深海への誘い
更新の間が空いてしまい申し訳ありません。コロナでダウンしていました……
施設の中からではなく、道の向こうから単身で駆けてくるミゼットさん。タンクトップに短パンという姿で汗まみれなところを見るとランニング中だったのだろうか。美脚だなおい。それにしてもエルフ役が似合いそうな顔と格好のアンバランスさがすさまじい。
「ミゼットさん、五体投地はなしでお願いしまーす!」
もはや恒例のヘッドスライディングに移行する素振りを見せていたので寸前で声をかける。
「承知いたしましたァ!」
意外にあっさり承諾するもののスピードが衰えないミゼットさん。彼我の距離が詰まり、周囲に潜んでいる暗部の人たちが攻撃の準備を済ませる気配を察して密かに焦る私。いや敵じゃないんだってあの人。
そして間合いが10メートルを割ろうかという瞬間、ミゼットさんが怪鳥のごとく高々と跳躍した。暗部の人たちから半ば本気の殺気を感じ慌てて『待機!』とハンドサインを送る。
「ぉぉおお指導者レイラ様本日はご足労頂きありがとうございますうっ!」
上空から太陽を背に元気よく叫びながらミゼットさんは手足を縮め、ズゴンッ! と地面に頭突きをするような勢いで着地した。要するにジャンピング土下座である。誰が奇行のバリエーションを増やせと言った。
そして訪れる沈黙。
さり気なくフリューネに視線を向けたらさり気なく逸らされた。ちくしょう。
「……えー、顔を上げてください。というか立ってください」
「はっ」
シュバッと立ち上がるミゼットさん。
「変わりなくお元気そうで何よりです」
皮肉を込める気力もないので素直な口調でそう告げると、
「ありがとうございます! レイラ様におかれましては遠きジルアダム帝国でも神々にお認め頂くほどのご活躍をなされたと聞き我々一同心からの祝福を叫んでおりました!」
祝福って叫ぶものだっけ。
「あの日の苦情件数は群を抜いていました」
と私にしか聞こえないぐらいの小声でフリューネが言った。
「ご降臨なされたのはレグナストライヴァ様ではありませんでしたが、良いのですか? 教義上問題があるようでしたら私は指導者の立場を降りても――」
「いえ、まったく構いませぬ! 戦神も武神もレグナストライヴァ様とは仲が良くあられるというのが定説でございますし、そもそも他の宗教へ割く時間が多くとも別の神をより厚く崇めていようとも、熱の女神へ信心を捧げるその瞬間が正しく熱くあればそれだけで信徒足り得ます! いわんや指導者レイラ様に些細な枷など決して要りませぬし、その御名が高く広くあることは我々にとっても実に実に喜ぶべきことと感じ入るばかりでございますっ」
くそう、だめか。私自身が一度も許可していないその指導者とかいう立場は早くどうにかしたいんだけど。
「そうですか。それはそうと、シナミがお世話になっているようですね。今日はちょうど特別な修行を終えたところだと聞きましたので」
「はい! 熱心で有望な信者であります!」そこでミゼットさんはシナミへと目を向ける。「汗は流したようだな。食堂に用意があるので補給し身支度を済ませたらレイラ様たちのお相手をするといい」
「ありがとうございます。お言葉に甘え、そうさせて頂きます」そう言ってぺこりと私たちにお辞儀するシナミ。「レイラ様、フリューネ様、カゲヤ様、失礼いたします。同志ミゼット、後をよろしくお願いいたします」
「うむ、任された」
建物へ入っていくシナミを見届けてから、ミゼットさんも一礼して言葉を発する。
「申し訳ありません! 勝手ながらご覧の通り差配をさせて頂きました。『灯火駆け』を終えた直後は疲労が激しいため速やかな食事と整理運動が必要でして」
「いえ、それは優先すべきことですので謝っていただくことはございません。……ミゼットさんも休憩が必要なのでは?」
「お気遣いは誠にありがたい限りですが、私のこれは日々の習慣ですから!」
快活に笑うミゼットさん。
いや、気遣いじゃなくて汗まみれの短パン男と路上で会話しているこの空間をどうにかしたいんだけどね。
「それではお三方、暫し私がお相手させて頂きますのでどうぞ中へ」
内心が通じたのかどうか、そう言って建物へ案内してくれるミゼットさん。ひとまず通りがかる人たちの奇異な視線からは逃げることができそうだった。
応接室に案内され、冷たいお茶をいただく。簡素ながら毎日全力で雑巾がけをしていそうな輝く床と真っ白いカーテンが印象的だ。
「――シナミは、こちらだと普段からあのような物腰なのでしょうか?」
切り出したのはフリューネ。
それにミゼットさんは「いいえ」と否定した。
「本来の彼女はもっと会話に手数を要しますな。恐ろしく自己評価が低いようで、頭の良さを必要ではない卑下と釈明に多用しながら懸命に前を向こうとしている、といったところでしょうか」
的確にシナミのことを評価しているなあ、と私は驚く。入信してまだそこまで日が経っていないし、信者も多いのに。
「そうですか。では先ほど随分と様子が違っていたのは、その修業の効果ということでしょうか?」
5日間、毎日15キロを松明持ったまま走るっていう聖火リレーのルナティックモードみたいなやつか。
「恐れながらそれも少々違いますな。灯火駆け本来の目的は、身体を酷使しながら目の前に灯る火を見つめ続けるという行為によって深い集中に入るというものなのです! 今日のシナミが普段よりずっと軽快な言動になっていたのは、過酷な修行を終えたという開放感と達成感、そして深い集中によって不安や心配事が棚上げされたという一時的な精神状態の産物でしょう」
あー、つまり無理めな距離のマラソン大会をすごい頑張ってゴールできたからちょっとハイテンションになってるみたいなことか。
「そうですか」とフリューネは胸の前で手を合わせる。「本質的な改善でないことは少し残念ではありますが、かといってこの短期間で性格が変わってしまうというのも危ういものを感じますし、理解いたしました」
「何よりです! 加えて申しますと、我々はあくまでも宗教団体、すなわちレグナストライヴァ様を崇めることが第一義であります! 修養過程で精神が前向きになったり声が大きくなったり脚力が向上したりすることは副産物ゆえ、シナミにもそこは納得してもらった上での入信でございます。この点につきましてはフリューネ様にもご承知おき頂けますよう」
宗教と脚力がつながるのはここぐらいじゃないかとは思うけれど、たしかにそれはミゼットさんの言うとおりだ。
「わかりました。ただ1点伝えておきますと、こちらとしても任じられて日の浅い領地に新興宗教であるあなた達を迎えたという背景があるので、シナミは悪く言えば試験台として、様子や変化については引き続き注意を払っておきたいと考えています。王命ゆえ許しを取り上げることはまずないと思っていただいて結構ですが、周辺住民との軋轢などもなきよう、今後も励んで頂きますようお願いいたします」
丁寧に釘を刺すフリューネ。彼女自身が散々受けているストレスをおくびにも出さない所はさすがだ。
「委細承知仕りましたっ!」
そう言ってミゼットさんは深々と頭を下げる。
……タンクトップに短パン、その上にタオル地のガウンを羽織るという風呂上がりみたいな格好を無視すれば、文句なしに誠実で真摯な態度であった。
「さてレイラ様。実は私からも別件でお伝えすべきことがございまして、もう暫しお時間を頂けないでしょうか」
「構いませんが」
「ありがとうございます! では――以前にご報告差し上げました、碧海都市での調査に進展がありましたのでそのご説明となります」
碧海都市――このところの猛勉強に追いやられていた記憶を急いで漁る。
元はと言えば、レグナストライヴァ様と会った場所で見つけた謎の紙片が何を示しているのか、ミゼットさんたちに調査をお願いしていたのだった。
そしてたどり着いた場所で出会った人物から告げられたキーワードが、
「たしか……、そう、『歩く船』というものについてでしたか」
「左様でございます!」激しく頷くミゼットさん。「同志が彼の地で聞き込みを続けていたもののなかなか成果が出なかったのですが、目線を変えて古書や史書を紐解いていくと海での奇妙な事件や現象に関する記述が見つかり、内容に不自然さを感じたのでそこから深掘りしていったところ突如として何者かの妨害が始まり、しかし負けじと調査に熱を上げ、ついに謎めいた船大工の一族が住まう隠れ里を発見し、その末裔に会うことができたとのことでです!」
……相変わらず、私よりずっと王道的な冒険してるなこの人たち。そしてやっぱり優秀だなあ。
「では、その船大工の末裔から正体を聞けたのですか? 『歩く船』がどんなものかという」
「はい! すなわち『歩く船』とは、海に生息する巨大な生物の背に取り付ける小型の家のようなものであり、そこへ乗り込んで未踏の海底を進むという信じがたき代物であるとのことでした!」
「おおっ!」
それはまたなんともゲーム的な!
いいよね、あのフィールドが一気に広がる瞬間……! メトロイドヴァニアみたいに新規アクションで探索範囲が広がるのも面白いけど、やっぱりRPGで乗り物を手に入れてマップの空白地帯へ切り込むときの興奮は代えがたいものがある。
「ミゼットさん、その船大工は、歩く船の制作も受けてくれるのでしょうか?」
「はい! ただしかなりの費用と、その生物を捕獲する術、そして何より深き海へ向かうという勇気と力が不可欠とのことです! また調査中に妨害があったように建造に反対する勢力もあるとのことでして、ここより先はレイラ様のご判断が必要と愚行し、こうして報告させて頂いた次第でございます!」
なるほど、たしかに費用については当然こっちが出すべき話だし、ここまでの調査についても以前にあげた女神の髪だけじゃなくてそれこそお金も払う必要があるし、そもそもその魅力的な乗り物でどこへ行くのか、何をするのかも決めないとだし……。
と既に私はその地へ行く気満々になっていたのだけど、そこへフリューネが重苦しい声で言った。
「たしかに、これ以上はミゼットさんたちにお任せするのは危険すぎますね……。海の底だなんて、言ってしまえば大荒野や白嶺より危険な場所ですもの」
――――マジで?