勢いあるベンチャーの如き狂信者たち
――話は少し前後するけど。
――異変に気づいたのは、ジルアダム帝国から帰った翌日のことだった。
「あれ? 今日はシナミお休み?」
そうフリューネに尋ねたのだ。
先代領主の時代には冷遇されていたけど、今は優秀な事務官となっていて領主の執務室への出入りを許されている数少ない人物であるシナミ。その能力に反して自信が持てない性格のため常時テンパっているけど仕事はミスらないという彼女の姿が見えなかった。
フリューネは、なぜか目をそらしつつ答える。
「はい。溜まっていた休暇を取っています」
「そうなんだ。よかった、あの子もなかなか休まないから。どっか旅行でも行ったの?」
目をそらしたのはフリューネもまったく休みを取っていないからだな、と当たりをつけた私は気軽に訊く。
けれどその質問にフリューネは、
「それほど遠くではないかと。走っているので」
と答えた。
「へ?」
急に意味がわからなくなったよ?
「たしか、『灯火駆け 初級』などと言っていましたね」
「え、ちょっとフリューネ?」
「なんでも、手にした火を消さずに1日15キロを走る、それを5日間続けるのだとか。火種は蝋燭でも松明でも自由で、重さと熱さ、対して火の消えにくさのどちらを重視するかが肝心だそうです」
「待って待って待って」
加速度的に嫌な予感が膨れ上がっていく。
「ねえフリューネ、なんだかあなたの口から出た言葉の端々から、とても嫌なことを連想してしまうのだけれど」
火。
走る。
明らかに体育会系かつ、聞いたことのない修行めいたルール。
フリューネはゆっくりと私に目を合わせ、力なく微笑んだ。
「ええ。シナミはあの、お姉さまを追ってこの国にやって来てしまった『熱を司る女神レグナストライヴァ様を崇め奉り身も心も熱く滾らせることに余念のない者たちの集い』に入信しました」
「大事件じゃん!」
思わず立ち上がって叫ぶ。机にあった本や資料がバサバサと床に落ちた。
あの熱血狂信集団にシナミが!?
「えっ、どうしよう、とりあえず殴り込んで――」
「落ち着いてください。急を要するお話ではございませんから」
ため息をつきながらフリューネが言う。
「そんな、だってシナミだよ? ミゼットさんたちに囲まれてあの大声で勧誘でもされたらそりゃ断れなくて――」
「入信したのは彼女の自由意志によるものです」
「それはそれで問題じゃないの? あの集団に入ろうとするなんて、よっぽど自暴自棄にならなきゃあり得ないって! どうしよう、仕事に追い詰められたのか私生活に悩みがあったのか……」
うろうろと執務室を歩き回る私にフリューネが少し冷えた笑いを浮かべる。
「とりあえずお座りください。とても領主たる振る舞いではございませんよ、お姉さま?」
「あ、はい」
すばやく椅子に戻る。床に散らかしてしまった書類はいつの間にかターニャが元通りにしていた。
「まず」室内の重力が強くなったかのような気配をまとわせつつフリューネは言う。「一手目で殴り込みを選ばれたお姉さまの思考回路と言葉使いにはより一層の教育が必要だと痛感致しました」
「うっ」
その点については、たしかに我ながらどうかと思う。
これまでにも蛮族だとか言われることが何度かあってそのたび反論しているけど、そのうち言い返せなくなりそうである。
この精神状態のままで地球に帰ったら早々に揉め事に首を突っ込んであっさり死んじゃったりしかねない。
「次に、あの集団は形式上、お姉さまの名のもとに集まりファガン国王の許しを得た宗教団体です。そこへの入信者にお姉さまが異議を唱えられるのは矛盾であり横暴であると捉えられます」
「待って、理由はわかったけど前提のとこちょっと待って」
今へんなこと言ったよね?
「どうかされましたか?」
「その笑い方、わかってるでしょ!」
なんで私の名のもとにアレが集まったことになってるのさ!
「ええ、そうですね」澄ました顔でお茶を飲むフリューネ。「――あれはお姉さまが帝国へと出立した翌々日のことでした。この領地へ奇妙な集団が押し寄せてくるという知らせを受けてカゲヤ様たちと現地へ向かい、正体が判明した瞬間に出向いたことを後悔しお姉さまが不在の状況を呪い、しかたなく応対して皆が胃と耳を痛め、どうせならお姉さまも巻き添えにしたいという密かな願望を押し殺して領地へ留まってはと交渉したものの繋ぎ止められず、再び土煙を上げて去っていった彼らを見送ったときの開放感と無力感」
綺麗な声で流れるように愚痴るフリューネ。
「………………」
ちょっと椅子から腰を浮かせ、いつでも土下座できる準備をする私。
「そしてその10日後、再び彼らがこの領地へ舞い戻ってきたときは目眩がしたものですが、その手にあったのはまさかまさか王の直筆による国許しの書状。添えられた手紙には事情のご説明と『あとは任せた』というあまりにも絶望的なお言葉。そして続々と信者たちがこの地へ集結し、あっという間にその人数は3桁になり、再びあの方たちの熱のこめられた大きな声を聞きながら大急ぎで住居と施設を手配し、さっそく上がってくる周辺住民からの苦情に対処し、さて国許しへ向けて様々な手配をしなければと思い、まず団体の登録手続きをするにあたってその代表を記す際、念のためミゼット殿に確認したところ『それは無論女神の眷属たるレイラ姫しかあり得ません!』と天に轟かんばかりの回答を得た私が、迷うことなくお姉さまの名を書いたことになにかご不満がおありでしょうか? ――あら、どうなさいましたのお姉さま? 床に落とし物でもされましたか」
柔らかな絨毯の毛並みがおでこをくすぐってきます。
「――まあ、五月蝿いという苦情は今もあがり続けているものの、ファガン国王の見込まれた通り有益な集団ではあるのですよ」
言いたいことを言い切ったのか、ややすっきりした顔でフリューネは言う。
「新市街の建設作業を率先して手伝ってくれていますし、なにか揉め事が起きていると迷わずそこへ参入して概ね解決へ導いておりますし、それらの実績と目立つ有様が相まって犯罪の抑制にも繋がっているようです」
「あー、うん、たしかに、基本的には良い人たちなんだよね」
「はい。真面目で熱心で前向きで明るく体力もあります。ただ、それらのすべてが過剰すぎるという強烈な問題はありますが」
「だね……」
たぶんあの人たちを十倍に薄めたらちょうどいい具合になるんだろうな。
「実際、新興宗教とは思えないほど新たな入信者は多いですよ」
「そうなの?」
この世界はそもそも神様が実在していて、しかも複数いるので宗教が乱立しているし複数の宗教に入ることもオーケーという文化が醸成されている。
とはいえ、あの暑苦しい集団に加わる人がそうそういるとは思えないんだけど、そういえばこないだ会ったときも1.5倍に増えたとか言ってたしな……。
「ええ。そうした入信者の実態を調べたのですが、無理な義務を課せられたり先達から理不尽な目に遭わされたりもせず、まっとうに信仰の道を歩んでいるようです。ですからシナミについても急いで手を打つ必要はないと判断した次第です」
「そういうことね」だいぶ安心した。が、「でも……、あのシナミだよ?」
小動物よりはるかに気弱で、一挙一動にニトロでも扱ってるのかと思うほど緊張感を滾らせ、言葉の大半が謝罪に満ちているあの子がミゼットさん率いるあの団体のなかでうまくやっていけるとはとても思えない。
「それは同感です」重々しく頷くフリューネ。「ですので、先ほど申し上げた『灯火駆け』という修行を終えた時点で会いに行き、様子を見ようと考えています」
「それ、私も行っていいよね?」
「はい」にっこりと笑うフリューネ。「予定通りに課題を終えられましたら。もちろん、シナミに会うだけでなく、ミゼット殿たちへの面会も行って頂けるのですよね、指導者レイラ様?」
「その呼び名やめて!?」
ヤバい、フリューネのストレスが相当なものになってる気がする。
アルテナが闘技会でもらった報奨、例の温泉旅館貸し切り権を早急に使う必要がありそうだった。