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断章:葛藤する少女と先をゆく狂戦士

 ジルアダム帝国側の控室に、大きな影がさした。


「おお、早かったのう」

 入口で肩身狭そうにしているカゾッドへと、祖父のトウガが気さくに声をかけた。

「申し訳ありません、先鋒を任せて頂きながら、醜態を……」

 鎧兜を外したカゾッドは、朴訥な顔をした男だ。口調も柔らかく、体格以外で相手を威圧しないよう気を配っているのが伝わってくる。

「なんの、恥ずかしいところなどないわ。それより怪我はどうだ?」

「はい、ひとまず応急処置は済ませましたし、試合が終わってから追加で回復術を受ければ、1週間ほどで歩けるようです」

 彼の体格では普通の松葉杖が使えないためだろう、カゾッドは試合用の槍を杖代わりにしていた。隣ではソフィナトが支えるように付き添っている。


「まあ、観戦したい気はわかる。だが終わったら速やかに医務室へ戻るのだぞ」

 口髭を撫でながら祖父は言う。

「はい――それより、2試合目は?」

「ああ、向こうの戦士が使った術で闘技場が散らかったからのう。掃除中じゃ」

「なるほど。……そういえば先ほど、観客席が騒いでいたようですが」

「む、まあ、1試合目から激しい攻防じゃったからの。熱冷めぬままに感想を言い合っていたのだろうて」


 本当は、戦神アランドルカシム様が急に御姿を隠されてしまい、皇帝陛下が鎮めるまでちょっとしたパニックになっていたのだ。

 けれどそれを説明してしまうと、おそらくカゾッドは自分の試合のせいだとさらに落ち込んでしまうだろう。祖父の嘘に、控室にいる他の戦士たちも無言で追従を示していた。


 ジルアダム側の控室にいるなかで、最も地位の高いお方はヴィトワース大公、次いでオブザン代行だ。しかしそのふたりは窓際でのんびりとお茶を飲んでいるばかりで、あまりこちらと会話しようとはしてこない。

 そのせいもあって、皆の意識を集め、室内の空気を握っているのは祖父だった。別に悪い意味ではなく、仮にこの場で何かを決めなければならないとき、祖父の意見が最も重視されるだろうという説得力が、自然と醸成されているような、そんな雰囲気だ。


 かつて大荒野で随一の剣豪と謳われた戦士。

 現在も教導隊隊長として、多くの兵士を鍛える立場。

 親しい貴族も多く、時には王族の晩餐に招かれることもある。

 頼もしくも落ち着いた物腰で、声を荒げるようなことはほとんどない。過去の栄光を自慢したりもしない。


 孫娘であるフユは、そんな祖父を誇りに思っている。

 尊敬もしている。



「お待たせ致しました。整備が終わりましたので第2試合を始めさせて頂きます」

 係員がやってきて、そう告げた。


「では行くか。フユよ、後衛の間合いが知れぬうちは無理せぬようにな」

 優しい声で、祖父は言う。


「なんでしたら、トウガ殿おひとりで撃破できるのではないですか?」

 皮肉げにそう言ったのは3試合目に出る予定のハキムだ。


 彼はフユの2歳上。最年少1級戦士の記録を更新してしまってから、なにかと突っかかってくる。特に今日は、先ほどバストアクの戦士から大観衆の前で侮辱されたせいで、格段に機嫌が悪かった。


「さてのう。血煙纏いの評判は聞いておるし、あの後衛も良い面構えをしていた。……前後が逆なせいで、うまく鍵穴が嵌まらぬような心地だがな」

 ハキムの言葉を微笑みつつ受け流す祖父は、後半の言葉もさして重たくは発していない。


 けれどフユには、細い鎖がまた1本、繋げられたような気分だった。


 

「――さあ、それでは第2試合となります! バストアク王国の前衛は、第1試合に勝利したナナシャ戦士の相方、『血煙纏い』アルテナ戦士。ジルアダム帝国の前衛は、第1教導隊長『千魔斬滅』トウガ戦士。どちらも名を馳せた剣士である以上、瞬きの許されない展開が予想されます!」


 祖父の斜め後ろに陣取り、相手を観察する。


 『血煙纏い』アルテナ。

 現役の女性前衛としては、たぶん人族全体でも10指に入る有名人だ。

 大荒野に長くいたはずなのに、大貴族の令嬢と言われてもおかしくないほど流麗な美女だ。濃い灰色の髪を丁寧にまとめ、涼し気な目つきには理知的な光が宿り、木製の鎧までが艶めいているような気さえする。正直、同じ舞台で観衆に見比べられているんだろうなあと気が重くなる。


 彼女の意識はまっすぐ祖父へと向けられており、よほど演技がうまくない限りは、祖父をやり過ごして後衛の自分へと急襲するようなことはないように感じられた。


 その背後に控えているリョウバという男性は、後衛にいるのが不似合いなほど立派な体格と、精悍な面差しをしている。武器がないところを見ると、彼も術士なのだろうか。

 試合用の廉価な法石がついた杖は、感覚が狂うからと使わない術士も多い。だが無手では相手の前衛に切り込まれたり後衛からの射撃に対応しづらいため、防御用に盾や短杖を用いることが一般的だ。……生憎と、フユは攻撃用の術式が使えないが。


 とはいえ他国の戦士であれば闘技場に慣れていなくても仕方がない。が、1試合目の術士のように精妙な使い手の可能性もあるため、序盤は祖父の言う通り、よく動きを見る必要がある。


『では第2試合、始め!』


 試合開始だ。心臓がひときわ大きくなったような、慣れ親しんだ緊張感が身を包む。


 まずは戦場を広く見つつ、基礎的な筋力向上と耐久力向上の術式を――と準備するフユの目に、アルテナも術を発動しているのが見えた。


 攻撃ではない。あれも補助術――いや、回復系にも見える。開始時に?


 祖父は攻めることなく、それを待ち受けている。闘技場という舞台で、観客がいる今、祖父の立場ではそうするしかないのだろう。

 それにしても、速い――とフユは驚嘆する。どれだけの戦場で、繰り返してきたのだろう。本業は剣士であるにも関わらず、フユより4割増しの速度でアルテナは術を完成させた。


 彼女の体表に、薄っすらと術の膜が覆っているのがわかる。


 法術をも高度に操る歴戦の前衛は、フユの目に眩しく映った。


 アルテナが息を吸う。

 そして一瞬で、間合いが潰れた。


 6合。


 一呼吸で6度切り結んだアルテナと祖父の周囲に、細かな木の破片が舞う。

 戦場で多くの魔族を倒した戦士は、往々にして武器にまで法力を伝わらせ強化しているが、今日の得物は手に馴染んでいないであろう木刀だ。あれでは、じきにどちらかが折れてしまうだろう。

 祖父も同じ考えをしたのか、即座にアルテナの剣撃を受け流すようになった。衝撃音がぐっと下がる。


 観客席から、多くのどよめき、そして少数の深いため息が聞こえる。後者は同じ前衛職だろうか。


 次の5合で、ようやくフユの術式が完了した。

 先に感覚の変わらない耐久強化を、互いに息を吸った一瞬の膠着時に、筋力強化を。


 ――補助術の価値は、人数比を越えることにある。

 戦力10同士の前衛と後衛がいたとき、合わせれば単純計算で20。だとすれば後衛が補助術に専念し、前衛を戦力15にしても割が合わない。

 戦力10の後衛が、戦力100の前衛を150にまで高めるのがその真価である。……その領域に至るのは一流の術士に限られるが。


 相手との力量差、相性、理解度、そうした様々な要因で補助術の効果は増減するが、誰が相手でも3割増程度の強化を行える術士、あるいは特定かつ有能な相手を5割以上強化できる術士が、一流とされている。


 そしてフユは、大抵の相手に3割から4割の強化を与えることができ、かつその精緻さ――筋力・耐久力・持久力・治癒力・感覚・反応速度・思考速度――そうした種々の補助術を、相手の性質に合わせた配分で発動することに長けていた。

 結果として、彼女と組んだ前衛は異常なまでの勝率を誇り、

 フユが最年少で1級戦士に駆け上がった理由であった。


 短い期間で相方を変えていくのは、祖父の指導によるものだ。

 観察力と適応力、そして補助術の精度を磨き上げるために様々な戦士と組ませることは理に適っており、彼女自身も成長を実感できていた。


 けれど、もしも――



 観客席が沸いている。

「これは、予想以上に凄まじい剣撃の応酬です! しかし、流石は生ける伝説、トウガ戦士が徐々に押しているか!?」

 

 解説の声は、フユの意見と一致していた。

 ほんの数秒だけは。


 子供の頃から訓練風景を見ていた祖父に対する補助術の効果は、本人の感想によれば4割を越えているという。

 今の祖父は、往年の実力に匹敵する、名実ともにジルアダム帝国の誇る剣聖と言えるだろう。

 アルテナの鋭い攻撃を受け流しつつ、的確に反撃を与えている。

 もはやフユには理解できない領域の絶技を、流れるように繋げているのだろう、観客席のそこかしこから悲鳴に近い嘆声が聞こえるし、後ろからハキムも似たような声を上げている。


 ――そう、木刀とはいえ、試合用の戦法とはいえ、祖父の法力で強化され、フユの術式で底上げされた練達の攻撃を、幾度も受けているだ。


 しかし。


 祖父の背中が、大きくなっている。


 近づいている。


 ――後退している。


 試合開始直後にアルテナが発動した術式の正体が、フユにもわかった。

 

 自己治癒力の強化――もはや高速自動回復といえる性能の術式を中心に、おそらくは耐久力強化と痛覚軽減あたりを組み合わせている。

 その本質を理解したフユは、ぞくりとする。


 徹底した防御面の補助。

 それは、継戦能力の獲得を意味し、そしてアルテナの闘いぶりを見るに――致命傷以外を無視するための術式だ。

 

 祖父の攻撃を、アルテナは最小限以下の動きで、半端に回避する。

 眉間を狙う突きは額を掠めさせ、肝臓への薙ぎは踏み込んで肋骨で受け、脳天への唐竹割りは頭蓋骨で滑らせる。


 髪の毛がちぎれ、鎧は破片を撒き散らし、皮膚が破けて血しぶきが舞う。

 ――が、彼女はまったく怯むことなく、常人よりも遥かに素早い返しで反撃を見舞う。


 『血煙纏い』

 その異名に、今更ながら納得する。

 これが戦場ならば、得物は真剣。相手も己も、フユが今見ている光景よりも遥かに多くの血をたなびかせ、そして彼女は前進し続けるのだろう。


 祖父の攻撃が、弱まりつつある。

 防御に手数を割かねばならないのだ。

 いくら高度な剣術を駆使したとしても、これは試合。

 木刀を用いて、死に至らしめる攻撃も禁止されているこの闘技場において、アルテナの術式は圧倒的な優位性をもたらしていた。


 今、自分がかけるべき補助は――一瞬で判断し、反応速度の強化術式を準備する。

 たとえ彼女を真似て治癒力強化を発動したところで、あのような身を削る戦闘方法を祖父がすぐに実践できるわけもない。

 ならば被弾を意に介さぬことで攻撃の密度を上げていくアルテナに反応しきれるだけの速度を与えるのが最善だ。


 ――よし。


 フユの目論見通り、祖父がまた防御の返しで攻撃を繰り出せるようになってきた。それもまたアルテナは気にせず猛襲を続けているが、この戦況を維持できれば祖父の溜め込んだ技量が徐々に――


 アルテナの背後から、鮮やかなオレンジ色の髪の毛が見えた。


 ――あれ?

 フユは疑問に思う。


 いつから、私はあの後衛のことが頭から抜けていた?


 男の手から、光弾が連射される。

 慌てて障壁の術式を展開するが、間に合わない。

 さすがに注意を配っていたらしき祖父は回避しようとするが、アルテナの攻撃がそれをさせてくれない。


 肩口や足に命中し、体勢を崩した祖父にアルテナの剣撃が重ねられる。

 ようやく発動した障壁で光弾を受け止めたが、


 ――重いっ!

 歯を食いしばる。


 威力も連射速度も尋常じゃない。

 こんなもの、試合用の攻撃術ではない。当たれば簡単に――


 あっけなく障壁が砕け散り、なおも続く光弾が祖父の頭部へと、


 ――なっ!?

 フユは目を見開く。


 充分な殺傷能力を秘めた光弾は、命中する少し手前で爆発した。

 その余波だけが祖父に襲いかかり、致命傷にはならないが有効な攻撃と化していた。


 ――制御している!?

 フユの障壁には直接命中させ、祖父に対しては手前で爆発させる。


 実際の戦場でも、あれだけ高威力の光弾はなかなか見ることがない。

 それを軽々と連射しながら、発射後の弾を任意に爆発させるなど、どれだけの高みにいるのか。


 しかも攻撃するまでその気配を完璧に殺し、フユの意識から己を隠していた。


 ああ、まずい。


 歯噛みしつつ、アルテナの剣撃とリョウバの射撃の双方に対応する祖父に向けて、補助術を重ねがけしていく。

 完全に、後手にまわっている。


 それでも祖父は剣聖と称された技量をもって、アルテナとはほぼ互角の応酬を見せていたが、


 ――だめだ、私が捌ききれない。


 リョウバの豪雨のような射撃に対して、フユの術式が対抗できなかった。


『ああっ! これは痛烈な一撃です!』

 悲鳴に近いアナウンス。


 何度目かわからない障壁を砕いて、光弾の余波が祖父の身体を打ち、

 それに合わせたアルテナの逆袈裟が、強かに顎を跳ね上げた。


 祖父の膝が落ちる。


 これは、降参か――とフユが両手を上げようとしたとき、


「待った」


 とアルテナがまっすぐにこちらを見つめた。


 その後ろでは、リョウバが大きく肩をすくめてから、崩れ落ちた祖父を起こしあげ、壁際へと歩いていくのが見えた。


「すまないな、待たせてしまった」

 混乱するフユに近づきながら、息を切らしたアルテナは言う。

「お前の力を見たい」

 玲瓏な見た目とそぐわない、乱雑な口調だった。

 それが、今はしっくりと感じられる。


 そして簡潔なその言葉は、やけに深々とフユに刺さった。


「戦神もご覧になられている。出し切らないのは不敬ではないか?」

 そんな、言い訳まで与えてくれた。


「だから、やろう」

 対等の相手を前にしているかのように、彼女は笑った。

 視界から、彼女以外のすべてが色褪せたように感じられた。


 フユは、きつく目を閉じる。


 大荒野で起きた悲劇から、祖父が禁じた戦闘法。

 母から受け継ぎ、密かに鍛錬を続けていた技法。


 補助術は、相手との力量差、相性、理解度、そうした様々な要因で効果が増減する。


 ――ならば、誰よりもよく知る自分自身に使えばどうなるか。

 ――生粋の術士ではない、前衛としての訓練も積み上げた自分ならどこまで強化できるのか。


 目を開く。


 方向性は多少違えど、目の前に立っている麗人はフユの目指す地平の彼方まで踏破した存在だ。


 鼓動が高鳴っている。


「……御手合わせ願います」


 そう告げると、アルテナは満足そうに頷いた。




 ちなみに、控室からその光景を見ていたナナシャは、

 ――アルテナさん、またひとり堕としちゃったな、と思ったそうな。

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