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単位は出ないけどがんばります

 執務室の扉を閉め、私は正面奥の、フリューネは右の壁際にある机へと向かう。窓があるのは左側で、そこは「外から狙われるので」とカゲヤの作業スペースになっている。

 フリューネが言ったように、午前中は事務処理の時間。

 といっても大抵のこと――シナミから受け取った手紙の確認と返信の草案作りだったり、報告書のチェックと指示事項の追記だったり、それらを整理したり私に報告したりスケジュールを調整し状況を把握し判断し決裁し押印し保留し棄却し――そういう諸々のことはフリューネが行ってくれる。

 その間にお前は何をやっているんだと問われれば、お勉強である。

 マナー教本や地図や戦術書や戦闘指南書や図鑑や情勢調査などを読み、この世界について学習していく。

 つらい。

 なぜ私は気持ちのいい朝から『ハウザンス王国の貴族派閥と勢力の変化』だったり『国ごとの手袋を外しても良いシチュエーション』だったり『損耗率と命令系統維持率の戦況別関連強度』だったりを覚えなければならないのか。

 ついつい窓の外を眺め遠い目になる。すると「お姉さま?」と書類に目を向けたままフリューネから鋭い声が飛んでくる。

 つらい。

 お勉強自体もつらいし、私がそうしている時間に同じ部屋で年下の女の子が遥かに高レベルの仕事を進めているというこのシチュエーションもつらい。

 わずかに残っている年上のプライドが弱音を吐かせてくれないのだ。

「報告にありますが、レベルとステータスの概念がだいぶ広まっており、新たな軍事に関わる研究があちこちで進んでいるようです。じきに論文も集まると思いますので、精査してお渡ししますね」

「まだ増えるの!?」

 ……つらい。


 あらかたの事務処理を済ませてくれたフリューネは、続いて重要な手紙や書類などを選別して私に報告してくれる。

「国王から明日の晩にご招待を頂きました。出席の旨返事を書きましたので、こちらの文末にサインをお願いします」

「はい」

「近衛兵長から合同訓練の依頼が来ております。お姉さまの参加を暗に望まれているようですが、今はまだお断りし、リョウバ様に人員を選んで頂こうと思います。何か不都合などございますか?」

「いえ」

「エクスナ様から特殊軍の向こう半年分の予算案が届きました。さり気なく甘味と嗜好品の購入代が混ざっておりましたので修正し、補填として料理長にはデザートと間食の充実をお願いします。これでよろしければ判子をお借りしても?」

「どうぞ」


 ――違う! やる気ないんじゃなくて、この程度の返しが限界なんだって!


 ……そんな感じで私への報告が終わると、他の処理済み案件はカゲヤへと渡される。

『非常に大きな裁量権を頂いておりますが、それだけに皆様の信頼を損ねるわけにも、まして不信を抱かせてしまうわけにも参りません』

 そんなフリューネの申し出によって、いわば彼女の仕事ぶりをカゲヤが監視・評価するということになっている。――それができるということは、つまりカゲヤの事務能力も相当に高いということである。


 こうして平和な日々になると、仲間たちのスキルの充実ぶりに対して私の脳筋一本槍な現状が浮き彫りにされてつらい。

 戦闘がないと、単に社会人の中に紛れ込んだ学生だもんなあ……。年齢的にエクスナやフリューネは異常。


 まあ、だからといって投げ出したりはしませんが。

 だって私には魅惑の未来ゲーム空間とか、魔王様の爆発阻止とか、それに、100人単位で殺した人たちとか、そういうしっかり目指すものとずっしり背負ったものがあるのだ。

 なので今日も勉強や仕事や訓練をがんばります。


「すみませんお姉さま、少々カゲヤ様との確認に時間がかかりそうなので、追加でこの2冊も読んでいてください」

 

 ……が、がんばりますよ?



 長く苦しい午前中をどうにかやり過ごし、お昼の時間となった。

 ドアをノックする音が聞こえる。カゲヤが誰何する前に「レイラ姫ー、お昼ごはーん」とエクスナの元気な声が漏れ聞こえてきた。

「……この部屋もそれなりに防音はしっかりしているんですが……」

 フリューネが苦笑する。

「よく通るからね、エクスナの声」


 今日のお昼は、エクスナと一緒にとあるレシピを試す予定である。


「フリューネ、朝に出たスープ気に入ってたよね。あれに使った食材でご飯つくるんだけど、一緒に厨房来る?」

「ありがとうございます。興味はあるのですが、巡回までにもう少し片付けておきたい仕事がありまして」

「……ほどほどにね? それじゃできたら持って来させるから。カゲヤ、あとよろしく」

「承知しました」

 この部屋に残るフリューネとターニャの警護をカゲヤに任せ、私はエクスナと連れ立って廊下へ出る。

 閉じたドアを見ながらエクスナが口を開いた。

「最初の頃よりは丸くなりましたねあの男。私ひとりにお供させて自分は残るとか」

「そうだね。でもできればこの建物内ぐらいはひとりでうろつけるといいんだけど」

「それはもうちょっと工事と掃除が進んでからですかねー」

 雑談しながら歩いていくと、仕事中の人たちとすれ違う。皆立ち止まってお辞儀をしてくるんだけど、中には微妙にもやっとした気配を漂わせている人もいる。――まだはっきりと負の感情にはなっていない、精々が猜疑心といったところではあるけど。

 けっこうばっさりと人員カットをしたわけだけど、さすがにこういう小さなマイナス面のある人たちまで片っ端からクビにするわけにもいかない。直接手を出そうとしてきたチンピラ警備隊や不正を働いていた事務官はともかく、別に悪いことをしていない人たちなのだから。

 今感じた微妙な気配は、彼らがステムナ大臣の派閥だったからとかいうわけではない。単純に得体のしれない女が領主になったという状況自体への疑念とか、大きく体制が変わったことへの反発とか、ここに至るまでにこの国で起きた騒動への不信感とか、そうしたものが理由なのだと思う。


 この人たちの信頼を得るのも、領主としての重要な務めである。

 ……まあ、そうは言っても私自身は何をどうしたものか悩むばかりなのだが、そこは頼れる妹が何やら色々考えてくれているのだと言う。


 階段を降りて1階奥の厨房へ。

 ここでは私たちをはじめ、役職の高い人たち向けの食事を用意してくれている。私たちの分については、朝食はいつもの食堂へ配膳され、昼と夜は好きな時間に注文したり、各自の仕事場へ持ってきてくれたりもする。

 他の人たちは別の建物に一般食堂があり、厨房も分かれている。リョウバは部下と一緒にそちらへ行くことも多いのだという。


「こんにちはー」

「ようこそ、領主様、隊長殿」

 出迎えてくれたのは、料理長のイゼミアさん。糊のきいたコックコートの似合う、坊主頭でヒゲを生やしたおじさんである。

「私と領主様、あとフリューネ様たち3人分も作りますので」

 エクスナが言うと、生真面目そうな表情で頷く。

「承知しました。見学させて頂いても?」

 目線でエクスナが尋ねてくるので、私も頷いてみせる。

「いいですよー、どうぞ」


 向かうのは広い厨房のさらに奥、突貫工事で間仕切りを設けた一角だ。

 私が地球の懐かしい味に飢えた結果、色々とエクスナに試作をお願いすることになったのだけど『ちょっと、これ普通にお金になりそうですよ?』『ええ、ですが現状、その方面まで手を広げるのは……』などとエクスナとフリューネが相談し、このように他の人の目に触れない部屋が作られることとなった。

 料理長だけには、試作がうまくいった後の調理をお願いしたいのでレシピの共有を許可し、流出した際の罰則などを設けて秘密保持をお願いした。


 仕切られた専用厨房に3人で入り、扉を締める。他のコックさんたちから好奇の視線は感じているけど、今のところは覗いたりする人は出ていない。しばらく様子を見てから、何人かには料理長とフリューネの合意の上で、レシピを開示し調理や改善に協力してもらう予定となっていた。


 手を洗いながらエクスナが尋ねる。

「お米だけ炊いといてもらえました?」

「ええ。仰られた材料も揃えてあります」

「どうも。――それでレイラ姫、どんなものを作るんです?」

 好奇心に輝く瞳で見上げてくるエクスナに微笑み返す。

「今日のお昼は、卵かけ猫まんまです」



 手にしたのは、試作品の鰹節。実を言えば私自身も父親が出張土産で買ってきた鰹節と削り器のセットでしか実物を見たことはない。なのでどれだけホンモノに近いのかあんまり自信はないけれど、見た目や臭いはわりと近いように感じた。ちょっと色が薄いかな、という程度。


 残念ながら鰹節削りはないし、大工用の鉋もこの世界のは据え置きのかなりごつい奴なので、流用はできない。なので「できるだけ薄く削って」とエクスナにお願いした。

「……いや、これ硬いんですよね。ほとんど木じゃないですか」

 何種類かの包丁で試してみたけれど、なかなか思うように削れないらしい。一瞬うまくいったりもするけど、途中から厚削りみたいになったりする。スープの出汁を取るなら不都合はないけれど、そのまま口にするにはちょっと舌触りが悪そう。

「こっち使っていいですか?」

 そういってエクスナがベルトにつけた小さなポーチから、湾曲した薄刃の、小ぶりなナイフを取り出した。

 うっすらと漂う、血の匂い。

「……よく洗ってから、火で消毒してね」

 専用の鰹節削りが必要だと脳裏に刻んだ。


 そして、

「こんなもんですか?」

「……充分すぎるよ」

 できあがったのは、透けて見えるぐらい薄かった。

「凄まじい技術ですね。この精度で、この仕事量は……」

 お皿いっぱいの削り節を前に、イゼミアさんは驚嘆の表情だった。

 


 お茶碗にご飯をよそう。この国でメジャーなのは日本のお米よりやや粘りの少ない細長のお米だけれど、香りが良くて美味しいご飯になる。

 そこへ生卵を割り落とす。黄身がやや赤っぽいのが違和感あるビジュアルだけど、けっこうお高めな鳥の卵で、これも味が濃くて気に入っている。鶏卵よりだいぶカラザの主張が強いので、きちんと取り除くのを忘れずに。

 そしてできたての削り節を振りかける。うわ懐かしい、この湯気で踊るの。

「へー、面白いですねこれ」

「私は、やや気味悪く見えてしまいますが……」

 エクスナとイゼミアさんは対照的な反応だった。


 そして醤油を蚊取り線香型にばらまく。大豆じゃなくて魚醤だけど、なるべく癖のないやつを選んだ。


 ざっくりとかき混ぜる。黄身が潰れ、削り節が醤油を吸ってしんなりとする。

 卵と鰹節と醤油の香りがご飯の熱で高まって厨房に漂う。


「お、これは、なかなか……」

「……恐れ入りますが、できましたら私の分も……」

 今度の反応は揃ったみたい。


 漬物と、濃く入れたお茶も用意して、いただきます。


 専用厨房で3人、しばし無言でスプーンを動かし続けた。

 ……今度は箸も作っておこうかな。

 


「いやー、いいですねこれ! 手軽で美味しくてさっと食べられて」

 エクスナはご満悦。目を細めて食後のお茶を楽しんでいる。

「……隊長殿の腕前ならば手軽でしょうが、私どもにはかなりの難易度ですよ」

 余った削り節の一片を手にしながら、イゼミアさんは嘆息する。

「専用の削り器を作れば、楽になると思うよ」

「そうなのですか?」

 期待のこもる目をするイゼミアさんに、

「そうですね、この領主様の簡潔にして曖昧なご説明から試作を積み重ねる根気があれば大丈夫ですよ」

 エクスナ、なんか恨みが込められてるんだけど?

「……知人の鍛冶師に相談してもよろしいでしょうか?」

「秘密を守れるならいいよ」

「承知しました。その者とも契約書を交わし、提出させて頂きます。――このレシピは広まると危険ですから、特に注意致します」

「え? 危険?」

「はい」イゼミアさんは残りの卵に視線を向けた。「卵の生食は、食あたりが起きやすいのです。――もちろんこの卵は大丈夫ですが、市井で安価に出回っている卵の大半は、生食に向きません」

「あー、そうでした。確かにこの味は、危険を無視して食べようとする奴が出そうですね」

「そもそも生食が珍しいので、危険自体を知らない地域も多いです」

 なるほどなあ。そういえば地球でもサルモネラ菌だっけ? そんなんで食中毒になるとか聞いたような。

「まあレシピ流出を防ぐに越したことはないです。ですから領主様、廊下とか庭とかでうっかり思いついたことを口にするのはやめてくださいねお願いしますよ?」

 じろりと睨むエクスナ。

 やだなあ、ちょっと何度か人目があるところで納豆つくりたいとか酢を使わない漬物が欲しいとか天気いいから自転車乗りたいねーあれっこの世界にないの? とか口にしちゃっただけじゃない。

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