観客エスケープ率:3%→10%
カゲヤの教えと、リョウバやアルテナにも協力してもらった戦闘訓練の成果は発揮できたと思う。
……それでも、劣勢に陥っている。
直前まで見えていたガードの隙は攻撃した瞬間に消え失せ、ことごとくを防がれる。
それでも吹き飛ばすぐらいはできるのだけれど、お返しとばかりに繰り出される攻撃は私の虚を突くものばかり。
ストレートを仰け反ってギリギリで避けると、拳が貫手となって眉間を突く。
ハイキックが途中でさらに軌道を上げ、踵落としに変わる。腕をクロスしてガードすると、軸足が跳ね上がってきて顎を蹴り上げられる。
こっちのパンチを避けざまに掴んで投げようとするので身体を引こうとすると死角から肘打ちが突き刺さり、そのまま投げへと繋げられる。
大きく身体を横倒しにし、縦回転のバックブローが襲う。同時に逆手ではこちらの足首を掴もうとしてくる。そのどちらもがフェイントで、中国拳法のように背中全体での当て身が本命。
そうした予想外の攻撃は、カゲヤの言う『支え』が充分に効いていないものが多い。続く攻撃も強引な体勢から繋げてくるので大きくは吹き飛ばされず、精々軽く宙に浮かさせるぐらいだけど、それこそが大公の狙い。
踏ん張りが効かず移動もできないところへ、存分に威力を乗せた決め手が襲ってくる。こちらは精々ガードすることしかできず、直前に受けた攻撃次第ではそれすら困難になる。
結果として既に5回、私は闘技場の壁や地面、さらにまたも一階席などへ激突し、かなりの破壊活動を繰り広げていた。
「これは、リョウバ戦士、攻防自体は目に追えないものの、明らかにレイラ姫が吹き飛ばされることが増えてきましたが」
「ええ、間合いの詰め方、初手の選択、技同士の繋ぎ、緩急、虚実――本命の一撃を繰り出すまでの流れを作る技術において、ヴィトワース大公が勝っているということでしょう」
「なるほど――、レベル差はあるものの、技量や戦略においてヴィトワース大公が上を行っていると」
「そういうことですね」
……容赦なく解説してくれるなあ、リョウバ。
けどその通りだ。
言ってしまえば私は、チートで数字だけ直接書き換えた高スペックキャラみたいなもの。
対してヴィトワース大公は、無数の実践で叩き上げ、磨き上げ、ひとつずつ数値を蓄えてきた『本物』だ。戦闘能力を裏付ける真の意味での『経験値』が私とは桁違い。
「――では、レイラ姫の勝算は」
「もちろんあります」
あくまで解説、それを声援とは言えないけれど、その言葉にちょっと励まされる。
ガラガラと壁の破片をかき分けて、立ち上がる。
「と言いますと?」
「レベルの高さ、それに基づくステータスの高さです。ことにレイラ姫は身体能力の向上に重きを置かれており、ここまで見る限り耐久力や回復力ではかなりの優位性を持っています。加えて一撃の重さも。攻めているのはヴィトワース大公ですが、消耗が大きいのもまた大公の方と言えるでしょう。レイラ姫の有効打次第で流れが傾きます」
……傍から見ている仲間も同じ考えだってわかると、安心するね。
唇に貼り付いた砂埃を拭う。
ヴィトワース大公は、たぶんリョウバどころかカゲヤよりもステータスが高い。もしかすると私みたいな義体とは言わないまでも、なにか特別な体質や血筋を持っているのかもしれない。
――それでも、単純なパワーとスピードなら勝っていると思う。お互いに全力を出していないことを踏まえても。
そして、散々に打ち据えられてはいるけれど今のところは自動回復で間に合っている。
リョウバの言う通り、消耗戦を続ければこっちが有利に立てるかもしれない。
ガードされても構わず殴り続ければ、大公の手足が先に音を上げる可能性もある。
ただし最大の懸念事項がひとつ。
試合前に補給はしたけど、この調子で自動回復に頼ったまま暴れているといずれエネルギーが尽きかねない。そうなれば、この闘技場でお腹を鳴らせてしまうという最悪の事態が起きかねないのだ。
あの地響きのような大音量で。
神様、大国の皇帝、各国の貴族、そうした方々の前でそんな真似をしでかしたらフリューネに殺されるので私はもうバストアク王国に帰れない。
ゆえに時間をかける消耗戦は望ましくない。
しかし制約はそれだけじゃない。
まず、魔眼光殺法やエメラダ・ギアスといった派手な内蔵兵装は使用できない。対外的に私は『傷が治る恩寵』持ちということにしているので、目からビームを飛ばしたり髪を槍状にしたりすると覿面に怪しまれる。そもそもこれは言ってしまえば試合でしかないので、そういった能力まで披露するのはデメリットが大きい。
誤魔化せそうなララの誓いなんかも、観客を前にあのポーズを取ることは私の羞恥心が断じて認めない。かといってモカがいないのでイオリコマンダーも使えない。
つまり、このまま肉弾戦を続けるしかできないのだ。
となれば。
「ヴィトワース大公」
闘技場中央までゆっくりと歩きながら声をかける。
「なに?」
両手を下げ、半身の姿勢で待ち構えながら大公が応える。
「私、今のところノーダメです」
じいっ、と見つめてくる。その目が丸くなる。
「……うわ、嘘じゃないんだ」
「はい。それで提案なんですけど」
「うん」
ごくりと唾を飲む。
言うのが怖い。
ここまでだって充分にプレッシャーを浴び続けてるのだ。
回復できてると言っても、その都度痛みは感じている。いいだけシバかれている現状にメンタルもだいぶやられている。
けれど、ここでみっともなく負けるようじゃ魔王討伐なんてどの面下げて言えるというのか。思い出せ、訓練中のカゲヤを、サーシャを、魔王様を。あのヒトたちある意味もっと怖かっただろう。
意を決して口を開く。
「試合なんで手加減は望むところですけど、力加減はなくしませんか」
ヴィトワース大公が、無表情になった。
そして数秒後、にっこりと笑顔になった。
……怖い怖い怖い。
「お互いに、ってことでいいよね?」
「……はい」
思えば魔王城から旅立って、全力を出したことは少ない。
白嶺で遭遇した血狂い、レグナストライヴァ様が召喚した神獣、風神の力を授かったバストアク王ぐらいか。
そしてそれらの戦いを経てレベルが上がりまくった今の状態では、訓練中の無機物相手にしか本気で攻撃したことはない。
でも、目の前の人なら受け止めきってくれるだろう。そんな安心感がある。
「おーい、グランゼスくん!」
頭上の皇帝へ向けてヴィトワース大公が呼びかける。
「どうした?」
一瞬だけ嫌そうな表情を見せた気がする皇帝が返事をする。
「先に謝っとく。ごめんね!」
「何を――」
「そんで解説の男前!」
皇帝の聞き返しをスルーして、今度はリョウバへと声を投げている。
「なんでしょうか」
「今から私ら本気で動くから、観客を置いてけぼりにしないようにねー」
その言葉に、リョウバが、皇帝が、控室の仲間たちが、そして観客たちが動揺を見せた。
「……最高に難題ですが、承知いたしました」
「そんじゃレイラ、いちおう確認したいからさ」
そう言いながら、ハイタッチをするかのように片手を上げるヴィトワース大公。
……いや、合ってるな、それで。
掲げた右手に異様な気迫が込められている。
「はい。あらためて、よろしくお願いします」
右手を振りかぶり、大公と呼吸を合わせて、せえので互いに全力のハイタッチを――
◇◇◇
闘技場から遠い、下町エリア。
シアンとミージュは、屋台で買った串焼きと揚げ芋で昼酒を飲んでいた。
何しろレイラ姫の試合の報奨によって他国修行を認めてもらえるわけで、現段階ではただのジルアダム帝国軍一般兵だ。関係者のふりして控室に潜り込めるわけではない。ましてや高倍率高価格の観戦チケットを手に入れられるわけもなかった。
「あー、見たかったなあ。どうなってるかなあ」
タバコのように揚げ芋を咥えながらモゴモゴとシアンがぼやく。
「なんだか大変なことになってるのは確実だけどね……」
安いワインを風情たっぷりに楽しみながらミージュは闘技場の方角へ視線を飛ばす。
先ほど、あのあたりに上空から突如として降り注いだ光の柱。
通りを駆けていく兵士たち。
少ししてから、さらに激しい勢いと表情で走り去っていった、明らかに宗教家っぽい服装の集団や傭兵らしき連中や小金持ちっぽい一行など。
そうした人の動きに遅れてこの屋台街に流れてきたのは、『神様が降臨なされた』という噂の嵐。そのなかでは『戦神に武神までもが――』『スタンとかいう男が――』『いや、発端はバストアクだとか』『そうそう、レイラ姫ってお方だよな?』といった言葉が多く交わされており。
「ねえ知ってるシアン? レイラ姫ってバストアク王国でジスティーユミゼン様の降臨に立ち会われたそうよ」
「うん、一昨日聞いたよ。カディス平原の乱でしょ。どこまでホントなのかは知らないけど……」
もとより距離のある他国の内乱、おまけに情報封鎖されていた事件だ。様々な憶測は帝国市民の間にもわずかに流れたものの、シアンの耳に留まるほどの情報ではなかった。
つい先日までは。
懇親会でのレベル測定会やそれに続く闘技場参戦の報せなどにより、現在帝国首都ではバストアク王国の内乱やレイラ姫に関する噂が一気に濃密となっていた。
「じゃあこれは知ってる? ちょっと前にラーナルト王国でも神様が降臨なされたって。噂じゃ熱を司る神様だって話だけど」
「それも知ってるって。立て続けだってことでみんな騒いでるじゃん」
「そういえばレイラ姫って、もとはラーナルトのご出身なんだよね」
わざとらしい口調のミージュ。
「そうだね……」
嫌そうな顔になるシアン。
「ねえシアン、私たちって」
「言うな」
「なんかすっごい危険なところに踏み入ろうとしてない?」
「言ったな!?」
――――パァンッッッ……――――
言い合っているシアンたちの耳へ、不意に届いた物音。
それは、彼女たちにとって比較的耳慣れたもの。戦場ではあまり聞かないが、軍の訓練中にはしょっちゅう、往々にして上官や教官の手により、自分の頬や背中からもなる音。
すなわち、肉が肉を叩く音。
けれど今聞こえたそれは、音の響きからしてずいぶんと遠くから、なのに鮮明に、まるで天を衝く巨人同士がビンタでもしたかのような、凄まじい威力を思わせるものだった。
「…………闘技場の方から、聞こえたね」
グラスに声をこもらせながらミージュが言い、
「そんな気がするね……」
細長い揚げ芋をくるくると弄びながらシアンが同意する。
「いやでも、闘技場から届くわけないよね……?」
「やだな、そんなわけないでしょ?」
ふたりの脳裏に浮かんだのは、生ける伝説ヴィトワース大公。彼女が本気を――伝説と違わぬ本気を出したらという想像。そして、その本気を出すだけの相手がいたらという想像。
「そうだよね? あ、話変えるけど、もしも修行先でレイラ姫のお怒りを買うことがあったら、あんた前に出てよ」
「え、絶対やだよ?」
「何言ってるの、原因はシアンなんだから」
「発端はそうだとしても、バストアクでは私めっちゃ頑張る良い子で通すから。いやもとからそのつもりだけど、今急にその思いを新たにしたから」
「なにそれ。いや私もそのつもりだけど」
――ちなみに、イオリが彼女たちの保護を決めた時点でスピィの手回しにより、ふたりには監視兼護衛の人員がつけられていた。
こうした会話もスピィに報告として上げられ、後日フリューネとスピィによる『イオリ式恐怖政治の方策と有効性』という議論の材料に加えられたというが、それはまた別の話。