数年後、流れの鍛冶師がこの地を見つけて狂喜します
さっきと同じく、テーブルに向かい合って座る私とファガンさん。カゲヤは座っていいと言ったのに首を振り、私の背後で姿勢良く立ったままだ。
「まずは、いい取引ができたことを祝うとするか」
ファガンさんが飲んでいるのは、お茶ではなくてお酒。
こちらにも勧められたので、私も唇を濡らす程度に。
「助けてくれてありがとうって素直に言えないんですか」
「こんな頭に値がつくんなら、いいだけ下げるとこなんだがな」
「お城に戻ったら、多少は値上がりしますかその頭」
ファガンさんのグラスが空になる。
「そう期待してる。だからカザンも来たわけだ」
ステムナ大臣との争いでこんな山奥に幽閉されたとはいえ、まだこの国の中枢には顔がきくということか。
「で、この先なんだが。まずあいつは――カザンは、私を連れ戻したことを城内に触れ回るだろうな」
……んー、なんかファガンさんも『私』が違和感あるなあ。もうちょっとくだけた一人称が合いそうだけど、あいにく日本語をまったく知らない人だし。私の脳みそがもうちょっと融通きくといいんだけど、未だにこっちの言語だと『私』にしか翻訳してくれないんだよなあ。
こっちの生活にもっと慣れていけば、それこそ『apple』を『りんご』にいちいち翻訳かまさずに理解できるようなネイティブになれるのかもしれないけど。
「公には、政争に負けたわけじゃなくて自ら隠遁したことになってはいるが、大方の奴らは実情を知っているはずだからな。カザンが広言するのは、言ってみればステムナたちに対する宣戦布告に等しい」
「大丈夫なんですか、それ?」
「ああ。すぐに奴らが仕掛けてくることはないだろう。兄貴――王の目もある。んで、カザンがその次にやろうとしてることなんだがな、最初に話したことを覚えてるか? レイラ姫」
最初?
……ああ。
「王様を殺すってことですか」
「そうだ。この国において、王子にたいした権限はないからな。あいつはまず反乱を起こして自らが王になり、それからステムナやサレンを処分するつもりだ」
「なるほど」
「そこでだ、レイラ姫、あんたたちにはあの王子の手伝いを――しないでもらいたい」
そう言って、再びグラスに酒を注いでいくファガンさん。
私は「はあっ?」と返したくなるのを堪えてから質問する。
「邪魔しろってことですか?」
「いや、『手伝うフリ』をしといてほしい」
……ついさっき王子の手助けをなかば強引にさせといてこの言い分。
「どういうことですか?」
「わからないか?」
わざとらしく片眉を上げてみせるファガンさん。
実に挑発的な雰囲気である。
わかりません、人様の思惑を考えるのが面倒です、そういう試すような物言いは気に入りません、などの言葉が喉まで出かけたけど、それより早く背後のカゲヤが軽い殺気を放つのを感じたので、私のほうが冷えた。
振り返って目線で『落ち着いて』と頼むが、カゲヤは既に殺気を引っ込めている。
これは、私に落ち着けと言いたかったのだろうか。
……うん、たぶんそうだよね。一国の王の弟君相手に、このぐらいで突っかかったりしないよね信じてるよカゲヤ。
向き直ると、ファガンさんは「ほんとにおっかないな」と苦笑いしていた。
ちょっと溜飲が下がったので、冷静に考えてみる。
カザン王子が王様を殺す手伝いを、するフリだけしておくこと。
つまりバストアク王を殺したらまずいことになる、あるいはそもそも殺せないから無駄、もしくは多大な犠牲が出る、などの理由はぱっと思いつくところだ。
でもだったら最初からカザン王子を止めて別の手段を考えるべきなんだろうけど、手伝うフリをしとけっていうことは――つまりどういうこと?
その手段を考えるまでカザン王子の流れに乗っとくのが得なのか? もしくは手伝うフリしといてどっかで裏切るシナリオ?
……よし、わからん。
だからシンプルに考えよう。
政治のことなんてしょせん付け焼き刃で勉強中の私なんだから、そういうのは忘れて普通の人間関係として捉えてみよう。
――あれ? そうなると途端に簡単じゃない?
「あのー、答えてみていいですか」
「もちろん」
「ファガンさんはお兄さんが好きだから死なれると困るけど、慕ってくれる甥っ子にもいい顔しておきたいとか無下にはしたくないとか、そんな感じですか?」
一拍の後、爆笑された。
「そんなにひどい回答だったかなあ?」
馬車の中で、口を尖らせる。
行きより増えた3台の縦列である。
先頭はカザン王子の立派な馬車。ファガンさんもそこに同乗している。少し離れて私たちの2台は追いかけている。
「しかも散々笑っといて、『そうそう、そのとおりだ』なんて笑顔で言うんだよ!」
最後尾の馬車内にいるのは、私とフリューネとエクスナの3人。
「……いえ、ある程度の的を射ているからこそ、家庭内の問題のような表現との落差に笑いが出てしまったのでしょう」
自分もやや笑いをこらえている感じで、フリューネは言った。
「ほんと? けっこう合ってたっぽい?」
「いいところだけ受け取りますね……」
エクスナが半目で突っ込んでくる。さっき体力を使い果たしてるので、かなり眠そうな感じ。
フリューネは手元にそろえた用紙の束――襲撃犯たちから集めた情報を眺めながら口を開く。
「カザン王子については、ここまでのところ目立った情報はありませんでした。これはファガン様も仰っていたそうで、王子の持つ権限が大きくないことによるものだと思われます。先ほどの短い間でしたが、カザン王子は統率力も行動力もお持ちのように見受けられましたので、一定の権限があればもっと話題に上っていたことでしょう」
「うん、そうだね」
冷静に考えると、高校生ぐらいの男の子が大人たちを率いててきぱき指示したりしてるのって、とんでもないよね。
「ですが、失礼な物言いを承知で申しますと、その御性質に多少硬さが見られるとも感じました」
うちの妹は言葉を選ぶなあ。
「融通きかない堅物っぽいって言いたいんだよね?」
「……はい、そうですね……」何かを諦めたように笑うフリューネ。「今、私が考える中で最悪に近い展開を申します。まずカザン王子が国内の勢力をある程度集め、反乱を起こし、バストアク王を弑して自らが王位に着く。ここまでは、それこそお姉さま方が助勢すれば成功するやもしれません」
「あー、うん、暴れるだけならね。それこそ前にエクスナが言ってたような手段とか取ればね」
「あの、私が高確率で死んでしまう案ですね……」
微妙な笑みになって発案者を見るフリューネ。
「なんですか、またあのときみたく冷たい指摘の雨を浴びせる気ですか? もういいじゃないですか反省してますよーだ」
反省していない口調でしかめ面になるエクスナ。
「よし、話を戻そう。エクスナと喋ると楽しくて脇道に逸れまくっちゃうから」
さっきの戦闘中も、よくあれだけお喋りしたものである。
「あれはレイラ姫が悪いと思うんですけど……、まあいいですよ続きをどうぞ」
とフリューネに手を差し向けるエクスナ。
「はい。――それで、カザン王子が王になった場合ですね。ファガン様が仰るには、そこからステムナ大臣とサレン局長を主とした、国内の膿を取り除くことに取り掛かるはずだと」
「うん、そう言ってた」
「それは失敗するでしょう」
あっさりとフリューネは言う。
「この国に入って襲撃犯たちから得た情報と、あちこちを巡って見聞きしたこと、それとラーナルトの諜報から見返りに得た情報などを整理しますと、バストアク王はこの国をうまくまわしていると、そう感じました」
見返りってのはあれか、襲撃犯たちを引き渡したことか。
「ステムナ大臣たちに王権の一部でも奪われたりすることなく、かといって暗殺されるほど抑圧することもなく、他国に介入されるほどの事件も起こさず、内乱を起こさせることもなく、清濁の線引きを精妙に見極めた政をなされているように見受けられます」
「へえー、そんなに優秀だったんだ、あの王様」
会ったときはそんな印象じゃなかったんだけどなあ。
「お姉さまが感じられたことも正解ではあるのです。バストアク王は非常に有能とは思うのですが、その根底には『諦観』があるものと推察されます」
「諦観? なにを諦めてるの?」
「おそらくですが、それこそ『国内から膿を出し切る』ことをでしょう」
……ああ、なるほど。
……しかし、私は今ほんとうに十代前半の女の子と喋ってるんだよね? カザン王子もそうだし、あの港町にいた魚売りの少年もだけど、この国の子どもたち、大人すぎるでしょ。
「バストアク王亡き後、まだ若いカザン王子がステムナ大臣たちを排除できるかと言うと、限りなく不可能に近いと考えられます。そもそも、王子の意図についても既に間違いなく把握されています。今はまだ実権のない、言ってしまえば『反乱ごっこ』だと彼らは思っており、それゆえに見逃されているのでしょう」
そういえば、カザン王子があの豪華な馬車で来た時、甘いとかファガンさんも言っていたなあ。
「カザン王子――カザン王は良く手入れされた槍を型に沿って正面から突き出すけれど、ステムナたちは毒を塗った短剣をより迅速に、死角からそっと突き入れるでしょうね」
とエクスナが言った。
「ええ。カザン王子が王権を手にされた場合、今のバストアク王のようにステムナ大臣らの悪事を一定水準まで許容することはないものと思われます。そうなれば早々に新たな王もまた弑され、今度は現王のような綱引き相手ではなく、駒としての王が据えられることになるでしょう。バストアク王国は、そこまでです。彼らに食い潰され、彼らが天寿を全うした後に、小国として衰退するか隣国に吸収されるでしょう」
それが最悪の展開です、とフリューネは語った。