命名神の動揺
普段のシュラノは、仮想精神に現実世界での活動を任せ、本人は内側でひたすら魔術の研究をしているのだという。
それが表に出てきたのは、これで3度目である。
外見はまったく変わらないのに、普段のすれ違ったら忘れそうな印象の薄さがなくなり、不敵で頼れそうなお兄さん、という感じになる。
こないだはバストアク王との戦いの最中だったので、あまり会話することができなかった。こうして落ち着いて話せるのは、ラーナルト城での初対面以来のことになる。
「こないだはお疲れさま。それとあらためて、ここまでありがとう」
そう言うと、シュラノは仮想精神がまず見せることのない笑みを浮かべた。
「そいつはご丁寧にどうも、だな。俺も礼を言っとこう。この旅は色々と刺激が多くて、魔術の研究もだいぶ捗ってるんでな」
「――それです」
「そう、そいつだ」
シュラノの背後に立ったままのカゲヤとリョウバが声を発した。
「お前、いつの間にその『俺』を使う許可を得たんだ?」
妙に優しい声でリョウバが尋ねる。
「ラーナルトを出る直前だったかな」
「それほど早く!?」カゲヤが眉根を寄せ、「いや、白嶺での活躍を思えば、それも当然か……?」と自問自答している。
「えっ、なになに?」
私はわけがわからない。
「ああ、イオリ様にはあまりご自覚がないのですね」リョウバが納得したように頷いた。「性別だけでなく、立場や性格によって様々な種類を有する日本語独特の一人称、なかでもイオリ様が相手に合わせて専用のそれをお渡しした方々のことは以前から伺っておりました。順に魔王様、バラン様、サーシャ様――これは、あらゆる要素・分野を包括して見た場合の総合力において、魔族全体の上位3名と言える存在なのですよ」
……マジで?
魔王様はわかる。そりゃだって魔王様だもん。
バランもわかる。戦闘力はないけどあれだけ魔王様の近くで働いてて、私が喚ばれたときも最初はあのふたりが相手だった。それだけで信頼度合いがわかるというものだし、その働きぶりとか頭の良さとかはまさに魔王城の頭脳のトップ、魔王の右腕、大参謀という感じだ。
しかしサーシャ。
最初はただの超美人なメイドさんだとばかり思ってたのに、トップスリーにまでランクインするのか……。
まあ魔王様との会話やちょっとした発言から「あれ? もしかしてこのヒトわりと物騒?」と疑いだし、戦闘訓練でそのヤバさを確信し、その後も折に触れてそのトンデモなさを感じてはいたけど、そっか、そこまでいくのか……。
魔王城に戻ったらサシ飲みして過去話とか色々聞きたいなあ……。
「イオリ様から『サーシャ』という一人称を授けられたのだと、その日のうちに私のところへ自慢しにきたのです。あれほど嬉しそうなサーシャ様を見たのは初めてのことでした」
とカゲヤが言った。
うそ? マジで? そのサーシャ見たい!
「『あなたもこの旅でイオリ様から専用の一人称を授けられるような功績を上げなさい』と私は魔王城から送り出されました」
噛みしめるようにカゲヤは言う。
「――という話を私もカゲヤから聞き、これは是非ともその名誉を賜りたいと思った次第です」
リョウバが流れるように言葉を続ける。
そして妙に息のあったタイミングで、ふたりはガシッと各々の近くにあった酒瓶を掴んだ。
「そういうわけだ、シュラノ。いち早く一人称を授かったばかりか今日もまた一等に名前を上げられたお前に祝の酒を注がせてくれ」
「ええ、まったくもっておめでとうございます」
ドドン、とシュラノの目の前に2つのジョッキが置かれ、リョウバとカゲヤはすごい無表情でドボドボとお酒を注いでいった。えーと、たしかアレどっちも度数50以上の強さだったよね。
「馬鹿ですよねー、男って」
「カゲヤは意外でしたが……」
そんな様子を、エクスナやモカが生暖かい目で見守っていた。
「……おら、どうだ飲んだぞ……」
ウイスキーとかテキーラに相当する酒をジョッキ2杯、顔を赤くしつつも飲み干したシュラノは背後の男ふたりを見上げてそう言った。
「……お見事です」
「いい飲みっぷりだな」
そっぽを向いて言葉だけ送るふたり。
「露骨に拗ねてんじゃねえよめんどくせえ奴らだな」
そう言いつつも、シュラノはどこか楽しそうだった。
「いやー、珍しい構図ですねえ」
感心した様子でエクスナが呟いた。
私は、そんなシュラノに言わなければいけないことがあった。
「ねえ、シュラノ」
「ん、なんだ?」
「そのさ、シュラノに、『俺』って一人称使ってねって言ったときのこと覚えてる?」
「ああ。そりゃ覚えてるが」
「あのとき、私が補足で言ったことも覚えてる?」
すぐにピンときたらしい。
「……おい、イオリ様?」
うう、言いづらい。けど、そうなったときは教えるって約束しちゃったからなあ。
あの日、ラーナルト城で私が言ったこと、
『――男性が一番多く使う一人称だから、当面はシュラノ専用だけど、そのうち誰かと被っちゃうかも』
そう、ようやく私の脳みそは、この世界の言葉から日本語へ翻訳する際に、男の人の一人称を『俺・僕・私』の3種類に自動振り分けしてくれるようになったのだ。
思うに、バストアク王国に入ってから色んな人と話す機会が増え、おまけに先の戦闘ではこっちを小馬鹿にした物腰の野郎どもが多かったこともあり、全員一律で『私』に変換されるという一種の呪いみたいな翻訳機能がバージョンアップされたのだろう。
ちなみにアップデート後も、仲間のみんなは特に変わってない。リョウバあたりは『俺』でも違和感ないと思うけど、ここまでずっと『私』で通してきたので今さら変えるのもしっくりこなかったのだろう。
逆にファガンさんとかは出会って日が浅いのであっさりと『俺』に変換されている。王様相手にそれはどうなんだろうと思わなくもないけど。
それと、女子は引き続きで一律『私』になっている。まあもっとたくさんの人たちと交流が増えていけば、『あたし』とか『うち』とかのバリエーションは増えるかもしれない。
……まあ、というわけで。
「ごめんシュラノ! 人族で知り合い増えたせいで、今けっこうな割合で男の人が『俺』で脳内変換されちゃってるの!」
顔の前でパンっと手を合わせて謝る。
「思いのほか早かったな……」
ガリガリと頭をかくシュラノ。
その彼の両肩に、ふたたび背後の男どもが優しく手を置く。
「そう嘆くなシュラノ。お前が1番にそれを頂いたのは変わらないだろう。ただそれが今となっては不特定多数に流通しているだけだ」
おい、目が笑ってるぞリョウバ。
「一人称の種類が多いとは言え、それでも限りはありますから。何より前もって専用でなくなることを申し伝えられていたのでしょう。潔く皆と分かち合うべきかと」
……大丈夫、カゲヤ、このぐらいで私の信頼は揺るがないよ?
今日の飲み会でちょっとキャラ崩れたなあとか思ってないよ?
シュラノは手酌でジョッキにお酒を注ぎながら私を見返した。
「あー、そうだな、確かに言われちゃいたしなあ。――ってことは、俺はほかの男どもを倒してまた独占すりゃいいのか?」
「違う! 違うの待って!」
あのときもそう言ってたなこの男。
私はひとつ息をつく。タイミングよくエクスナがお水をくれたので、お礼を言って飲み干し、再び口を開いた。
「えっとね、シュラノはやっぱり『おれ』っていう言葉が合うから、こう、普通の人は漢字で『俺』って認識するんだけど、シュラノだけはカタカナの『オレ』をあてようと思っていて……まあそんな感じで被りを避けたことにならないかなあという提案なわけでして」
果たして異世界の人間にこんな日本語のニュアンスが伝わるものか疑問だが、シュラノ対その他一般男性の戦争を食い止めるためにも押し通すしかない。
「それって、なんか違いあるのか?」
案の定、シュラノは首を傾げている。
「あるある。漢字かひらがなかカタカナかってけっこう差は大きいんだよ。硬いか柔らかいか、尖ってるか丸いか、みたいな感じかなあ。でね、カタカナっていうのは漢字を読みやすくするとか書きやすくするとか、説はいくつかあるんだけど、要は『省略』するために作られた文字でね、これってシュラノにも通じるところがあると思うんだよ」
「通じる? 文字と俺が?」
お、ちょっと食いついたかも。
「うん、つまり、シュラノは起きてる時間の大半を仮想精神に任せてるでしょ。つまり日常生活の雑事を『省略』して、自分は魔術研究に専念しているわけだ。これは漢字から画数や意味を『省略』して、純粋に伝達文字としての役目を果たしているカタカナに似てるって言えないかな。どっちもひとつの目的のために他を削ぎ落としてる点でね。そうそう、カタカナは全体的に「硬くて尖ってる」感じがするんだ私。研ぎ澄まされてるっていうの? シュラノも普段、内側ではそういうピィンと研がれた感じで研究してるんじゃないかなって思ってて。そういうわけで、これからは仮想精神のシュラノは他の男の人と同じように漢字の『俺』にするんだけど、いざ本体のシュラノが表に出てきたときだけはカタカナの『オレ』を使ってもらって、私もそう認識しようと思うんだ。音は同じだけど実は違う文字だっていうのも、外見は同じで中身が違うシュラノに合ってるんじゃないかなって。どう?」
……サーシャのときも思ったんだけど。
……こういうときの私がもっとも頭をフル回転させている気がする。
はたして、シュラノは、
「――いいな」
ニッ、と不敵に微笑んだ。
よっし、プレゼン成功!
そして例のふたりは、
「くっ……、あらためて授与の様を見せつけられるとは……。これほど細やかなお心遣いを、私たちより先に、しかも2回目だと……」
「ちょっと待てシュラノ、お前それ、つまり周囲からは分からないがイオリ様との間だけに通じるということか? ふたりだけの秘密か? なんだその羨ましい立場は!?」
……楽しそうね、キミら。
「それで、シュラノはご褒美になに欲しいんですか?」
とエクスナが尋ねた。
「何を言っている、今のがまさしく褒美でなくてなんだというのだ」
すかさずリョウバが口を尖らせるが、
「いや、今のは私の都合で変えてもらったわけだから、それとは別に、その、私にできる範囲で何かあげるよ?」
「なんと……」
天井を見上げて顔を手で覆い、劇的に嘆くリョウバ。それを見てにやにや笑っているエクスナは、私がそう言うと予想して彼をからかっているのだろう。
「褒美ねえ……」そんなリョウバを無視して、シュラノは腕を組む。「たとえば、こうして手に入った領土なわけだが、オレはしばらく仕事しないで魔術研究に専念させてもらう、ってのは有りか?」
「ああ、なるほど」
ご褒美休暇みたいなものか。
ちらりとフリューネを見ると、『ご自由にどうぞ』という感じで微笑まれた。
「よっし、わかった。ええとそうだな、20日間はシュラノの好きに過ごしていいよ」
「お、太っ腹だな」
満足そうにシュラノは笑った。
「えーと、2位は、攻守の要でまとめ役でもあって、人族だから審門も通過できるのでこれまでもこれからもお世話になる――カゲヤで」
「ありがとうございます」
先ほどまでの崩れかけていたキャラを一瞬で捨て去り、いつもの生真面目で礼儀正しくて若干ダークなオーラを纏う彼が戻ってきた。おかえり!
「よし、2番目だぞめでたいなオラ飲め」
「くっ、やはり土地による有利は大きいか……、まあとにかく今日ぐらい酔って見せたらどうだ?」
そしてすかさずジョッキを手渡し酒を満たしていくシュラノとリョウバ。やだなあ、この3人が酔っ払って暴れでもしたら止めるの絶対私になるじゃん。
「えっと、カゲヤはその、ご褒美でいいのかまだ自信ないんだけど……、一人称でいいの?」
これまた見事にジョッキを干したカゲヤは、はっきりと頷いた。
「はい。……できましたら、サーシャ様のように自身の名前を一人称とするのが望みです」
吹くかと思った。
さあ、また頭をフル回転させる必要がでてきたよ!