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神酒の試飲会

「もうひとつ尋ねたいのは、今日の試合で実証されたレベルの高さとそれに基づく力量の凄まじさだ」と皇帝は言った。「人族領土の対極とはいえ、大荒野の情勢は把握しているつもりだが、レイラ姫の名を耳にしたことはなかった」

「まあそれ言ったら、そっちの男ふたりもだけどね」

 ヴィトワース大公がしなやかな指でリョウバとシュラノを示した。

 そりゃまあ、魔族ですから。

 戦いに際して名乗り合う文化がないし、リョウバは顔の見えづらい狙撃手、シュラノにいたっては兵士でもない研究職だ。

 前衛役にも侍従のカゲヤをつけてくれたし、和を乱すメンバーもいないし、ここまで誰も欠けていない。バランの人選の見事さには、旅が長くなるほどに感服するばかりだ。


「無論、秘密にしたいことも多いだろう。むしろ其方が神の眷属という話を聞いた以上、迂闊に追求するのも恐れ多いところだ。――今更の話だが、これまでの態度を改め謝罪すべきだろうか?」

 やけにかしこまった姿勢になる皇帝。

「そうよグランゼス君、非礼が過ぎるわ。こちらにおわすレイラリュート様をぶん殴った私なんていつ天罰が落ちてくるのか気が気じゃないんだから」

 胸の前で両手を組み、わざとらしく悲壮な声を上げる大公。

「ちょっ、おふたりとも、からかってますよね!? あくまで神様が偉いだけで私は単なる一般人なんですから!」

 慌ててそう言うと、ファガンさんが鼻で笑う。

「お前さんに一般的なところがひとつでもあるか?」

「目、鼻、口、それに手足の数とかですかねー」

 ナナシャさんまで!

 そして他の仲間たちがいっさいフォローしてくれないし!

 駄目だ話を軌道修正しよう。


「えーっと、私のレベルの話ですけど、たしかに大荒野で闘ったことはありません。ですが私の出身はラーナルトなので、背後にそびえる白嶺で魔獣退治をしていたんです」

 皇帝の目が細まる。

「ふむ、音に聞くあの秘境であれば強力な魔獣も生息しているか……、しかし……、いかんな、聞けば聞くだけ質問したいことが増えるばかりだ。今日の主賓をあまり専有するのもな」

 そう言って、皇帝はソファから立ち上がり片手で合図をした。

 すると私たちが入ってきたのとは別の大扉が開き、やたらと厳重な兵士たちに守られながら車輪付きの立派なテーブルが運ばれてきた。

 テーブルを押してる人、とても倒れそうにないそれを必死の形相で左右から支えてる人たち、そしてそれらを護衛する兵士たち。全員がものすごい緊張してるので、テーブルの上で綺麗な刺繍の入った布のカバーを被せられている品物に見当がついた。


 壁際で止め、車輪を固定し、鎖で縛り、脚に補強具をつけと超強固にセッティングされたテーブルに皇帝が近づき、カバーを剥ぎ取る。

 おおっ、と見ていた人たちからため息が漏れる。私もそのひとりだ。


 あらためて眺める神様からの差し入れ、天上の酒器はほんとうにほんとうに綺麗で精巧で見飽きないものだった。

 私ですら、あるいはゲームをする時間を多少削っても、デイリーを少しスルーしてでも、鑑賞にあてるのも良さげだと思うほどだ。


 皇帝が会場内へと声を張る。

「今宵、我々は天へ一心に感謝すべきだ。このような伝説に刻まれるべき品を目にする栄誉を賜ったのだからな。そしてこれを直接授けられたレイラ姫、ならびにその義姉妹と認められたヴィトワース大公よ、其方たちふたりこそ、この神酒を最初に飲む権利が相応しい」

 皇帝の言葉に合わせて、周囲から羨望の眼差しが寄せられる。

「承知しました。謹んでその栄誉をお受けします」

 これは事前に聞かされていたので、予定通りの言葉を返せた。


 大公とふたり、仲良く神酒の安置されたテーブルへ。

「あ、私まだ力加減まずいかもしれないから、レイラ蓋あけてね」

「ええっ!? 私だってそうですよ! どうするんですかうっかり砕いたりしちゃったら!」

「それはもちろん神の眷属である貴方様にお任せします」

「そんな、ずるいですよ!」

 歩きながら超小声でそんなことを言い合っていると、聞き取ったらしい皇帝が目で訴えてきた。はいすみません静かにします。


 酒壺の前に立ち、覚悟を決めて手を軽くグーパーし、そうっと蓋へ両手を伸ばす。

 壺本体は皇帝が押さえてくれているので、ゆっくりと蓋を上方向へ――


 開いた。

 封じ込められていた香りが、

 一瞬であたりの空気を洗い替えるような、

 全身の細胞を生まれ変わらせるような、

 そして奔流の如く脳裏に蘇るのは、お母さんの膝の上で読んだ絵本、友達と帰る放課後のランドセルの重さ、お小遣いを握りしめて入ったゲームショップ、クリスマスの朝、友達と一緒に作ったチョコレート――そうした無数の、懐かしくて甘くて幸せな記憶。


 パンッ、という音で我に返った。

 ヴィトワース大公が手を叩いた音だ。

「はいみんな冷静に! それ以上勝手に近寄らないようにね。それとも――戦の神に認められた私たち姉妹の拳をその身に受けたいのかしら?」

 見れば会場内の人たちの輪が、ひとまわりもふたまわりも縮んでいる。今にもこちらへ駆け出しそうな様子だ。

 それが大公の言葉でざあっと後ずさった。

 私だけでなく、香りの届いた周囲の人たちもトリップしていたらしい。


「しっかり」

 と小声が届き、ひそかに背中へ軽く手を当てられる。

「ありがとうございます」

 小さく、けど力を込めてそう返した。


 持っていた蓋を慎重にテーブルへ置き、代わりに黄金の柄杓を手に取る。金属なのにどこか柔らかい、吸い付くような手触りだ。重さが心地いい。

 ごくりと唾を飲みつつ、柄杓を酒壺へ。ちゃぷりと軽やかな音を立てて、一杯の神酒をすくう。ゆっくりとグラスへ。無色透明のお酒は、銀色に輝く細かな粒子を秘めているようで、注がれる水流がきらきらと美しい。それがグラスの乱反射を加速させ、眩しいぐらいに光を放つ。


「どうぞ」

 はじめの一杯は、戦神公認義姉妹の姉であるヴィトワース大公へ。

 しっかりとグラスを受け取った大公は、優雅に口へ含み、

 ぶわり、と大公の纏う気配が歓喜に膨れ上がった。

 そのまま垂直になるぐらいグラスを傾けていき、一息に飲み下す。

 ――ほうっ、と実に幸せそうかつ色っぽい吐息をついた。心なしか潤んだ瞳が、空いたグラスへ去りゆく恋人へ向けるような熱を放っている。

 周囲からは感嘆とも羨望ともつかない視線が殺到している。


「これは……、なにも言えないなあ」

 首を振りつつ、私から柄杓を受け取る。次に飲むのはこちらの番である。


 手渡されたグラスから立ち昇る香りに、蓋を開けた瞬間のトリップしそうな感覚がより強く押し寄せてくる。大丈夫かこれ、飲んだらそのまま昇天とかしちゃわないか。

 そんな不安すらよぎるけれど、それ以上に強いのは渇望。

 喉が渇いてるわけでもないし、空腹感でもない。でも何よりも優先して眼の前の液体を飲みたいという強い欲求が、その香りだけで私を突き動かそうとしている。


 覚悟を決めて、どこまでも滑らかで絶妙なカーブを描くグラスの縁へ唇をつける。

 ひと口。

 

 世界が弾け飛んだかと思った。


 ――両手でしっかりと持ったグラスは、空になっていた。

 あまりの美味しさに記憶が吹っ飛んだわけではない。口に流れ込んでくる感触から、舌に触れた瞬間の鮮烈な甘さと酸味とほろ苦さ、口に含んだ後の織りなすような味蕾への刺激に、脳へ突き抜ける多幸感、そして飲み下した後に口の中へ残る奥深い余韻と、鼻へ通る芳香。

 そうした一瞬一瞬は、たしかに脳裏へ刻まれている。それを思い返すだけで何日でも楽しめそうだ。


 一杯のお酒が持つには巨大過ぎる味覚嗅覚への情報量が、たぶん時を忘れさせたのだと思う。まるで夢中で読破した長い物語をゆっくりと振り返るように、今の一杯を堪能している自分がいる。


「レイラ?」

 少し心配そうな声にはっとなる。そうだ、今は打ち上げの真っ最中だった。

 気を取り直して口を開く。

「大公の言うとおりです」顔は自然とほころんでいる。「これは、何も言えません。――言葉が追いつきません」

「だねえ」

 ヴィトワース大公も幸せそうに笑っている。


 さあ、次だ。

 神様がくれたグラスは3つ。最後のひとつに大公が神酒を注ぎ、私が運び、グランゼス皇帝へと手渡した。

「レイラ姫、ヴィトワース大公、感謝する」

 そう言ってグラスを傾ける皇帝。

 ぎゅっと目をつぶったその大柄な全身から、熱さを覚えるような幸福と感動に満ちた気配が放たれる。

 数秒して我に返った皇帝は、

「うまい」

 とただ一言、しみじみと力強くつぶやいた。

 そして、じーっと私たちが神酒を飲む様子を羨ましそうに眺めていた、だんだん殺気すら帯び始めた会場内の人たちへと向けて語りかける。


「今日、有り難くも聖地となった闘技場、その証とも言えるこちらの義姉妹と、その聖地の番人である私、3名が戦神の振舞い酒を口にする至上の栄誉を賜ることが出来た」そこでにやりと笑う。「――誠にお待たせした。この天より授かった稀なる福音を、ここへ集った皆で分かち合いたい」


 試合中のそれより大きいんじゃないかというような歓声が轟いた。

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