思いがけない再会×2
「む? ……もしや、イオリか?」
下町でリョウバとスピィ、3人で屋台飯を食べているところに、通りがかった人から声がかけられた。
けれど、その呼び名はこの国どころかバストアクに来たときから名乗っていない私の本名だ。
一瞬で気を引き締めるリョウバと、少し遅れて身構えるスピィ。
けれど声の方向を見た私は、
「あっ――隊長!」
懐かしい顔に思わず声をあげた。
そう、呼びかけてきたのは、コルイ共和国に傭兵のふりして潜入したときの上官、コルイ正規軍の隊長だった。
鎧を外した普段着は初めて見るけど、散々怒られた相手なので声と顔ですぐに思い出せた。
「ほう、やはりそうか。あれからどうしたか心配していたが、こんなところまで流れていたとはな」
古傷の重なった顔で、記憶のそれよりも柔和な視線を送ってくる隊長。
「それ言ったら隊長もでしょ。どしたの? コルイの軍クビになった?」
「貴様と一緒にするな!」
一瞬で記憶通りの吊り目になる隊長。
「クビにしたの隊長でしょ!」
「堂々と言うな!」
あー、ちょっと懐かしいなこのやり取り。
あのときは乱暴者で生意気な傭兵のイオリを演じてたからなあ。
……このリョウバの差し金で。
軽く睨むと、涼しい笑顔で見返された。
リョウバは隊長と初対面だけど、会話の流れで状況は察してるみたい。
「けどほんとになんでここにいるの? 私と違って隊長はコルイの軍人でしょ? あ、定年?」
「まだそんな歳ではないわ!」相変わらず切れの良い怒鳴り声をあげてから、隊長はしかめっ面になって頬をかいた。「……あー、そのだな、イオリ、貴様にもらった薬があっただろう」
ん? と少し悩んだけど思い出した。そういえばコルイ軍をクビになって出ていくとき、モカ特製の回復薬をあげたんだった。
隊長、怒りっぽいけどいい人で、お世話になったからね。
「あの後、死門の黒獣討伐のため戦線に出たのだが、大荒野で魔族の待ち伏せに遭ってな。乱戦のさなかに部隊からはぐれ、同じく単身で彷徨っていた兵士と合流して撤退したのだ。だが、その兵士がひどい怪我でな、あの薬を使わせてもらった」
そっか、自分じゃなくて人のために使ったんだ。
「相変わらず面倒見いいねえ」
「やかましい! 貴様が言うな!」
「ひっどい、心から褒めたのに」
マジで。
隊長はひとつため息をついた。
「いや、そうだな、あの薬のおかげでひとり助かったのだ。……その点は、感謝しよう。まったく恐ろしいほど効能のある回復薬だったよ」
ぺこりと頭を下げる隊長。
「や、いいって。あれはお礼にあげたんだから。どう使おうと隊長の自由なんだし」
「そうか、すまん。――まあ、それでだな、その怪我していた兵士なのだが、これがジルアダム軍からコルイへと修行に来ていた者でな、おまけに貴族の出という素性だったのだ」
「へえー」
シアンたちに聞いた制度か。
「わざわざ他国の軍にまで出向くなど、貴族としては相当な変わり者だと当人自ら言っておったがな。まあそういったわけで、薬の礼代わりのようなもので、その者の招待を受けジルアダムの懇親会に呼ばれたのだよ。上官も、是非行ってこいと乗り気でな。久々の長い休暇を使わせて頂いている」
なるほど。
そりゃ前線を守るコルイ共和国としては、兵士もお金も潤沢なジルアダム帝国との繋がりが増えるなら大歓迎だろう。
「隊長様――」横からふいに声が上がる。「失礼、私はイオリ様の付き人で、スピィと申します」
にっこりと笑顔を浮かべながら、さり気なくベンチから立ち上がり、スピィがそう言った。
「おお、これはすまない。挨拶もせず長々と話をしてしまったな。私はコルイの軍人で、ガイナンという者だ」
目を細めてスピィに答える隊長。予想通りというか、子供好きなんだろうなあ、この人。
「ガイナン様、お見受けする限りさぞ多くの戦場をご経験されているかと存じますが、闘技場へはご参加になられるのですか?」
普段よりも幼い口調で喋るスピィ。私からすれば違和感あるけど、むしろ年齢的にはこのぐらいが普通だった。
そして、無邪気さを装いつつそう尋ねながら、片手を背にまわし、私だけに見えるようにして指を1本立てる。
別になにかサインを決めているわけでもない。けれどそれが一種のアラートだということに、数秒考えてから気づいた。
イオリという名前の傭兵である私を知っている隊長。
隊長が助けたというジルアダムの貴族は、軍にも所属しているとか。
そしてスピィが尋ねたのは、闘技場について。
……おお、地味にマズイかもしれん。
「ああ、残念ながら私は参加する予定はないのだよ。これでも1隊を預かる身でな。試合といえど、上官の許可なく他国で戦うわけにもいかん」
「じゃあ隊長、観戦ぐらいはしてくの?」
私がそう訊くと、スピィが背中越しの手で丸をつくった。よし、選択肢正解、好感度アップ!
「うむ、既に一昨日見てきたのだが――、実はな、知っておるかイオリ? かのウォルハナム公国の生ける伝説、ヴィトワース大公が今度の試合に参戦されるのだ」
……やっぱりね。
この手の流れで悪い予感が外れた試しがない。
「うん、知ってる知ってる。あれ、観戦券がかなりの人気で抽選になったって聞いてるけど……」
「おう、それが先に話した貴族が大の闘技場好きでな。だいぶ金と権力を使ったとかで、早々と席を確保したのだ。しかも私までそこに招待してくれた」
嬉しそうに語る隊長。
唸る私。
「あー、そっか、そうかあ……、あのさ隊長、1個だけ、お願いしたいことがあるんだけど?」
そう言うと、隊長は露骨に身構えた。
「……貴様には薬をもらった恩があるからな、大抵のことは聞きたいと思うが……、観戦券は、そのだな……」
「いや違う違う、そうじゃなくて、つまり、その試合なんだけどさ」
どこまで説明したものか悩むけれど、どうせ当日になったら全部バレてしまうのだ。
隊長の人柄はある程度わかってるし、ここは直球で行こう。
「ヴィトワース大公の対戦相手も聞いてる?」
「ああ、バストアク王国の領主であろう。たしかラーナルト王国の出で、姫君だとも言うが――なにしろ正体不明だと噂になっている。バストアクの前王を殺した張本人だとか、大量虐殺を行ったとか、いずれにせよ試合でその正体がわかるのだ。観戦券の高倍率はそれも原因のひとつだな」
「それ、私」
「なにがだ?」
「対戦相手」
「なんのだ?」
「だから、ヴィトワース大公と試合する相手。バストアクの領主。ラーナルトの王女。それ、私のこと」
隊長の動きが止まった。
街なかの喧騒が耳に戻ってくる。
ちょっと冷めてしまったフライドポテトをかじる。ハーブが効いてて、まだまだ美味しい。
「……よし、まず百歩譲ろう」
隊長が回復した。
「うん」
「対戦相手が貴様。それは、納得できなくもない。今だから言うが、あのとき集めた――いや、そこから十年遡っても、貴様とカゲヤの戦力は異常だった。上にまで伝わらぬよう私の判断で防いでいたが、仮に知られていたら貴様の蛮行を見逃してでも軍に残るよう計らわれていたことだろう」
「いい判断だったね隊長」
「やかましい」
いや、実際、そうなったとしても大荒野に進軍する前にはこっそり逃げてただろうからね。
あそこに潜り込んだのは、あくまで将来有望な兵士の無駄死にを防ぐためだったから。
「貴様なら、あの大公の相手をできるやもしれん。が、しかし、だ。……領主?」
「はい」
「姫君? ……王女だと?」
「はい」
「……あれか? バストアク王国には、蛮族を集めた領地でもあるのか?」
どこかの暗殺者と似たようなことを!
「まあ、後半は信じなくてもいいよ。それでね隊長、お願いに戻るんだけど、要するに試合会場に私が出てきても、びっくりしないでほしいの。詮索もしないでほしいの。で、傭兵イオリと試合に出るレイラとの関連を、他の人にも話さないでね。ついでに、後々私の身分を信じても、今さらかしこまった態度にならないでもらいたいな」
「貴様ついさっき、願いはひとつだと言っておったよな?」
「まあ、今の全部まとめて1個ってことで」
またなにか言おうと首筋に血管を浮かべた隊長だけど、ぐっと飲み込み、やがて深く息をついた。
「……わかった。つまり、貴様はあくまで傭兵イオリ、試合に出る謎の戦士がいかに貴様と似ていようと、私はそれぞれ別人だと思っていればいいのだな」
「おお、さっすが! それならお願い1個で間違いないね!」
「胸を張るな! ――ええい、何やら厄介なことに巻き込みおって……。だがこちらからもひとつ条件を出させてもらうぞ。今の約定は、貴様が再び我らがコルイ共和国で暴れないことが条件だ! これを違えれば即座に私は然るべき報告を成すからな!」
「了解です、隊長!」
ビシッと敬礼をする。――しながら、あれ? 今後の計画的に大丈夫だよな? と確認する。
……うん、たぶん大丈夫でしょう!
一気に疲れた雰囲気の隊長に、スピィがカップケーキを差し出していた。
哀愁漂う隊長が去っていった後、リョウバが口を開いた。
「いやいやレイラ様、実に素早い『傭兵』への切り替えでしたな。まるであの性格もレイラ様本来のものと錯覚するほど。まったく感服しましたよ」
「にやにや笑いながら言うな!」
……ちょっと楽しかったのは事実だけど。
その夜。
「さて、試合は4日後に決まりましたが、まだ組み合わせは決定しておりません」
私たちはバストアク王国専用の客室に集まって、簡単なミーティングを行っていた。
連日のパーティ疲れで、さすがにみんなお酒は持ち込まず、酔い醒ましのお茶を飲んでいる。
「やはりアルテナ様とナナシャ様の武名は高く、対戦を望む者が多くおります。直前に組まれている試合を棄権してでもと申し出る戦士もいて、主催側も調整に苦労しているようです」
バストアクの特殊軍は、当然のようにここジルアダムにも潜入している。
例の政変のときは距離があったこともあり、ほとんどが帰還せず残っていたので、今現在も情報収集のレベルは落ちていないのだという。
その情報を集約し、王様であるファガンさんも含めたメンバーに説明しているのが、ちょっと前まで見習いだったスピィであることにもはや突っ込む気力はない。
見たところ本人の言う通り、調子は戻っているようなのでそれで良しとしましょう。
「候補者の中には、いわゆる『前衛至上主義』の男たちもおりますので、そうした戦士が選ばれるよう工作も進めております。少なくとも1名はほぼ確実にねじ込めそうですが、アルテナ様とナナシャ様、どちらのお相手を優先に致しましょうか?」
「あー、それはアルテナさんにお願い」
ナナシャさんがそう答え、
「かしこまりました」
と一礼するスピィ。
――私は『もし事前に対戦相手がわかったら教えて』と言っただけなんですけど、対戦カード自体への細工まではお願いしてないんですけど、それも突っ込む気力はない。
……うん、でも、一通りの仕事が済んだら褒めてあげないと。
……私が就職しても絶対こんな動ける新入社員になれはしないんだけど、そこはスルーして今の偉そうな立場からちゃんと評価しないと。残念ながら今の私は「すごいねー」と驚いて済む身分ではないのだから。
「そういえばファガンさん、今日のお茶会で聞いたんですけど――」
と私は、ヴィトワース大公のエピソードを伝える。
「ファガンさんも、そういう武勇伝とか知りませんか? 大公の実力がわかるような」
「生憎と、俺がヴィトワースと会ったのはウォルハナム公国だったからな。つまり、あいつは大荒野から戻ってきていて、俺がそこへ留学していたんだ。戦場でなけりゃ、そうそう力の程なんてわからんよ」
「あ、そうなんですか」
「まあ、前線から戻った直後だったらしいからな。向こうで上がりに上がったレベルに慣れていなかったらしく、初対面時の挨拶で交わした握手で、中手骨を4本とも折られた」
「あらー……」
奥さんをふっ飛ばした超サ○ヤ人みたいだな。
「ヴィトワース大公の逸話なら、私たちはよく知ってますよ」
楽しそうにナナシャさんが口を開く。
「へえ、どんな――」
尋ねかけたところで、ドアをノックする音がした。
側仕えのひとりが近づいていき、薄く開けたドアから廊下に待機している衛兵と小声で要件を確認する。
そして、その側仕えがスピィを呼んだ。
素早く寄っていった彼女もひそひそと何か話し合ったかと思うと、またこちらへ戻ってくる。
「失礼致します、レイラ様――」
と、スピィが私に対して告げたのは訪問客の名前。
「――げっ!?」
というのが、それ聞いた私の第一声だった。