就活してないのに気づけば面接官側へ
観戦した試合で一騒動起こしていた、シアンという女の子。
その騒動の相手と揉めているところに駆けつけた、母親らしき女の人。
その女の人とよく似た顔立ちの、ミージュという女の子。
以上3名についていった先は、王城からそれほど離れていないメインストリートにある酒場だった。
大きくはないけれど風格があって、手がかかっていそうな建物で、ちょっとだけ敷居が高い感じ。外にメニュー表とか貼り紙とかないタイプ。もっともジルアダムの帝都、おまけに王城近くというロケーションとしてはこれぐらいが標準なのかもしれない。そりゃコルイ軍事基地の酒保とか小国バストアクのしがない領地の酒場とかとは比べるわけにいもいかないか。
まだ開店前でお客さんはおらず、従業員が仕込みや掃除で忙しそうに動き回っていた。
「ごめんなさいね、バタバタしていて。そちらで少しお待ちになって」
女の人に示されたテーブルにつくと、待つほどもなくお盆を手にしたシアンとミージュがやって来る。
「まだ明るいですし、軽めのお酒で」
慣れた手付きでそう言いながらグラスを並べるミージュと、
「これ、一応うちの店の自信作です」
同じく手際よく配膳していくシアン。さっきまで闘技場で戦っていたとは思えない所作だった。
薄いグラスには微かに発泡している琥珀色のお酒が満たされていて、前菜の乗ったお皿は漂ってくる香りが既に美味しそう。
そして、先ほどまでの普段着からドレスに着替えた女の人もやって来た。――それこそ、王城の懇親会にいても違和感ないぐらいの着こなしぶりだ。
「ご挨拶が遅くなって失礼しました。この店の主、キーラと申します。今日は、不肖の娘がお世話になったこと、細やかながらお礼させてくださいな」
にこやかに笑うキーラさんは、そこだけスポットライトが当たっているように華やかだった。
主ということは、旦那さんは他の仕事をしているか、あるいは別の事情があるのだろう。
「……不肖の娘、シアンと申します。ジルアダムの軍人で、ご覧になったように闘技場にも登録しています。あらためて、先ほどはご助勢ありがとうございました」
ショートカットを揺らしながらきびきびとお辞儀するシアンの隣で、
「今日のところは不肖ではない方の娘、ミージュと申します。シアンと同じく軍属です」
ロングヘアをさらりと流しながら優雅に一礼する女の子。表情からは分かりづらいけど、キーラさんもシアンも気にした様子ではないので、軽い冗談なのだろう。
いくつか聞きたいことはあるけれど、まずはこちらも挨拶だ。
「レイラと言います。ラーナルトの第2王女で、今はバストアク王国の領主を努めています」
先ほどシアンがこっそり言った内容は聞こえてなかったらしいミージュが、目を丸くする。
具体的な身分までは知らなかったキーラさんは、「まあ、そのような貴人が、こんな木っ端娘のためにお手間を煩わせてしまいました」と微笑みを絶やさずに言う。場所が場所だけに、王族ぐらいは珍しくない――とはさすがに思えないので、この人のパーソナリティゆえの余裕なのだろう。
「レイラ様の護衛、アルテナと申します」
「同じく、リョウバと申します」
いつものセクハラトークでも口にしたら即刻沈める、と密かに決意していたけれどリョウバも穏便に自己紹介を済ませていた。
……たぶん、キーラさんにかますのは危険だと判断したのかな。
「え、アルテナ?」
シアンが呆然と呟き、
「失礼ながら、かの『血煙纏い』でしょうか?」
ミージュが小首をかしげる。
「……ええ、そうです」
頷くアルテナに、目を輝かせるシアン。
「お会いできて光栄です!」
「同感です。お噂はかねがね」
ミージュも興味深そうにアルテナを眺める。
「あのっ、もしかして『狂風射手』ナナシャ様もお近くに?」
意気込んで尋ねるシアンに、またもアルテナが頷くと、
「えっ……嘘……、なにこの僥倖……」
歓喜の表情を浮かべるシアン。
「あの、失礼ながら、ラーナルト、あるいはバストアクの軍に入られたのですか?」
ミージュの問いには、首を振るアルテナ。
「いえ、私は正式な軍属ではなく、ラーナルト第3王女フリューネ様――そしてこちらの第2王女レイラ様の護衛を務めています」
うわ、フリューネと並べてくれた。
そう言うしかない場面ではあるけれど、以前の彼女だったら『今は仮の護衛で』ぐらいは補足してたと思う。
なんだろう、だいぶ、かなり嬉しい。仲良くなれた――っていうのとはちょっと違うんだろうけど、魔族サイドの私たちに対する葛藤が薄れてきたのは確かだと思う。
「――あなたたち、落ち着きなさい」
にっこりと笑ってそう言うキーラさん。
シアンたちの姿勢がぴんと張る。
「恐れながら、同席させて頂いても?」
「もちろん、どうぞ」
キーラさんに続いて、シアンとミージュも座る。こちらと合わせて6人だけど、テーブルが大きいのでゆとりがある。さっきまで掃除していた従業員は厨房の方へ姿を消していた。
「では、稀なる高貴な方とお会いできた幸運を祝して」
キーラさんの音頭で乾杯する。
「――いいお酒ですね」
シャンパンに似た見た目だけど、予想より味が濃い。無理に例えるなら搾りたてのオレンジジュースにちょっと桃を足してジンを注いでソーダで軽く割ったような感じ。けれど後味は舌に残らず、鼻の奥に爽やかな香りだけ残るので食前酒にはちょうどいい。
2杯目からは、これも軽く発泡した日本酒のようなお酒が小さめのグラスに注がれた。
「お口に合えばいいのですけど」
差し出された前菜は、薄造りのお刺身に、濃厚なソースがかけられた一品だった。ソースにはシロウオみたいにまるごとのお魚が混ざっている。ちょっとインパクトのあるビジュアルだけど、好奇心が勝り箸を伸ばす。――ちなみにこの世界で箸はわりと一般的。国によってはトングみたいに根本をバネのある蝶番で組んでるタイプとかもあるけど。
お刺身を口に入れる。
癖が強いけど深い味のソースがまず味覚に届き、ぷちぷちと歯ごたえを感じる何かが塩気を増し、次いで刺身の脂が舌に溶け、ソースに混ざった小さい魚のワタと渾然一体になる。飲み込んだ直後にお酒を含めば、
「――うわ、おいしい」
「これは、見事ですね……」
私とアルテナがほぼ同時に感想を言い、リョウバは深く頷きながら無言で箸を動かしている。
「3代和えと言いまして、ノギスという魚の卵と稚魚を塩辛にし、成魚の身にまぶしたものです」
「3箇所の生息域からそれぞれ集めるんですけど、回遊の都合で材料が揃う時期が限られるんですよ」
キーラさんの説明をミージュが補足する。
なかなか怖いネーミングだけど、よく考えたら日本の親子丼とかも似たようなもんか。
そしてこの味わいを前にしては、残酷さなど脳裏の彼方に消えていく。
「フリューネ様にお伝えすべきか、隠すべきか……」
飲兵衛の主(11歳)を持つアルテナが悩んでいた。
「――もともと、私はミージュと組んでいるんです。闘技場だけじゃなくて、軍の編成上においても」
前菜のお皿が綺麗に空き、次の料理が並んだ後、シアンが今回の騒動について説明を始めた。
「去年までは大荒野への遠征にも参加してまして、それはとても良い経験になったんですけど、帰国してからはそれぞれ男と組むようにと強く勧められるようになりまして」
「遠征前は、珍しい組だと笑われる程度だったんですが、まあ姉妹ということもあって見逃されていました。ですが大荒野で魔族を倒して強くなり、闘技場でも二級正戦士になり、いよいよ放っておかれなくなってしまったのです」
ミージュがそう補足する。
「遠征から帰ってきたら、あのレベル測定器が出回ってたのも大きいよね」
「そうね。おかげでどのぐらい魔族を倒したのか目に見えるようになっちゃったから」
シアンの言葉に、ミージュが頷く。
嫌味っぽさはないので、あれがラーナルトから広がったものだということまでは知らないみたいだな。まあ、地理的に離れてるし、お偉方からすればわざわざ他国の発明だって広める必要もないのか。
シアンの説明は続く。
「そんなときに、さっきの男が組んでいた相手が怪我をして、今日の試合を棄権するかという話が出たんです。けれど今は懇親会で他国から観戦に来られる方も多く、ただ不戦勝とするわけにもいかなかったようで――どうせなら私たちに、男と組ませる良い機会だと狙いをつけられてしまいまして」
「その本来の相方の怪我がかなり重症で、引退の可能性もあるという点も大きかったようですね。ちなみにあの男はもともと私と組みたがっていたらしく、裏で色々根回しもされてたんです。まあ客観的に見て、シアンより私のほうが可愛いですから」
相変わらず冗談なのかわかりづらい真顔でミージュが言う。
言われたシアンは「はいはいそうねそうね、ミージュのほうが男受けするね」と気にしたふうでもなかった。
……実際、私から見てもミージュは少女らしからぬ色気がある。身体のラインもかなり大人っぽい。
「まあ、そうした思惑とか工作とかが気に入らなくて、強引に私が割り込んだんです。少なくともあの男の思い通りにはしたくなかったので。……そして思った通り、あの男だいぶ最悪な性格でして、試合前から延々と口喧嘩した挙げ句に一発殴られもしたので――試合開始と同時に、お返しを見舞ったという次第です」
「あら、その時点でおあいこだったのね」
キーラさんが、なんとも底知れない笑みを浮かべる。
「ダメージは10倍返しでも足りないぐらい差はあったと思うよ」ミージュがやや焦ったように言う。たぶん、さっき男たちを逃した時にそれを言わなかったことを叱られると思ったんだろう。「実際、試合後に上官や審判や運営からもシアンだけが散々怒られたから。傍から見れば、非があるのはシアンの方ってことになってる」
「戦う直前に言い争って精神状態を崩した時点で、男も同罪だと思いますが」
アルテナが低い声で言う。
「――っ、ですよね!」
嬉しそうにシアンが彼女を見る。
……ちなみにさっきから無言を保ちつつ箸とグラスだけが進んでいるそこのリョウバ? さてはこの地雷原多そうな会話に混ざるの危険だと思ってるね? 私も同感だからそっちに混ざらせてお願い。
「そして、闘技場を出た後に案の定シアンは逆恨みした男とその仲間たちに後をつけられ、途中からは追われ、私は急いで母さんたちを呼びに行ったというわけです」
とミージュは言う。
「それは助かったんだけど、あんたわざと姿を消して私ひとりで帰したよね?」
「いつ襲われるかわからない状態を続けるより、対処しやすいと思ったんだよ」
口を尖らせるシアンに、ミージュは澄ました顔。
「話は分かったわ」キーラさんがそう言うと、シアンとミージュに緊張感が走る。それこそ判決を待つ被告人のようだ。
「――まずは、レイラ様たちにあの男たちが今後何かしらのご迷惑をおかけするような事態にはまずならない、ということに安堵致しましたわ」
こちらに向けてキーラさんが微笑む。
「あの場では捨て台詞もなく退散していきましたが、それだけにまだ油断ができません。が、恨みの矛先は娘たちに向かうでしょうし、彼らも闘技場の正戦士である以上、軍の目を無視するわけにはいきません。ならば処分を甘んじてでも国外の賓客であるレイラ様たちを巻き込むほどの覚悟はないでしょう」
「ご心配頂き感謝します」とアルテナが言った。「おそらくその通りでしょうし、仮に連中が何か仕掛けてきたとしても完全に対応できますので、その点もご安心ください」
「まあ、頼もしい」うふふと笑うキーラさん。「――さて、次にシアンとミージュ」
じりじりと緊張の糸を保ち続けている2人の肩がぴくっと動く。
「私の経験上、あの手の男たちはあれぐらいじゃ諦めないわ。この先もあなたたちにちょっかいをかけるだろうし、レイラ様たちに手出しはできなくても、この店を突き止めて何かしてくるぐらいの可能性はある。この、私の、お店に。……それについて、どう考えているのかしら?」
うわぁ、怖い。
2人も明らかに怯えてる。さっき刃物を持ってた男たちに平然と向き合っていたとは思えないぐらいに。
……私も、地球に戻ったらお母さんから同じようなプレッシャーをかけられるんだろうなあ。短期間の失踪なら心配してくれると思うけど、時間が経つにつれて怒りに転嫁されてくタイプなんだもん。
「ええーっと、その、こっちから先手を打ってしばき倒すとか……」
おそるおそるシアンが発言するが、
「さらに恨みを買うだけでしょう? それとも再起不能にするまで痛めつけるか、あるいは殺してしまうのかしら? 軍内での殺傷における罰則は、親族にまでは及ばないのよね?」
歌い上げるように返される言葉に黙り込むシアン。
「あ、でも、そもそも、さっきあいつら『もう手は出さない』って言ってたよね。みんなに顔見られてたし、この界隈で店を使えないのは流石に不便だろうから――」
続いてミージュが口を開くものの、
「夜道で背後から襲われたら誰が犯人かわからないでしょう? だいたい、そのまま攫われたら単なる行方不明になるのよ? いいだけ弄ばれてから殺されるか、舌と手足を切って捨てられるか、というところだと思うけれど」
あえなく撃沈する。
次いで発言するのは意外なアルテナ。
「であれば、今の2案を合わせてはいかがでしょう。つまり、先手を打って連中を攻め、そのまま監禁、あとは見つからぬよう処分してしまえばいいのです」
おーい、アルテナー、私たち他国からの招待客なんですけどー、主催国の民に犯罪を教唆するのは色々まずいと思うんですけどー?
「なるほど、とても素晴らしいご意見ですわ」両手を合わせて目を細めるキーラさん。「――ですが、うちの娘2人で最低でも5人の男を片付けられるかは疑問なんですの。ねえあなたたち、人脈と資金と実力と環境と装備を踏まえて、可能だと思えて?」
顔を見合わせるシアンとミージュ。
……私から見て、ふたりともレベル30前後。さっきの男たちはひとりが40ぐらい、残りもシアンたちと同じか少し上ぐらい。
レベルも人数も体格も負けている。正直言って、勝てる要素はほとんどなさそうだ。
うつむくミージュに対して、シアンは背筋を伸ばしたまま考え込んでいて、
「――わかった」
と力強くそう言った。
「なら、あいつらが手出しを諦めるか、アルテナ様のように手出しされても返り討ちにできるぐらいに、強くなる」
その言葉に、アルテナがまずにやりと笑った。
「それまでは、いったん逃げる。あいつらの手が届かないところまで」
続いてキーラさんも、意味ありげに微笑んだ。
「レイラ様」
シアンが私を見た。
「私たち2人を雇って頂けないでしょうか」