交渉とタワーディフェンス
『交渉において勝ち取るものは、同価値を前提に手に入れやすい順として、金銭、物、人材、そして権利です。金銭はそもそもが流通を前提にしているので当然と言えますね。逆に権利はそこから派生的に利益が広がっていく可能性があるため、相手もそう簡単には渡さないでしょう。また金銭はいわゆる捨て金とすることもできますし、物と人材は返還要請や補充、代替なども比較的容易といえます。それらが難しいのも権利の特徴ですね』
バラン先生からの教えを、0.1秒で脳裏に展開する。
ファガンさんは、最初の取引でまず『領地を治める権利』を差し出した。
これは、ある意味破格である。
もちろん条件は色々と厳しいが、これはファガンさんが私たちを捨て駒としてではなく、今後もつき合いを続けることを検討している、と解釈してもいい。
いずれ切って捨てる相手なら金や物で支払った方が後腐れないのだから。
……成功報酬なので、その権利を与える前に処分するつもりなら同じことではあるけれど。
「あれも込みってことにならんか?」
上空、まだ普通の視力なら黒い砂粒にしか見えない6匹の増援を見ながらファガンさんは言う。
「なりません」
「今度は待ってくれないと思うが」
そう、さっきは決められた範囲から出ようとするまでは、虫たちは攻撃を控えていた。
たぶんこれから来るのは、問答無用で襲ってくるだろう。
けど、それが苦しいのはファガンさんの方である。
『交渉とは、巧みな言葉を交わす場ではない。こちらの実力を知らしめ、相手が劣勢な状況であることを自覚させ、決裂した場合の損に怯えさせる場だ』
とは魔王様の言。
これを聞いたときは、うわあ久々に魔王っぽいセリフ、などと思ったものだが。
「私たちは、あいつら相手でも逃げられます。あ、馬車は『終わった後に』回収に来させてもらいますけど」
「……だろうな」
さっきの戦闘で、少なくとも私とカゲヤとリョウバの3名は力を見せた。シュラノも少ない手数ながら技量を発揮している。
残りは5名。そのうちアルテナには護衛を指示していることから、ファガンさんから見た非戦闘員は4名。ひとりずつカバーに入りながら撤退しても余る計算だ。
逃げ切れるという言葉の根拠にはなるだろう。
しかも実際には、非戦闘員組には逃げ足なら誰にも負けないエクスナと、あのロゼルの面倒を見ながら大荒野を駆け回った経験のあるモカが混ざっているのだ。私の言葉にも自信が出るというもの。
「――何がほしい?」
あっさりとファガンさんは引き下がった。
その目線は、最後にちらりと上空を見てから、私に固定される。
権利の次は、人材だよね。
「国内から私の領土に、指名した人を問答無用で異動させる許可を」
ファガンさんは一瞬黙ってから、腕を組んで口を開いた。
「それも、『すべて終わった後』でいいんだな」
「はい」
今のうちから噂の悪徳の都に派遣して色々やってもらおうとも思ったけど、そこまでは望み過ぎだしリスクが高すぎる。
「……3人までだな」
「10人」
「……4人」
「10人」
「おい」
ぴくりとファガンさんの目元が動く。
『弱者に妥協するものではありません。相手は『生き残った』という最大の利を得るのですから。値切ろうとする言葉ひとつに拳ひとつで返せば、だいたいは言い値を勝ち取れます』
……これはサーシャの発言。
サーシャが講義してくれるときは、だいたい魔王かバランが近くで耳を澄ませたり目を光らせたり頭を抱えたりしていたなあ。
さすがに拳は出さないけど、
「事前説明なしに私たちを巻き込んで奴らを呼んで、取引を自分の流れに乗せようとした一手目をお忘れなく」
ぐらいの口は出す。
ファガンさんは渋い顔で、
「8人」
私は頭上の羽音から、まだ粘れると踏む。
「9人、加えて、2回まで『この人は引き抜いたら駄目』っていう権利をあげます」
パスは2回まで、というアナログゲームでよくあるルールから思いついた私の条件は、ファガンさんにとっては目新しいものだったらしい。軽く目を見開いてから、
「呑んだ」
苦笑しながらそう言った。
私は即座に振り返る。
おそらくあと10秒足らずでやってくるのは、7匹。
「カゲヤとリョウバ、次は1匹ずつ、いけるよね!」
「はい」
「もちろんですよ、レイラ姫」
「エクスナ、シュラノと組んで1匹お願い」
「わぁ、わかりやすい囮役任命ありがとうございますー」
棒読みで返事しながらもすたすたと前に出てくるエクスナと、その側で詠唱を始めるシュラノ。
さて、私も1匹担当して、カザン王子たちにも1匹任せて、あと2匹をどうしようか――
ふいに膨れ上がる魔力の気配。
リョウバとシュラノが、飛んでくるうちの1匹に集中砲火を放った。
標的は7匹のうち一番大きな虫。カブトムシとかクワガタみたいな形状で、これまた大きな4枚羽。
そいつはまず飛んできた大きな炎弾を避けたものの、絶妙に遅れて来た魔弾を羽に受けて、あっさりと落下していった。
「あの大きさでは樹をなぎ倒してここまで来るのも一苦労でしょう」
ふっ、とわざとらしく格好つけた仕草で微笑むリョウバ。
「ふたりとも最高!」
となれば、あと1匹を――
「任せて頂けますでしょうか」
すらりと腰の剣を抜き放ちながら隣に立ったのはアルテナ。
あれ、いつもはフリューネの護衛から離れないのに? ――と思う間もなく、背後でファガンさんの家に避難していく彼女たちの気配。当のファガンさん自身は、家の外壁にもたれかかって観戦モードだ。
しっかりした造りの建物だし、もしも敵のどれかが向こうに襲いかかっても助けに行くまで保ってくれるだろう。
「ありがと、よろしく!」
そういえばアルテナがきちんと戦うところは見たことがなかったけれど、レベルはかなり高いんだった。
それこそカザン王子配下の精鋭5人に混ざっても上位を取れそう。あの弓使いのお姉さんがトップで、そのちょっと下ぐらい。
けどさすがにひとり、おまけに細身の剣ではあの巨大虫たちには分が悪そう。
私と並んで2対2の構図にするのがいいかな、と考えているうちに、
「じゃあ久々に組みますかアルテナさん」
引き合いに出した弓のお姉さんが、すたすたとやって来た。
「え、知り合い?」
「はい、以前――来ます」
途中で前方を睨むアルテナ。
何が来るかは言うまでもない。
「じゃあ全員、がんばって死なないようにお願いします!」
私は声を張り上げ、第2ラウンドに突入した。