全身全霊突き
魔王様やバランとステータスの定義を詰めていた時、『器用さ』とは何かという議論があった。
「細かいものを作れる技術とか」
私が言うと、
「それは戦闘に関係ないだろう」
と魔王様に却下される。
「じゃあ精密動作性っていう言葉だとどうです?」
「ふむ、意味合いはわかるが……」
「イオリ様、攻撃力はダメージに、素早さは移動速度や回避率に影響するとのことでしたが、器用さはどのような数字に影響をあたえるものでしょうか?」
戦闘は不得手だというバランが少し悩みながら発言した。
「あー、それで言うなら命中率とか、扱いの難しい武器の攻撃力とかですね。小剣や刺突剣、投擲武器とか銃なんかです」
「なるほど。しかしそれらはステータスより修練の厚みによる影響が大きいな――いや、そうか、包括的に見れば……」
腕を組んで考えた魔王様は、やがて結論を出したらしい。
サーシャがテーブルに用意してくれたお茶や軽食のなかから、ディップを乗せるためのクラッカーを手に取ると、「イオリ、受け取れ」と言いながらピッ、と手裏剣のように飛ばしてきた。
魔王様のステータスからすれば思い切り手加減したのだろうクラッカー手裏剣は、それでもまあまあの速度だけどこっちの義体も高性能である。余裕を持って親指と人差指で摘みとった。
「バラン、行くぞ」
続けてバランへ、今度は放物線を描くように軽く投げる魔王様。これならたぶん、地球にある本来の私の身体でも目で追えるだろう。――目だけなら。
そしてバランは、「え? あっ」と両手をわたわたさせつつ、結局キャッチできずにクラッカーが胸元にヒットした。
何とも言えない空気が漂う。
バラン、大丈夫だよ、本来の私もたぶんそんな感じになるよ。
「……バラン、念のため聞くが見えてはいたな?」
「は、はい、辛うじて……、ですが身体が追いつかず……」
「それは速度の話ではないな?」
「え、いえ、どうでしょうか、それもよくわからないと申しましょうか、その、受け止めようとはしたのですが」
……魔王様、もうやめてあげて、体育の時間のプチトラウマ数種類が私にも刺さってるんですよ……
その後、食材を投げたこととバランの服や床を汚したことをサーシャに軽く説教されてから、魔王様は結論づけた。
「つまり、器用さとは『思い通りに身体を操作する』能力だ。これが低いと意図したところへ手足を持って行けず、今のように飛来物を受け損ねたり攻撃する箇所がズレたり、何もないところで転んだ挙げ句に足を挫いたりする」
すべて実体験なのか、肩身狭そうにしているバランを見ていられなかったので、その晩私とサーシャは魔王様をハブってバランと3人で楽しくディナーを取った。
後日、バランのもとへ高級酒の詰め合わせが届けられたとか。
――そして当時の私が測定した器用さは、746。
攻撃力や体力に比べるとだいぶ低かったけれど、絶対評価なら相当な数字だった。
私は、この義体をほぼ思った通りに動かせるということ。
それは、例えば片手で持てるボールを、その直径と同じサイズの籠に10メートル手前から放り投げて入れる、みたいなテストで露骨に結果となった。
はじめは何度も外れる。
しかしどこかで1度成功すれば、そのときの動作が身体に刻み込まれる。あとは同じ動作をイメージし、その通りに身体を動かせば、同じようにボールは籠に入る。10回でも、20回でも、いくらでも続けることができた。
けれどその場から一歩でも動けば、またシュートは外れだす。そこでもまた1発入れば後は何連続でも成功するけど。
また、次の日が雨だったりすると、まったく同じ立ち位置でも湿気による微妙なボールへの指のかかり具合とかが変わって失敗する。
私の器用さが絶対値としては高いけど、他のパラメータと相対的に見れば低めというのは、そうしたテストの結果だった。
初見で精確な動作はできないけれど、1度把握すれば再現は容易。
そして、それはこの試合と、今の戦法においては極めて有効な能力だった。
自分の体格、手足の長さから可動域まで、この義体の寸法はとっくに把握している。
ヴィトワース大公のそれも、ここまでの闘いで頭に焼き付いた。
向かってくる攻撃の速度は、それが全力であっても目で捉えることはできる。そしてスピードとパワー、タフネスはこっちが上。
なら、攻撃の種類や角度、フェイントかどうかはもう気にしない。
自分の手が届く範囲に侵入した攻撃を、思う通りに手を伸ばして捕まえればいい。
ガシイッ!
ほら、こんなふうに。
掴もうとした初撃は寸前で引かれ、次弾は掴みづらい足元への攻撃、けど三発目の本命で、キャッチング成功。
ヴィトワース大公の右手首を、左手でしっかりと捕まえることができた。
互いに汗と埃まみれの顔で見つめ合う。
「もう離しません」
「熱烈だね」
そう言いながら大公が左の拳を突き出す。同時に膝への蹴りも来る。
ガードはせず、半身になってポイントだけずらす。それでも物凄い衝撃が襲うけど、急所じゃなければ痛みが来るまでにタイムラグがあると既に身体が覚えている。
そして大公の手首を握っている以上、吹き飛んで距離が開くことはない。
――それは逆に、こちらが殴っても相手が吹き飛ばない、衝撃が逃げないということ。
反撃。2発は避けられた。腕を掴んでいるというのに軽やかな動きだ。けど回避された瞬間に、掴んだ手を強く引く。バランスの崩れたところに、3発目。
ゴズンッ
工事現場を通りがかったときに聞くような重たい衝撃音が、重なった。
ひとつは私のパンチが命中した大公の胸骨から。
もうひとつは私の肋骨から。
避けられないと判断した大公はすかさずカウンターを見舞ってきたのだ。
息が詰まり、手の力が抜けそうになる。互いに衝撃を逃がせないこの体勢、ダメージは今日イチか。
予期せぬカウンターを受けた私と、パワーで勝る私の直撃を受けた大公。
立ち直りはほぼ同時だった。
拳を固め、顔面へ突きを放つ。カウンターを予期して首や腹に力を込める。
ゴオォン、と間近で大鐘を撞かれたような大音声。拳を額で受けられた。どこに反撃が来るか、と警戒する私の意識をすり抜けるように、そっと手が伸びてくる。
――あ、これは。
この、滑らかで、巧みで、人体の動きを極めたような美しい流れは。
武神ユウカリィランの――
差し伸べられた手は、私のお腹に添えられる。
優しく、いたわるように、愛しい赤ちゃんに触れるかのように。
私の意思とは無関係に、固めていた腹筋が緩んでしまう。身体がヴィトワース大公の手を、受け入れてしまった。
瞬間。
大公から強烈な攻撃の意思が溢れ出た。
寸前まで慈愛に満ちていたその手が、非情な凶器となって押し込まれる。
その衝撃は緩んでしまった腹筋を容易に貫通し、奥の内蔵へと達する。
同時に、物理的な打撃だけでなく、ヴィトワース大公の法力そのものが、私の体内へ浸透してゆく。
――そうか、スタンが受けたあれは、こういう攻撃だったのか。
――だったら、予想したいくつかのうちひとつが、当たった。
内側から破壊する攻撃なんて、私の世界じゃ多くのクリエイターがとっくに創り上げてるんだから。
思考速度が異常なまでに加速している。
この攻撃は、そのまま受ければ私の義体でも重症に陥る代物だ。あるいは殺せる可能性すらある。
それを察知した身体が、限界まで集中力を高めている。
気配や法力や魂までをも察知する、この義体が。
――抵抗したら駄目だ。
直感的に、そう理解した。
身体が緩んだところに通された衝撃、それは今この瞬間では、まだダメージに至っていない。
受け流せと、脳ではなく身体が言っているような気がした。
今、私の意識はヴィトワース大公から放たれた攻撃のプレッシャーに反応して、身体を固めようとしている。
それは悪手だ。
緩んだ状態を、維持しろ。
危険な攻撃を受けている今、最大まで高まった集中力をもって、走馬灯レベルの速さで意識を上書きしろ。
――そう、身体が訴えている。
それに従う。
身体を緩めるための、あらゆるイメージをかき集める。
温泉に肩まで浸かって息を吐いた時を、その後に浴衣を着てふかふかの布団に倒れ込む瞬間を、体育でプールに入った次の授業の眠気を、ギリギリの死闘を経た後のリザルト画面を、エンカウントなしの装備やアビリティをつけてフィールド探索している心地を――
力み、固まろうとしていた身体が、ふっと弛緩した。
内蔵へ届いた衝撃が、そのまま体内を僅かに揺らしただけで、背中へと素通りしていくのがわかる。
風を孕んだように上着の後ろが膨らみ、限界を迎えてパンッと裂けた。
同時に叩き込まれた法力も、霧散していく。
それだけ。
ダメージは、なし。
真正面で、目を丸くしているヴィトワース大公。
私を殺すことのできる力と技を持つ彼女に対して、薄皮のように全身を覆っていた枷が外れるのを感じる。
全力を出すだけでなく、全霊を込めて殴ってもこの人は大丈夫だという安心感が背中を押す。
――この身体の器用さなら、1度把握した動きの再現は容易。
――ただし微調整はできない。
カゲヤにミリ単位で矯正された、パンチのフォーム。
加減の出来ない、マックスの正拳突き。
そこへさらに、乗せる。
私がこれまで目にした『会心の一撃』、そのイメージを。
それは例えば、5話分の回想で溜めた鬱憤を晴らすバカ王への一撃であったり、
大きく開いた口の中からの視点かつ見開きというあり得ない構図からのぶん殴りであったり、
赤いキャップを脱いだ最強のフリーターが引っ提げた個人的百点の超必殺技だったり、
散々殴られた末に放つ凶悪なカウンター潰しであったり、
勝確間違いなしの超燃えるBGMから普通に全滅して呆然とさせられた社長の腹パンだったり、
そんな脳裏に刻み込まれた強烈な技のイメージを脳裏に再生する。今の状態であれば、それは明確なエネルギーとして身体へ熱を与え、今から放つ拳に乗せることが可能。
――ヴィトワース大公の攻撃を受けてから、瞬きに満たない極小の時間。
最大限に高まった集中力と思考速度で、そこまでの工程を終わらせた。
後はもう何も考えず、
拳を放つだけ。
視界から色が消え、輪郭が失せ、真っ白に輝く。
何かとても頑丈で、強靭なものが砕ける手応えが、たしかに拳から伝わった。