レントゲンがあったら一発アウト
全力を出した時、体感的にはフィールドが変化する。
まず地面が脆くなる。この闘技場は硬い地盤をを掘り下げ、足跡もつかないほどしっかりと土をならして出来ているみたいだけど、今の力でつま先で踏み込むとそのまま抉れてしまう。できるだけ足裏全体で、蹴り出すというより押し出す意識で動かないと初速が落ちてしまう。
次に空気が粘っこくなる。水中とまでは言わないものの、振るう手足に纏わりつく感触がある。移動中は風圧で目が乾くし、呼吸もしづらくなる。構わず動き続ければ身体が慣れてきて、涙量や肺の力みが自動調整されるけど、違和感が消えるわけではない。
巻き上がった砂や、さっきまでの試合で散った細かな木片などの掃除しきれなかった分なんかが、移動時には素肌にチクチクと当たる。ダメージはないけれど、これも違和感にはなる。
――もっとも、それらをストレスに感じていられるような余裕は、すぐに消え失せたけれど。
私と同じように、ヴィトワース大公も全力を出している。
かつて大荒野で名を馳せ、ここジルアダム帝国に反旗を翻したことがあり、今なお脅威と恐れられている英傑の全力。
それは言ってしまえば歩く災害、ゴジ○やゼット○が破壊力そのままにサイズだけ人間になったようなものだ。
突き出された拳。思わず避けたそれは、駅のホーム最前列で通過する特急電車を見た時以上の圧力を感じさせる。一般人に当たればそれこそ人身事故だ。
ほぼ同時に繰り出されたミドルキックはガードせざるをえないタイミング。そして防いだ腕が爆発したような衝撃とともに、私はさっきまでの体感2倍速で壁に激突する。精々ヒビが入る程度だった壁に、今は視界が真っ暗になるほど深くめり込む始末だ。
埋まった壁から抜け出そうと足掻いているところに、解説が聞こえてくる。
「リョ、リョウバ戦士、今のは……? 私には、お二人が霞んだかと思うと壁が炸裂したとしか……」
「ごく単純な刻み突きからの廻し蹴りでした。しかし、なるほど、これが……。おい、シュラノ!」
呼びかけに対する答えは聞こえない。声が小さいか、無言でリョウバを見返したのかどっちかだろう。
「耐えられそうか!?」
――聴覚強化。
「ここだけなら、3回まで」
「えー、そういうわけです。観客の皆さん、お近くの術師や専属の護衛を信用できる方はどうぞ観戦を続けてください。少しでも不安のある方は――あ、申し訳ありません、解説の身で差し出がましいことを」
「いえ、とんでもありません! ですが至急、障壁を張る術師全員に聞き取りを手配します。遅ればせながら人員の追加投入も」
ようやく瓦礫を落としながら壁から抜け出ると、観客は3割ほど減っていた。
「まだ角度は気をつける必要があるね」
見回しながら大公が言う。
「はい。……ただもう正直、そこまで配慮する余裕ないんですが」
「あは、そんなのこっちも同じ。まあ残ってるのは自己責任ってことで、善処だけすればいいって」
その声を聞き取ったらしい皇帝がVIP席から矢継ぎ早に指示を出しているのが見えた。
「で、レイラ自身は? やっぱ全力なしって言っても怒らないけど」
「そうですね」
先ほどガードした腕の感覚を確かめる。痺れて熱を持っているけど、動く。
「継続で」
「ふうん」
実に楽しそうにヴィトワース大公は目を細めた。
「じゃあ、おいで」
――その笑顔と言葉の裏に隠された気配を感じ取れる。さっきまでより明らかに強い、警戒心。
踏み込む。この闘技場の広さにおいては、もはや距離の長短はたいして関係がない。私たちにとっては誤差、どのみち一足だ。重要なのは間合いの内か外か、それだけ。
膝に向けて左の横蹴り、スイッチで避けられる。左の縦拳、これも躱される。腰を落として右の中段突き、ステップバックされて空を切る。
ガードされなくなった。
見切られたわけではない、と思う。反撃につながってこないのが証拠だ。
たぶん、受け止めるのがリスクだと思われている。喜べ私、予想通りパワーならこっちが上だ。
……とはいえ。
退がった大公が一瞬でまた間合いに戻ってくる。お返しのようにローキック。そのスネを足裏で受け止める。――受け止めきれる。軸足が跳ねて側頭部への廻し蹴りが来る。構えたブロックの手前で膝が畳まれ、顎への横蹴りに変わる。腕を差し込んでガード――浮かされる。
またも鋭く素早いローキック、同じように受け止めるけどこっちは空中。くるんと回され、上下逆さまに。
そこへ全力のボディブロウ。
もう何度目か、弾丸ライナーと化して壁に激突する。
「ヴィトワース大公は受けどころか捌きすら嫌がっていますね。そのため動きに制約がかかり、攻撃の頻度が減っています。しかしレイラ姫の動きに幅が出たわけではないので、今のところ攻防の結果は先ほどまでと変わっていません」
解説ありがとう畜生。
もちろん私だって、フルパワーなら一気に形勢逆転できるなんて思ってない。
でも大事なのは、少なからず大公にもプレッシャーがかかってるということ。
それじゃあこの調子でいきましょうか。
だんだん慣れてきた瓦礫からの脱出を済ませると、構えを変える。
軽く握っていた拳は開手にし、顎から胸の高さへと下げ、やや前傾して懐を広く、蹴りを出すため伸ばし気味だった足腰は深めに落とす。
さっきまでがボクサーとか空手家のような打撃系の構えだとすれば、今はレスリングとか柔道――いや、むしろ野球の内野手とかサーブを迎え撃つテニス選手のような構えに似ていた。
カゲヤの言葉を脳裏に再生する。
『打撃も柔法も投げ技も、膨大な反復練習が物を言います。ですがイオリ様の持つ反射神経と怪力と気配察知、それらを駆使すれば歴戦の闘士を上回ることのできる技術を別に用意できます』
「そっかあ」こちらの意図はすぐに理解したのだろう。「ほんとにちゃんと、勝つ気なんだ」大公はさらに警戒心を高めていた。
「試合ですから」と私は言う。「あなたに通用すれば、誰にだって通じるでしょう?」
「言うね」
ヴィトワース大公は構えを変えない。
また私の方から間合いに入った。今度は、蹴りが届く距離になっても構わず、さらに近くへ。
迎撃はなし。
目前のヴィトワース大公へ、ただ単純に手を伸ばす。踏み込まず、腰を入れず、攻撃の意思を持たず、握手でもするかのような気軽さで、一番近くにある大公の前腕へ。ダメージ目的ではないし、最速でもない、けれど最も回避がし辛い挙動だ。
「――っ」
大公が息を呑むのがわかる。
腕を引いてこちらのキャッチングを躱される。逆の腕は耳裏あたりめがけたフック、それも掴もうとするけど、寸前で止められる。私は両手が空いた状態。
――全身に力を込める。
顎。
蹴り上げられた。身体が浮く。……でも、覚悟していれば反応できる。
成功。
足首を掴んだ。
「げ」
大公がうめく。
結局のところ、技術で上を行かれている相手に対して私が取れる策はこれだ。
掴めるところを掴む。
攻撃が避けられないなら、耐久任せで食らった返しに掴む。
ヴィトワース大公の身体は、以前のスタン相手のときみたく簡単に握りつぶせるものじゃない。が、無理ってわけでもない。
これまでの闘いで感じた脅威が信じられないぐらい細い足首を、本気で握りしめた。
ぎしぃっ、と骨のきしむ感触が手に伝わる。
けれど流石は大公。私が力を込めたのとほとんど同時に、掴んだ腕の肘の内側――俗に言うファニーボーンを逆足で蹴ってきた。
「いっ――っ、あれ?」
反射的に身体が竦んだけど、予想したあの強烈な痺れがない。
「嘘ぉ!?」
大公も声を上げる。
……あ、もしかしてこの義体、見た目は人間だけど中身が違うから? 骨とか神経とかの造りが違って、一部は急所が急所にならないのかも。
まあ効かないなら好都合と手の力を緩めずにいると、顔をしかめた大公が蹴った直後の足を戻さず、全身で捻りを入れた。勢いに負けて横ざまに地面に倒される――寸前、腕に足を絡めて関節技を仕掛ける大公。寝技に対応できる技術はないのでやむを得ず手を離し、腕を引く。そして地面にぶつかり、半ば予想したけどヴィトワース大公の方が起き上がるのが速い。
けれど私がまたダメージ前提キャッチの用意をしているのを察し、いったん距離を取られた。
ただしそのバックステップが、握っていなかった方の足によるものだったことは見逃さない。
ふうっ、と大きく息をつく大公。
「試合だからさ、終わったら楽しくお酒を注ぎ合おうと思ってるんだ」
「いいですね」
「でしょ。けどごめん、レイラを『制する』のは厳しいって理解した」
「はあ……」
「だから、倒すね」とヴィトワース大公は言った。「飲めないような怪我させちゃうと思うから、先に謝っとく」
――ここで声を震わせるな、私。
「ご安心ください」笑顔を見せる。「この試合も、今晩の飲み比べも、私が勝ちますから」
そろそろお腹も減ってきた。
鳴らす前に終わらせる。