最初から空飛ぶ乗り物
空の向こうからふわふわとやって来たのは、空色の蛸みたいな生物だった。
つるつるした質感で、楕円形の頭部に、胴体無しで九本の鞭みたいな触手が伸び、そのうち二本には白っぽい爪のようなものが伸びている。
それは、思ったより遠くから目視できた。
……つまり、近づくにつれて、それがかなり巨大な生物であることがわかった。
私達がいる開けた円形のスペースは、中規模な駅前のバスロータリーぐらいの広さなのだが、それを覆うぐらいのでかさだ。
その空蛸は私達の上空に到着すると、ばふぁあっ、と風を起こしながら反転した。
丸い頭部が天を向き、脚が広がり、その内側が地上にいる私達の視界に、
「――うっわあ……」
目。
でっかい眼球が、広がった脚の中央部にひとつ。
その周りは広く深く、赤黒い溝になっており、縁には牙がびっしりと。
脚の内側にも棘がみっしりと。
デフォルメできそうな空色の蛸というガワとうって変わって、内側は完全にモンスターだった。
「クネルグという魔獣です」
バランが説明してくれた。
「普段、移動手段としては使いませんが、今回の道程には合っているようでしたので」
「あまり私から離れるなよ。襲われるぞ」
さらっと危険なことを言いつつ、魔王はその怪物に近づいていく。
慌てて後を追うと、怪物の触手のうち1本がぐわっと降ってくる。
ちょっと緊張するが、その太くてトゲの生えた触手はこちらを攻撃したりはせず、魔王の手前に先端を垂らして止まった。
「気をつけて乗れ」
そう言って魔王はひょいっと飛び移り、トゲを避けながら根元の方へと歩いていく。
「イオリ様、これを」
サーシャが手渡してくれた仮面を受け取り、私もその触手に乗る。
――ひいっ、グニャッとする、と思ったら芯がゴリッとする!感触がキモい、キモいよ!
子供の頃、ビーサンで大きなミミズを踏んだトラウマを思い出してしまう。
私の膝ぐらいから胸ぐらいの高さまで様々な長さのトゲを回避しながら魔王の後を追う。巨大な眼球がぎょろりとこちらを見てくるのが怖い。
根本のあたりはトゲがなくなり、幅も広くなっている。四畳ぐらいあるだろうか。そんな太い触手が9本もある怪物は、ほどなく私達を乗せた1本を持ち上げていく。
他の8本も集まってきて、しまいにはすっぽりと私達を覆い尽くしてしまった。
高度が上がっていくのを感じる。
ところどころ触手同士の隙間があり、光も入ってくるし、外の音も聞こえる。
「お気をつけて」
というバランの声。
「いってきまーす」
と私は返した。
ある程度浮上したところで、私達が乗っている1本を除いた他すべての触手がぷくっと根本から膨れ、その膨らみは先端へ移動していったかと思うと、ぶしゅうっ、と勢いよく空気がガスらしきものが吐き出された。
そして水平方向へ、一気にスピードが上がる。
蛸は一定間隔ごとにまた触手を膨らませては先端から吐き出し、その都度スピードを最大まで上げていく。
「この生物みたいなタイプが、一般的な空の乗り物なんですか?」
隣の魔王に尋ねる。
「いや、空を飛ぶ魔獣自体がそこまで多くはないが、これは希少な部類だな」
「さっきバランさんが言ってた、これが合ってるっていうのは?」
「私もあまり空けられないし、イオリはあと7日で向こうへ帰らねばならないからな。呼び寄せるまでの時間と、最大速度、持久力、それらを加味してこれを選んだ。乗り心地は二の次だ」
「あ、よかった、これが普通の乗り物の感覚だとちょっと、って思ってたので……」
「もう少し怯えると思っていたがな」
魔王は苦笑した。
順調に空の旅路は進んでいった。
魔王は小さな革袋を持参しており、そこには多少の水と食料が入っていた。
「私は数日絶食したぐらいでは問題がないのでな」
そう言ってすべて私に食べさせようとする。
「あ、私も今はどのぐらい空腹と渇きに耐えられるか、把握しときたいです。」
実は、密かに心配していたことがあるのです。
どうもこの身体、燃費が悪いっぽい。
先日魔王様とバトった後のことだが、ご飯がやたらと美味しかったのだ。
いくらお代わりしても満腹にならなかったのだ。
お前はいつの間に食義を極めたのかと思えるほど、大量の食料を摂取してしまった。
で、推測したのは、魔王との戦闘でそれだけのエネルギーを消費したのだろうということと、普段はそこまでお腹が減ったことはなかったので、たぶん、この身体の出力は可変幅がすごく大きいのだろうということ。
私とて女子なので、一般的なダイエット知識は持っている。
ゆえに推測の裏付けをしておきたかった。
そもそも基礎代謝がバカ高いのか。
運動時に消費するカロリーがはんぱないのか。
食事からの吸収率が悪いのか。
あと、それこそ食没みたいに「食い溜め」ができるのか。
――というわけで、まずは食事を抜いてみるテスト。
結果――まる1日経っても平気でした。私。
多少の空腹感はあるけど飢餓感というほどではない。
ちなみに昨日はごく普通の食事量だった。
となると、基礎代謝はそこまで高くないか?
運動時の出力が高すぎるので、消費カロリーも跳ね上がるということかな?
あとは食い溜めできるかどうかだが、これは魔王城に戻ってから試してみよう。
実は胃袋以外に内燃機関とかあるのかもしれないし。
ひとまず、前線についたら補充できると聞いたので、ちょっとずつ魔王様持参の水を飲み、食料を噛じっていきました。
魔王はもちろん、忘れずにゲームを持ってきており、ずっとプレイし続けていた。
「なんで火属性使うんです!?どう見ても吸収するでしょうこの外見」
「より大きい炎で圧倒したいのだ」
「だから自分基準で考えないでくださいって。ダメージ計算に意識の高さは反映されないんです」
私は側で指導し続けていた。
蛸の中でほぼ2日が経過した頃、
「なんか弱ってません?この子」
推進力を生み出す触手からの噴射が、明らかに小さくなっていた。
間隔も延びている。
「そろそろ限界だな」
魔王はゲームを止めて立ち上がった。
蛸が移動を止め、宙に浮かんだまま触手を広げていく。
「あの、どうやって命令してるんですか?」
「ああ、テレポーテーションだ」
一瞬、考える。
「……テレパシーですね?」
「そっちだった」
蛸は私達のいる触手を宙に伸ばした。
360度が空、地上は小さく見える。高層ビルから見下ろしたときぐらいの眺めだ。
こうして見ても、自然の多い外国というぐらいの印象で、魔族の領土という言葉からゲーマーがイメージする光景とはだいぶ離れていた。
「ここからは自力での移動だ」
「徒歩――じゃ間に合わないですし、まさか走るんですか?」
「いや、飛ぶ」
そして触手の先端から跳躍し、そのまま宙に浮かぶ魔王様。
どうやら飛行スキルをお持ちのご様子。
まあ、魔王ってだいたい空飛べるよね。地に足つけてるイラストでも背景は空中だったりするし。
「え、乗れと? おんぶですか?」
「たわけ」
「でも私飛べま――あれ、もしかして飛行機能搭載されてますかこの身体?」
「これを使う」
魔王の指先が光り、空中に魔法陣が浮かび上がった。
フラフープぐらいの大きさで、なぜか斜め上に角度をつけている。
「転送ですか?」
「いいや、これは足場兼、発射装置だ」
おやおや? なんだか嫌な予感がしますよ?