天敵アゲイン
「ここは、ひとりなら食うに困らんぐらいの暮らしができるんだ」
私たちを連れて外へと出たファガンさんは、周囲を見渡しながらそう言った。
「鳥、魚、果物、茸、冬場はちと厳しいが、保存食を蓄えておけば乗り切れる」
「はあ、引きこもるにはいい環境なんですね」
ファガンさんの視線を追う。
私たちの来た登り坂が時計の6時方向だとすると、9時方向にあたる場所から細い道が延びている。
「あそこから川に出られるし、周辺には小さな獣もいる」
「へえ」
「だが、そこまでだ」
「え?」
ファガンさんは、ふいに作務衣のような服の襟元をぐいっと広げてみせた。
なにごとかと身構えるが、はだけた胸板に妙なものがあることに気づく。
「――なんですか、それ」
鳩尾のちょっと右上、心臓がありそうな位置、そこに、鈍い光沢をもつ奇妙な物体が埋め込まれていた。
金属のような質感だが、ぐねぐねとした形状は有機的で、大きさはてのひらぐらい、中央が盛り上がっていて、端は外側へ引っ張られるように薄く伸び、まるで柔らかい粘土のボールを投げつけられ、へばりついたような。
そしてその真ん中には、色合いが異なる丸いものが左右3つずつ並んでいて、まるで眼球のような――
ぱちりと、その丸いものが左右に開かれた。
「ひいっ」
まるで、ではない、眼球そのものだった。
「おい、俺が露出狂みたいな反応をするなよ」
頬を搔きながらファガンさんは目を眇め、広場の前方、私たちが来た坂の方へと歩いていく。
「そこの馬車2台、家の方へ動かせ」
そしてリョウバと、カザン王子を乗せてきた馬車の御者へ声をかける。
いったい何事かと尋ねる前に、カザン王子が口を開いた。
「叔父上、言いたいことは山程ありますが――これほど急に始められるのですか?」
「なんだ、そのつもりで来たんだろ?」
「そうですが、しかし……」
「時間をかけるほど、危険になる。そう言っただろうが」
「……わかりました」
険しい顔をした王子は、自分の馬車へ向けて声をかけた。
「こちらへ寄せ、降りてこい」
そして、移動した馬車からひらりひらりと、軽い身のこなしで出てくる重装の人たち。
着地時のガシャガシャという鎧が立てる音は大きいものの、皆さん口を開かず、一心に王子を見ている。
総勢5名。
男性4名に女性1名。王子よりは年齢が高そうだけど、いっても20代中盤ぐらいだろうか。
鎧は似たようなテイストだけど、剣に槍に弓にと、メイン武装はひとりずつ違っている。
そして、レベルがけっこう高めだ。
バラつきはあるけれど、一番低い人でも50は越えていそう。最高だとアルテナよりちょい上ぐらい、つまりは90前後といったところ。
これだけの練度の集団は人族の領土に入って初めて見る。
察するに王子の親衛隊といった感じか。
ちなみに当のカザン王子はレベル40ぐらい。
年齢や立場を考えればこれも相当なものだろう。
「揃えたもんだな」
ファガンさんも感心した様子である。
「それじゃ、まあ――いこうか」
そう言ってファガンさんは広場の前方へさらに足を踏み出す。
5歩目で、
「キィ、キィッ」
と何か生き物の鳴き声がした。
それもファガンさんのいる場所から。
「ギイイイイイイィィィッ」
鳴き声は、いきなり音量を上げて山中に響き渡った。
くるりと振り返るファガンさん。
その胸元、さっき見た謎の埋め込まれた物体が、6つの眼球の下を大きく横に裂いていた。
口だ。
そこから、大きく耳障りな鳴き声が響いている。
「以前、ステムナに負けてな」
鳴き声に混ざって、ファガンさんの声も届いてくる。
「普通なら殺されるところだったが、兄貴のとりなしもあって、どうにかここへの幽閉で済んだ。だが……」
鳴き声、ファガンさんの声、そして別の場所、遥か高所から――羽音。
「当時、奴を失脚させようと思った理由でもあるんだが、これな」
胸元の物体――いや、生き物を指差す。
生き物。
私にはその魂が見えない――昆虫。
「虫の類を軍事利用するっつう計画だ。その被験体にされちまった」
山頂から、急速接近してくる何か。
「この土地から出ようとすると、こいつが鳴きだして、山頂に巣食ってるあいつらを呼んじまうんだ」
現れたのは、3匹。
振り返ってこちらを見ているファガンさんの背後、行く手を遮るように、3匹の巨大なモンスターがホバリングしていた。
左から、
全身漆黒の、2メートルぐらいの蜂。普通なら針が出ているはずの箇所からは3本の鞭みたいな器官が伸び、それぞれの先端には形状の違う鋭い突起がついている。
続いて、形容するなら羽の生えたザリガニ。大きく背中を湾曲させ、頭部が胸郭と同じ高さになっている。赤とオレンジの硬そうな甲殻に身を包み、前脚は大盾のように幅広で、マシンガンぐらい余裕で防ぎそうな威容を誇っている。
そして、なぜだか羽もないのに中に浮かんでいるワーム。やたらと全長が長くて、たぶんまっすぐにしたら10メートル以上ありそう。ぬらぬらした粘液を纏った紫の全身をくねくねと曲げ、頭部らしき先端は十字に裂けて縦横に並んだ牙を見せつけている。
どいつもこいつも、手強そうな見た目で、そのレベルは――不明。
だって魂が見えないんだもん。
つまりこいつらも、虫じゃん。
私の大嫌いな。
虫じゃんかよ。
「……なるほど、さてはファガンさんの胸に埋まってるそれを潰せばこいつら帰ってくれるんだよねそうだよね」
ザッ、とファガンさんの正面に立って構えを取る。
「ははっ、この状況で冗談を言えるか――ん? おい、レイラ姫? おーい?」
初めて、ファガンさんの顔に軽く動揺の色が浮かびました。
「ふふ、どうやら図星のようだね」
「ちょ、落ち着いてくださいレイラ姫! その拳しまって!」
エクスナが私の右腕に取りすがる。
「どうしたのそんなに慌てて、私はただ害虫駆除を」
「向き! 向き違いますから! 相手あっち!」
「……やだ、振り返りたくない、だって虫いるし」
「発言の矛盾に気づいてます!? とにかく落ち着いてください、ほーら大丈夫ですよレイラ姫、ジュイメーヌ巨大樹林とは違うんです、あんなにいっぱいいませんし、地面這ってるのもいませんし頭上から落ちてきたりしませんから」
「……ず、じょう?」
くっ、封じられた記憶が!
「最後のは失言でしたすみません忘れてください!」
エクスナと喋っているうちに、半分バグっていた頭が回復してきた。
……くそう、もうちょっと現実逃避したかったのに。
「……説明したいんだが、いいか?」
やや半身の姿勢になりながらこちらに声をかけてくるファガンさん。
「内容次第では殴りますけどいいですか?」
「……虫が苦手とはな、誤算だった」
困ったように頬を掻くファガンさんだったが、気を取り直すように息を吐いて話し始めた。
「ここに埋まってるこれな、共鳴蟲というらしい。特定の匂いや音、あるいは宿主が死んだり、縄張りから出ようとすると、さっきみたいなでかい鳴き声を上げる。その声に呼ばれて来るのが、鳴動蟲――そこの3匹だな。鳴動蟲は共鳴蟲のもとに辿り着くと、予め決められている行動を取る」
ファガンさんはホバリング中の虫たちのちょっと手前を指す。
「その3匹は、こちら側にいる誰かがこれ以上先に進むと、襲いかかってくる」
「あなただけじゃなく、ですか」
エクスナの問いに、ファガンさんは頷いた。
「この虫を作ったのは、ステムナの部下だ」
――刺客から聞いた情報にいた、要注意人物か。
「この存在を知った時、ステムナを殺そうと決意した。――失敗して、この様だがな」
「確かに、その言葉通りの存在なら、危険極まりないですね……」
エクスナが低く呟く。
私にもわかる。
要するにこれ、この世界ではまだお目にかかったことのない、プログラム可能な警報装置と戦闘マシーンだ。そりゃ便利さと厄介さが痛感できるだろう。
……私も魔王様にお願いして似たようなもの作ったりはしたけどさ。
「で、カザンはこいつらを退治して、俺を救おうとしてくれているわけだが」
なるほど、だからこの戦力を引き連れてきたと。
「喜ばしいことに、頼れる仲間ができそうなんでな」
わざとらしく腕を組んで笑いかけてくるファガンさん。
――ていうかこの人、囚われの身だったのか。
そこを王子様が救いに来たのか。
その無精髭で、ピ◯チ姫気取りか。
「取引といこう、レイラ姫。――カザンと協力してこいつらを退治してくれれば、すべて終わった後、ステムナの領土をそっくりくれてやる」
「それは――」
口を開いたエクスナの肩をそっと抑える。
ステムナ大臣の領土。
王都の北に広がる、悪徳の街。
存在だけなら、エクスナから聞いている。
「すべて終わった後っていうのは、具体的にどんな状況ですか?」
「まだ確固たる最後は決めていない」ファガンさんは落ち着いた口調で言う。「ま、ここにいる連中と、王城にいるまともな連中――そいつらがこの国の新しい舵取りをできるようになったとき、というところか」
また曖昧な条件だなあ。
「この後のお手伝いは、追加報酬ですよね」
「ああ」
「領土をくれるっていうのは――権利だけですか?」
「そういうことだ。治めることを、認めてやる。中の掃除はそちらの仕事になるな」
ふむ。
……正直、迷う。
仲間たちに意見を聞きたいところだけど、それをするとファガンさんの評価が下がりそうな予感がある。
そしてそれは、この後の展開に響きそうな気もする。
このおじさん、妙に私ひとりの意見を求める節があるし。
ならこれは、私の仕事だ。
「わかりました。そこで、見ていてください」
私たちの戦力を。
今後の値付けの根拠を。
ようやく、皆の方を向いて私は言う。
「カゲヤ、リョウバ、左の蜂を。真ん中は私がもつ。カザン王子たちには右の長いのをお任せしても?」
途中から話を振られた王子は、私とファガンさんを交互に見る。多少、展開についていけていないらしい。
が、すかさず配置につくカゲヤたちを見ると、すぐに表情を引き締めしっかり頷いた。
「早く片付け、そちらの助力へ参る」
「ありがとうございます」
続いて他のメンバーへも声をかける。
「シュラノは全体支援、アルテナはそっちの護衛を」
そういって指すのは、エクスナ、モカ、フリューネ、ターニャ。
「あ、護衛される方はあとで治療係ね」
「承知しました」
さて。
ようやく、律儀にホバリングしたまま待機している虫たちの方を、嫌々ながら振り向いた。
ファガンさんが示した境界線。
その一歩先へ私が足を踏み出すと、即座に虫たちは襲いかかってきた。
今更ながら、誤字報告機能の存在を知りました……。ご指摘頂いていた方々ありがとうございます!放置していてすみません!まとめて修正致しました。