格差社会を駆け上がる少女
「レイラ様、いったいどのようにして、あのヴィトワース大公と戦われるのですか?」
ふわりと芳香が漂う。
「ラーナルトは『北方の大盾』と呼ばれる強国ですから、何か秘奥の鎧などをお持ちなのでは?」
さらりと揺れる髪が、天窓からの陽光に輝く。
「いえ、バストアクの緻密な諜報網で、もしや弱点を見いだされたのではないでしょうか?」
きらきらと光る瞳に、緊張した己の顔が映っている。
様々な質問を投げかけてくるのは、いずれも洗練され尽くしたドレスを纏い、髪もメイクもぴったりと本人に似合い、所作のひとつひとつが華麗な軌跡を描くお嬢様たち。
ジルアダム帝国の懇親会もこれで3日目、今日は参加している各国の王族・高位貴族のご令嬢たちだけが集うお茶会が開かれていた。
懇親会の大会場の周辺には、様々な別室や庭園が設置されており、その一室を借り切っての催しである。
各自の護衛も女性縛りで、室内に男性はひとりもいない。私も背後にアルテナとスピィを控えさせていた。
巨木を縦に切り裂いて造ったという一枚板の長大なテーブルにゆとりをもって椅子が置かれ、それぞれに『私が主役』と言わんばかりの輝きを放つお嬢様方が座っている。物理的にも心理的にも眩しい。
正直言って、帰りたい。
やんごとなき方々と一緒に座っている私の本来は、単なる一般庶民の大学生なのである。家賃7万円のワンルームでカップラーメンとかよく食べてたのである。服のほとんどが夏冬セールの戦利品だったのである。
昨晩から今朝にかけてはフリューネの王族マナー講習を必死に復習し、スピィにチェックを受け(当然のように上を行かれている)、ドレスアップに多大な時間をかけて臨んでいるけど、なんかもうバストアクの暗殺者集団に囲まれてたときよりずっと緊張する。
帰れないまでも、できればひっそりと端っこで目立たずやり過ごしたいと思っていたのだけど、現実は厳しい。
初参加であり、最近色々と内輪揉めしていたバストアク王国に属しており、私自身もラーナルトの姫のくせして他国の領主とかいう意味のわからない立場であり、おまけにレベル測定で周囲を驚かせ、有名人なヴィトワース大公との試合が組まれた直後である。
……自業自得、という言葉が脳裏に浮かぶ。
まあ、初っ端の自己紹介で必殺『病気がちで臥せっていたのでマナーとか色々大目に見てね』を3重ぐらいのオブラートに包んで発射したので、露骨に眉をひそめられたりはせずに何とか会話を続けられている。
病気がちだったお姫様がなんで人族最強クラスのお方と試合するのかという点には全力で目を瞑る所存。
けれど、このお茶会イベントはスルーするわけにいかなかったのだ。
なにしろ、
「レイラ様、試合直前であっても構いませんので、棄権される場合は私にお申し付けください。事後処理まですべて行いますから。大公と戦われるなど、翻したところで誰にも責めさせは致しません」
と親切に言ってくれる、ジルアダム帝国の王女様が主催なのだから。
「ありがとうございます。メイコット様」
そう言って笑いかける。
ジルアダム帝国第2王女、メイコット姫。
父親のグランゼス皇帝と同じ紫の髪色だけど、その他は似ていない。細身だし、背が高いわけでもないし、顔立ちも儚げで、めっちゃ守ってあげたい外見。正直、父親に似てなくて良かったと思う。いやグランゼス皇帝自身はイケオジなんだけど、ちょっとだいぶ濃い目なので、あの顔立ちや体格を引き継いでしまうとかなり強烈な女子になってしまうと思う。
けれど流石は大帝国の王女様と言うべきか、その外見に頼りなさを感じないほど、やたらと高貴なオーラを放っている。ぶっちゃけ、日本だったら痴漢とかストーカーとかに狙われそうな見た目なんだけど、このオーラはそういった連中を近づけさせないバリアの如きプレッシャーを放っている。
なんというか、超高価な芸術品みたいに指一本触れるのすら恐れ多さを感じさせるというか。うっかりナンパでもしようものなら、その瞬間に周囲から黒服さんが一斉に現れたり、どこぞのビルから狙撃されたり、まわりの通行人を一斉に敵にしそうな予感を覚えさせるような。……まあ、マジでそのぐらいの護衛体制は敷かれてそうだけど。
「ちなみにメイコット様は、ヴィトワース大公の強さをご存知なのですか?」
「ええ。幼い頃に、何度かお力を見せて頂いたことがあります」
懐かしそうに目を細めるメイコット姫。
「――父の座っている玉座を、父ごと指2本で持ち上げてみたり、兵士30人対おひとりでの綱引きで圧勝したり、硬貨を噛みちぎって見せたりと、信じられないようなことを、軽々となされていました」
まあ……、と同席しているご令嬢たちが口元を押さえる。
まあ……、と私も己の手を見つめる。
……できなくはないかなあ?
「他には、そう、薄く氷の張った湖上で模擬戦を行い、10名ほどを次々と冷水に投げ込みながらもご自身は一切濡れずに立ち回られていたのも印象的でした」
あっ、それ無理。
――いや、ララの誓いを連発すればいけるか? 駄目だ、先に羞恥心が限界になる。
しかし今聞いただけでも、規格外のパワーにテクニックも併せ持っているらしいことが伺える。
たぶん技術面じゃ勝ち目がないだろうから、パワーでどこまで対抗できるかが勝負どころかな。
「そういえば、父から聞きましたわ。レイラ様が戦われる際の『参加賞』について」
シアンとミージュを、バストアク王国に連れていく件か。
「ジルアダムの兵同士の問題ですのに救いの御手を差し伸べて頂けたこと、感謝の念に堪えません」柔らかく目を細めてお礼を言うメイコット姫。「――ですが、先ほども申しました通り、レイラ様が試合を棄権されても諸々の対応は私が行います。問題の戦士たちにも、私が介入いたしますので、その点もご安心くださいませ」
優しく笑うメイコット姫。
言葉の裏に悪意なども秘めていなさそうで、なんともパーフェクトなお姫様である。
他のお嬢様たちも、私に対して露骨に敵意を向けたり毒舌暴言を吐いたりすることもなく、穏やかに接してくれている。いわゆる悪役令嬢ムーブを行うキャラは見当たらなかった。
……このお茶会に参加した秘密にして最大の理由を思うと、申し訳なさでいっぱいです。
お茶会を終え、参加者の皆さんと丁寧に挨拶を交わしてから会場へと戻る途中、スピィの様子が気になった。
「大丈夫?」
そう尋ねると、彼女は少し驚いたようにこちらを見返した。
「え? はい、体調に問題はありませんが、申し訳ありません、なにかお気に障られたでしょうか?」
「いや、全然そんなことはないんだけど……」
なんだろう、ちょっと元気がないような。
仲間内にはあんまり使わないようにしてるんだけど、できれば気にかけてほしいってエクスナにも頼まれてるしな。
ということで集中モードに入って、スピィの気配を確かめる。
――んー、色々混ざってるけど、全体的にネガティブな感じだなあ。
長い廊下の途中で立ち止まる。幸い幅のある通路なので邪魔にはならないし、そもそも人通りも少ない。今いるのは、さっきの部屋へ片付けに向かうメイドさんぐらいだ。
さて、ただ聞いても平気だと答えるだろうから、ここは、
「スピィ、あなたの精神状態が万全ではないと、私は判断した」
ちょっと強めの語調で言う。
「……っ」
軽く口元を引き締めるスピィ。
「だから命令。思っていること、感じていることを率直に言って」
そう告げると、スピィは視線を足元に落とした。
「スピィ」アルテナも落ち着いた声で彼女に語りかける。「緩み、淀み、怯み――何にしろ常と違う心持ちは、一瞬で死に繋がることがありますよ」
……いや、うん、アドバイスは助かるんだけど、ここ戦場じゃないんだよね……。
けれどその言葉はスピィの背を押したみたい。
彼女は「その、つまらないことなんですが」と苦笑した。
表情だけで、苦笑をつくっていた。
「この、お貸し頂いた衣装の一式にかかる費用ですが」
軽く肩口に触れながら、彼女は言う。さっきのお茶会はメイコット姫がすべての側仕えを手配していたので、スピィは毒味をするぐらい。だから持ってきたなかでも特に可愛いドレスを着せていた。
「私があの貧民街で生まれてから特殊軍に雇って頂くまでの間、……12年、その期間で貯めたお金の7割に相当するんですよ」
努めて、笑い話にしてしまおうと頑張っている口調だった。
「生きるだけでも大変な街でしたが、恥ずかしながら周りの子たちよりも頭がいいと自惚れておりまして、どうにか工夫して貯金していたんです。いつかあの街を出て暮らすのが夢でした」
頬が熱くなっている。
さっき、お嬢様たちに囲まれていたときよりずっと、いたたまれない。
そうだ、私があの高貴な生まれの女の子たちに引け目を感じるよりも、たぶんずっと、スピィは……。
「今の待遇は、身に余るものです。感謝しております、本当です。……ですが、見知らぬ地に放り出されたような――いえ、申し訳ありません、うまく言葉に――、ああ、そうです、『世界が違う』という表現を知ってはいましたが、今それが身に沁みました」
目元が赤らみだしたスピィの頭に手を置いた。
「えっ……?」
困惑するスピィ。
「アルテナ」
「はい」
「控室に向かう。しばらく会場には戻らないって、ファガンさんに伝えてくれる? あとリョウバを呼んでほしい」
「かしこまりました」
即座に動き出すアルテナ。
とにかく、いったんスピィをこの豪華なお城から連れ出そう。
どこがいいかな――と考えたとき、パーティ会場で聞いた話を思い出した。
控室に戻り、私もスピィも平服に着替える。
なかでも一番地味なやつに。
タイミングよくやって来たリョウバに、
「外に行くから、虫よけお願い」
とお願いする。
「願ってもないお話ですね」
満面の笑みを浮かべるリョウバ。
「それで、どちらまで?」
「下町」
「承知しました」
「――え?」
話の早いリョウバと、絶賛戸惑い中のスピィと一緒にこっそりお城を出て、キーラさんのお店も並ぶメインストリートを抜け、段々と建物の高さが低くなり、建物同士の間隔は狭まっていき、通行人の話し声は大きくなっていき、
「お、この辺いいね」
私たちは屋台や出店が所狭しと並ぶ一角にたどり着いた。
あちこちから何かを焼く煙が漂い、香ばしいものや辛そうなものや甘いものなど様々な匂いが入り混じり、原色多めな飾り付けで、どこからか音楽が流れ、子どもたちが走り回り、酔っ払ったおじさんが大声で笑っている。
お祭りである。
懇親会はあくまで城内での開催だけれど、各国からの招待客は当然ながら大勢の護衛や側仕えを同行させている。その人たちすべてを会場に案内できるわけでもないので、日中が自由時間となる人たちも多い。私たちも兵士の大半は移動中の警備のためで、懇親会の間はいくつかの宿に分散させ、息抜きしてもらっている。
そういった人たちの需要を見込んで、お城からやや離れた下町エリアでもこうした賑やかな催しが執り行われているというわけだ。
「飲まれますか?」
にこやかに笑いかけてくるリョウバに、
「さすがに飲み疲れてるから、果実水で。あとえーと、そこの串焼きとあっちの揚げ饅頭。スピィは?」
「いえ、私は――」
「命令、気になるものひとつ選びなさい」
ぐっ、と言葉に詰まったスピィだが、おずおずと、
「あの、カップケーキを……」
と短い行列ができている屋台を指差した。
手分けして飲み物と食べ物を買おうと思っていたけど、リョウバから「この場所でおひとりには絶対にさせません」と言われてしまったので、3人仲良くお店を巡って目当てのものを買っていった。
……実際、あちこちの男の人から視線を感じていたので、たしかにリョウバから離れるのはまずそう。
壁際や広場にはいくつものベンチや椅子とテーブルのセットがあり、うまいこと空いていたテーブルに陣取る。ああ、なんかこのクッション性ゼロな木の椅子が懐かしい。
「しっかし、下町と行ってもバストアクとはだいぶ違うね」
発展度合いも、人口も、たぶん所得も。
「まあ、ジルアダムの帝都ですから。豊かさは人族領土でも随一ですよ」
「うちの領地も、このぐらいの活気を目指したいね」
「でしたら、ちょうど賑やかな集団が加わったではないですか」
「思い出させないで……」
もう、フリューネたちのとこに到着しちゃってるよね、あの人たち……。
飲み食いしながらリョウバと会話する。
スピィはおとなしくカップケーキを食べていて、その雰囲気はさっきより少しは和らいでいた。
「次、しょっぱいもの食べたくならない?」
「……はい、実は……」
スピィの視線が、ちらっとフライドポテトの屋台に向けられる。なんか独特のハーブを振りかけていて、良い香りが漂っている。
すかさずリョウバが、近くで遊んでいた兄妹らしきふたりに小銭を握らせ、買いに行かせていた。
「おー、さすが……」
「レイラ様、ありがとうございます」
「え?」
不意にスピィがぺこりと頭を下げた。
「お陰様で、頭の整理がつきました」
「早くない?」
まだ私、スピィに刺さるようないい感じのこと何も言ってないんですけど。
……いや、思いついてもいないんだけどさ。食べながら会話しながら、なんかうまいこと発散させてあげられないかなと考えてたぐらいで。
「私はどうも、あの貧民街で蓄えた貯金の額で自分の能力を測っていた節があります。勘違いでした。自負すべきはその過程で得た経験と能力です。あの街で稼ぐ日銭と、今の給料や待遇、ましてや借り物のドレスの金額を比較するのは軸がずれていました。たぶん無意識に、貧民街の出自であることを恥じていて、それがかえって不毛な評価基準を選ぶことで自分を可哀想と思いたかったのでしょう。単なる、歪んだ自己愛です」
……なぜこの世界の少女たちは言動で私を圧倒してくるのだろうか。
えっと、スピィはフリューネのひとつ上だから12歳。
12歳って――私はその頃、たしか重力的眩暈の操作感に感動してたり某ラスボスの燃えBGMと腹パンに驚愕してたり不殺侍映画きっかけで珍しく3次元俳優にハマったりしてたんだっけ。
少なくとも、絶対、こんな自己分析ができるようなメンタルもアビリティもなかった。
「この国へ来る直前に、領地で同じように食べ歩きをご一緒させて頂きましたね」
「あ、はい」
フリューネに休暇をもらったときのことだ。
「あれは、とても楽しい時間でした。色々と、初めてのことで――。今日が2回目です。それで、少し理解できたんです。この、『ふつうの街』の幸せが、今の私の受容できる上限だと。ですから、あの壮麗なお城や、高価に過ぎるドレスは、幸福よりも畏れを抱いてしまっていたと、どうもそのあたりが不調の原因だったようです」
なんか悟りを開かれていらっしゃる……?
「この幸せが続くのであれば、それは真に幸福なのだと言えるでしょうが……、おそらくは不幸と同様、幸せにも慣れてしまうのだと思います。そのときには今日お借りしたドレスを、畏れず、夢見るようにもなるのかと。単に一言で『欲深い』ということですね。――ですが、そういう自分であることを、今理解できましたので……、もう大丈夫です」
にこりと笑うスピィ。
たしかにその笑顔は、今まで一番晴れやかで。
「あー……、うん、そう、大丈夫なんだ、よかったね……?」
私には、もはやそう返すしかないわけで。
「はい。ありがとうございます。感謝しています」
「え? いや、お礼なんて。スピィが自分で解決しちゃったから……」
「いえ、実を申せば、今述べたことは物語や伝記などで知ってはいた教訓なんです。それが、こうして外へ連れ出して頂いたおかげで、自分と繋がったというか、血肉になったと言いますか……、総隊長に散々言われた『頭でっかち』という指摘も、これまで以上に身に沁みている次第です」
ああ、そういえばエクスナ言ってたなあ。スピィには学習や訓練よりも、経験が必要だって。こういったことも含めてだったのか。
……いや、そういうエクスナだって15歳なのに、なぜそこまで指導能力があるの……? よく考えるとあの子ってスピィやフリューネ以上に年齢詐欺のチート少女じゃない……?
「ふむ。元気になったようで何よりだ。さあこれも熱いうちに食べるといい」
子供に買いに行かせたフライドポテトを勧めるリョウバ。
「ありがとうございます。『喋らなければ完璧』『絵画なら迷わず惚れる』と領地で評判な2大巨頭のお時間をこうして頂けているなんて、光栄の極みです」
ポテトを齧りながら、さらっと問題発言をするスピィ。
顔を見合わせる私とリョウバ。
「幸せな時間に、つい口が緩んでしまいました」
と悪戯っぽい笑いを浮かべるスピィ。
うん、それ誰が言ってるのか、もうちょっと口を滑らせてみようか。
リョウバが追加の飲み物や食事を買いに行かせようと、またさっきの兄妹に声をかけた。