開幕アナライズは程々に
ゼファンと話した宿から出発して3日後、予定通りに私たちはバストアク王おすすめの秘密スポットへとやってきた。
この国の領土内では、辺境と言っていい場所だ。町や村からも遠く、観光地でもなく、国境門に近いわけでもなく、ろくに開拓されていない大自然の一角に裾野を広げる山である。
ここまでの道中は襲撃者もなく、険しい地形もなく、平和なものだった。
踏み入る前に見上げたその山も険しいものではないし、麓の森に凶暴な獣がいるわけでもなかった。
ただ、最後に立ち寄った小さな村で聞いたところでは、「あの山にはこれといった収穫が見込めるわけでもないので、ここらの人間もまず近寄らない」という話だったのだが、
私たちは馬車に乗ったまま、その山を行進できている。
つまり獣道ではない、舗装された道がそこには続いていた。
そして妙なことに、その道の入り口は途中まで柔らかく深い草が生い茂っており、頭上の樹からはやたらと蔦が垂れ下がっており、ある程度先まで踏み進めないと舗装路が露わにならないという仕掛けになっていた。
「秘密の研究所でもあるのかなあ」
私がそんなことを言うと、
「王城内にも隠し部屋はいっぱいありますし、城下町の周辺に建物を作って立入禁止を言い渡せば済む話です。こんな辺鄙な場所にわざわざ資材を運んで施設を作る必要はありませんよ」
とエクスナに一蹴されてしまった。
道はそこまで長いものではなく、じきに開けた平坦な土地へ到着した。麓の偽装されていた場所から、歩いても30分ぐらいのゆるい登り坂の終点だ。
そこは小さめの校庭ぐらいの広さに森を切り開かれ、背後に山の中腹から頂上まで続く岸壁を背負った場所だった。
そして真ん中の奥に、1軒の家。
山小屋というよりは立派な、けれど山荘と呼ぶには気が引ける、手頃な大きさの木造家屋である。
外に人の姿はない。
「ひとり」
索敵魔術を行ったシュラノがそう告げる。
あの家の中に、誰かがひとりでいるということか。
「まずは私が――」
「いや、最初から私も行くよ」
そう言って御者台から降りようとしたカゲヤに声をかける。
「こういう山奥にひとりで住んでるのは、魔女や賢者って相場が決まってるからね。失礼のないようにしといたほうがいいと思う」
「普通に人嫌いで小金持ちの木樵か山林の持ち主かもしれませんけどね」
私に続いてエクスナも馬車から飛び降りた。
あまり大人数で訪問するのも、ということでフリューネも加えた4名で正面の建物へ向かう。
丸太を積み重ねるログハウス風ではない。柾目のきれいな板を並べて塗料でしっかりと保護し、戸や柱には精巧な飾りを彫り、心地よさそうなデッキチェアや趣のある素焼きの壺などがテラスに配置された、かなり手のかかった家である。
「家督を譲った貴族のお爺さんとか」
私が言うと、
「あり得なくはないですが、使用人もいないのは不思議ですね」
フリューネがそう小声で返す。
玄関脇の呼び鈴を鳴らすと、軽く澄んだ音が響いた。
扉の向こうから、小さな足音が聞こえる。床が軋むようなこともない、私の耳で辛うじて聞き取れるぐらいの静かな足音だった。
そして開いた扉から顔を出したのは、のんびりした顔立ちのおじさんだった。
作務衣のような黒い衣服を纏い、ぽりぽりと頭を掻いている。
眠たそうにも見えてしまう細い目が、私たちを眺める。よく日焼けしていて、口の端には僅かな微笑。暗い緑色の髪には、どこか見覚えがあるような気がした。
体格は標準的で、それなりに筋肉はついているけれど、戦える人というよりは労働者っぽい感じもある。無精髭も相まって、工事現場とかにいそうな。レベルは20前後だろうか。
「で、品定めは済んだか?」
口を開くなり、おじさんはそう言った。
思わず、どきりとしてしまう。
「失礼致しました」すかさずフリューネが言う。「ラーナルトより参りました、第三王女のフリューネと申します。こちらは姉のレイラ。実を申しますと、どなたがいらっしゃるのか知らぬまま参上してしまい、図々しさに気が咎めてご挨拶が遅れてしまいました」
私が無言でぼーっとおじさんを観察してしまった僅かな時間を、うまいこと言い訳してくれる。頼れる妹である。
「ああ、兄貴から聞いている。国は違うが階位は似たようなもんだろう。かしこまった喋り方はやめてくれ。――まあ、とりあえず入りな」
兄貴?
私の疑問を悟ったように、おじさんはこちらを見てふっと笑った。
「ファガンという。バストアク王セイブル27世の弟になるな」
居間は、飾り気がないけれど居心地のよさそうな空間だった。
真ん中に分厚い板のテーブルがあり、片側に私たち4人が座ってもゆとりがあるぐらいの大きさだ。
ファガンと名乗ったおじさん――本人の言によれば王弟にあたる人は、ゆったりした手際でお茶を淹れ、ふるまってくれた。
1度会っただけだが、バストアク王は20代後半ぐらいに見えた。でも弟だというこのおじさんは、もっとずっと上に見える。
「兄貴は昔から若く見える質だったからな。もうとっくに四十を越えているぜ」
またも私の思考を読んだようなことを言うおじさん。
私の動揺も承知しているとばかりに、その口元が緩む。
「ラーナルトからのお客さんについては、兄貴からの手紙で聞いた。対面した印象も、この国での動きもな」
「兄弟仲がよろしいのですね」
優雅にお茶を飲んでから、フリューネが言った。
「まあな。そっちも仲が良さそうだ。姉妹仲、ではないようだが」
え? バレてる?
にやりと、おじさんは笑った。
「だが、素性を探ると隣の兄さんが立ち上がりそうだからな」
私は思わず、右に座っているカゲヤに視線を向けてしまう。
おじさんの言う通り、既に軽く臨戦態勢である。
「だからレイラ姫と呼ばせておいてもらおう。……が、素性はともかく、目的は聞いておきたい」
「観光と言っても、信じて頂けませんか?」
にっこりと笑うフリューネの言葉は、要するに『国家間の交流にヒビを入れるおつもりですか?」ということだ。
しかしおじさんは動じない。
「今更だな。その観光を、うちの国が邪魔しちまってる。なのに抗議するでも逃げるでもない。……うちの『名産』を、集めるのが目的かとも思ったが」
襲撃犯のことか。
「兄貴も、城内の悪さしてる奴らも、どうしたものか悩んでたみたいだがな。……少々、見過ごせないことが起き始めた」
「なんのことでしょう?」
フリューネも表情はまだ平静を保っているけれど、気配は少し乱れの兆候が出始めている。……今更ながら、最年少の女の子に会話の主導権をお願いしてるのはどうなのか、と年上の自負が心を抉ってくる。
「あの連中だ。長ったらしい名前の集団。あいつらが国内を走り回ってるうちに、感化されちまう国民が出始めた」
「ミゼットさん!?」
思わず声に出してしまった。
「ああ、そんな名前らしいな。バラバラに国境を越えてきてはいたが、全員正直に身分と所属を名乗っていたらしい。今のところ総勢で150人ぐらいだが、毎日のように増えているそうだ。しかもそいつらの走りを見たか叫びを聞いたかした国民の中に、どういうわけだか混ざりたいと志望する奴らが出てきちまった。既に30人以上が、一緒になって走り回っているらしい」
なにをやってるのあの人たちは!
「しかも田舎の村人や老人が信仰心に目覚めるならともかく、どいつもこいつも、優秀だと周囲から評価されている奴らだ。……正確に言えば、その後に『でもちょっと元気すぎる』だとか、『やや思考が極端だが』みたいな評価が一緒になってるけどな』
……ああ、ちょっとわかったかも。
類友ってわけだ。
しかしどこのフォレスト○ンプだよ。
「その先頭集団が真っ先に向かったのが、あんたらの馬車だった――と。こいつは流石に、放置してたらまずそうなんでね」
おじさんは、細い目をわずかに見開いた。
「そうそう、兄貴がお前さんらに会ったときの印象だけどな。『敵意ではなかったが、私を獲物のように見ていた』って話だ。一国の王相手に、上でも下でもなく、同じ高さから剣を構えているようだった、って書いてあったよ」
その細い目は、まっすぐに私を捉えていた。
「で、聞いてもいいか? ――何が目的かを」