この日、領主館の酒は大幅に備蓄を失った
短名、カゲヤ。
長名、カゲヤミトス。
人族。
男性。
27歳。
レベル :1072
魔力 :243
物理攻撃力 :2744(1350)
術理攻撃力 :105
物理防御力 :799
術理防御力 :925
知力 :840
体力 :1916
素早さ :1385
器用さ :1644
侍従科で、槍使いで、拳士でもあって、サーシャの弟子のようなもので、黒髪緑眼、整っているけどイケメンと言うより強面、生真面目であまり融通がきかないけど、いつも私のことを気遣ってくれていて、頼りになって、ちょっと暗い雰囲気を纏っているけど物腰は穏やかで、このパーティを支えてくれる支柱みたいな存在。
そんな彼が、一人称に自分の名前を使うことを希望しています。
すなわち、
「カゲヤにお任せを」
とか、
「カゲヤは心配です」
とか、
「本日の護衛はカゲヤが努めます」
みたいなことを、日常会話で使うわけだ。
無表情で、固い口調で、何の迷いもなく。
……あかん。
そもそも日本じゃ一人称に名前を使うのはほとんど小さい女の子の特権である。成人女性が使うのはなかなかに痛い。二次元においてもわりと偏ったキャラじゃないと使いこなすのは難しい。
ギャップ狙いでサーシャにそれを薦めた結果、私がどれだけ自分を納得させるのに頭を使ったと思っている。
ましてや20代後半の男性が使うとか、ほとんど正気の沙汰じゃない。
二次元にも思い浮かぶキャラがいないぐらいなのだ。
私は半端に残っていたお酒を一息に喉へ流し込み、ふうっと息をついてからカゲヤに向き直った。
「これはカゲヤにまだ教えていなかったことなんだけど」
口調も表情も普段どおりになるよう頑張りつつ、脳裏で必死にストーリーを組み立てていく。
「日本語において、自分の名前を一人称にすることって、女性より男性の方が遥かに敷居が高いんだ」
「そうなのですか!?」
早くも愕然とするカゲヤ。
このまま押し切ってもいけそうだけど、それだとちゃんと腹に落ちないだろうし、ここは論理的に説明してあげないと。……できるかなあ?
「理由としてはね、私の……天上では、やっぱり男女差があってね、この世界でもそうだと思うけど、例えば『家族における1番の働き手』っていうと、父親とか長男とかがまっさきに浮かぶでしょう?」
「それは、その通りですね。しかし天上の神々もそうなのですか?」
「えーっと、まあ神様は色々規格外だけど、私みたいな眷属とか使者とかはね」
この点に突っ込まれるとボロが出るのでさっさと話を進めよう。
「つまり、男性はその社会性において『仕事』の占める割合が大きいんだ。そうすると個人の名前よりも、その職業の役割とか地位とか立場で認識される場面が多くなる。『魚屋のおじさん』とか『村長さん』とか『話の長い木樵のじいさん』みたいなね」
「なるほど」
頷いているカゲヤ。フリューネやモカも興味深そうに聞いていて、エクスナやアルテナは料理の方に気が向いている。
「一方で女性は、やっぱり妊娠から育児まで手がかかるから、どうしてもお金を稼ぐ意味での『仕事』から離れることになっちゃう。そうすると社会的に大切なのは近所の同性だよね。ちょっと手が離せないときにまとめて子供を見てもらったり、食材をおすそ分けしたり、子供服や玩具のお古をもらったりみたいなことを、お互いに、次の新しい母親に、融通し合う。その社会においてはみんな女性で、母親や母親候補で、職業なんてものがないから、『自分の名前』が最も通用する呼称になる」
当然ながら普段からそんな持論を掲げているわけもなく、今話していることが正しいと思っているわけでもなく、カゲヤを説得するためだけに適当に拵えている説明なのだけど、幸いここは異世界。日本語と日本の文化を知っているのは私だけ。『それは違うよ!』とロンパしてくる超高校級のナントカはいない世界なのである。
「これほど弁の立つお姉さまを見るのは初めてなのですが……」
「いえ、私もです。これほんとにイオリ様ですか? 再生した手足に脳みそでもついてたんですかね?」
フリューネとエクスナがこそこそ話してるけど、思い切り聞こえてるからね。
「そうした背景があるから、名前を一人称にするのは女性の方が敷居が低いんだ。もちろん、あくまでそれは私の慣れている文化だから、それをカゲヤたちに強いるつもりはない。けど、日本語って結局は私を相手にするときぐらいしか使わない言語だし、この世界の言葉を使っているときはそれを翻訳するのも私だけだから。つまりどうしたって私の認識や感じ方に寄っちゃうので、そこは許容して欲しい」
「それは、もちろんです」
話がどこへゆくのか見えていないらしく、カゲヤは戸惑っている様子。
「うんと、つまりね、結論から言うと、カゲヤが一人称に自分の名前を使うことに私の認識や翻訳能力が追いつくためには、『サーシャを越えること』が条件になります」
「なんと……っ!?」
魔王城を出発して以来、これほどショックを受けているカゲヤを見るのは初めてだった。
「……だ、大丈夫?」
いつもは大木のような安定感を誇るカゲヤが、風に吹かれて折れそうな枯れ木みたいになっている。
「……初めて白嶺を見上げたとき以上の、高く険しい壁を眼前にした心持ちです……」
シュラノの座っている椅子の背に片手を突き、地を這うような声を出すカゲヤ。
シュラノとリョウバがわりかしマジで同情の視線を向けている。
――よし、説明は終わり。ここからはケアだ。そもそもがご褒美タイムなんだから、これで終わりになんてしない。
私は席を立ち、ジンに似た、けれどもう少し仄かな甘味をもったハーブ酒を手に彼のもとへと歩いていった。
「顔を上げなさい、カゲヤ」
優しく言い、新しいグラスに酒を注いで手渡す。
「イオリ様……」
受け取り、口に含んだカゲヤは少し持ち直したのか、まっすぐ立って私を見返す。
「申し訳ありません、情けない姿を……」
「いいのです」私はゆったりと首を振る。既にメンタルは『天上の使者』モードに入ってます。「たしかに今のあなたは、サーシャに及ばない。この先、彼女を越えるのも絶望的に思えていることでしょう」
「はい……」
「ですが、それこそカゲヤの目標、目指すべき高みではなかったのですか?」
ハッとしたように目をみはるカゲヤ。
「イオリ様、なぜそれを……」
魔王城にいたとき、今のパーティを選別したバランから聞いています、とは言いませんよ。後日、その情報源であるサーシャ本人に尋ねた折も『はい、小さい頃は私に勝ってその強さをもらうんだ、などとよく言っていたものです』と懐かしそうに教えてもらったりしたことは決して彼には言わない約束ですよ。
「成長し、目が肥えるにつれて、サーシャのいる高みが理解できるようになり、自分との差を痛感してきたのでしょう。ですが初心を忘れてはいけません。諦めたらそこで試合終了なのですよ」
周りからもちょっと感心した気配が流れてくる。
さすが安○先生! 地球ではもはや実家のように慣れきった言葉もこの世界では効果抜群だ。
「……そうでした、私は……」
感極まったようにぎゅっと目を瞑るカゲヤ。
よし、このまま締めに持っていく!
「その気持を保ち続けるよう、カゲヤには『自分』という一人称を授けましょう」
「……『自分』、ですか……」
噛みしめるようにその言葉を口にするカゲヤに、私はしっかりと頷いてみせる。
「そう、『自分』とは、まだ名前どころか『私』や『俺』という判別さえ持つことのない赤ん坊でも認識している、極めて根源的な概念です。これを一人称とすることで、初心を忘れず、次に与えられるであろう名前を目指して一歩ずつ歩むことを誓い、かつ『自分』とは何かを問い続け、最後にはサーシャの至った境地である『滅私奉公』を越える答えを見つけるまでの、カゲヤ専用の一人称です」
「――ありがとう、ございますっ……。謹んで拝命致します」
カゲヤは、その場に跪いて力のこもった声を発した。
「お見事な手際でしたね。希望を持たせて、突き落として、救いの手を差し伸べて……」
「お姉さまにあのような手管があるのでしたら、今後の計画にもぜひ修正を……」
フリューネとエクスナがまたなにか言っている。
「よかったなカゲヤ、さあ酒をくらえ。ほれそこで不貞腐れてるのもとっとと酔っ払っちまえ」
嬉しそうな声でシュラノも男ふたりに呼びかけている。
「ありがとうございます。……これほど旨い酒は、記憶にありません……」
「おいお前たち、くれぐれも調子に乗るなよ。最後にイオリ様の寵愛を授かるのはこの私だからな」
「ああ、その『私』なのか。できるといいな」
あからさまに楽しそうに挑発するシュラノに、リョウバの頬がぴくりと歪む。
「ふっ……、シュラノ、線の細い研究肌のくせに気だけは強いな。……表へ出ろ」
「いいねえ、お前の魔弾とは一度手合わせしてみたかった」
「怪我しないようにねー」
もはや止める気にもなれないので、快く送り出す。
「どうせならここの窓から見える位置でやってください。肴にしますので」
同じくまったく止めるつもりのなさそうなエクスナの肩をちょいちょいとつつく。「なんですか?」と振り返る彼女に、指を3本立ててみせた。
「ちなみに、3位ね。この国での活躍はもちろん、道中も戦闘に警戒に索敵に尋問に、おいしい料理やお茶におやつも用意してくれて、場を盛り上げたり冷静に突っ込んでくれたり、ほんとまんべんなく頼りになって、これからも頼りにするからね」
「おお、私ですか。それはどうもです」
ゆるい笑みを浮かべるエクスナ。うんうん、男たちと違って、肩の力が抜けてていいねえ。このぐらい気楽に受け止めてくれたほうがこっちも楽だ。
「エクスナは何が欲しい? ……っていうか聞いときたいんだけど、専用の一人称って、嬉しかったりする?」
ケンカしに外へ出たリョウバとシュラノの審判役としてカゲヤも部屋を出ていった後なので、私は今のうちにと聞いてみることにした。
「んー、正直に言って、私はそこまでは……。他のみんなはどうです?」
窓際から振り返り、テーブルの女性陣を見渡すエクスナ。
「ええと、光栄だとは思いますけど、私はまだ日本語が不勉強なこともあって、まだその有り難さを理解できていないというか」
とモカは微妙な表情。
「私は、そもそも日本語自体を習っておりませんので」
フリューネもあまり興味なさそう……というか、その意識の大半はお酒に向けられている。
「私は、わからなくもありません」
そう言ったのはアルテナだ。
彼女もそれなりに飲めるようで、穀物の蒸留酒に少しだけ水を注いだグラスを一定のペースでお代わりしている。ちょっと頬に赤味がさしていて色っぽい。このメンバーではもっとも大人の女性という感じがする。……戦闘時以外は。
「聞いた限り、その一人称とは勲章のようなものだと理解しました。通常、大抵の勲章は予め定め、用意されており、過去にも現在の同僚にも、受勲者がいるものです。しかしイオリ様が授けられるそれは、相手のことを思い、似合うよう、特別に誂えられたもの。他の誰も受け取ることのできない、世界でひとつの功績を称える証。……なかなかに、憧れを禁じえないものかと」
「なるほど、そういう解釈であれば軍人さんにはけっこう響きそうですねえ」
エクスナが納得したように腕を組み、
「……あの、イオリ様……、おそらく班長は知ったらそれ欲しがると思います、確実に……」
モカがなんとも不安そうに言ったのが印象的だった。
窓の外からは、射撃音や破裂音や風切音やその他轟音が鳴り始めた。
「おっ、思いのほか本気度高めにやってますねえ、酒の勢いは怖い怖い」
さっそく観戦モードに入って窓際に椅子まで持ってきたエクスナに、
「それで、3位のお祝いは何が欲しいの?」
と尋ねると、彼女はなんだか照れくさそうに、そして少しだけ不安そうに私を見返してはにかんだ。
「……まあ、私はもう、前払いといいますか、約束をしてもらったような感じといいますか……」
その表情に、『あ、これ外したらバッドコミュニケーション』と第六感が働いた私は、またも全力で脳をフル回転――させるまでもなく、すぐに脳裏へ一幕の会話がフラッシュバックした。
私もそれなりに印象深い会話だったのだ。
夜のお散歩と称してふたりで登った山の頂上で交わした約束。
「そっか、じゃあアレを絶対に果たすってのが、ご褒美ということで」
「……ほんとに覚えてます?」
嬉しそうな表情で、エクスナはことさら疑い深そうな口調で訊いてくる。やだもう、なんか最近前よりさらに可愛いんだけどこの子。
「いい国にするから、一緒に頑張ろうね」
「――はいっ」
互いに微笑んだ私たちは、
「――どうした!? 普段より攻撃がぬるいぞ。あの零下砦に引き篭もらねば怖くて勝負できないか!?」
「はっ、ほざけよ無駄撃ち男が。おいカゲヤ、準備運動を攻撃と勘違いした恥ずかしいやつがいるぞー」
外で騒いでいる酔っぱらいどもへ、手にしているお酒よりもよく冷えた視線をお届けした。
「暗殺してきましょうか?」
「私が乱入して物理的に潰したほうが早いかも」
バストアク王国攻略、その打ち上げを催した夜はそうして賑やかに更けていった。