逆サイドからの出発
「あ、バランさんは体調とか大丈夫ですか?」
さっき訓練場ですごいぐったりして、慌てて私と魔王は戦闘訓練を中止したのだった。
「ええ、空気の悪さと薄さで具合が悪くなっただけでしたので」
あれだけ炎や爆発で酸素を使い、明らかに毒っぽいクリーチャーが飛び交ってたら、そりゃそうなるか。
なんで私は平気なんでしょうね。
マジでどこまでの性能を誇るんだこの身体は。
「バランは前線に連れていけないからな」
そう呟く魔王。手元のゲーム機からはセーブポイントに入った効果音がする。
「そうだな、久々のことだし、私が案内する」
立ち上がり、机の書類をぱぱっと整理し始める魔王。
「――よし、これだけ片付けたら出るとしよう」
え、いいの?とバランを見る。
「……仕方ありません。イオリ様と会話できる者が現状私と魔王様だけですし、他の者に日本語を習得させるのも、魔王様がゲームを進めるのも相応の時間がかかるでしょう」
「一応、現地行くのを却下されたときはバランさんに講義してもらうでも、いいかなとは思ってたんですが……」
しかたなく、という感じのバランを見て、思わず妥協案を出してしまう。
「いえ、先の体たらくでお分かりかもしれませんが、私はこと実践においては何の役にも立たず、従って魔族と人族の戦争、その実際を把握しているとは言えません。また、魔王様は逆に戦力が高すぎるため、基準や比較対象が一般的な兵士と乖離しがちです。いずれにせよ不十分な説明になってしまうかと」
なるほど。両極端なふたりですね。
「ですので、イオリ様ご自身に人族の様子を見て頂くのは非常に助かります。……加えて、現地までの移動、緊急事態の反応、離脱など、あらゆる速度において、魔王様とイオリ様の両名についていける者は多くありません」
「いや、魔王様が本気出したら私もついてけませんよ?」
さっきの戦闘、魔王は明らかに手加減していた。
感覚的に、見えてる範囲の限界の、2割ぐらい。その限界だって、あくまで私が理解できる範囲ということだ。それ以上の深さで、地力を秘めていることも何となく感じ取れた。
やだ私ったら、達人っぽくない?
というか実際にセンサーとかスカウターでも備わってるんじゃないだろうか?
――さっきのステータス測定装置に活かせないかな?
「……なるほど、魔王である私と同格に見える勝負をしていながら、図に乗った様子がないと思っていたが」
ぽん、と肩を叩かれる。
「色々と、見えているな? イオリ」
やだ魔王様ったら、鋭くない?
何はともあれ、3日後、私と魔王様は魔族と人族の領土が押し合う境界線、すなわち最前線に向かうことになった。
ごめんなさいこの世界の人たち、魔王がラスダンから出向いてきます。逃げて。
「魔王様、この仕事量でしたら3日もかからないのでは?」
「いいや、ゲームの時間があるからな」
……ごめんなさい魔族の方々、魔王が堕落していきます。耐えて。
そして3日後。
「この、ふくを」
そう言って私の部屋にやってきたサーシャが差し出したのは、黒ずくめの長いローブみたいな服と、仮面だった。
「え、これを?」
「はい」
サーシャは無表情を崩さずに答える。
――なんで? とか聞くと困らせそうだな。まだサーシャは日本語に不慣れだ。
おとなしく着替える私。
ローブの下は、こないだの運動着に似た動きやすい衣装だ。パンツと上着の丈がフルレングスになったのが少し違うぐらい。
そのうえにローブを羽織る。思ったよりずっと軽い素材――っていうか、なんかふわふわ浮いてない? この布地。
「これは、のちほど」
そう言って仮面を両手でそっと持つサーシャに連れられて、もはや慣れ親しんだ魔王の部屋――ではなく、別の場所へと向かった。
そこは、ほとんど屋外だった。
魔王城の本体というか、基礎部分――こうして外から見るとすごいでっかいな――から真横に、それこそ重力を無視したように伸びた外通路の先、まわりを柱に囲まれた円形のスペースだ。
私が着いた時には、既に魔王様とバランが先にいた。
バランは、髪に似た色合いの緑を白地の布に刺繍した、ゆったりとした衣装。ふだんと同じようなテイストである。
一方の魔王様は、日によってインナーというか、服の部分は変わるものの、その上につける軽鎧は昨日まで同じものだった。
しかし今日は、その上にこちらと同じ黒いローブ姿。
魔王とおそろですか、私。
そしてその手には、サーシャの手にあるものと似た仮面が。
「あー、ひょっとしなくても、お忍びですか今回」
「その通りです」
と頷くバラン。
「おしのび?」
あ、魔王はまだこの単語習ってないか。
「魔王様だってこと内緒で行くって意味です」
「ああ、そういうことか。――もちろんだ。私が戦線に立つことが広まると、良くも悪くも影響が大きいからな。事前の会議もなしに戦況を変えるわけにはいかない」
ほんと、なんで魔王やってるんだろうねこのヒト。
「では、発つか」
そう言って、魔王は上空を見た。
――なんか、来る。