断章:首脳陣による主人公対策会議
「お姉さま、このところだいぶお疲れですね」
そう労しげに言うフリューネに、イオリは力なく笑った。
彼女の特殊な身体ゆえか、やつれたり顔色が悪くなったりはしていないけれど、時おり疲労の色を隠せていなかったり、朝食の量が減って夕食の量が増えたり、お酒が進みすぎたり、といった様子が側にいるフリューネからはよく見えていた。
「そうだね、いちおう寝れば回復するんだけど、この忙しさはなかなかこたえるねえ……」
よくわかる、と言うようにフリューネは頷いた。
「領地の立て直しが少し落ち着いたと思ったら、ジルアダムへの訪問準備が差し込まれ、それに絡んで戦闘訓練も激化していますものね。――どうでしょう、明後日は久しぶりにお休みをされては?」
「いいの!?」
無邪気に喜色を浮かべるイオリを見て、『ああ、なんて可愛らしい』と内心で呟くフリューネ。
――言葉そのままの意味合いと、『まだまだ教育が必要ですね』という思いとが、半々で拮抗していた。
「ええ、お姉さまの回復力が異常とはいえ、精神的な負荷も一晩で全回復しているとは限りませんし。シナミから街で評判の料理屋や菓子店を色々と聞いていますので、なんでしたら予約を入れておきましょうか? それとも屋台通りの名店を地図に致しましょうか」
「うわぁいいね! 休日に食べ歩きとか懐かしい! フリューネは行きたいところある?」
その裏表のない誘いに、思わず乗ってしまいたくなる気持ちを抑えてフリューネは優雅に微笑む。
「いえ、ご一緒したいのですが、さすがに私まで不在にするのは難しそうでして。護衛には陰から特殊軍をつけ、直接のお相手はスピィに任せようと思っております。ジルアダム帝国へ向かう前に、彼女とある程度交流を深めておくのも良いかと」
そう言うと、イオリはいくらかがっかりしたようだがすぐに気を取り直したらしい。
「そっか、残念だけど、たしかにスピィとは話してみたかったから。……でもフリューネもどっかでちゃんと休んでよね?」
「はい、ありがとうございます。ぜひそうさせて頂きますね」
「――では、ジルアダム帝国訪問に向けた『イオリ様対策会議』を始めさせて頂きます」
領主館の会議室にて、重々しく口を開くフリューネ。
出席メンバーは8名。
側仕え、筆頭護衛、前衛戦士、警備隊隊長代理を務めるカゲヤ。
魔術全般担当のシュラノ。
後衛射手と警備隊隊長、そして軍事担当を兼ねるリョウバ。
専属医師兼、薬草園と昆虫館の責任者兼、魔王軍としての備品管理係のモカ。
専属隠密と特殊軍隊長と料理研究担当のエクスナ。
領地の特別顧問として実質的な領主代行を務めるフリューネ。
前衛戦士、護衛、軍事担当補佐のアルテナ。
侍従長かつ領主代行補佐のターニャ。
――バストアク王ファガンが「平時においても100人分以上の価値がある」と評した精鋭、イオリのパーティ一行である。
なお彼らのリーダーであるイオリ本人は、同時刻に領地の繁華街でスピィと楽しく食べ歩きに興じている。この会議の存在など知る由もないままに……。
「先日報告差し上げた通り、またも神々がお出ましになりかねない事態が発生いたしました」
エクスナからの報告書をあらためて手にしながら、フリューネはため息をこらえつつ話す。
「まさか、出発する前からこのような問題が起きるとはな……」
苦笑いするリョウバ。
「イオリ様ご自身に裏は取れたのですか?」
と尋ねるカゲヤに、
「はい、心当たりがおありのご様子でした。魔王様との極秘研究になるため、詳しくは言えないということでしたが」
なんだか最近社会人の悲哀すら帯びてきてるかのようなフリューネが答える。
「この件については、確保したニンブルも使いつつローザストに探りを入れます。当面は私が受け持ちますので」とエクスナが言った。「……抱えきれなくなる前に迷わず巻き込みますから皆さん心の準備だけしておいてください」とも付け足す。
その言葉に、ほぼ全員が「マジ勘弁」的な感想を抱くものの、口に出したり顔に出したりはしない。
「今日の主題は、領地にいてもこんな騒動を起こすイオリ様が、果たして何事もなくジルアダムでの懇親会を済ませて平穏に戻ってくるか――いや無理でしょうから対策を練らねば! というものになります」
続くエクスナの説明に、
「………………不可能ではないか?」
心からの意見を述べるリョウバ。
会議室に一瞬、沈黙が落ちる。そこに含まれる空気には多分に同意が込められているような気がした。
「リョウバ、それを言ってはお終いです。それがたとえ全員の総意だとしても、無策でいるわけにはいかないのです」
カゲヤが引き締まった声で言う。
「そうは言うがな……、まずこちらから神々へできることは、基本的に天へと祈ることのみだろう? それでイオリ様との接触を防げると思うか?」
リョウバの言葉に、エクスナが口を開く。
「全員一丸となって『お願いですからこっち来ないで』って祈ったらどうなりますかねえ」
それに対して、モカが首を振る。
「私達の人数で祈ったところで、数ある宗教の最下層としか思われないでしょうね。……もしくは逆に、そうした祈りが関心を寄せてしまう恐れもあるのでは?」
「イオリ様の場合、そっちの危険が高いですね」
リョウバはコーヒーを味わってからまた口を開く。
「つまり、神々のご意向を逸らしたり、ましてやご降臨を防ぐなどは無理だということだな」
それにはカゲヤも首肯する。
「はい。我々にできることは、そういった事態が起きたときの備えをしておくということになります」
「そういうことだな。――まず、最悪の事態はどういうものだと思う」
「例えば、前回よりさらに悪い状況が挙げられます。神がご降臨され、そのうえイオリ様と敵対関係になるというような場合ですね。そうなると神のご命令により、ジルアダム帝国が全力を持ってイオリ様に害をなそうとする。あるいは神が直々にイオリ様を処罰する、といった事態へ繋がります」
前回、すなわちバストアク王国に風の神ジスティーユミゼンが降臨した際は、神自身は中立として見物しているだけに思われた。――もっとも、その力の一部を授かった前バストアク王と戦うことにはなったわけだが。
しかしそのバストアク王もイオリに対して強い害意を持っていたわけではなく、ジガティスの策によって仕方なく戦闘を選んだという点は、勝敗にそれなりの影響を与えていたというのは事実であった。
果たして、あのときバストアク王がイオリの殺害を最優先目標としていたら、あるいは神自らその手をイオリへと振るっていたら――
「なるほど、そうした事態に備えておくと」リョウバはゆったりと会議室の面々を見渡し、「どう思う?」と尋ねた。
今度は、先程より長めの沈黙が部屋を満たした。
「……いや、無理じゃないですか?」
「エクスナ、あなたが言ってどうするのです」
カゲヤが渋い顔をする。
「無理なものは無理ですって。まあ、そうなったらとにかく逃げるしか無いでしょうね。……で、こっからが今日の本題なんですよ」
エクスナは卓上に手をつき、全員を見渡した。
「例えば、今カゲヤが言ったみたいに対処できない敵が現れ、ジルアダムから撤退することになった際、誰が殿を務めると思います?」
「……今現在決まっている面子で言えば、私かシュラノではないか?」
リョウバが言うが、その口調はどこか歯切れが悪い。
「わかってますよねリョウバ。そういうとき、立候補しそうな方がいるってことを」
会議室にいる全員の脳裏に浮かぶのは、ここにいない最後のひとり。
「じゃあ私が食い止めとくからみんな早く逃げて。あ、無傷とはいかないっぽいから水と食べ物たくさん用意しといてね――とかお気軽に言いつつ大軍勢や神様相手に立ち向かおうとする方に心当たりありますよね?」
重ねて投げられるエクスナの言葉を否定できる者はいない。
「むしろ、撤退するどころか進軍しそうですよね。ちょうどいいじゃん、ジルアダム帝国も奪っちゃおうよ、などと言いつつ……」
「エクスナ様もモカ様も、お姉さまの口調を真似るのがお上手ですね……」
疲れた笑みを浮かべるフリューネ。
「はいもうわかりましたね皆さん」エクスナがぱんと手を叩く。「最初に言った通り、今日この場は『イオリ様対策会議』です。対策を練る相手は、神々でもジルアダム帝国でもありません。――異常なステータスと異様な回復力を持ち、行動を予想できず言動を制御できず、ここの誰よりも権力があるので基本的に逆らえない、そんな私たちの大将です」
実に重苦しい空気が、会議室を満たした。
「それでは誰もが抱いた感想は脇にどかして、まず現状の訪問組について私なりの所見を述べますね」
そんな空気は予想できていたのか意に介さず、エクスナは話を続ける。
「まず良い点として、今回はイオリ様の行動力をさらに増幅させる双璧――すなわちカゲヤとモカが参加しないことは大きいですね」
「えっ、私そっち側なの!?」
心底意外だという感じでモカが声を上げる。
「はい、そうですよ。だってあなたたち2人は、基本的にイオリ様の指示に忠実じゃないですか。カゲヤは多少の反対意見を言うことありますけど、最終的にはイオリ様の意に沿ってますよね」
「それは否定しません」
カゲヤは割と納得感があるのか、落ち着いた反応である。
「で、さらに重要なのは2人の能力です。まずカゲヤは人族なもんで同行することが多いうえに、戦闘力においてイオリ様から一番信頼されてます。次にモカは例の『イオリコマンダー』を扱える唯一の人材です」
そう、あのコントローラーは敵に奪われるような事態への対策として、事前に登録した者しか扱えないようになっていた。
登録できるのは1名のみ。イオリの戦闘スピードに追いつきながらコマンド入力できるか、という点を重視すればカゲヤかリョウバを登録しただろうが、それでは戦闘員が1名減ってしまう。
それゆえに戦闘中は役割の少ないモカが選ばれたが、他の理由として『モカ以外はコマンド入力を習得することができなかった』という意外な要素も大きかった。
この世界ではゲームどころか電化製品もないため、十字キーにアナログスティックに各種ボタンやトリガーを駆使するコントローラーは文字通り異次元の代物だったのだ。
カゲヤなどはコマンド入力指示を出されても、コントローラーを両手でしっかりと掴んだまま、苦悶の表情で微動だにできなかったりした。
ちなみにそれを知ったときのイオリは、
『そっかあ、だから魔王様ゲームがへっぽこなんだ』
『嫌な納得をするな』
『でも操作だけじゃなくて思考もポンコツなんですよねえ。昨日だってまた装備忘れたり効かない呪文繰り返しちゃったり。ほんと仕事では頭いいのになんでゲームではおバカなんですか?』
『よし、では頭がいいところを見せてやろう。――訓練場へ行くぞ』
といった会話のちスパルタ訓練を魔王と繰り広げていた。
「つまり、共に先陣を切ったり安心して一角を任せられたりできるカゲヤと、イオリ様自身の攻撃を多彩にできるモカがいることで、より攻め込む思考になりやすくなるんですよ」
とエクスナは語った。
「そのお二方が今回同行されないということは、お姉さまが暴走する可能性は下がるということですね」
大将の判断をあっさり『暴走』と評するフリューネの言葉に突っ込む者はいなかった。
「そういうことです。より正確に言うならば、『戦闘許可』と判断する状況の上限値が下がるということでしょうか」
「なるほど。それは良い材料ですね」
「はい。そして残念なことに悪い材料もあります」
「……なんでしょうか」
「私とあなたが同行しないことです」
と、エクスナはフリューネに告げた。
フリューネは神妙に頷く。
「お目付け役、ということでしょうか」
「だいたいそんなところです。イオリ様の言動に対してわりと遠慮なく反対や忠告を言うことができて、しかもそのまま押し切ることができるのって、実際のところ私たち2人が筆頭だと思うんですよ」
そこでエクスナが他のメンバーを見渡すと、
「確かにそうだな。イオリ様の動きを物理的に抑えることはカゲヤぐらいにしかできない芸当だが、エクスナとフリューネ姫はイオリ様が動かれる前に言葉で封じることに長けている」
とリョウバが言った。
「ええ。別に私たちの押しが強いとかでは――まあなきにしもあらずですが――他の要因として、イオリ様が年下の女の子に弱いって点もあると思うんですよね」
「どういう意味ですか」
若干目を眇めて尋ねるカゲヤ。
「そう睨まないでくださいよ。言葉通りの意味です。イオリ様って自分より年下だったり、か弱かったりする相手に強く出られない傾向があると思いません? なかでも同性、つまりこのなかでは私たち2人がそれに該当するんですけど」
「――ああ、確かに仕事中もシナミをはじめ、年若い女性には物腰が柔らかいような気がします」
フリューネも頷いている。
「私、前に聞いたことがあるんですけど、イオリ様ってお兄様がいるそうなんですよ」
「エクスナ、イオリ様の素性に触れるのは――」
今度は真剣に睨むカゲヤに、エクスナは両手を広げて言葉を遮る。
「わかってますわかってますってば! 何か話の拍子にイオリ様ご自身がぽろっと言ってたんですって」
天上の使者たるイオリに、細かい素性や元いた場所などについて質問することは魔王とバランから固く禁じられていた。
「つまりですね、イオリ様のそうした性質を端的に表すと、『妹が欲しかった末っ子』なわけですよ」
――会議室に、どことなく奇妙な納得感が広がった。
「では、今回の同行者にもそうした条件の者を加え、かつその者にはイオリ様に対してある程度強く発言できるよう指導するということですね」
自身の思考に沈みながらも、フリューネがそう言う。
「その通りです。とりあえず特殊軍から1名選抜してます」
「ああ、スピィはそういう効果も狙っているのですか」
「はい。今日もイオリ様の休日のお相手を務めると共に、できるだけ可愛がられてきなさいと命令しています。近くに庇護対象がいるとあの方は守りや撤退に考えが向きやすくなるでしょうし」
「……あまりイオリ様の思考を操るような真似は承服しかねるのですが」
「そこは同感だ」
カゲヤの言葉に、リョウバが続く。
「もっといい手があるなら喜んで今の案を引き下げるんですけどね」
さらりと返された言葉に、男2人は渋い顔。
仕方ない野郎どもだなあ、という感じにエクスナは言葉を継ぐ。
「言っときますけど、私だってイオリ様には今のまま自由に振る舞っていて欲しいと思ってますよ。でも今回の旅では何かあったとき私が先に死ぬことができないんです。多少の非礼や分を超えた策も辞さないつもりですから」
その言葉には普段の彼女よりもいくらか素直な響きが込められていた。――イオリとふたりきりで話すときに時おり見せるような。
「悪かった」
片手を上げてリョウバが謝った。カゲヤも「失礼しました」と軽く頭を下げる。
「では」とフリューネが口を開いた。「とりあえず、ということはスピィ以外にもそうした人員をつけるということでしょうか?」
「はい」そこでエクスナはニヤリと笑った。「――自分で言っときながら条件からは思い切り外れますが、心当たりがあります」