「うげぇ」

 とまたエクスナが嫌そうな声を上げる。

 が、カゲヤの説明は終わっていなかった。

「――その海蛇が何十匹も絡まりあい、まるで人の脳のような形状になっている、そんな『何か』でした。その部位だけでこの領主館より巨大でしたが、私が脳を連想したのは、その下に身体らしき形状がぼんやりと見えていたためです。……生憎なのか幸いなのか、それ以上は陽光が届かずに識別できませんでしたが」


 またしても会議室内に重たい沈黙が落ちる。


「――海から戻ってきた私にサーシャ様は言いました。『ああした化け物が潜む領域だ。調子に乗って勝手な水練はするなよ』と。私は思わず訊いてしまいました。サーシャ様であればアレを倒せるのかと」

「話の流れからして、あまり続きを聞きたくないな」

 とリョウバが言い、エクスナやフリューネが無言で頷く。

「いえ、そこまで絶望的な答えではありません」カゲヤはあくまで表情を変えず淡々と話す。『2匹が限度だが、あの手の化け物が群れる場所もある』というものでしたから」


 フリューネが両手で顔を覆い、アルテナが身を乗り出して何か言いかけたのをぐっとこらえ、それを見たエクスナがなんかもう諦めた感じで空元気満点の声を上げた。

「はいそれじゃあ一応生まれは人族な私が代表して突っ込みますね。おいこらカゲヤその化け物の群れという情報も紅銀女帝の戦闘力も今聞いた水練という名の処刑を生き延びてるお前もどれもこれも人族からすりゃ絶望で間違いないですから!」


 フリューネとアルテナ、そして実に珍しくターニャまでが深々と頷いた。

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