足りないもの
平穏だが、固い価値観で縛られた国の中。
その少年は、ある教えの元で育った。
「――例えば、ここにコップ一杯の水があるとする」
とてもずれた感性を真に受けて。
「うん」
「それを飲み干して。だが、実際完璧に飲み干せてるわけじゃあない。とても細かい飲み残しがある」
「うーん?」
「……世の中とは曖昧、適当なもんなんだよ。割とな。この国の外だと、なおさらそうだぜっ」
ぽかぽかした陽気の中、丘の草むらに座りながら少年は話を聞く。
「細かいことまで考えると疲れちまう。ほどほど適当で良いのさ、人間なんだから」
聞かせてる青年にとっては、何気ない言葉を伝えたつもりだった。
しかしこれが、後の怪物に完璧の形を与えてしまう。
「……」
布団に潜ってひたすらに、完璧というものについて考える。
(完璧な世界――素晴らしいかもしれない)
彼は完璧の形を、目に捉えたまま生き。
「うあああッ!?」
「クルト!逃げるんだっ」
まだ荒れていた時代の波に、己の故郷が飲み込まれても。【欠陥者】達に、蹂躙されても尚。
絶望の中でしっかりと、その形を失わずにいた。
「旅立ちか」
「――はいっ!このご恩は忘れませんっ!!必ずっ!奴等を討ち取ってみせますっ!!我等が故郷に報いる為っ!!」
足を動かすのは、賊に対する復讐心。もあったが、それ以上の燃料が存在した。
故郷の国で育まれた、完璧に寄った価値観・それを壊した【欠陥】そのものに対する対抗心、二つを両刃に込めて斧を振るうクルト。
「ゆ、ゆるしッ」
「遅いわァッ!!」
欠陥を無くしていく毎に、満たされる心。悪い事ではあるのだろうが、彼が望んでいるのは優しい世界ではなく。
自身の中にだけ存在する。完璧な世界だ。
「私も力を貸します!クルトさん!」
道中で仲間を増やし、敵の刺客を倒して進む。
「俺も行くぜ!クルト!」
気の良い仲間達と共に成長し、彼の力は磨かれていった。
「――きさま、凡人の分際でッ」
「負ける貴様は、それ以下だな!」
才力者としての能力は、疑いなく凡だがしかし。彼の精神力は、そこに留まることを許さなかった。
「――私の勝ちだッ!!」
とうとう仇の賊を討ち果たし、彼は涙と共に喜び叫ぶ。
勝利して味わう達成感、失わず共にある仲間、長い旅路の終わりに――。
(求めていた――形だ)
彼の心は満足で満たされ。
一つの物語は結末を迎えた。
「そこで止めておけば良かったのに」
彼は考えてしまった。欠けたものがないかを。本当にこれで良いのかを。
「ある。まだ」
至ってしまったので、彼は武器を持ち立つ。
変化した形を満たすために。自分を満足させるために。
削って、壊して、満たして。望む形の為に善人も悪人も仲間も巻き込んで、斧を振るい諸共一掃。
失敗して、大切なピースを落としてしまった。
「……」
完璧を目指そうとした先に、彼は永遠にその形を失う。しかし、深い絶望は力を膨れ上がらせる。
まだ、方法があるかもしれない。
「去れ。儂の気が変わらん内に」
最早、強迫観念と化した原動力は。
「久しぶりだ!フィルっ!」
「そうね。傍迷惑人間。自己中は直った?」
完璧な世界を手にするまで、消えることはない。
「でもそれは、貴方にとっての【完璧】でしょう?」
「――おかしいな」
最初に違和感に気付いたのは、ロインだった。
ジン太の些細な変化、本当に細かいものではあったが。
「忘れていってら」
友達に渡すと言っていた、プレゼントの本。
ロインはそれを見ながら、ある不安を抱いていた。
(身分証を持っていった……壁外に?戦士団の警戒……マットンの一味)
自分達を襲ったハンター。
町の戦士たちの様子。
(一人で?)
前から続いている変な違和感も後押しして、彼はジン太を追いかけた。
「届けてくる?」
「って言って、急いで行っちゃったんだけど。……王都外に行きそうな様子で」
「……」
伝染する不安はメイに。
彼女は、戦士団内で耳にした話を思う。
(マットンの一味が、才獣以外を研究に利用してるかもしれない)
まだ確定ではないが、襲撃は確かにあった。
「不安そうね。付いていく?」
「えっ」
「……あたしも不安なのよ。ちょっとね。戦士団に注意されてるし」
メイは仕事の為に調整していた盾を持ち、メリッサと共にロインを追いかける。
「そういうことなら、俺も行くかな。……てか、最近王都を離れる時は用心って言われてんのに。あのアホは」
「おいらも暇だし、どうでも。ゴンちゃんは?」
「ゴンちゃん言うなっ。オレは行かねぇ!」
「マットンの一味こわいもんな。ゴンちゃんは」
「ああッ!?んだとっ」
なんだかんだで、人数は増え。
彼らは出遭ってしまう。
「――怪物」
生物としての格を間違えた、危険存在に。
「――なんだッッ!!なんだッッ!!なんなんだッッ!!貴様等ッ!!わらわらと欠陥者がッ!!死にたいのかッ!!」
粉塵を巻き起こしながら、漆黒の鬼神は怒濤の破壊現象を叩きつけてくる。纏う色は霧の青、斧と鎧の両方から武装の波動は発せられて。
立ち向かう戦士達は、それに何とか拮抗していた。
「死にたくないっつーのっ!?やめてよっ」
「そうかッ!!死にたいのかッ!!」
「人の話ィ!聞けやっ!」
戦う戦士達は誰もが平均以上の力量を有していて、決して有象無象などではない。それどころか。
「はぁっ!はっ!なんなのッ!?なんなのよッ!?あいつッ!?」
「わたしの盾が……」
殿堂入り選手、弓使いメリッサ。盾使いメイ。
「くそったれッ!」
彼女等に匹敵した力を持つ、アックス・ゴンザレス。
「マルスっ!まだやれるかっ」
「行けるっ!そっちこそどうだっ!ロックルッ!」
戦士マルスと、漆黒の髪の男・ロックル。両者は第一団の制服を擦り切らしながら、先二人と同等、もしくは上回る力量を発揮して拳を放っている。
「私もっ!」
「やれるさっ!」
「ごめん、ちょっときつい」
他にも三名の兵を加えて、突出した戦士達は怪物相手に抗っていた。
「くたばれェッ!!【形】を乱す、欠陥共がァッ!!!」
そうだ。これだけの戦士が揃っていながら。抗うことしか出来ていなかった。
誰か一人でも欠けたら、致命的な状況。
徐々に死へ引き寄せられるのを、戦士達は感じていた。
「――」
そんな状況に――希望の一矢が放たれる。
男は友の死を確認し、骸の近くで立ち上がった。
「……!」
彼は虹色の輝きを迸らせながら、右拳を固く握る。
(――ジュア)
胸中で渦巻く想いは、如何なるものか。
「お、ああああアアァッッ!!」
熱き叫びと共に、足を全速で動かす。
「ジン太ッ!!」
放たれた声。それすら度外視する程に、気力を漲らせるジン太。
一歩に全霊を込めるが如き、魂の走り。
「ぬうッ!?」
斧を振るい、敵と床を吹き飛ばすクルトに向かって一直線に、加速は増していき。
「――あああアアァッッ!!」
努力の煌めきは炸裂し、怪物の胸当て部分に叩き付けられた。
元々刻まれていた罅が広がり、それは砕け散り。
「まだだアァッッ!!」
確かな手応え。
先の肉体に、虹色の一矢は突き刺さった。
「……ほうッ!!見事な気力ッッ!大した若者だッ!!」
「ッッ!?」
あまりにも強靭過ぎる胸筋は、希望の矢が突き刺さるのを許さない。
クルトは笑みを浮かべ、聞いてもいない評価を下す。
「だがッ!!【努力】が足りんわァッ!!欠陥者アァッ!!!」
「――――ごべばぶるりゅるちィッッッ!!?」
返された一撃。
叩き折られた矢は、奇声と共に空中へ。
鼻血を撒き散らしながら、頭から垂直に床に激突。
「へはッ」
間抜けな声を発して、再び倒れ伏した。