これの後に試合とかなんの罰ゲームかと
神様が人々の前に姿を見せることは、極めて稀であるという。
例えば、50年に1度という大寒波が襲った際、氷を司る神がひとりの農民の前に現れ、その気候でも育つ特殊な種籾を授けたという。その農民は近隣国家にまで名を響かせる豪農になったそうだ。
例えば、400年前に降臨した音を司る神は、巨岩にとてつもなく難解な楽譜を刻んだ。それは誰ひとり満足に演奏しきることが出来ず、今では巨岩の風化を防ぐために周囲を聖堂で囲われ、音楽家の巡礼地となっている。
例えば、15年おきに姿を見せ、ひとことだけ告げてすぐに去ってしまう神がいる。その儀式を執り行っている宗教は、世界に3つある大陸教にまで昇り詰めた。
ちなみに、神が現れるときのタイプは2種類あり、ホログラムのように実体を伴わないタイプと、直接地上にやって来るタイプ。私が直接聞いた限り、前者は『投影体』というらしい。そういえばシアは『意識体』という言葉も使っていたけど、シアなので詳しい違いなどは説明しなかった。
また、魔族よりも人族の前に現れることの方が多いらしい。互いに敵対していて情報の交流がほとんどなく、事例の絶対数も少ないので確かではないらしいけれど。
さらに、そうした分析自体が不敬だという主張もけっこう強いので、神の降臨については明確な解析や統計というものがほとんどない。が、とにかく激レアなイベントだということだけは確かだった。
――では、振り返ってみましょう。
1 魔王城にて、諸悪の根源たるシアの来襲。
2 ラーナルト王国にて、シア2回目のエンカウント(口笛使用)。
3 そのシアに呼ばれて、熱を司る女神レグナストライヴァ様ご来訪。しかも途中から実体での降臨。
4 前バストアク王の恩寵により、風を司る神ジスティーユミゼン様、最初から実体で降臨。
5 ラーナルト王国にて、雷を司る神アズウルム様が降臨したとのこと。
6 そして今日、戦を司る神アランドルカシム様がいらっしゃいました。
……でもって、
たった今、空から降り注ぐ光の柱は本体ご降臨の証。
ちょうど、人が両手を広げたのと同じぐらいの幅を持つ光線が、音も熱もなく、ただただ降り注いでいる。そして、その中に薄っすらと影が見え、それは徐々に地上へとやって来る。
尋常じゃないプレッシャーとエネルギー量を秘めて。
例えそれを目にするのが初めてでも、その文字通り神々しい事象から何が起きているのか察するのは容易だ。会場は静まり返り、既にほとんどの観客は椅子から離れその場に平伏しているので、地上からだと無人にも見える。
やがて光が止み、闘技場にその姿を現したのは、
「ちょっと兄さん! 投影体すら控えるようにって皆で話したばかりでしょう! それを強引に降臨なんて何を考えてるんですか!?」
アランドルカシム様に食って掛かる女性――女神の姿だった。
淡い水色の髪をポニーテールにし、身に纏うのは言ってしまえば半袖のカットソーとくるぶし丈のパンツというシンプルなもの。どちらも黒地で、ベルト代わりの帯だけが色鮮やかな刺繍を施されており、なんかその模様がゆったりと変化しているようにも見える。
アランドルカシム様みたいに謎の金属片を浮かべたりもしておらず、一見ふつうの人間にも見えてしまう。……その底知れないレベルを除けば。
にしても、てっきりアランドルカシム様自身が降臨してスタンの相手をするのかと思ったら、まさかの別神!?
ていうか、兄さんって?
その戦神はなだめるように女神へ笑いかける。
「そう怒るな。約束してしまったものでな。ほら、見てみろ、なかなかの戦士だぞ?」
「え?」
スタンに向いたことで私達にもはっきりと見えたその顔立ちは、完璧に整っていながらも優しげで、ともすれば気弱そうにも見えてしまう。黒い瞳に下がり眉、すっと通った鼻筋に薄い唇、額には入れ墨のような模様が入っている。
「あ――本当ですね」
まじまじとスタンを見つめた女神は、何やら思いつめたような表情をしながら彼へと近づき、
「はじめまして。あの、すみませんが倒させて頂きます」
初対面の挨拶と組み合わせるには相性の悪そうなことを口にした。
その言葉に、なぜだか背筋が総毛立つ。
女神に殺気や敵意などはない。向き合っている相手も自分ではなくスタンだ。
けれど、私はごく自然に思った。
今日ここで、死ぬかもしれないと。
私と並んで闘技場を見ているリョウバやアルテナたちも、緊張感を露わに身構える。
「ああ、そいつは願ってもねえが――てめえは誰だ?」
さすがに同じく警戒心をマックスにしながらも、乱暴な問いかけをするスタン。たぶん恐怖無効とかのアビリティ持ちなんだろう。
「あ、申し遅れました」
そして神様らしくない反応をする女神様。
寸前の、深い夜が覗いたような気配は消えている。
「――神として武を司っております、ユウカリィランと言います」
……ぶ?
…………武!?
え、この女神様、いわゆる武神!?
たしかにレベルは測定不能だけど、カットソーから伸びる真っ白い腕とかすごい細いし、拳ダコもない綺麗な手だし、体格は完全に華奢な女の人なんだけど。
……そして、死神かもとかこっそり予想してごめんなさい……。
「スタンザフォードだ」
けれどスタンの目にはどう映ったのか、やけに素直にと言うか、心なしか落ち着いた口調でそう名乗った。
「そういうわけだ。『試合』の相手をしてやってくれ」
アランドルカシム様が言う。いやあなた何もわけを説明してないですよね、というツッコミができる者は私達のなかにいない。
「はい、それはもちろん、喜んで」
唯一それができそうな女神様も異様に飲み込みが早い。
「礼を言うぜ、戦神さんよ」
そして君、誰? と言いたくなるぐらい見違えた反応を見せるスタン。そうか、お前の好感度稼ぎイベントは強者との試合か……。帰ったらカゲヤに相談かな。
だがそこで女神ユウカリィラン様は、ふと口元に手を当てた。
「あ、ですが、無闇に見せるわけにもいかないので……、兄さん、いいですよね?」
「まあ、仕方あるまい」謎の会話を交わした後、アランドルカシム様は「全員、できるだけ安全な姿勢を取れ」と会場に声を響かせた。
え? なにごと? ――と思う間もなく、リョウバが私の両肩を押さえ、「失礼!」とやや強引に床へしゃがませた。アルテナとスピィも私の側に寄り、視界の端でファガンさんもソファへ音を立てて腰をおろし、しっかりと手すりを掴むのが見える。
そして闘技場の中央、ユウカリィラン様が目を閉じ、「――武神の眼識」と呟いた。
その途端、上空に巨大な球体が現れた。
いやに真っ白く、直径2メートルは越えていそう。下の部分からは糸のような細い光が何本か絡まり合うように伸び、女神の後頭部あたりにつながっている。
ばたり、がしゃ、どすん、ぱりん――
ふいに、観客席の一角から立て続けに物音が鳴り、感じ取れる気配が急に弱くなった。
その音は、まるでライブ会場でアンコールを求めウェーブでもしているかのように、横へと移動していき、
真っ白い球の端に、黒い影がさした。
それはゆっくりと大きさを増し――影ではなく黒目だとわかった。
女神の頭上に浮いているのは、巨大な眼球だ。
瞼のない、むき出しの眼球がひとつ、ぐるりと闘技場を見渡していく。
その視線が向かう先から、物音が続き、観客たちの気配が薄まっていく。
そして観客席を一巡した眼球は、次いで私達のいる控室へと矛先を向ける。
凄まじい圧力が襲ってきた。
さっき女神から感じた寒気とは段違い、まるで全身に氷の針を刺されたかのような衝撃と悪寒に、竦み上がる。
一瞬で口の中が干上がり、指先まで固まり、お腹のあたりが重くなる。
どさり、と私の側面を護るようにしていたスピィが床に倒れ込んだ。
「――スピィ!」
全身を覆うぶ厚い氷を破るように、強張る身体をむりやり動かし、枯れ切った喉から声を絞り出す。
彼女の肩を掴み、首元に手を当てる。
……脈はあった。気絶しているだけらしい。
ほっとして、控室のなかを見渡す。
スピィと同じように、ファガンさんやその従者も気を失っていた。意識を保っているのは、私とリョウバ、アルテナにナナシャさんだけ。……シュラノは単にいつも通り静かなだけかと思ったら、ひっそりと気絶している。
「みんな、大丈夫?」
起きている3人に尋ねると、肯定の返事が返ってきた。
「レイラ姫」素早く手足をほぐしながら、リョウバが低い声を発する。「恐れながら、戦神と武神の2柱がお越しになられたこの場においては、局面の予想ができません。――戯れにジルアダムとバストアクの戦争を命ぜられたり、レイラ姫とヴィトワース大公の試合に生死を賭けよと仰せつかる可能性もございます。不敬と判じられる危険を承知で、今すぐ脱出することも御一考ください」
近くで聞いているアルテナとナナシャさんも、その言葉を笑ったりはしていない。少なくともリョウバの発言は、反対意見を出すようなものではないと思っているってことか。
……けど、アランドルカシム様の念話で聞いた限り、そう無茶なことを言う感じではなさそうなんだよなあ。
でもユウカリィラン様が引き起こした今の事態は、攻撃とみなしてもおかしくないものでもある。
「ちょっと考えさせて。ひとまずみんなを安全な場所に」
そう言ってスピィや、床に倒れている従者のひとたちをソファや壁際に移動させていると、
「恐れながら神よ、これは一体……」
観客席の上方、VIP席から飛び出したグランゼス皇帝が問いかけるのが聞こえた。緊急事態に私の義体が集中モードになって聴力が上がっているのもあるけど、それだけなじゃくて観客席が静まり返っている。
ざっと起きていそうな気配を探った限り、私達を含めて20~30人ってところだろうか。
「焦るな、全員無事だ」アランドルカシム様の返答も聞こえた。その内容に、ほっと息をつく。「ユウカリィランが戦う様、その一挙一動は、それを目にした者に身体操作の向上や武術の閃きを与えることがあるのでな。言ってしまえば奴の動きそのものが軽度の『恩寵』だ。そう安々と、群衆の見世物にはできぬ」
「……なるほど、納得致しました。では私を含め立っている者たちは――」
「誇るがいい。武神の目に適ったということだ」
……そういうことね。
どうやらあの眼球は、相手のレベルか熟練度かステータスか、そんなあたりを見破って基準に満たない者は強制ダウンさせるとか、そんな能力らしい。
予備動作なしでそんなもん発動できるとか、まさしく神業だ。できれば武神だけの秘技であってほしい。
あ、レベル1のスタンが無事に立っているところを見ると、レベルじゃなくて武器スキルとか熟練度で判断してるのかな。
けど逆に私も気絶してないってことは、レベルか熟練度かいずれかで基準をクリアすればいいみたいな条件か、あるいはカゲヤの地獄特訓でそれなりに私も鍛えられたのか――。
「さて、場は整った」考察しているうちに、またアランドルカシム様の言葉が響く。「スタンザフォードよ、貴様が対峙しているのは正真正銘、この世における武の最高峰だ。見事玉砕するがいい」
スタンが獰猛な笑みを浮かべる。
ユウカリィラン様が困り笑いのような表情をすっと消し、どこを見ているのか分からない、透明な表情になる。
試合は静かに始まった。