報連相がちゃんとしてると主人公が驚く隙がない
領主館の裏手にある訓練場から、今日も響き渡る掛け声と怒声と罵声と悲鳴。
「もうちょっと離れたところに移しましょうか、あれ」
それらの声の出処で繰り広げられている壮絶な訓練風景を横目に、私とエクスナは裏庭からさらに奥へと歩いているところだった。
「んー、でも段々、悲鳴の割合が減って、罵声が続くようになってきたよ?」
その矛先は、リョウバが8割でカゲヤが2割というところ。訓練の厳しさというよりも、罵声の投げやすさ、言い換えればある種の親しさの表れだろう。うん、カゲヤって普段から真面目だけど、訓練中はそこに迫力が大幅にプラスされるからなあ。
「うるさいことに変わりはないじゃないですか……」
「いやいや、もっと鍛えられてったら、いつかは罵声も減って掛け声だけになってくと思うよ?」
高校時代、部活中に校庭から聞こえてくるけどなんて言ってるのか聞き取れない色んな声のようで、懐かしさもありそんなに煩くはなかった。
……加えて、今は私もカゲヤから難易度ベリーハードな戦闘訓練をくらっているため、密かに妙な連帯感があったりもする。
さすがサーシャの系譜だなあと痛感しています。
領主館の裏手にあるのは訓練場の他に、いくつかの倉庫、厩舎、池、使用人が住む寮といったところである。その奥は鬱蒼とした森で、本来なら侵入者対策としてもう少し切り開いたり、防壁や物見櫓などを設置したほうが良さそうな地形だ。
しかしここは旧ステムナ領。その仲間であるサレン局長にとって都合の良いように、森の中にはいくつかの施設が作られていた。
裏庭を抜けて森に入る。道は舗装されているが、途中でそこから外れ、獣道のようなところを通ったり、細い川を飛び越えたりする。
「すごいねえ、気配はするけど、見てもわかんない」
森の中には、あちこちから人の気配がしていた。しかしその位置に視線を向けても、どうやって擬態したり隠れたりしてるのか見当もつかなかった。
「気配を感じられてる時点で本来なら説教なんですけど、イオリ様が相手ではさすがに可哀相ですからねえ……」
そう言いつつ、時折エクスナは足元の小石を拾って気配のもとへ投げつけたりしていた。3回に1回ぐらい物音がして、「はいそこの君、顔出しなさい」というエクスナの発言の3秒以内には、道の脇に当人が姿を見せる。
「視線の圧が消せてない。隠形30時間追加」
「位置取りが悪い。地図読みと樹上走行20時間ずつ」
「全体的に駄目。戻って特別補講」
彼らに指示を出しているエクスナは、普段よりずっと大人びて見える。
色々と年齢不相応なフリューネより年上とはいえ、彼女もまだ地球の時間計算では10代半ばなんだよなあ。
「どう? 隊長には慣れてきた?」
「いやー、なかなか。とりあえずは現場経験と実力の差でねじ伏せてる感じですねえ。イオリ様やフリューネ様みたいにはいきませんって」
「それは私も全然だよ。フリューネに教えてもらいまくってどうにか体裁保ってるだけ」
「……あのお姫様はどうなってるんですか」
「将来が怖いよねえ」
ちなみに、エクスナの役職は特殊軍の総隊長。死んだサレンは『局長』だったけど、これは組織の正式名称が『情報局特殊軍』だから。通常の軍隊や近衛兵とはそもそもの管轄が違っているのだ。
その情報局局長をエクスナが担う案もあったのだけど、それは本人が辞退した。たぶん、サレン局長が死ぬ寸前に言ったことが現実になるようで嫌だったのだろう。
しかしながら、代わりにその役職を負える人材が王城にはいなかったため、今は暫定的に国王であるファガンさんが兼務しつつ、急いで次の局長候補を育成中なのだという。――そのひとりにはカザン王子もいるのだとか。
なので、エクスナは情報局特殊軍総隊長というのが正式な役職名となる。特殊軍自体は1番隊から8番隊、そしてエクスナ自身も所属していた番外部隊で構成され、その大半が、これから向かう施設に常駐していた。
本来なら、ひとつの領地に収まる組織ではなく王城を中心として各地に配置されるべきなのだろうが、そこは前任者と前領主が色々と悪さした結果、この領地に人員が集中している状態となっている。エクスナ自身は「さっさとこの構造を直してもっと広い目で見れる人に総隊長譲りたいですよ」と言っており、ファガンさんもそうなるよう動いているそうなので、いずれはこの歪みも改善されるのだろう。
「はあ、着きました。もうちょっと近いといいんですけどねえ」
森に入ってから、徒歩20分といったところだろうか。背の高い木々に隠れるようにして、特殊軍の詰所が姿を現した。
周囲の木と同じような色合いの木造建築がいくつか点在している。小さな集落という感じ。屋根は黄土色と緑色で塗装され、さらに枝や葉で覆われているため上空からはまずわからないだろう。――この世界に飛行機や偵察機はないけれど、本人が空を飛んだり鳥を使役したりする術士は少ないながらもいるのだ。
人の姿はそれほど多くない。樹の上で戦闘訓練をしている数名と、木漏れ日が落ちる場所で魚を干している女性がいるくらい。このエリアでは煙を出すのは禁止のため、煮炊きもできないらしい。領主館近くの一般食堂を使う人もいるけれど、大半は常温の保存食や果実で腹を満たしているのだという。
エクスナがよく私と新料理の開発をしているのも、ここの食習慣が気に入らないからなのだとか。
そして姿を見せている最後のひとりは、私たちを迎えるように道の真ん中で待っていた。
フリューネと同じぐらいの年頃に見える女の子。つまり10代前半。小柄で、顔立ちは整っているけど控えめな印象で、濃い灰色の髪の毛を簡単に分けて肩口まで伸ばしている。服装は先ほど道に出てきた人たちと同じ、緑色の上下。電気や水道の点検をする人たちの着る作業着に似た形の、特殊軍に配布される制服だ。
「お待ちしておりました、領主レイラ様。そして総隊長もお疲れさまです」
見た目のイメージに合う、周囲の森に溶け込むような声で少女は言った。
その口調に、頭が良さそうだなという印象を受ける。
「私が出向くべきところを、わざわざお越し頂いて申し訳ありません」
「ううん、ちょうど巡回の頃合いだったから」
「お心遣いありがとうございます。――申し遅れました、特殊軍見習いのローズスピィ、短名をスピィと申します。どうぞよろしくお願い致します」
きれいにお辞儀するスピィ。
この世界では小さい頃から働いている子は多いけど、これだけ物腰や言葉遣いがしっかりした子はなかなかいない。
「よろしくね、スピィ」
彼女がエクスナの推薦する、ジルアダム訪問組のメンバー候補ということだった。
スピィは滑らかな口調で話す。
「早速ですが、あと20分ほどでこの森に侵入者が来ます」
「……うん、そう聞いてる」
「迎撃体制は整えておりますので、どうぞ中でお待ち頂けますか」
そう言って建物のひとつへと案内するスピィ。その後を追いながら、隣のエクスナをちらりと見る。
彼女はやや疲れたような笑みを浮かべてみせた。
その建物は、サレン局長が使っていたものだという。
こちらはステムナ大臣の趣味全開だった領主館と違ってそこまで酷い内装ではなかったため、あまり手を入れずに使っている。
飾り気はないが、しっかりした造りのローテーブルとソファに座り、対面で森の地図を広げながら説明するスピィの声を聞く。
「侵入者はローザスト王国の工作員です。森へ入ってきたのは8名、外で待機しているのが4名です。それぞれに倍の人数であたり、予備として同数が後詰めしております。相手の目的は、ここ特殊軍詰所の特定と進入路の確保、および本日こちらにいらっしゃったレイラ様の観察、でき得るならば帰路の途中で拉致ということです。ただし人員の質は中の上というところ。ローザストとしては、大幅に戦力を失ったバストアク特殊軍に捨て駒を当て、現状の脅威度を分析するのが裏の目的かと」
「レイラ様が今日ここに来るという情報の流出元は?」
エクスナが質問した。
「私です。連中を誘い込むために流しました」
臆した様子もなくスピィが答え、
「私の許可も得ずか?」
できるだけ低い声で、私はそう言った。
スピィは一瞬息を呑み、ソファから立ち上がって深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。万全の体制を敷いておりますが、それでも絶対ということが無い以上はご許可を得るべきでした。また領主様を利用するような真似にもご不快を頂かれたかと。どうぞ処罰をお与えください」
私は、10秒ほど黙ってみせた。
その間、じっと頭を下げ続けているスピィからは、幾らかの焦りと恐れ、怒りと戸惑いなどが感じられたものの、全体の気配は冷たく硬く引き締められていた。
それは、バストアク王国内を旅しているときに襲撃してきた連中を拷問するときに感じた、覚悟の強さによく似ていた。
「……うん、合格」
と私は言い、
「スピィ、頭を上げなさい」
とエクスナが声をかけた。
それでもまだ動かないスピィに、「罠じゃないから、頭上げて座りなさい」とエクスナが声を重ねると、ようやく彼女は姿勢を戻した。
「……試験の一環ということでしょうか?」
「そういうこと」
と私は答えた。一緒に「ごめんね」とも言いたかったけど、領主という立場のときはあまり部下へ謝らないほうがいいとフリューネに教わっているので我慢した。
「にしてもスピィ、私の許可をもらってたことぐらいは言い訳しときなさいよ」
少し呆れたようにエクスナが言う。
スピィは少しだけ微笑んだ。
「……正直に申しまして、領主様のお連れである総隊長が報告を漏らしていたとは思えず、今の流れが少々不自然に感じたこともあり、はじめからそうした試験なのかと思っておりまして……。でしたら迂闊に総隊長へ責任を転嫁するのも減点ではと」
「あー、私の演技が下手だった?」
そりゃまあ、自信があるとはとても言えないし。魔王様みたいに威圧とかできないし。
「いえ、私が疑り深いだけです」
また軽く頭を下げてから、スピィはソファに腰を下ろした。
「というかレイラ様、なにさらっと合格出してるんですか。まだ侵入者の対処が途中なんですけど」
「そうだった」
「試験の対象が逆だったら失格ものですよ」
「ごめん……」
私とエクスナのやり取りを見ていたスピィは、少し驚いた様子だった。
「総隊長、普段と様子が違いますね」
「え、普段はどんな感じなの?」
ちょっとレイラ様、というエクスナの制止はスルー。
「ええと――」
スピィは苦笑いでエクスナを見る。
しゃきん、と短剣を抜き放つエクスナ。
「あー、大人げない」
「言っときますが部下の9割が年上ですからね私!」
「ああ、そういうところです」なんだか楽しそうにスピィは言う。「普段、周囲の誰かを全面的に信頼するご様子と言いますか、率直に言ってしまえば甘えたりする素振りは欠片も見せないのです」
「ほほう?」
私はにやつきながらエクスナの頬をつつく。
「あ、甘えるとかそういうのじゃないですよ!?」
耳を赤くしながら言われても。
そんなふうにエクスナをからかっているうちに、建物の外から複数人の気配が近づいてきた。
私が察知するのとエクスナが一瞬だけそちらに意識を向けたのはほぼ同時。それに10秒ほど遅れて、スピィが「片付いたようですね」とソファから立ち上がった。
「あと5秒は早く気づかないとな」
さっきの意趣返しか、エクスナが嫌味っぽく言い、
「……努力致します」
スピィは殊勝にそう答えた。
外に出ると、4人がそこで待っていた。
そのうち1人は、両手を後ろで縛られている。見た目20代半ばぐらいの男の人だ。服装が違うところからも、彼が襲撃犯のひとりなのだろう。
その左右と背後にいるのは特殊軍の面々。
現状、特殊軍のメンバーはサレン局長が私たちを迎え撃つときに招集しきれなかった人たちである。当時の居場所や任務、あるいは戦力や性格性質などの関係で。他国へ潜入していたメンバーはそう簡単に呼び戻せないし、見習いは混ぜるほうがリスクが高くなると判断したのだろう。加えて、ジガティスへのささやかな抵抗だったのか、精鋭の一部も残されていた。
とはいえ大部分をかき集め、それが全滅したことで特殊軍全体の戦力は激減していた。今はエクスナが補充と増強で奮闘している只中である。……私の『好きな人材引き抜き権』もいちおう2名分使っていいよと言っているけど、名前の通り仕事が特殊なこともあり、未使用のままである。
そんな状況で他国からここまで侵入した連中の相手をするということは、残ったメンバーでもかなり優秀な人たちなのだろう。
――つまりは、特殊軍としてそれなりに経験を積み、多くの仲間を知っているメンバーということだ。
その大半を殺した私について、思うところはいっぱいあるはず。
もともと死亡率が高く、任務においても非情さが求められる組織という性質上、あからさまに私を恨むような隊員は少なかったそうだが、エクスナがオブラートに包んでくれたかもしれないし、こうして相対すると少なからず緊張してしまう。
そして実際、彼らから私に対して、警戒心のようなものは感じてしまっている。
さすがに殺意とかそういうのじゃなくて、それこそ領主館でも感じているような『よくわからないが怪しいやつ』みたいなレベルだけれど。
まあ職業柄か、そうした気配も抑制されてはいるのだけど、それを察知できてしまう理由が他にもあった。
彼らが本来警戒すべき捕縛中の男へ対する注意が、そこまで鋭くないのだ。
そして、その縛られている男から私に対して、あるべき敵意とか悪意とかが感じ取れないのだ。
だから微妙な気配も潰れたり薄れたりせず感じ取れてしまう。
その理由も、前もって聞かされてはいた。
「お初にお目にかかります。領主レイラ様」
後ろ手に縛られたままの男は、穏やかにそう言った。
「それともレイラ姫とお呼びしたほうが?」
「お好きなように」
「では領主様と。――なにしろこれからお仕えさせて頂く身ですので」
男はそこで一礼した。
「ローザスト王国の戦士グラウスの使者として参りました、ニンブルと申します」