断章:会議なのか怪談なのか
領主館の会議室に集ったのは8名。カゲヤ、リョウバ、モカ、エクスナ、シュラノ、フリューネ、アルテナ、ターニャ。
前回と同じメンバーによる、前回と同じ議題である。
「はーい、では第2回イオリ様対策会議を始めますぅ……」
テーブルに両肘をついて顎を支えながらエクスナが言った。
「無力感に打ちひしがれる気持ちはわからなくもありませんが、せめて姿勢は正したらどうです」
カゲヤが眉根を寄せる。
「いや無理ですって。イオリ様がジルアダムで起こした騒動の後処理もまだ絶賛仕掛中なところにこの招集ですよ?」
暗部の隊長である彼女は、当人が言う通りジルアダム帝国での懇親会と闘技会で主にイオリが巻き起こした所業による各国への影響を調査し、良いものは助長、悪いものは沈静化する工作を仕掛けたり、倍増したこの国へのスパイ摘発や防衛強化に努めたり、イオリにアプローチする国内外の有力者の背景を調べたりと、通常業務にそれらが積み重なった結果、とてつもない激務を負っていた。
領内どころかバストアク国内を見渡しても、その仕事量は上位5人に入るだろう。――なお残り4人のうち、ファガン国王とフリューネも確実にランクインする。
「それで、今回はなんです? 最近の課題の多さにイオリ様が逃亡しましたか?」
「いえ、そこはお姉さまが耐えられる限界半歩手前を守っておりますし、課業中はカゲヤ様やアルテナを中心に逃亡阻止の体制を設けておりますから」
「言っといてなんですけど容赦ないですね……。カゲヤもよくそっち側についてると思いますが」
半目でそう言うエクスナ。
「この先の計画を鑑みれば、イオリ様が人族領内での名を高め信を集めることは重要ですから、そのための修養だと捉えています。課題の量や内容についても、心労を貯めているフリューネ姫からイオリ様への八つ当たりの要素はほとんどなく、効率的で有効な内容かと」
「ほとんど、ってところが正直ですね」
「私も完璧には程遠いものですから」
重たい疲労を滲ませる笑顔のフリューネに文句を言う魔族メンバーはいなかった。
「では、今回皆様にお集まり頂いた理由をお伝えします」
フリューネの言葉に、経緯を知るカゲヤ以外の全員が身構える。
「お姉さまが、深海――未踏海域の調査に強い興味を示されています」
「げ」
「うっ」
「あぁ……」
最高に嫌そうな顔をするエクスナ、呻くリョウバ、顔を覆うモカと、それぞれが端的かつ露骨に反応を示した。
そうした彼らを見渡し、思いは同じだと安堵したフリューネは今日あった出来事を説明していく。
「――といったわけで、お姉さまはすぐにでもアジフシーム都市連合へ赴き、『歩く船』なるものに乗って深き海へ潜ることをとても前向きに検討されていらっしゃいます。…………どうしましょう」
「心からの嘆きが出ましたね」エクスナが軽く茶化すが、目は笑えていない。「にしても、っあー、その線でしたか。ていうかほんと何なんですかあの宗教団体。私だって碧海都市に部下を派遣して調査させてましたが成果なしだったんですよ。それを存命してる船大工見つけて建造の交渉まで済ませてるとか……」
「まあ相性の問題もあるのだろうが、ファガン王やフリューネ姫の言う通り優秀かつ豪運な連中なのは間違いないだろうな」
とリョウバが苦笑する。
「それで皆様にお尋ねしたいのですが」とフリューネは座っているメンバーを見渡す。「実際に未踏の海域を目にされたことのある方はいらっしゃいますか? 何分、私はこれまでラーナルトを出たことがなかったので海に関しては疎いこともありまして……」
「ああ、そりゃ最北の地ですしねえ」
エクスナの言う通り、大陸最北に位置するラーナルト王国が面しているのは荒れ狂う極寒の海である。沿岸での漁はあるものの、怪物の潜む沖へ船を出すなど自殺行為に等しい。いかな高レベル者であっても海に落ちれば凍死を免れることは困難だ。他国よりリスクが高いので、必然、海域調査も捗っていない。
フリューネの問いに手を上げたのは2人。カゲヤとモカだった。
「え、モカもですか?」
驚いた声を上げるエクスナに、
「班長に連れられて……」
と重たい声を返すモカ。
「ああ、ロゼルさんですか……」
魔王軍メンバーに納得の色が広がる。
「実際に、何かを目にしたのか?」
と尋ねるリョウバに彼女は頷く。
「私たちが行ったのは、フェザード領の南東です。街から遠いその地は海に面した断崖ですが高さはそれほどでもなく、そうですね、度胸試しに飛び込むのにちょうどいいぐらいでした。それもあってか、立入禁止地域に指定されていました」
「なのに行ったわけですか」
突っ込むエクスナに力なく笑うモカ。
「魔王様直々のご命令にも軽々と反抗する班長ですよ?」
「ごめんなさい」
引いた表情で謝るエクスナ。
「……お姉さま以外にも、そのような方がいらっしゃるのですね」
これまでも何度かその名前を聞いてはいたが、そのたびに脅威度を上方修正しているフリューネである。
「さらっと引き合いに出しますよね」
またも突っ込むエクスナだが、
「それは、魔王様からの手紙にあったご指示をこれまで何度も……」
「でしたね」
「それで、何を見たのです?」
話を戻したカゲヤにモカは再び口を開く。
「はい。その崖の上に到着してまず、班長が海に向けて薬品を撒きました。……いえ、正確に言えば毒を流しました」
「おいおい」
リョウバが目を見開く。
「私も始めは魚を招くための撒き餌だと聞かされていまして、当然信じられなかったので事前に検査もしたのですが毒性反応はなかったんです。ですが海面へ次々に浮かんでくる魚を見て班長に問いただしたところ、班長の魔力に反応してはじめて毒を帯びる性質の液体を開発したのだと自慢気に言われました」
「さらっと危険極まりない代物の存在が判明したんですが」
「ロゼル殿がそれを持っているというのが特に厄介だな」
エクスナとリョウバがぼやき、カゲヤも無言で頷く。それを見てフリューネとアルテナはあらためて魔王軍の恐ろしさを実感している。
「班長は悪びれることなく、『大丈夫! 近くに漁場はないし即効性抜群な代わりに私の魔力から遠ざかったら短時間で無毒化するから多分!』と力強く返されました。そして私たちは崖の上から珍しい魚を回収していったのです」
遠い目で語るモカにもはや突っ込む者はいなかった。
「そして何匹目かを回収していたとき、不意に崖から少し離れた海面が盛り上がっていきました。大物が毒にやられたのかと思いましたが、それにしてはちょっと、異様なほど勢いが強く――やがて海面を突き破り、何かが飛び出てきました。それは崖の上にいた私たちが見上げなければならないほどの高さにまで達する、恐らくは巨大な生物の触手でした。濃い紫の体表に気味の悪い突起が並び、そのうちのいくつかからは鋭い牙のようなものが突き出て、別の突起からは黄緑色の液体が噴出していました」
淡々と語るモカの説明に、会議室は静まる。
「もちろん班長は大興奮でした。私は必死に班長を引きずって崖から遠ざかりましたが、班長の叫び声に反応したのか、触手はその全長を震わせてこちらへと振り下ろされ、結果として海に突き出ていた崖は20メートルほど短くなりました」
ターニャが無言でモカの紅茶を替え、砂糖を多めに置く。
「その抉られた崖の向こう、海面が妙に黒くなっているのに気づいた私は目を凝らし、そして後悔しました。その黒は、海中にいる何かの影だったんです。視界を埋め尽くすほど、どんな船よりも大きく奇妙な形の影でした。非生物的なのに生物だとわかるような姿と言いましょうか。その影の内側には3つの淡い光があり、私はそれを眼球だと悟りました。なぜなら、その光と目が合ったからです。はい、明らかにその光は海の中から私たちを見つめていました」
紅茶をひと口飲んでモカは話を続ける。
「私は半ば恐慌状態になりました。恐れを知らず海に飛び込もうとする班長を薬で眠らせながら必死にその場から逃げ出しました。回収した魚はその場に置いてきてしまったので、目覚めた班長にそれも含めて文句を言われましたが初めて私は心の赴くままに言い返しました。後にも先にも、班長が黙った唯一の出来事でした」
フリューネが目配せし、ターニャは厨房へケーキの手配をとった。
「今になって思いますが、あの触手の破壊力はイオリ様と先代バストアク王の戦いで目にした数々の攻撃と比肩しうるものだったと思えます。――すみません、久々に思い出したせいか、つい説明が長くなってしまいました」
モカはそう締めくくった。
重たい沈黙の中、他のメンバーが目配せをする。最終的に根負けしたエクスナが口を開いた。
「えーっと、もうどこから突っ込めばいいのかわからないのでまずその後を聞きますけど、あのロゼルさんならモカが怒ってても1人でまたその海に行ったりしませんでした?」
「はい、私もそれを危惧したので、魔王城に帰ってからすぐに報告書を仕上げ、班長を通さず上に提出しました。すると1時間もせずにバラン様がやって来まして班長を連行してくださり、それから数日後に帰ってきた班長は海に行くことを諦めていました」
「意外とそのへんモカも要領いいですね……」
「そうでもないとロゼル班にはいられません」とモカは影を帯びた笑みを浮かべる。「幸いにも、禁止区域に入った事自体のお咎めは私にはなく、どころかその月のお給料にはびっくりするような額の特別手当が乗せられていました」
「よし、わかりましたありがとうございます。モカの話は諸々かなりイオリ様への歯止めに効きそうです。じゃあ続いてカゲヤどうぞ」
「自分のそれはモカほど壮絶ではないのですが……」
そう前置きしつつ、今度はカゲヤが語り始めた。