魔王軍たちの朝活と、領主の始業
モカに続いて、報告事項があると口を開いたのはアルテナだ。
馬車で移動していたときは、刺客が襲ってくることもあって朝から晩まで鎧を着用していたけれど、今は動きやすそうなパンツルック姿。帯剣はしているけれど、それも朝食の間は後ろの壁際に預けている。なんというか、ものすごく出来る大人の女性といった風情である。丸の内どころかNYとかで働いてそうな。
「ナナシャからの情報ですが、ローザストのグラウスが『城斬り』を倒したとのことです」
「ほう?」
ぴくりと眉を上げたのはリョウバ。ちなみにこっちはざっくりとした麻のシャツに細身の革パン。見た目だけは朝からイケメンである。
「どなたですか?」
尋ねるカゲヤに、
「第7軍のシーガスだ。知ってるか? 伸縮自在の魔剣を振るう、かなりの強者だったが」
「ああ、存じています。……そうですか、お亡くなりに?」
「そう聞いています」
答えるアルテナには、少し緊張というか、逡巡しているような雰囲気があった。
魔王軍である私達に、その兵士が倒れたことを報告する気まずさではない。
そもそもの、魔王軍に協力しているという状況自体に、納得しきれていないのだ。
今さら? というわけでもない。
もともと彼女は、主であるフリューネの護衛としてラーナルトから同行している。決して、私たちの仲間になったということではないのだ。
それでもフリューネが私たちに協力する意思を示しているので、それに従ってくれているというわけだ。
加えて、ここバストアクに踏み入ってからは、ジガティスという危険人物が作った昆虫兵器や、サレン局長率いる暗殺者集団との対峙が続いた。それらは魔族と人族という対立ではなく、バストアク王国内の人族同士による争いだった。なのでアルテナにとっては魔族への協力というよりも、人族内の他国における内乱に巻き込まれたため、フリューネを守るという意識が強かった。その過程で私たちと並んで戦うことも、状況的には最善の選択だと考えていたのだろう。
けれどその戦が終わり、私たちが魔王軍の一員としてこの領地を拠点に本来の活動に戻った結果、アルテナはまた葛藤に悩むこととなってしまった。
最初の頃は、この朝活にも『私はここに出る立場では……』と固辞しようとしていたものだ。それをフリューネが執り成し――というか、『私はこの場に出る必要性を感じています。ですからあなたも護衛として同席なさい。まさか見捨ててる気ではありませんよね? あなたなら最後まで付き合ってくれると信じたからこそラーナルトから連れてきたのですよ? 本当に頼りにしているのです』と完璧な王族スマイルで命令し、どうにか参加してくれることになった。
それを聞いたときのアルテナが若干頬を赤らめていたのを見て、意外と褒められ慣れてないのかなあ、などと微笑ましい気持ちになったものだ。
その後、少しずつ彼女の姿勢は和らいでいき、今ではこうして大荒野の情報を教えてくれたりもするようになった。
その大きな理由は、この場で私たちが話し、日々実践している仕事内容が決して人族やラーナルト、なによりフリューネに被害を及ぼすものではないと理解してくれたからだと思う。
なにしろ、カゲヤたちが魔王とバランから聞かされている名目は『人族を強化して、少しは歯応えのある敵に仕立てたい』というものだからである。
そして、私が知っている裏の目的も『人族を強化して、魔王を討伐させる』ということなのだ。
結局、目に見える行動は人族の利となるものばかりになる。
言葉を尽くしてそうしたことを説明したわけではないけれど、毎朝のこうしたミーティングで私たちのやっていることを聞き続けてくれたおかげで、アルテナにもそれが伝わったのだと思う。
……少し付け加えるなら、この調査隊のリーダーである私自身とも一種のコミュニケーションをとってくれたことも、態度が軟化した一因になったかもしれない。うん、こないだの戦いで知ったけどアルテナって騎士の皮を被った狂戦士だからね。まあ、肉体言語的な、拳と剣で語る的な、そういうのも互いを理解するのに有効でしたというお話です。
――それにしても、これまでに2度接点のあったあのおじさん。
ローザスト王国の古豪、グラウスさん。
何やら最近いきなり最前線に舞い戻って、そのまま破竹の快進撃を続けているそうな。
「またコルイにでも行って殴り倒してきますか? 『鉄腕女』イオリ様」
楽しそうに言うリョウバに、
「アレはもうナシ!」
「お願いですから思い出させないでください」
「……うぅ」
私が猛反対し、フリューネが口をとがらせ、アルテナはうつむいてしまった。
「でもアルテナってああいう振る舞いも平気というか、慣れてるんじゃないの?」
先日の暴れっぷりを見ている私がそう尋ねると、
「互いの心臓を秤に乗せて斬り結ぶのと、一方的に新兵を苛めるのではまったく違うのです……」
小さな声でそんな答えが帰ってきた。
なるほど。
ミーティングを終えると、みんなそれぞれの職場へ向かっていく。
執務室へと向かうのは、私とフリューネとターニャとカゲヤ。……とはいっても、執務室もまた改装工事中のため、単なる空き部屋だったところを今はそう呼んでいるのだけれど。
「本日は巡回がありますから、お昼までに事務処理を済ませてしまいましょう」
事務処理という言葉に、気が重くなる。
「今日は少ないといいけど……」
フリューネと会話しながら通路を歩き、執務室(仮)へと到着する。
「おはようございます。レイラ様、フリューネ様」
扉の前に立ち、深々とお辞儀するのは事務官のシナミと、警備隊のダズ。
「おはよう」
挨拶を返しながら近づき、すっと前に出たターニャがシナミから書類や手紙の束を受け取る。
シナミは、雇用継続となった数少ない人員のひとりである。
年齢は17。薄桃色のふわふわとしたショートカットが似合う、小柄で可愛らしい女の子だ。
ステムナ大臣が領主だったときも事務官としてここに勤めていたが、そのときは一番下っ端でほとんど小間使いのようだったという。
まだ若いというのもその理由ではあったのだろうけど、おそらくはそれよりも、
「あっ、あのっ、いちおう――ではなくあの真剣にですね、私なりにですが、仕分けは済ませてまして、その急ぎで――いえあの急かせるわけではなくてですね、えっと重要な、いえすべて私ごときで判断するべきではないですが、少しでもお手間を省ければと思い、ええとまず国王様からのお手紙が――ああそうでした国王様!! すみません即刻お持ちするべきかとも思ったのですが朝食のお時間は邪魔してはならないと思い、いえそれも含め判断を仰ぐべきでした申し訳ありません!」
この、テンパり具合というか、緊張度常時100%というか、まあとにかく余裕のない態度がデフォルトというのが他の事務官から冷遇されていた理由なのだろう。面接を終えたフリューネはそう推測していた。
わたしから見ても、第一印象はドジっ子という感じだったのだけれど、
『――ですが実際の事務能力は高いですね。おそらくは、思考の速さに口が追いついていないのでは、と思います。そこに自信のなさと軽視され続けた経験と、あとは大臣への恐怖などでしょうか、それらが混ざってああした性格と態度になっているようですが、それが幸いして汚い仕事には関わっていない模様です。同僚から見れば、うっかり失敗しそうに見えていたでしょうから、そうした悪事を手伝わせるのは危険に思われたのかと。領主館の事務官ながら染まっていないという立ち位置はなかなか有用かと思われます』
というフリューネの判断で、雇用継続となっていた。
つまりは『ドジっ子とか怠け者のフリをしながら実際は有能』という昼行灯的なキャラではなく、『有能なんだけど言動はドジっ子に見られてしまう』という損しがちな子なのだ。
実際、私が領主になってから彼女が何か大きなミスやトラブルを起こしたという話は聞いたことがなく、今のように怒涛の早口で話す内容についてもフリューネ、ターニャ、カゲヤの精神年齢大人組が遮ることなく聞き取って、実際の仕事内容は上々であると判断し、どんどん責任の大きい立場にステップアップしている。
今ではこうして領主館に届けられた報告書や手紙の一次仕分けをして私たちに届けてくれるという立場になっていた。
そのシナミの背後にそびえ立っている男の人がダズ。身長2メートルぐらいありそうで、顔つきも鋭い。おまけに額には傷跡まである。細身なので室内で対面してもそこまで圧迫感はないけど、威圧感はある。
そして、
「……」
「……」
何やらカゲヤと目だけで語り、無言でうなずくその様子でわかるように、相当な無口である。シュラノよりさらに上だ。
ダズは警備隊として新規雇用したひとりである。
もともとの警備隊はだいぶ質が悪くて、ほとんどチンピラの集団だった。最初に詰所へ行ったときに浴びせられたあの視線の束はあんまり思い出したくない。モカを連れて行かなくてほんとに良かった、と思ったものである。
こいつらをただ追い出すと、他のどこかで悪さをしそうだったので、そのときは一計を案じてみた。
すなわち、
『はじめまして、この地の新たな領主を務めさせて頂きますレイラと言います。新参者で敵が多いので、皆様に守って頂けたらと思いまして、まずはひとりひとりお名前を覚えたいので、個別に面談させて頂けますか』
などと、上品なドレスを纏い、にっこり笑顔も添えて、いかにも世間知らずの王女というフリをしてひとりずつ個室に呼び出した。カゲヤたちも抜きにした1対1で。
当然、絡まれた。
打率7割というところだった。
口説こうとするやつ、下品な言葉を連射してくる奴、脅してくる奴、胸元や腰へ手を伸ばしてくる奴、拘束しようとするやつ、押し倒そうとするやつ。刃物を出したり法術を詠唱したりする奴らもいた。
全員、ワンパンで沈めた。
暗殺者集団に比べたら練度の低い連中でした。
ひとり呼び出しては絡んでくるのを返り討ちにし、「はいさようならー」と窓から放り出し、庭で待機しているカゲヤたちが回収しているうちに次を呼ぶ。その繰り返し。もちろんカゲヤやリョウバは私を疑似餌のように使うことに反対したけれど、「私自身が蹴散らすことで、やられた連中から噂が広がるでしょ。それも、似たような奴らを中心に。それは長い目で見ればろくでもない連中に絡まれる確率を減らすことになるんだよ」と説得した。
結果として7割のうち、口説こうとするのを拒否したらあっさりやめた一部を残して、6割5分が窓から飛んでいった。
そいつらを丁寧に梱包して、『領主への叛意とか不敬罪とか適当につけて長めの強制労働でもさせてください』とファガンさんのところへ配送した。すると早速、カディス平原に散った暗殺者集団の死体回収と、血や臓物や毒の掃除に駆り出されたらしい。それが済んだ今現在は、主に私と先代王が破壊した瓦礫を片付け、公道の整備に毎日汗を流しているとか。
そして3割にまで減った警備隊も補充要員の募集をかけたのだけど、こちらは厨房や事務官よりだいぶ難航した。
やってくる大半が、追い出した連中と似たりよったりという感じだったので、どんどん追加配送していったのだ。「助かることは助かるが、管理が面倒だ」とファガンさんに文句を言われたりもした。
さすがにきりが無いと私も疲れてきた頃、
「これ以上イオリ様のお手を煩わすわけにはいきません」
と業を煮やしたカゲヤがスカウトに動き出し、防壁の向こうにある貧民街から見つけてきた最初の人員がダズであった。『使えます』という簡潔な評価だったけど、私から見ても負の気配を持ってはおらず、フリューネの調査でも特に妙な情報は出てこなかったので、そのまま採用となった。
今日みたいにファガンさんからの手紙なんかも届く領主館において、シナミの重要度は高く、常に警備隊からひとりつけることになっている。そして警備隊のなかで信頼のできるメンバーはまだ少ないこともあり、ダズはほとんど専属のような感じになっていた。
小柄で緊張しっぱなしのシナミと大柄で強面無口のダズという組み合わせは思わず「大丈夫?」と心配したくなりそうだけど、意外とスムーズに仕事できているらしい。
「ごめんね、毎朝廊下に立たせちゃって。そろそろ執務室できるんで、そしたらこんな朝から待っててもらう必要もなくなるから」
執務室は2部屋に区切って、廊下側にシナミたち事務官用のスペースを用意し、受付も兼ねてもらうという予定だ。
「いえ! そんなお気遣い頂かずとも、あのご厚意を無にするわけではございませんがええと私ごとき立ったままでもいくらでも働きますので! 足が痛いとか言いません!」
そういう反応だろうなあ、と既に慣れているので、最後まで聞いてからゆっくりと返す。
「うん。シナミはよく働いてくれてると思う。今日もよろしくね」
「は、はい! よろしくお願い致します!」
また深々と礼をするシナミに、「わかりやすく仕分けされていますね」とフリューネも受け取った書類を眺めて優しく声をかけていた。
さあ、お仕事の時間だ。