流れるように取調室へ連行される王女
帝国へ来る道中は、色々と考えていた。
ミゼットさんから聞いた情報をもとに、アジフシーム都市連合へ寄ってみようとか。
大陸東では活発に動いているという冒険者ギルドに偽名で登録して異世界のテンプレみたいなルートを楽しんでみようとか。
ダンジョンの候補地を探すという名目で帝国内の各地を観光してみようとか。
……そんな寄り道を目論んでいたけれど。
闘技会を中心とした様々なイベントの嵐のおかげで、私は懇親会の予定を消化したら即刻バストアク王国へ帰還するようファガンさん以下主なメンバー全員から固く固く念押しされていた。
というわけで、現在は帰路の馬車に揺られています。
「帰りたくない……」
と嘆きながら。
なにしろ帝国で起きた出来事は鳥に結んだ手紙で余すところなく報告されているのだ。フリューネたちのもとへ。
幸いなのかどうなのか、鳥の帰巣本能を利用しているそうでバストアクから連れてきた鳥を帰すことはできるが帝国へ送り返すことはできないので、あの子達からの返信はないけれど。
でも行きの途中でミゼットさんたちを領地へ受け入れちゃった時点でだいぶ怒りを買ってるだろうところへ、追い打ちというにはあまりにオーバーキルな情報が続いているのだ。
怒られるのはいい。長く的確なお説教も、まだ耐えられる、と思う。
けどフリューネとエクスナは決してそれだけで済ませてはくれない。今回のようなトラブルを起こさないためにはどうするか、そして起きた後はどうするか、そうした傾向と対策を徹底的に私への課題として乗せていくだろう。自由時間どころか領主のお仕事や戦闘訓練まで削ってお勉強に割くとかしかねない。
「逃げたい……」
「やかましいぞ」
ファガンさんが呆れたように言う。
「ヴィトワースと殴り合った奴が何を怖がってやがる」
「それとは別物だってわかってるくせに……」
「言っておくが、俺だって逃げたい気分だからな」
行きの馬車と同じく、明るいうちからお酒を飲みながらそう口を尖らせるファガンさん。
「ったく、今回のことでまた外交が七面倒臭くなりやがった。とっととカザンに王位を渡してやるかな……」
「え、そんな頻繁に王様が変わったら国民も不安がりますし周辺諸国から付け込まれちゃいますよね」
「お、なんだ、そのぐらいの分別はあるのか」
「馬鹿にされた……!」
「それだけ分別があるならちょっと外国へ行っただけで賢い妹に激怒されるような火種を複数作ることなんてまさかないよなあ」
「話を戻された……!」
「まあ、幸いなことに火種だけ持ち帰るわけじゃないんだ」とファガンさんは窓の外、近くを走るやたらと頑丈そうな馬車を見つつ言う。
「あれを土産に、精々ご機嫌を取るんだな」
バストアク王国内へ入り、王城へと向かうファガンさんやナナシャさんたちと別れ、レイラ・フリューネ特別自治領へと向かう。
そして、
「お帰りなさいませ、お姉さま」
領地へと続く道の途中で待ち構えていたフリューネたちにお出迎えされた。
領主館にいるものと思ってたのに、先手を取られた……。
「ただいま……」
馬車からそろそろと降りた私へ真っ直ぐ歩いてきたフリューネは、こちらの手を両手で包み込み――いや、正確には逃さんとばかりにガシッと掴み、
「ご無事で何よりです。ああ、本当にお姉さまのいない日々は胸の痛みとの闘いでした。お帰りを心から待ち望んでおりましたの。はしたなくも領地の端のこんな路上でお迎えしてしまうほど、待ちきれなくて待ちきれなくて……」
可憐な面差しを心痛に歪めながら切々と告げるフリューネは、周りの目にはさぞかし健気な妹に見えていることだろう。
しかし私には伝わる。彼女の纏う気配――怒りと苛立ちと苦悩と疲労と、そうした負の要素をようやくぶつけられるという喜びが複雑に入り混じった、少女が纏うにはあまりに強大なプレッシャーを。
これはちょっとマジで数日ほど遠くに逃げちゃおっかなあ、と一歩後ろへ下がろうとしたのだけど、
「おや、お疲れですかねレイラ姫、そんなふらつくなんて。これは一刻も早く領主館へ向かって旅の疲労を落とし、人払いしてゆっくりとするべきでしょう」
そっと背中に手を当てたエクスナによって阻まれた。嘘でしょ気配を感じなかったんだけどもしかして恩寵使った!?
「そのようですね。さあお姉さま、こちらは『準備万端』です。帝国でどんな素晴らしい体験をなさったのか美味しいお茶を飲んでくつろぎながらじっくりとお聞かせくださいませ」
にっこりと笑うフリューネ。
その笑顔とヴィトワース大公の拳、どっちが怖いかと聞かれたら今の私は相当に迷うことだろう。
そうして私は、ふたりの少女に両脇を囲まれて馬車へと戻った。
それはどう見ても、帰宅ではなく連行であった。
領主館へ到着し、スピィとターニャが馬車に積まれた荷物の仕分けを指示しているのを横目にまずはお風呂へ入り、さっぱりとした身体でこのままベッドに飛び込んでお昼寝でもしたいところだけど、私が連れて行かれたのは執務室。
仕事用のデスクではなく、ローテーブルを挟んだソファの片方に座り、ターニャの淹れてくれた水出しのお茶で涼む。
向かいに座るのはもちろんフリューネ。その後ろではスピィが書類を手に控えている。
そして入口の前にはカゲヤが姿勢よく立っており、2箇所ある窓にはそれぞれアルテナとエクスナが陣取っている。
「ねえフリューネ、いくらなんでも本気すぎない?」
「かのヴィトワース大公を相手に善戦されたというお姉さまをあらためて尊敬しましたので、その現れと思っていただければ」
表情だけなら言葉通りだと受け止めたいぐらいの愛らしい表情だけど、内包される気配がそれを許してくれない。
「さて、まずは良い点から確認させて頂きましょうか」
「え、私は逆のほうがいいけどなあ」
「そちらは時間がかかるので」
さらりと死の宣告をするフリューネ。
「では、兎にも角にもお疲れ様でした。長旅と懇親会での様々な出来事を経てなお、こうしてご無事な姿を見られたことは素直に嬉しく思っています」
それは言葉通りの思いが伝わってきたので、
「うん、ありがとう。フリューネたちも、私たちが不在の間この領地を守ってくれてありがとう。お疲れ様」
エクスナやカゲヤにも目を向けながらそう告げる。エクスナは晴れやかな笑顔で、カゲヤは無表情の礼儀正しいお辞儀で返してくれた。
「さて、最大の戦果ですが」
「言葉の選び方おかしくない?」
私は帝国主催のパーティへ招待されただけなんだけど。
「いえ、完璧に合っています。まさしくお姉さまが闘いで勝ち取った功績ですから。――というわけで、ジルアダム帝国の闘技場が聖地として認められ、グランゼす皇帝が番人、ヴィトワース大公とお姉さまが聖地の証として義姉妹の誉れを神より賜ったことですね」
「あ、そっち? 私以外の全員が勝ったとか、スタンが武神から恩寵もらったとかあるんだけど」
「それも素晴らしいことですが、片方は扱いに困るという面もありますし……、私が一番に上げたのは、これが今後の外交面で非常に強力な手札になり得るからです」
「そうなの? 私はあくまで、大公と私をぶつけ合おうっていう陰謀をどうにかできないかって相談しただけなんだけど」
「神に対して、ですよね?」
フリューネの声音から温度が一気に失せた。
「……はい」
「それについては後ほど振り返りましょう」
「はい……」
ここで嫌だと言えればもう少し世界は平和になるのになあ。
「さて、外交面での用い方ですが、わかりやすいものが2つございます。ひとつは三国の関係性を良好に保つための鍵とすること。神はあくまでグランゼス皇帝やお姉さま個人を対象に託宣を下されたそうですが、地上の人間からすれば3名ともが各国の代表、あるいはそれに近い地位です」
皇帝とヴィトワース大公はその通りではあるんだけど、
「私は、代表に近いってほどでもないでしょ」
「ご冗談を。現在バストアク王国のなかで最も他国に名が広まっているのは間違いなくお姉さまですよ」
だからフリューネ、言葉の温度が低いってば……。
「ふたつめの用途は、逆に帝国へ切り込む手札とすることです。聖地の番人とその証、その関係性が崩れた場合に損をするのは、ほとんど帝国だけですから」
「え? ……あ、そっか。言われてみればそうだね」
「逆に言えば、ウォルハナム公国とバストアク王国に利点は少ないのですが。しかしだからこそ、神から正式に聖地と認められた闘技場を失うことはあくまで帝国内の損失です。それも計り知れない程の」
そりゃねえ。神様から直々に認定されたんだから、きちんと管理すれば末永く観光資源になる代物だ。それが撤回されるなんてのは、ユネスコに世界遺産から外されるみたいなものだろう。
「でも、それは」
「わかっています。お姉さまの性格と、帝国や皇帝への印象を踏まえれば後者は選択を躊躇されることは理解しております」
うん、わかってくれて嬉しいんだけど、私が帝国と皇帝にどんな印象を持ったのかまで既に理解されてるのはちょっと怖いなあ。
ちらっとスピィを見ると、すいっと視線を逸らされた。ちくしょう。
「続く戦果は、ひとつめに関連しますがこちらですね」
と、フリューネは壁際に置かれた木箱を見た。
心得たようにスピィがそこへ近づき、重たげな蓋を両手で開ける。
光が溢れたように見えたのは、錯覚かもしれない。
けれど星空を凝縮したような輝きと明らかに人の手には負えない造形は幻じゃない。
なかに収まっていたのは、神様からもらったグラスのペア。
……よし、まだ夕方にもなっていない時間帯だけど、さっそくこれを使ってご機嫌取りに走ろう。