隊長の威厳が微妙に欠けた日
グラウスさんからの伝言を聞き終えた後は、スピィとニンブルとで実務的な話を済ませた。
当面、彼は特殊軍の預かりということになる。
「私は他の侵入者と同様に始末されたということにしたいので、もうローザストへは戻りません。このままバストアク――いえ、領主レイラ様にお仕えさせて頂ければと」
というのが彼の希望だった。
まあ、このままひとり帰ったところで高確率で怪しまれるだろうしね。
とはいえ直前のカマかけ未遂もあったので、しばらくはここで軟禁しつつローザストの情報を吸い上げたり訓練に参加させたりするらしい。
「まだ忠誠はグラウスやレアスに残っているので、あっちが不利になるようなことはできませんよ、という自己紹介みたいなものでしたね、アレは」
建物内に戻って、淹れ直したお茶を飲みながらエクスナは言った。
テーブルを囲んでいるのは、先ほどと同じく私とスピィを混じえた3人である。
「ですが、能力はそれなりに高いので状況としては助かります」とスピィが言う。「いずれ、ローザスト以外の国への工作などに使えればと」
そして、彼女は姿勢を正し私とエクスナを交互に見た。
「これで、本日の侵入者に対する処理はすべて完了致しました」
それは、判定を求める質問でもあった。
「うん……」私はカップを置いてスピィを見返し、「まずはね」とエクスナに視線を流した。
「……見習いって、なんだっけ?」
「ははっ……」
乾いた笑いが返ってきた。
んー、と伸びをしてからエクスナは半目になって口を開く。
「要するに、物覚えが良いんです。異様に。ここへ入隊して5~60日というところですが、既に教えることがないんです。ここは正規軍と違って戦略や戦術、武技に関する学習は少ないですけど、代わりに国内外の情勢状況や地理地形から、薬学に演技変装に急襲術にと盛りだくさんで覚えるべきことがあるんですが、座学は全部終わっちゃったんです。なんなら自習だけで講師を上回りそうな分野があったりもするんです」
「はあー、めちゃめちゃ優秀なんだねえ」
とスピィを見れば、
「貧民街で無聊な日々を過ごしていましたので、本を読み文字を追うこと自体が楽しかったのです」
と微笑んでいる。
「ですが、一方で実技はまだまだ全然、です。領主様も先ほど一部をご覧になったと思いますが、例えばニンブルにナイフを投げようとしたとき、反応速度も遅かったですが、仮に投げていたとしても外れた可能性がありますし、当たっててもさほど深くは刺さらなかったと思います」
「お恥ずかしい限りですが、その通りです……」
目を伏せてスピィは首肯する。
見た感じレベルは1だし、手足もほとんど鍛えていない細身なので、たしかに運動能力は見た目相応なのだろう。
「それから」とエクスナの評価は続く。「判断力についても、学習した内容から『こういうときはこういう判断が正解』というのを探し当てています。前知識にない事象に対しては判断の速度も確度も数段落ちます。今回ローザストと裏で交渉してニンブルを引き入れたのも、過去の類似例をいくつか組み合わせて絵図を引いたものと思われます」
「……それも、その通りです」スピィは少し驚いたようにエクスナを見ている。「総隊長からそこまで細かく正確に評価頂けているとは思いませんでした」
「うん、すごいすごい、部下の面倒ちゃんと見てるんだねえ」
「あの、レイラ様から私への評価が子供に対するようなんですが?」
「あ、ゴメンつい」
「否定してください!」
まったく、と腕を組んだエクスナは、「何をニヤニヤしているっ」とスピィに口を尖らせる。そして軽く息をついてから、
「――といったわけで、これ以上ここに置いていても学習面では大した向上が望めず、実技についても正直に言って見込みがないのです。スピィにこれから必要なのは、実際の作戦において経験を積むことと、各地の情勢を自分の眼で見て回ることです。しかし言ったように実技が弱いので、何かの作戦に放り込んだり他国へ打ち込んだりしてもすぐに現場で死にます。よって、殺しても死ななそうで、かつこれから遠出する予定の人の近くで見識を高めるのが、効率よく彼女を有能な人材に育てる方法かと」
「……なるほど、つまり」
「はい、つまり」
エクスナはスピィに向けて言う。
「ローズスピィ、本日付で特殊軍見習いから、番外部隊へ編入とする。当面の任務は領主レイラ様の側仕えを兼務とし、ジルアダム帝国への訪問に参加することだ。準備期間と訪問中の詳細任務、及び待遇の変化は追って伝える」
「謹んで拝命いたします」
生真面目な表情でスピィは答えた。
「よし。ではまず――」
エクスナは、カップに半分ほどお茶をお代わりし、湯気の立つそれを、高速で天井へと振るった。
熱いお茶はムチのように一筋の軌道を描き、天井の一角へと命中し、
ガタガタッ
と天井裏から物音がした。
……ええ、まあ、私も気づいてたんだけど、エクスナが目線で「スルーでOK」って言ってたから。
一方でスピィは気づいていなかったらしく、「え? え?」と焦りつつもソファから立ち上がり、腰のナイフを抜き放っている。うん、さっきより反応が遅いし、動揺を見せているのはエクスナの評する『経験のなさ』からか。誰が忍んでいるのか予想できなくて対処に戸惑っているのだろう。
……予想できてないのは私も同じですけれど。
「ジギィ、降りてきなさい」
空になったカップをテーブルに戻しながらエクスナが言い、
「ああ――」
納得と困惑を混ぜた声をスピィが漏らす。
ほどなく、天井の板がかぱりと開き、そこからするりと人影が落ちてきた。
音もなく床に着き、立ち上がったのはひとりの少年。左目の周囲がちょっと赤くなっているところを見ると、覗き穴にお茶がクリーンヒットしたらしい。
濃い灰色の髪の毛はスピィとそっくりで、
「兄さん、いたんですね」
という彼女の言葉が予想を裏付けた。
「スピィの兄で、ジギィといいます」エクスナが説明してくれる。「同じく特殊軍の見習いですが、たった今妹が先に昇進する様を天井裏から無様に見ていたようです」
「総隊長!」
一歩踏みでた彼の足元に、ストンとナイフが突き立つ。
「忍んでいた理由は予想がつくが、領主様に対し無礼だな」
「大変失礼致しました」
すかさず謝ったのはスピィの方だった。
「おい、スピィ――」
「黙って、兄さん」
鋭い声に言葉を呑むジギィ。
「貧民街でふたり、必死に生きてきましたので、やや過保護になっているのです。総隊長はご存知かと思いますが、私と違って実技の成績は優秀ですので、どうか寛大な処分をお願いできないでしょうか」
「優秀なんだ?」
そうエクスナに尋ねると、
「ええ、なにしろ貧民街で一番に声をかけたのがこいつですから」
「へえー」
あらためてジギィを見る。年齢はスピィとあまり変わらないぐらい、日本の中学生といったところか。痩せていて、目つきが悪いけど人相が悪いというほどではない。訓練のせいか腕や頬に切り傷や痣が目立つけど、ただ立っているだけなのに靭やかさが伝わってくる。いかにも運動神経よさそう。天井裏にいる間はかなり上手に気配を殺していたし、確かにエクスナの言う通り優秀なのだろう。
「今日の試験で領主様のお付きになるか決まるってことはスピィから聞いてたでしょうから、心配になって覗いてたんでしょうね――訓練をサボって」
最後の一言は、実にドスが効いていた。
ジギィが慌てて頭を下げ、
「すみません! でも今日の課題は終わらせてからここへ――」
その言葉にエクスナが何か言いかけるより一瞬早く、スピィが口を開いた。
「兄さん、早く終えたのなら、次の課題を求めるべきでしょう。それを怠ったうえに、無断で領主様と総隊長がいらっしゃる場を覗く理由になるとでも?」
「う、あの、それは……」
うわぁ、しっかりした妹さんだなあ。
「スピィの言う通り。納得したならとっとと訓練に戻りなさい。合格発表は聞いたんだから、もういいでしょ」
言外に見逃してやるからと告げているエクスナに、スピィが深々と頭を下げた。
けれど、
「いえ、まだです!」とジギィは食い下がった。「総隊長、それに領主様、どうか俺も――うおっ!?」
がしっ、とジギィが受け止めたのは、体重の乗ったスピィの肘打ちだった。死角から延髄へ容赦のない一撃だったが、さすが実技が優秀というだけあって、きっちりガードしている。
が、
スコーン、と続いてエクスナの投げたナイフの柄が、彼のこめかみにストライク。どたりと床に崩れ落ちた彼の背を、迷わずスピィが踏んづけた。見事な連携である。
「ぐ……」一瞬だけ気絶していたか、うめき声を漏らしながら身動きしたジギィは「うぁいだっ!?」と悲鳴を上げた。
あー、あれスピィに背中のツボ押さえられてるなあ。私も訓練でカゲヤに教わったけど、あれマジで電流走るんだよねえ。
「本当に、本当に兄が失礼を致しました」その兄を踏んづけたまま、スピィは謝罪する。「どうせ、ジルアダムに自分も同行したいと言うつもりだったんでしょう? 兄さん」
「そうだ。お前ひとりで――」
「気持ちは嬉しいけど、邪魔」
ズガンッ、と効果音を幻聴するほどジギィの表情は愕然となった。
「兄さんに対する評価は、あくまで将来有望というものであって、即戦力じゃないの。現時点で領主様の護衛を務められる域には達してない。おとなしく残って訓練してて。功績は私が上げてくるから」
……どうしよう、ちょっと可哀相になってきた。
エクスナもやや同情混じりの口調で言う。
「妹を守りたい気持ちはわかってるから、訓練の量を3倍にしてあげるよ。2年も続ければ上位戦力になれるから。ちなみに私はこっちに残るので、スピィがいない間に気を抜いたりしたらこの手で心身ともに色々刻み込む」
……うん? 同情してるのかなこれは?
――その後、エクスナが呼び出した訓練教官がジギィを数発シバきながら回収していき、重ねて謝るスピィには気にしてないと伝え、私とエクスナは詰所を後にした。
「普段はもっと冷静で目端も利くんですけどね、妹が絡むとだいぶ残念になるんですよ」
森の中を歩きながらエクスナが言う。
「うん、それは伝わってきたよ。でもそれだけスピィを大切にしてるってことでしょ」
「はい。ふたりとも健康で、顔立ちも良くて、親がいないというのに、貧民街で無事に生き延びてますからね。互いの信頼は相当なものだと思いますよ」
「そっか。じゃあジルアダムで何かあってもちゃんと守らないとね」
「本来は逆なんですが……、ええ、イオリ様自身に被害が及ばない範囲で、目をかけてもらえると嬉しいです」
「お、部下思いだ」
「というかですね……」エクスナはじろりとこちらを睨む。「フリューネ姫も言っていたように、ジルアダムが自国で開催する懇親会ですから、警護体制も万全で何か起きたりはしないはずなんですよ。外交的な面は置いといて、直接的な身の危険とかにおいては。ふ、つ、う、に、考えたらですけど」
「……なにが言いたいのかね?」
エクスナは、いかにも『やれやれ』といった感じで首を振る。
「――時の女神ラントフィグシア様と、熱の女神レグナストライヴァ様」
「うっ……」
「続きまして、風の神ジスティーユミゼン様、それに戦の神アランドルカシム様」
「いや、あれは私じゃ――」
「そしてそして、雷の神アズウルム様と、空間の神メイワーシェルス様」
「待って、まだそれが私に関係してるとは」
「いっやー、さっすが天上の使者は違いますねえ。半年足らずの旅で6柱もの神々と接点をお持ちになられるとは。普通の人族は生涯で1柱に名を覚えて頂けただけで稀なる幸運、1000人にひとりいるかいないかって僥倖ですよ?」
「ねえエクスナ、目を合わせてよ!?」
「あっ、神様でない連中とも色々遭遇したり接点をお作りになられましたよねイオリ様そういえば! 白嶺に生息する血狂いという災害ものから始まり、なぜか同行することになったラーナルトのお姫様、ローザストの古豪とやかましい達人、熱の女神を信奉する暑苦しい集団、バストアクの特殊軍に王子王弟王様に、巨大昆虫と使役者と、それにそもそもの『あの王様』に頼られてるわけですし。さあてイオリ様はジルアダムでどんな人脈と騒動をお作りになられるのでしょうか!」
「ごめんなさい! 今日だいぶからかったの根に持ってるんだよね!?」
小柄なその肩にすがりついて謝ると、エクスナはおっきなため息をついてから逆に私の両肩に手を添えた。
「――幸いなことに、今までのそうした全てをイオリ様と私達は乗り越えて、利としてきましたけど、次の旅は全員揃ってるわけじゃないんですからね?」
「……うん」
「スピィだけじゃなくて、他の面子と、もちろんイオリ様も無事に帰ってくるんですよ?」
あ、リョウバは野垂れ死なせても構いませんけど、とエクスナは笑う。
肩に置かれた手に、自分の手を重ねた。
「わかってる、ちゃんとここに帰ってくるから」
そう言うと、エクスナは満足そうに微笑んだ。
――そのほっぺたを、むぎゅっと両手で挟む。
「いほりさま?」
「ねえエクスナ、なんか今日いっしょに寝よっか?」
「へぇっ!?」
「うん、モカとフリューネも呼んで、ベッドを並べてお酒とおつまみ置いちゃって、女子会やろう。エクスナの席は私の膝の上ね。アルテナとターニャは混ざってくれるかなあ?」
「ひょっと!?」
「よぉし、そうと決まれば早く戻るよ」
私はエクスナをひょいっと小脇に抱え、ダッシュの用意。
「どういう思考回路でそうなったんですか! ていうかちょっと待ってくださいこの体勢前にも味わった恐怖体験が――」
よーい、どん。
森の中に、特殊軍総隊長の悲鳴が長く尾を引いた。