期待を裏切らない男
「お願いだから、おとなしくしててよ……」
と私が祈りながら見つめるのは、闘技場に立つひとりの男。
スタン。
バストアク王国に来る少し前に出会い、いきなり試合を申し込まれ、勝つには勝ったけれど技術面ではまったく歯が立たなかった、レベル1の達人。
――数日前、今日の試合に向けてミーティングをしていた夜のことだ。
「よお久しぶりだな鉄腕女! 楽しそうな試合やるんだってなぁ、俺様も混ぜろ! それでこないだの負けは忘れてやる!」
などと言いつつ部屋に乱入してきたスタン。
そして、その後ろで平身低頭していたレアスさん――出会ったときもスタンに同行していたローザスト王国の軍人で、こないだ使者としてやって来たニンブルの上司。金髪を肩口で揃えた、いかにもできる女って感じのお姉さん。ちなみに仕事的な意味と、戦闘的な意味の両方で。
「お初にお目にかかります、ファガン王。そしてお久しぶりでございます、レイラ姫。……誠に、誠に、突然のご無礼申し訳ございません――」
と恐縮しながらレアスさんが説明するところによると、スタンはレアスさんたちの客分としてローザスト王国に滞在しているとのこと。そしてローザストとその周辺で試合を繰り返し、勝ち星を重ねていたのだと言う。
そんなスタンの名前は徐々に知れ渡っていき、ついにはローザスト国王の耳にも入り、興味を示されたらしい。
「しかしながら率直に申し上げますと、この男を王に拝謁させるのは非常に危険だと考えまして――」
「ああ、ローザスト王はなかなか苛烈な性格だからな」
頷くファガンさんに、レアスさんはなんとも言えない表情。
なるほど、スタンが王様に変なこと言ったら本人もレアスさんにもどんな処罰が下るかわからないってことか。
「そうした時分に折よく、ここジルアダム帝国から招待状を頂きまして、グラウスとスタン宛だったのですが、私がグラウスの名代としてスタンに同行した次第です」
「一時避難というわけか」
「そのようなものです。もちろんあの会場には1度出したきりで、後は闘技場の観戦席に押し込めておりました」
私も闘技場とかキーラさんのお店とか下町とかで結構外してたから、そのタイミングでパーティ会場に来たのだろう。知ってたらもう少し覚悟とかできてたのに。
結構色々言われている当のスタン自身は、気にした様子でもなく欠伸しながらお茶をすすっている。説明は完全にレアスさんに任せているらしい。
「しかし、その闘技場の予告でレイラ様たちが出場されることを知りまして。……試合当日に初めてレイラ様のお姿を見た場合、その場で乱入する恐れもあったため、申し訳ありませんがある程度の説明をしてしまいました」
傭兵イオリが、レイラ姫だってことか。
「それは適切な判断だったと思いますよ」
実際やりかねないと私でも思う。
以前の試合で私が勝った後、その場で真剣勝負を申し込もうとしていたスタンのことだ。
せっかく隊長に口裏合わせをお願いしたのに、試合会場でこの男が「見つけたぞ鉄腕女ァ!」などと騒ぎながら乱入してきたら色々台無しだ。
「――けど意外だな。それ知ったら、それこそここには再戦の申込みに来るんだと思ったけど。試合に出るほうが優先なんだ? ていうかこの時期は他国参加も自由なのに、なんでわざわざ?」
スタンに向けて、そう尋ねる。
すると彼は面倒くさそうに口を開いた。
「てめえの居場所はわかったからな。再戦はいつでもできる。それより話題の試合に混ざったほうが、強い相手が選ばれそうだからな」
「実は普通の手順で申込みはしたんですが、やはり実際の測定でレベル1だとわかると、それなりの相手としか組まされないようでして。試合とはいえレベル差が大きいほど命の危険がありますから」
苦笑しながらレアスさんが補足してくれる。
「あー、そういうことですか……。けどスタン、再戦って、試合に出れるなら負けを忘れてくれるんじゃないの?」
「ああ、忘れてやる。だからてめぇの都合に合わせた時間と場所で申し込んでやるよ」
どんな理屈だ。
「あのう、それでここからがご相談となるのですが――」言いづらそうにレアスさんが眉根を寄せる。「貴国の方々が出場される試合にこちらのスタンを加えて頂くための方便でもあるのですが、どうかこの男をバストアク王国で引き取って頂けないでしょうか」
「ふむ――ま、うちの領主と知己のある者ひとり食客に受け入れるぐらいこともないが――」私がリアクションするより早く、ファガンさんがそう答えた。「ローザストにとって益はなかったということか?」
「正直に申し上げますと、仰る通りです。はじめはその技量を兵に伝授できるかと期待していたのですが……、どうにもスタンには教える気が皆無でして、かといって見て盗むには難易度が高く、おまけに当人が盗み見の視線に厳しく、試みた者たちは軒並み気絶させられました」
「ねえスタン、どういうつもりでローザストの客分になってたの?」
思わず本人に聞いてしまった。
スタンはお茶菓子を噛み砕いてから口を開く。
「どうもこうもねえ。グラウスのおっさんが寄っていけとか言ったから宿代わりにしてただけだ」
「なら宿泊料として少しは教えるとかしてあげればよかったのに」
「態度の悪い奴らを何人か丁寧に叩きのめしてやったぞ」
しれっと言うスタン。
「その、揉め事も多く、なかには貴族や将校もいたため、既に爆発しそうな火種がいくつかございまして……」
肩を縮めるレアスさん。
「国へ帰る前に、うちで引き取って欲しいというわけか」苦笑いするファガンさん。「交渉前からずいぶん傷を見せてくれるが、それでも買わせる自信があるのか?」
あー、ファガンさん楽しそう。
この人、この手のやり取りが好きなんだろうなあ。私のときも初対面時から似たようなことしてたし。
レアスさんはゆるく首を振った。
「いえ、お買い頂くなど、むしろこちらから支払わせて頂く所存です。ただ――当人の強さだけは確かです。レイラ様もその点はご存知かと」
「だそうだが?」
視線をよこすファガンさんに、頷いてみせる。
「能力自体は確保しといて損はないですよ。うちにはカゲヤとかいるので抑えられると思いますし」
「ほう、お前さんの領地でいいのか?」
「……やむを得ません」
ここへ来る前にカゲヤたちから訓練を受けた今だから、前よりも理解できる。
スタンの技量は異常といっていい領域だ。
この先を考えると、近くにいて欲しい。
「ということらしいが――、何を足してくれるんだ?」
レアスさんに向き直ってファガンさんが尋ねる。
「3点ございます。まず、バストアク新王の治世は盤石と思われる――という風聞をローザスト国内に流します。最低でも首都の市民過半数が一度は耳にする程度に」
「ほう、そいつは有り難いな」
口角を上げるファガンさん。
「2点目として、既に貴国の特殊軍でお預かり頂いているニンブルという者が持つ情報について、開示許可を与えます。鍵となる言葉を当人にお伝え頂ければ、ローザストの一部貴族の弱み、余剰のある輸出物、国内法に存在する数種の矛盾点などをご説明差し上げられるかと」
「ふむ、悪くない」
「そして3点目ですが」レアスさんはひとつ息を吸った。「グラウス率いる遊軍――『雷導隊』20名が、1回限りレイラ様の指揮下に入ることをお約束致します」
「……俺ではなく、か?」
声を低くするファガンさんに、レアスさんが頭を下げる。
「恐れながら、隊長であるグラウスの指示につき、私は裁量権を持っておりません」
――いや、大盤振る舞いすぎない?
言っちゃなんだけど、たかがレベル1の剣士ひとり、おまけにローザストの国民でもない人を引き取ってもらうのにそこまでするとか、大赤字でしょ。
ファガンさんは腕を組んだ。
「前の2点はわかった。そのまま呑もう。で、最後の1点はどうする? お前さんの判断に任せるが」
そう言ってこちらを見てくるけど、これ申し出を受けるかどうか自体を私に決めさせようとしてるな。
……正直、裏があるとしか思えない。
そして、スタン自身も問題を起こす予感しかしない。
けれど、まあ、この手のイベントフラグが立ちそうな選択肢は『はい』を選ぶしか無いでしょう。
「受けます。細かい調整はスピィに委ねても?」
言いつつスピィの肩に手を置くと、その気配が気合に満ちた。
「構わん。こっちの事務官もつけよう」
「誠に、感謝致します」
レアスさんは深々と頭を下げた。
――そういったわけで、その後も色々と話しを詰めた結果、スタンはこうしてバストアク側の出場者としてエントリーしている。
確かに戦力にはなるんだけど、私としては非常にリスキーな選択だったと思ってはいる。
「俺がお前さんに感じてる脅威をちったあ味わえ」
とファガンさんに言われ、
「え、うそ、私のほうが全然マシでしょ!?」
とリョウバやアルテナに尋ねて、そっと目を逸らされたりしたけど、うん、リスキーなんだってば。
さてそんなスタンの対戦相手が姿を見せ、会場にアナウンスが流れる。
「対するジルアダム側は、フユ戦士に次ぐ最年少、かつ最短で一級戦士に上り詰めた若き天才、『瞬閃』ハキム戦士です!」
黄色い声の目立つ歓声が巻き起こる。
自信に満ちた表情で闘技場を進むのは、長身、美形、余裕ある笑みを浮かべる貴公子っぽいお方。
しかしながら、その気配には試合に向けた意気込みらしきものが見受けられず、ついでにスタンに向けているのは雑魚を見る目――
……うーむ、残念ながら噛ませ犬の香りがする。
スズキさんとかアライさんの系譜に見える。
レベルはしっかりと50以上はあるから、まともに当たればレベル1のスタンはKOどころか即死しかねないけど……、あからさまに油断してるからなあ。
スタンの望み通り、私からグランゼス皇帝に『滅多なことじゃ死なないと思うので、容赦ない組み合わせをお願いします』って言ったので、強引に試合に出されてるのかもしれない。
だとすれば本人にははた迷惑な話だったと思うけど、手を抜かれたりするとスタンのことだからすぐ気づいて怒りそうだよなあ……
まあ、スタンのステータスなら一発KOにはならないと思うから、なんとか試合中に本気になってくれるのを願おう。
会場が期待に満ちたざわめきに満ちる。
「さあ、最後の第4試合目です!」
私の番だ。
そして、彼女が出てくる番だ。
「バストアク王国側は――皆様も大いに関心を寄せられていることでしょう。突如としてバストアクの特別自治領領主となられた各国注目の姫君。先日のレベル測定においては、前代未聞の607という数字を叩き出したことでさらなる話題を巻き起こした、美貌と強さの極地におわす御一方。バストアク王国領主にして、ラーナルト王国第2王女、レイラ様のご入場です!」
うひぃ、このアナウンスに乗って出てくの超恥ずいんですけど。
顔に出ないよう気合を入れて、控室を後にすると、
――ずおっ
という感じで観客席から押し寄せてくる視線と感情。
重い! なんかもう物理的に重いよ!
観客席の3階から上は超満員。
このあいだ私たちも招待してもらったVIP席の窓からはグランゼス皇帝やメイコット姫の姿が見える。
その近く、個室ではないけれど良さげな席には隊長の姿も。あ、目が合った。手を振りたいけど知らないふり。隊長、なんか胃のあたりをさすってる。隣にいる男の人が微笑みながら何か囁いてる。
「そして対するジルアダム側は、こちらも同じく強さと美の最高峰! 属国ウォルハナム公国からの参戦です! 数多の戦場を尋常ならざる力で踏破し続けたそのレベルは529! レイラ様との100近い差をその技量と経験、そして謎に包まれた『資質』で凌駕できるのか! ある者は『神に最も近い戦士』と讃え、ある者は『魔族を越える天敵』と恐れるその実力を目にできる私たちはまさに僥倖と言えるでしょう。――ウォルハナム元首、ヴィトワース様!」
今日イチの歓声が闘技場を震わせた。
堂々と歩いてくるヴィトワース大公。
緑の髪を今日はポニーテールにして、紺のジャケットに白のパンツ。インナーは明るいオレンジ。鎧じゃなくて格闘技の道着みたいなデザインだけど、それでもランウェイをモデルウォークできそうな雰囲気を醸し出している。
パーティ中に皇帝やオブザンさんが言っていたように、会場内から大公に向けられているのは好意と敵意&悪意が混ざり合っている。どっちもすごい熱量で。
「よろしくねっ」
そんな視線を物ともせずに、晴れやかな笑顔で挨拶してくれる大公。
「はい。よろしくお願いします」
そう返事をする。なんだろう、ヴィトワース大公と目線を合わせているだけで、観客席からの視線が数段気にならなくなる。これが人徳ってやつ?
ともあれ、これで全員が揃った。
バストアク側とジルアダム側の6人ずつが向かい合う。
後は第1試合目の出場者を残して控室にはけるだけだと安堵したそのとき、
「――納得がいかーん!!」
と、大歓声を押しのけるようなバカでかい声が響き渡った。
……右隣から。