後の国史編纂者が頭を抱える年代
バストアクの王が代々継承するという、一際特殊な神の恩寵。
200年以上前の王が発動したときには、敵を瞬時に滅ぼしただとか、猛烈な災害を引き起こしただとか、王の威光が国内全てを覆っただとか、恐ろしさに皆が目を背けたので誰も何も知らないだとか、噂ならばいくつも広まっている。
それが今、今代の王曰く『220年ぶり』に発動するという。
それもどうやら、私に向けて。
「あのー……、なぜに?」
素直にそう尋ねると、バストアク王も不思議そうな顔になった。そしてファガンさんへと問うような視線を向ける。
「あー、たぶん全然察してないぞ、このお姫さん」
「……本当か?」
「ああ。残念ながら」
「いい具合に締まったと思ったのだがな」
「どうもこのお姫さんは常識というか、そう、『間』が違うんだな。合わせないと、こっちが間抜けに見られちまう場合がある」
「難儀だな……」
あらどうしましょう、すごく馬鹿にされている気がするわ。
もう理由とかいいから目の前のおっさん2名をぶっ飛ばしたくなってきたわ。
「なあ、レイラ姫」
ファガンさんが腕を組んでこっちを見る。
「はい」
「取引しようか」
にやりと笑うファガンさん。
その言葉で、なかば反射的に集中モードへ移行する私。
――が、すぐに止めた。
一瞬だけだったけど、それでもファガンさんと隣のバストアク王から感じ取れたのは、強くて大きな感情の塊。悲しみとか、怒りとか、恐怖とか。
呑気そうなファガンさんと、やる気なさそうなバストアク王。その表情の裏にどれだけのものを隠していたのか探るのは、流石に気が咎めたのだ。
なので「どんな取引を?」と素直に尋ねた。
「兄貴に勝って欲しい。そんだけだ」
ファガンさんは変わらぬ顔で言う。
「そ――」
「条件が違うかと」
私の返答より早く声を発したのは、フリューネ。
「バストアク王と、戦うこと――それが第一の条件では?」
「え、なんか違う?」
勝つことと、戦うこと。そりゃ戦うなら勝たなきゃいけないと思うんだけど……。
「っとに、できた妹だな」
頭を掻きながらファガンさんは笑う。
「――わかった。兄貴と戦ってくれるなら、ステムナ領の『掃除』もこっちが引き受ける」
「足りません」フリューネもにっこりと笑う。「その領土について、お姉さまが去るまで自治権を頂きます」
「……姉妹そろって強欲すぎないか?」
「ではこのまま失礼させて頂いても?」
「逃げられるような恩寵だと思うか?」
「主要な戦力に限れば。残りと戦われるだけでは、ご満足頂けないのでは?」
――ああ、そういうこと。
どうやら王様は私と戦わないとマズい理由があると。勝ち負け以前に、まず勝負自体が必要なんだ。
それをファガンさんは初っ端に『勝って欲しい』という条件を出すことで、戦うのが前提みたいな流れにしようとしてたのか。ったく油断も隙もない! 一緒にサレン局長と戦った直後でそんな真似を!
「わかったわかった」ファガンさんは両手を広げて疲れたような笑みを見せた。「兄貴と戦ってくれりゃ、ステムナ領は掃除したうえで提供し、レイラ姫の代に限って自治権を認めよう」
「ありがとうございます」
フリューネは満足そうに微笑んだ。
「んじゃ、そろそろ始め――」
「私が勝ったときの条件を決めましょうか」
「……そうだったね」
流れに追いつけた私がすかさず口を挟み、ファガンさんは顔を片手で覆った。
「何を望む」
バストアク王が訊いてきた。
その体内で脈打つ恩寵は、徐々に輝きを増してきている。
「ええと、まず……、私が負けたらこっちに何を求めますか?」
「ふむ」
王様は口元に手を当て、一瞬考える目になってから、視線を横に向けた。
「ファガン、何かあるか」
「そうだな……」視線を受けたファガンさんも考え込む。「……カザンに嫁いでもらおうか」
「叔父上!?」
驚愕するカザン王子。
「ほう」
愉快そうに息子を見るバストアク王。
「どうだ? レイラ姫」
こっちを見るファガンさんに、
「それって、私が負けてなお生きてた場合ですよね?」
「――そうだな」
「死んじゃったら?」
「フリューネ姫に同じ条件を出そう」
隣の妹を見ると、ごくあっさりと頷かれた。
……すごいなあ、ほんと。
「呑みました」
なので、そう答えた。
「なっ……」
真っ赤になって絶句する王子様。
「レイラ姫」
カゲヤがこの場で初めて口を開く。
「大丈夫、落ち着いて」
そう言ってる私が、実は心臓バクバクである。
いきなり何言うかなこのおじさん! と絶賛混乱中である。
全力で顔面制御してるけど、耳とか熱い熱い。
――けれど、ここで弱みを見せてはならない。
相手の無茶な条件は、怒って蹴ったりビビって譲歩したりするものじゃない、笑って飲み下すものだ。
そして、返す刀はより豪腕で振るわなければならない。ですよねサーシャ先生!
仮にも乙女の未来を左右する条件をさらっと出してくれたわけだしね。しかもフリューネに対してまで。
こちとら結婚が政治的に使われる王族の常識なんて持ってない、自由恋愛の国からやってきた身だ。
覚悟してもらおうか。
「それじゃ私が勝ったときは、バストアクの王様、私に絶対服従」
フリューネがビシリと硬直した。
カザン王子は真っ赤だった顔が一気に青くなった。
カゲヤはひっそりと臨戦態勢に。
「やっぱり姉のほうが遥かに強欲だぁなあ……」
ファガンさんは呆れ、
「……っくく」バストアク王はこらえきれないように笑い、「――いいだろう」と答えた。
「おいおい兄貴、正気か?」
「事ここに至っては、些か自信がないな」
「連れてきといてなんだが、何するか分かんねえぞ、この嬢ちゃん」
「顔に好奇心が滲んでいるが」
「……まあ、何しでかすのか興味はあるがなあ……」
「瀬戸際だ、一度の博打ぐらい目を瞑れ」
「――俺は払わんぞ?」
なにやら難しい顔になるファガンさん。
「それは、神のみぞ知る、だな」
不敵に笑い、こちらに目を向けるバストアク王。
「取引成立だ。始めようか」
「はい」言ってから気づいた。「あのー、今更ですけど、1対1ですか?」
王は楽しそうに目を細めた。
「構わん。好きなだけ助勢を許す。――ただし生死の保証はできぬゆえ、心得てもらおう」
「わかりました」
「少し離れるか」王は立ち上がり、歩き出そうとして、ふと思い留まったように振り返った。
「カザン」
ここへ来て初めて、息子に呼びかける。
「え……、あ、はいっ」
さっきから顔色を様々に変えていて今も絶賛動転中の王子は、珍しく年齢相応の声色だった。
「弟妹を、よく見てやれ」
「は……」
「勉学と訓練に明け暮れるのは偉いが、遊びも怠らぬように」
そして王子の反応を待たず、王様は歩き出した。
さっきの戦場からも、サレンたちが死んだ場所からも、直前まで話していた場所からも離れたところ。
私はバストアク王と向かい合っていた。
少し離れたところでは、カゲヤが控えている。
「その男だけで良いのか?」
「まずは。噂の恩寵がどんなもんか見てから決めます」
バストアク王の体内では、恩寵だけでなく、王自身の魂も強く輝きはじめている。
さっきまでは脈打つように光を放っていたのが、今は燃え盛るようだ。
バストアク王自身は、以前に自ら言っていたようにレベル1。
恩寵は、レベル換算ができない。
それでもその輝きだけは、とても綺麗だった。
「そうか」王様はにやりと笑った。「自分で言うのもなんだが、見応えは保証しよう」
王の右手が、胸のあたりに添えられる。
左手が、何かを受け止めるように、あるいは捧げるように、手のひらを上に差し出された。
神の恩寵が、より一層輝きを増し、破裂するかのように光の波動を放った。
波動は、天まで届くような勢いで周囲に広がっていき、
そして、それに答えるように、空から光の柱が降ってきた。
それは、以前にも1度見た覚えのある光。
――途轍もなく強大な存在が、やって来る。