狂風射手
「ええっ?」
ナナシャさんが短弓を捨てるのを見て驚いた私に、
「ここからです」
とアルテナが冷静に告げた。
「ようやく動くか」
やれやれ、といった感じでリョウバが言い、見ればシュラノが術を発動していた。
闘技場の円周をなぞるように、風が巻き起こっている。
竜巻とまではいかないけれど、相当に強く吹き荒れる風は、先ほど破壊されてしまった木箱と折れた矢を巻き込んでいく。
バストアク王が使っていた、土砂混じりの竜巻によるドリルみたいな攻撃を思い出したけれど、あそこまでの勢いはない。木箱や矢の破片は、ただただ闘技場内に散らばっていくばかりだ。
「これは、なんでしょうか――風が――」
アナウンスも不思議そうで、解説に困っている。
そして、構うものかと言わんばかりに、カゾッドがナナシャさんへと拳を固め突き進んでいく。
けれどナナシャさんは大きなステップで横へと動き、距離を取る。弓を構えていなければ、スピードはナナシャさんの方が上らしい。
なおもランダムな軌道で動きながら、ナナシャさんが手をのばす。そこへ、風に乗って折れた矢の先端が流れてきた。
そういえば以前、巨大昆虫と戦っているときにはガントレットで刺さった矢をより深く叩き込んだり、手にしたままナイフみたいに使っていた。けれど先端が単なる木の球になっている試合用の代物では無理じゃないか――
パンッ
乾いた音がした。
ゴシャリ。
続いて、重く鈍い音がした。
「がぁっ……!」
カゾッドの鎧、その脇腹あたりが大きく砕け散り、矢尻代わりの木球が、そこへ深々とめり込んでいた。
膝をつく大男。
「なっ、何が起こったのでしょうか!? 突然カゾッド戦士が――」
混乱した様子のアナウンス。
「ご覧になりましたか」
満足そうにアルテナが言い、
「うん。これ、解説の人大変そうだね……ていうか無理でしょ……普通目に追えない……」
私は驚きとともにそう答えた。
ナナシャさんが、吹き続けている風の流れに再び手を伸ばす。今度手にしたのは、木箱の破片、つまりは単なる板切れだった。
それを見た瞬間、ソフィナトが光弾を連射する。3発までを回避したナナシャさんは、残りの2発に向けて、
パァンッ
先ほどと同じ攻撃で相殺した。
1撃で光弾2発を落とした木片は、砕け散ることなく闘技場の壁に半ばまで突き刺さる。
そして風の術式を解除したシュラノが、ソフィナトへ炎弾を放つ。かなり威力を抑えているけど、ソフィナトはそちらへの対処へ追われナナシャさんへの追撃が止む。
風は止み、闘技場の地面には木片と矢が散乱し、
ナナシャさんが手近なところに落ちている折れた矢を拾い上げるのと、カゾッドが立ち上がるのは同時だった。
その距離は10歩ほど。
試合開始時とほとんど同じだった。
ナナシャさんが、術を発動する。
手にしている折れた矢の周囲が微妙に歪む。
風神の恩寵を授かったバストアク王との闘いで、私にも認識できるようになった。あれは――圧縮された空気だ。
そして矢の少し前方では、空気が渦を巻き始めている。それはあっという間に勢いを増し、微かに白く煙る。
今度のは、正真正銘の竜巻。
直径は10センチ程度、長さは2メートルぐらい。
微かに白く煙る細長い竜巻が、縦ではなく、水平に、カゾッドへと向けて伸びていた。
完成まで、ほんの一瞬。
矢を放つ動作よりもさらに速く、静かで、見えづらい。
矢の周囲に圧縮されていた空気が、パァンッ! と風船を割ったような音と共に炸裂する。
勢いよく射出された矢は、竜巻の砲身を通る僅かの間に強烈な加速を見せ、さらには旋回をも身に纏う。
それはまさしく、弾丸と砲身だった。
ゴグシャッ――重たい破壊音を上げるのは、カゾッドの胸部。ぶ厚い木の鎧が砕け散る。先の攻撃と合わせて、もはや覆われている箇所のほうが少ないぐらいだった。
当然ながらダメージは軽減しきれず、またも苦悶の声を上げながら大きくのけぞるカゾッド。
パァンッ
さらに追撃。
「ぃぎ、がっ……」
膝だった。
「うわ、いったぁ」
思わず顔をしかめてしまう。
圧縮空気による初速、おそらくは真空に近い竜巻の内を通ることによる加速、威力と推進性を増す回転の付与。
さっきから集中モードになったままの私の視力でも、3発目でようやく何をしているのか理解できたというレベルの、超高速射撃。
そんな術式で打ち出された矢の先端についているのは、硬そうな木の球。
それを、正面からモロに膝へ。
「ああっと、ソフィナト戦士が降参の合図です! 試合終了! 勝利したのはバストアク側、ナナシャ戦士とシュラノ戦士です!!」
――常人の4倍は体重のありそうなカゾッドが倒れ伏すのは、当然の結果だった。
「荒れ狂う風を御し、矢のみならず折れた剣や鎧の破片や小石や、果ては骨片に歯に爪、戦場に散乱するあらゆるものを射出するのが奴の術式です。ゆえに『狂風射手』と」
アルテナが説明してくれる。
「なるほどねえ。弓は、実際いらないの?」
「いえ、矢のあるうちは普通に使います。奴の力量であればそれで充分に必殺と
言えるので。強者や重装相手、あるいは矢が尽きればあの術式で攻撃する。それが奴の戦法です」
アルテナの口調には、友人の自慢と友人への嫉妬、その両方を自覚しつつも気にせず笑い飛ばすような、明るい気配が感じられた。
「術式って、やっぱあれ法術なんだよね? 一般的な技術なの?」
「そうですね、風使いは珍しくありませんが――多くは追い風や砂煙を起こしたり、竜巻自体で攻撃したりといった手合いですね。あのような使い方は、戦場で見たことはありません。ナナシャ自身も、長く戦うために編み出したと言っていましたから。生粋の術士ではなく、弓兵だからこその発想なのかと。……とはいえ、その結果が弓を使わない術式というのも皮肉ですが」
そっかあ。
マジであれ、銃とか大砲とかと似たような原理だよね? いや私ミリタリー系はよく知らないけど、ライフリングって言葉とかは聞いたことあるし。
火薬のないこの世界であの術を開発したナナシャさん、ガチの天才なんじゃないの?
またここに新たなチートがひとり……などと考えているうちに、歓声を背にしたナナシャさんたちが控室に戻ってきた。
何やら言い合いながら。
「あっ、レイラ姫! シュラノさんが私の術式真似しようとしてるんですけど! あっという間にそこそこの完成度を見せてるんですけど! 領主権限でも王女権限でもいいので止めさせて頂けないでしょうか!」
「……独特な発想。異様に難易度が高い……」
私の肩を揺するナナシャさんと、早くも宙に竜巻を作り上げているシュラノ。けれどナナシャさんのに比べると風の勢いが弱いし、竜巻自体も微妙に真っ直ぐになってない。おまけに、弾として持っている木片に圧縮空気を纏わせようとすると、竜巻が解除されちゃうみたい。
「シュラノをして難しいと言わせるとは、相性もあるのでしょうが稀なる高度な術のようですね」
リョウバが楽しそうに言う。その目がなんだか輝いてるのは、
「やっぱり、興味ある? 同じ射手として」
「ええ、もちろんです。特にあの旋回、おそらくは推進力と直進性を大幅に増しているようです。私も使えるか試してみようかと」
「そこ、リョウバさん! なにさらっと真似するつもりなんですか!」
「いやお前、もとより戦場で散々使ってるだろうが。今さら模倣されるのを気にするなよ」
口を尖らせるナナシャさんと、呆れたように言うアルテナ。
「だってこのふたりだと私より使いこなしちゃう可能性があるんですもん! いちおう自負と愛着があるんですよこの術!」
「まあまあ、だったらシュラノたちが改善案とか出したらナナシャさんがさらにそれを真似すればいいんじゃないの? そしたらみんな強くなれたってことで」
私がそう言うと、ナナシャさんだけでなく、シュラノとリョウバも妙に鋭い眼差しになった。
「え? なになに?」
怯む私の両肩を、がしっとナナシャさんが掴んだ。
「……私は、あくまでこの術が完成形だという前提で、その練度においてシュラノさんたちが上を行くんじゃないかって話をしてたんですよ……」
妙に低い声で言うナナシャさんに、うんうんとシュラノが頷く。
「けどレイラ姫、なんだか今のお言葉なんですけど、『改善案』って、随分とあっさりと、まるでその方向性が既に見えているかのような、そんな気配を感じてしまったんですけど……?」
「え? いやー、そうかなー、気のせいなんじゃー」
しまった。
私はいちおう地球の武器について知識があるから、なんとなくナナシャさんの術式の先を見てしまっていたらしい。
「……レイラ様、もしや秘匿すべき技術なのでしょうか?」
誤魔化す私を見て、少し真面目な口調でリョウバが言った。
思わず頷こうとして、でもそうすると私が何かしら知ってるってバレると思い直す。
さてどう取り繕おうか、ていうか別に教えてしまってもいいのか? と悩んでいると、
「口を挟むぞ」
その声は!
ばっと振り向くと、戦神アランドルカシム様が控室にやって来ていた。
……えーと、フットワーク軽いっすね。