沈黙の長い接客
――異世界から助けを求めてひとりやって来る者がいるから協力してあげて欲しい。
今朝、ぐだぐだした展開を切り抜けた後に謎の存在が私に伝えたのは、そんな内容であった。
さてどこから突っ込もうかと私が悩んでいるうちに、「では」などと言って謎の存在はまた靄に戻り、あっさりと消えてしまった。
私もまた、ベッドで寝ている自分に引っ張られるように天井から落ちていき、視界がぐるんとまわったかと思うと、天井を見つめていた。ちゃんと動かせる自分の身体で。
夢から覚めたのか、そうでないのか、いまいちはっきりとしなかった。
とりあえずスマホでいくつかのゲームのスタミナを消化し、朝食をとってから据置機の電源を入れ、さっきまで実写版と対面していたキャラを操作し、やがて時間になったので学校へ行った。最近は午後からのコマしかない日があるので、朝起きてからとても余裕のある生活スタイルになっていた。
夕方からはバイトである。
そしてそのバイト先に、
別世界の住人がやって来た。
イケメンである。
日本のタレントでも、ハリウッドスターでもない。なんというか、イメージの中にのみ存在する貴族様のような風貌の美男子である。
糸状の金属かと思うような凄みのある艶を放つ黒髪、内側から発光しているような白い肌、店内の棚を上回る高身長かつ明らかに腰の位置が日本人ではない抜群のスタイル。そしてどこかの芸術家が大理石から彫り上げたような整った目鼻立ち。さらに歩くだけで漂わせる品の良さ、もっと言えば威厳、風格のようなものさえ感じさせている。
火曜日の午後四時である。
私のバイト中、店長はバックヤードで事務作業をしていることが多い。他のバイトと被ることも、平日は滅多にない。お客が殺到することもないので、店内は基本的に私ひとりで対応できてしまうのだ。
特にこんな週末も遠い平日夕方なんて、お客さんゼロの時間のほうが多いぐらいだ。気楽なバイトである。
今も、カウンター正面の棚を興味深そうに眺めている謎のイケメン以外に客はいなかった。
こちらには横を見せているので、気付かれない程度に観察を続ける。
服装は白いシャツに細身のネイビーのスラックス、ベルトも靴も明るめの茶色。ノータイだが第一ボタンまで止めている。腕時計はしていない。サラリーマン風だが、素材がやたらと高級そうに見える。詳しいわけではないけれど、素人目にもそう見えるということだ。体にぴったりと合っているので、オーダーメイドとかかもしれない。
まず間違いなくお金持ち。さては外国人観光客が日本のゲームを爆買いしに来たのか、と想像する。
ふと、男はパッケージをひとつ手にする。最人気ハードのメジャータイトルである。まさか本体を何台も買うとか言わないよなあ、在庫少ないんだよなあ、と心配になる。
しかし男はパッケージの両面を真剣な眼差しで眺めてから、それを丁寧に棚へ戻し、店内を見渡し、今度はこちらへ歩いてきた。まずい、問い合わせか。
目が合うと、男は上品に微笑を浮かべ、右手に置かれたデモ機を指し示した。それから軽く小首を傾げてみせる。使っていいか尋ねているのだろう。
やはり日本語は駄目らしい。
「はい、ご自由に」
通じないだろうと思うものの、そう声に出し、合わせて左手で「どうぞ」みたいなジェスチャーをする。
男は満足そうに頷いた。
カウンター上の液晶テレビに繋がっているのは、一昔前のハードを小型で復刻させた機体である。当時の人気ソフトが色々内蔵されていて、今日は朝番の人が、某大作RPGのナンバリングタイトルを選んでスタート画面のままにしていた。
男は筐体の前に立ち、テレビ、本体、コントローラーと視線を動かし、時には指先で触れ、やがて決心したかのようにコントローラーを手にした。
上背のある男には小さなコントローラーだし、テレビの位置も男の胸より下になっている。思わず椅子でも貸そうかと思ってしまったのは、男の漂わせる威厳みたいなものに当てられたのだろう。
上流階級オーラをふんだんに放つ大人の男が真面目な表情ながらも目を光らせてゲームに興じる光景は、違和感がはなはだしいものの、微笑ましい雰囲気でもあった。
――しかしながら、そのまま2時間近くプレイし続けるのはどうだろうか。
対戦で長時間使われるのを防ぐため、コントローラーはひとつしか繋げていない。それでも小学生などは交代制で長々と粘ることもある。しかしずっと立ちっぱなしになるし、ゲームしながらドリンクなど飲みだしたらさすがに注意することになっている。
今の小学生は自前のスマホや携帯ゲーム機を持っているのが普通という背景もあって、2時間越えはそうそうあることではなかった。
男がゲームしている間に、やって来た他のお客は4人。皆ちらちらと男の目立つ風貌に目を向けていたが、彼はそれに気づいていないのか、どこか必死にも見える目つきはひたすら画面に注がれていた。
2時間半経過。
もう外は暗くなっている。
いい加減なにか言おうかなあ、と私が悩んでいると、男ははっと目が覚めたように辺りを見渡した。そして私の方を向き、ぺこりと頭を下げる。なんだかぎこちないが、ずうっと姿勢良く立ったままゲームしていたので、あちこち凝っているのだろう。
男が店を去ってから、デモ機の画面を見る。音は絞ってあるし店内BGMもあるので、男がどんなプレイをしていたのかは分からなかったのだ。
……マジか。
画面では、スチームパンクっぽい戦闘マシンに乗り込んだ少女が、洞窟のセーブポイント付近に佇んでいた。
あのイケメンは、2時間以上かけてもプロローグすら突破できなかったらしい。