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断章:話し合う男たち、企み合う女たち

「少し話を変えようか」

 と切り出したのはグランゼス皇帝だ。

「そうだな、これ以上悪酔いしたくない」

 とファガンも頷く。

「ヴィトワースとの試合で、レイラ姫のところへうちの軍からふたり貸すことになっただろう」

「ああ。正直言えば、あの化け物との試合の報奨ならもっと吹っ掛けても良かったと思うが」

 冗談めかしてファガンは言ったが、本心でもある。

 だがグランゼスは、

「いや、そうでもないぞ」と首を振り、「なにしろ片方は、私の娘だ」

 と爆弾を放り投げた。


 爆発したファガンの思考回路が復帰するまで、グラス2杯を要した。

 復帰後、高速でスピィから受けた報告を再生する。

 片方は養女、母親は城下町一等地で酒場を経営、発端である暴漢の襲撃に仕込みの気配はなし、シアン、ミージュともに父親が不明。


「……どちらが、グランゼス殿のご息女だ?」

 胸を張って皇帝は応える。

「無論、可愛い方だ」

「すまない、3秒だけ無礼講を許してもらえるだろうか」

「構わんよ。もとよりこの場はそのつもりだ」

「そうか。――この親馬鹿が」

「褒め言葉だな」

 明るい笑顔を見せる皇帝。


 最近癖になっているのを自覚しつつ、ファガンは重たいため息をつく。

「……本人は、それを知らないのか?」

「ああ。あれの母親から、固く認知を拒まれていてな」

 レイラたちが会ったキーラという女店主――ミージュの母親のことなのか、あるいは養女であるシアンの母のことなのか、あくまで語らぬつもりらしい。

「知っているのはグランゼス殿だけか?」

「いや、王子と王女がひとりずつ知っている」

 そういえば、第2王女のメイコット姫とレイラが茶会をした際に試合のことが色々と話題に出ていたなとまたもスピィの報告を思い出す。


「いいのか? このまま一兵士として借り受けてしまって」

「ああ。揉め事の件は報告を受けているが、私や臣下から手を出すこともまた母親に禁じられていてな。ファガン殿の言う通り一兵士としてしか扱えないのだよ。そういうわけでレイラ姫には非常に感謝している」

「なるほど」

「だがもしもバストアク国内で娘に致命的な被害が起きた際には、私は皇帝の座を捨ててでも父として復讐に出向く所存だ」

「冗談はよせ」

「道中でヴィトワースを誘って大暴れするのもやぶさかではない」

「おい、それは本気でやめろ」

 思わず身を乗り出すファガンに、皇帝は爆笑で返す。

 実のところ、ふたりとも相当に酔いが回っている。

 今日起きた出来事とこれからのことを思うと、似たような火種を抱え合う者同士、この場では酔っ払うのもいいかと無言のうちに通じ合っていた。

 それもまた火種の片方――ヴィトワースに言わせれば「私らの手綱を握れないからって理由で酔いつぶれるとか最悪の中年よね」といったところだろうが。


「しかしこの場合、『持っている』のは誰になるのだろうな? 私の娘か、私自身か、あるいはレイラ姫なのか」

「俺じゃないのは確かだ。ったく、王になってからどんだけ寿命が縮んでるのか考えたくもない」

「なに、気にすることはないさ。代わりに最高級の衣食住で健康を保てるからな」

 それを体現している皇帝の纏う衣服や装飾品、華美な室内、最高級という言葉すら安く見える酒と肴を見てもなお、

「差し引きゼロかそれ以下にしか思えんな」

 とぼやくファガンに笑顔で応じながら、皇帝は新しい酒瓶を戸棚から取り出す。

「おいおい、いつまでも皇帝陛下が引きこもっていいのか?」

 当然ながら下は今も打ち上げの真っ最中である。

「いや、久々に気のおけない酒でな。あと何杯か付き合ってくれ」

「レベルが高くなると酒にも強くなるのかねえ」

 レイラやヴィトワースを思いつつの言葉だったが、そういえばレベル1かつ成人もしてない酒飲み少女がいたなと気づく。

 ――あの嬢ちゃんには、皇帝の娘のことはぜひとも共有してやらないとな。

 と、仲間をみつけた気分でやや意地の悪い笑みを浮かべるファガンだった。



 ◇◇◇


「おお、目が覚めていたか」

 病室に顔を出したのはリョウバである。

 スピィの奸計により暑苦しい男たちに囲まれていた打ち上げの場をどうにか抜け出してきたのだ。


「……てめえか」

 ベッドに寝たまま、視線だけ寄越したのはスタン。武神ユウカリィランとの試合で体内がぐちゃぐちゃになり、帝国の優秀な術師による回復術式を受けてもなお起き上がるには相当な時間が必要とのことだった。

 ちなみに外傷がほとんどなかったうえに、経験どころか記録で読んだことさえない武神の攻撃、おまけに実際にどんな攻撃だったのか見た人間がほとんどいないということで、果たして傷の治療なのか毒への対処なのか、あるいは病気なのかと術師たちはだいぶ悩んだという。


 掠れながらも力強い声でスタンは言う。

「そういえば試合中は大人しかったな。まあ、正直に言やてめえを警戒する余裕なんざなかったが」


 ――試合中に狙ってきてもいいぞ

 スタンのイオリに対する礼儀知らずの態度に腹を立てたリョウバが、試合に負けたら殺すと脅した言葉に対するスタンの発言だったが、今聞いた言葉にリョウバは疑問を抱く。

「ハキム殿との試合は、かなり余裕を持っていたように見えたが」

「ああ? 誰だそりゃ」

 訝しげに言うスタンにリョウバは驚く。

「おいおい、戦った相手の名前だろう」

「はあ?」

 心底わからないといった風のスタンに、もしやとリョウバは思う。

「ひょっとして、武神との試合で記憶を失ったりしていないか?」

「んなわけねえだろ。あんな宝の山みてえな試合、一秒たりとも忘れねえよ」

 そうした事柄に関しては異様に素直になる奴だなとリョウバは感心する。

「いや、その前の、武神と戦う前の相手だ。そもそもそちらが本来のお前の試合だっただろうが」

 その言葉に、スタンはしばらく黙って天上を見上げた後、

「……ああ、そういえばいたな、そんな奴」


 ――これは本気で忘れていたな。

 武神の攻撃で直前の記憶が飛んだのか、あるいはスタンの言う宝のような試合の衝撃と情報量に押し流されたのか、もしくは元からの性格であっさりと忘れ去ったのか。

 いずれにせよ不憫な奴だな、と先ほどの会場で見かけたハキムに同情するリョウバ。


「つうかどうでもいいんだよんなことは。要するにてめえは負け犬の俺様を殺しに来たんだろうが。いいぜ、こんな動けねえ身体でいつまでも寝てるよりマシだ。完敗して腹わた煮え滾ってんのに鍛錬できねえってのは、実際死ぬより酷え拷問だしな」

 ――リョウバがあのとき脅したのは、あくまでハキムとの試合に負けたらというものだった。武神との試合など予想できたはずもなく、ましてその試合に対して条件をつけるほどの不遜さも非情さも持ち合わせてはいない。

 しかしどうもスタンのなかでは、今日行った試合は武神との一戦だけだったかのような扱いになっているらしい。

 ……本当に不憫なやつだなとリョウバはあの貴公子然とした男に同情を重ねる。

 会場で多くの女性たちからハキムへかけられる熱い声援を聞いたときにはスタンではなく奴を撃ち抜こうかと思ったものだが。


 まあ、今は眼の前の男の誤解を解く方が重要だ。

 ……が、スタンの思い込みか記憶のすり替えかわからないが、今こいつが思っていることを単純に否定するのも芸がない。


「改めて言うが、私が告げたのは『戦神がその両腕を奪った瞬間、無能となったお前は脳天を撃ち抜かれると覚悟しておけ』というものだ。だがしかし、今のお前は無事に肩から先がくっついているようだな」

「ふん」鼻息ひとつで答えるスタン。「で?」

「お前が無能でないことを、生きて証明したらどうかと提案している。ほら、意地汚く命乞いしてみたらどうだ」

「てめえ性格悪いだろ」

「誰かのように性格が荒いよりは良いと思っている」

「けっ」

 ベッドに寝たままそっぽを向こうとするスタンだが、それだけで身体が引き攣れたらしく、強烈な痛みに顔をしかめている。


「ふっ、辛そうだな。その痛みと敗北感を抱えたまま私に殺される気か? 武神と戦ったというのにどこも欠損していない身体という結果を恵まれ、この先より強くなったうえで再戦できる可能性を持っているというのに? それを捨てて良しとするなら、たしかにお前の精神は自分で言う通りの負け犬だな。この場で死んだほうがいい」

 ぎろりと睨むスタンを、涼し気な表情でリョウバは見返す。


 やがてスタンは強く目を瞑り、

「……土下座もできねえこの身体で何をしてみせろってんだ」

 と言った。

 リョウバはにやりと笑う。

「簡単なことだ。ひとつ、レイラ姫を『鉄腕女』と呼ぶのをやめ、レイラ姫、レイラ様、あるいは領主様などと呼べ。ふたつ、レイラ姫には敬語を使い、お前が出来る範囲で礼儀正しく振る舞え。命を買うには破格だと思うが?」

 不審そうな顔でスタンはリョウバを見る。

「その価値があると、お前は思ってんのか?」

「無論だ」

「……顔か?」

「なんだ、お前も美醜の判断はするんだな」

「うるせえよ」

「まあ、レイラ姫が類稀なる美貌をお持ちなのは確かだが、もちろんそれだけではないさ」

「借りもんの馬鹿力を雑に振り回してるようにしか見えねえぞ」

「それに負けた分際で言えることか?」

「…………」

 これは流石に言い返せないらしい。


「お前がレイラ姫の技量、あるいは他の何かをどう評価しているかは知らんがな、価値とやらをひとつ挙げると、今日戦神がご降臨なされたのは、レイラ姫があの場にいたからこそだ」

「む……」

 今さらながらにそれを思い出したらしい。考え込む様子のスタンに、

「そういえばお前はカゲヤ――ああ、『鉄面男』との試合を望んでいたな。奴は以前、公の場にはあまり出ない侍従だったのだが、それを戦士して引っ張り出したのもレイラ様だ」

 こっちのあだ名は訂正する必要性がないな、などと思いながらリョウバは言う。


「――わかった」

 まだ半睨みぐらいの視線ではあるが、さっきまでより抑制した声でスタンは言った。

「レイラ姫には敬意をもって相手する、それでいいんだろ?」

「ああ」

 とリョウバは頷き、ようやく本来の目的に入れるなと懐を探る。

「……てめえは、その殺気ゼロの様子から暗器を引っ張り出しそうだよな」

「そうしてやってもいいがな」

 取り出したのは、小さなガラス瓶だ。しっかりと蓋が閉められ、なかには液体が入っている。

 戦神の振舞い酒だ。

 打ち上げの場には出られなかったものの、ハキムとの試合で圧勝を収め、さらに武神との死闘を繰り広げたスタンの分はきっちりと確保されていた。


「んだぁ? それは」

「さすがにその身で酒はまずいだろうが、香りだけでも至上の幸福を体験できるぞ」

「酒? おい――」


 蓋を開ける。

 うっかり欲求に負けて自分が飲んでしまわないよう、リョウバは呼吸を止めた。それでも瓶から溢れ出す香りの高貴な気配だけで肌が震えることは、もはや不思議でもなんでもない。


 その香りにスタンが怪我を無視して飲もうとするかもしれないという危険もあるが、一度開けて容器を移した酒の香りが長く保つとも限らない。


 ――が、結果としてそれは杞憂だった。


「むぅ…………」

 スタンは、眠りこけていた。

 疲労の限界だったかと思ったが、よく見るとなんだか顔が赤い。苦しげでもある。


「スタン?」

「……ぐぅ……」

 寝息ではなく、うめき声が返ってきた。


「……これは、酒の匂いだけで倒れる領域の下戸、か?」

 悪いことをしたな、と思うのと同時に、この男が暴走したときに簡単に止める手段を見つけられた、という思いもある。


 まあ、とりあえず医者に一言告げておこう。

 小瓶の蓋をきっちりと閉め、ベッド脇のテーブルに置いてリョウバは病室を後にした。



 ◇◇◇


 そんなふうに、あちこちで男たちが密やかな会話をしているのと同時刻、打ち上げ会場の屋上ではふたりの女が話し合っていた。


「じゃあ、そんな感じで」

 心底楽しそうな笑顔を浮かべてヴィトワース大公が言い、

「はい」とイオリもどこか安堵した表情で頷く。「――後顧の憂いをなくし、大荒野で会いましょう」


 それは、新たなる幕開け。

 魔王シゼルイシュラが誕生してから800年続いている戦争を、終局へと加速させる密約であった。

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