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達人 対 武神

 ――後になって、このときの試合を思い返すとき。

 記憶の中の光景は静かで、綺麗で、モノクロ映画のように色が無かった。


 闘技場も、僅かに立っていた観客も、隣にいたリョウバたちも、地面も、空も。

 すべてが記憶の中では、色を失っていた。

 その景色のなかで唯一鮮やかな色彩を持っていたのは、武神の身体だけ。


 私の目と脳は、そのぐらい武神ユウカリィラン様の動きを脳裏へ刻むことに、

全霊を傾けていた。


 対戦しているスタンすら、白黒の朧気なシルエットとして記憶されている。

 ただしそのスタンも、5回、僅かに色づく瞬間があった。




 ――試合開始と共に距離を詰めたのは、スタンの方。

 落ち葉が風に流されたかのような、自身の力をまるで使っていないように見える歩みで、剣の間合いに入る。

 自然体からの切り上げ。

 それは葉っぱの上を雨粒が転がるような、極めて滑らかな軌道で武神の胴へと放たれ、

 私の目からは、その身体を通り抜けたように見えた。


 ユウカリィラン様はまったく動いていない。

 スタンが空振ったわけではないことは、すぐに知れた。

 続く連撃も、同じく武神の身体をすり抜けるように空を切り続けたのだ。その軌道は、間違いなく命中しているはずなのに。


 まさか実体がない? という疑念をスタンも感じたのかどうか、すうっと、まったく力の入っていない動きで木刀を動かし、切っ先が武神のみぞおち辺り、服に触れるか触れないかというところでピタリと止まった。


 お互いに、そのまま動かなくなる。けれどスタンの気配、緊迫した心持ちがビシビシと伝わってくる。

 見ているこっちまで緊張感が高まり、さらにその状態が続き、長く続き、さすがに私の緊張はやや緩みそうになったタイミングで、いきなり木刀が動いた。

 格闘技で言う、寸勁というやつだろうか。ノーモーションで突き込まれた木刀は、けれどまたもや空を切った。


 が、今度は武神が回避する様が見えた。

 それは、軽く身体を捻っただけ。岩をも貫きそうな突きに対して、気軽にも見える動作。それだけで、まるでウナギか何かへ突きを見舞ったかのように、木刀はぬるりと滑って武神の服だけを揺らし、不発に終わる。

 そして――


 あるべき位置に収まるように踏み出される左足

 伸び切ったスタンの木刀を掴み、恋人を迎えるように引き寄せる右腕

 精巧な機械式時計のように連鎖して回転する腰や肩

 微動だにしない頭

 入浴中かのように脱力しきったまま伸ばされる左腕

 そしてスタンの胴体、木の鎧に当たる掌底は冒険の果てに見つけた宝箱を触れるかのようで


 すべてが、鮮明に、感動的に、目に焼き付く。


 武神の攻撃する様は、戦神が言った通り、神の恩寵と呼べるものだった。


 掌底は、スタンの鎧を破壊しなかった。

 ヒビすら入っていない。

 ――が、一拍置いてスタンの喉が膨れ、彼は血と胃液を吐き出した。


 スタンが倒れ込む音で、ようやく私は、それまでの静寂に気づいた。

 試合開始の合図も、観客の声援もなかった。それどころか、スタンも武神も足音をまるで立てず、声も上げず、スタンの攻撃は当たらないまま、斬撃の風切り音さえ微かなもので、ユウカリィラン様の掌底も、まったくの無音だった。


 そして、スタンが倒れた今も、闘技場内は静かなまま。

 私と同じく、呆けたように試合を見ているアルテナやナナシャさんたちだけじゃない。おそらく、武神の目に適ったという気絶していない全員が、見とれていたのだ。

 人の形が、どこまで美しい動きをすることができるのかという、その答えに。


「あの、立てますよね?」

 心配そうに、ユウカリィラン様は言った。

 仰向けに倒れていたスタンの身体が、ぴくりと動く。

「……あたり、まえだ……」

 その言葉通りにゆっくりと動きを見せる。引きずるように手足を曲げ、木刀を支えに立ち上がり、上を向いたかと思うとすぐに地面へ血を吐き捨てる。そして口元を拭って武神を睨みつけた。

「手加減してやがるな」

 その強い視線に、武神は目を逸らす。

「いえ、あの、加減と言いますか、まずは見ていただくのが良いかと思いまして……、すみません、流れを消すのと意を外すのを、あえてせずに……」

 ずいぶんと腰の低い神様である。あと言ってることが私の理解できるレベルではない。

「今のことだけじゃねえ、その有様はなんだ」

 スタンの言葉に、武神はおずおずと逸らしていた視線を戻し、やや俯きながら答える。

「その、これは手加減とはまったくの別軸でして、ええと、恥ずかしながら武神としての矜持、誓いのようなものです」


 またしても何を言っているのか――と首をひねりかけたところで、遅まきながら気づいた。

 あのとんでもない力を秘めたプレッシャーがいつの間にか消えている。

 自ら言っていた通り、手加減や力加減といった話じゃない。私の目に映る魂の輝き、それ自体が降臨したときとは比べ物にならないほど、弱く、小さい。

 武神ユウカリィラン様は、スタンと同じように、レベル1になっていた。


「そういうこと……」

 つまり、闘うに足るべき相手かどうかをあの巨大な眼球で測り、資格を持った相手には同等のレベルでもって迎え撃つ。

 純粋な技量、武の練度での勝負――それが武神の言う『誓い』ということか。


「そうかよ」憎々しげにスタンは言う。「心底気に入らねえが、今のてめえ相手でもこのザマだ。いいぜ、続けろよ」

「ありがとうございます」ユウカリィラン様は、目を細めて笑う。「ええと、では、確認しますね」


「――え?」


 瞬きすらしていない。

 のに、武神ユウカリィラン様は、再度の掌底を打ち終わっていた。


 見えなかった。

 ページが落丁した本のように、編集を間違えた映画のように、時を飛ばされたかのように。

 攻撃の動作が一切見えなかった。

 先ほどと寸分違わず、左の掌がスタンの胴鎧に当たっている。


 けれど、唯一違うのは、音。

 バガンッ、と激しい音を立ててスタンの鎧――その背中側が、木っ端微塵に砕け散った。


 だけどスタン自身は、ダメージを受けた様子もなく立っている。

 そして木刀が、さっきとは段違いの鋭さで振るわれた。

 ――その動きは、武神には到底及ばないものの、目を奪うには十分なぐらい綺麗なものだった。


 今度はすり抜けたようではなく、流麗な動きを見せて回避した武神は、そのまま少し距離を取る。そして嬉しそうに微笑んだ。

「見せた甲斐があったようですね」

「ああ。ムカつくが感謝するぜ」

 前半分になった鎧を脱ぎ捨てながらスタンは言った。

 そうして、また武神へ向かっていく。


 3合。


 振り下ろし、横薙ぎ、切り上げ。

 スタンの攻撃に、ことごとくカウンターを放つユウカリィラン様。

 そのどれもが、反撃が終わった時点からしか、私の目には捉えられない。

 その都度スタンは血を吐き、骨の折れる音を響かせ、しかし倒れなかった。もはや身体に残った血のほうが少ないんじゃないかと疑うほど、闘技場の地面はぬかるんでいる。

 

 けれどダメージは増す一方なのに、スタンの振るう剣撃は目をみはる勢いで磨き抜かれていた。

 それは、過剰なまでに研がれる刃のようで。

 今にも折れそうなほど薄くなりながらも、切れ味を増していくような。


 そして、4合目。


 ――あ

 ――死ぬ気だ


 そう悟った。

 スタンは、その一撃に全てを込めていた。

 それまでの3合は、すべて反撃を覚悟し、備えていた。だから倒れずに済んだ。

 けれど今目にしている袈裟斬りは、その備えを捨てていた。

 彼の気配、魂の輝き、それが一心に、一刀に込められ、燃やし尽くすように光を放っている。


「――それは、まだ早いです」

 幻聴だったかもしれない。


 間合いやタイミング、速度に威力、体勢、呼吸、気迫――、私から見れば完璧に見えたその一撃を、


 あっさりと、ごく自然に、簡単そうに、武神は躱した。

 そして、反撃。


 ……そう、おそらく、反撃したのだろう。

 木刀を振り下ろしたまま静止したスタン、その耳や鼻、目や口から血が流れ出したことで、それを推測するのが私の限界だった。


 糸が切れたように、スタンは倒れ伏す。


「勝負ありだ」

 戦神アランドルカシム様の声が、静かな空間に響き渡った。

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