お願い?
鞄を手に、ズボンのポケットを確認していざ出発。
「図書館に行ってくる」
「そうですか。どうぞ勝手に」
出掛ける前、ソファで寛ぐフィルにそう告げた。足を組み、不貞不貞しく座る姿は彼女らしい。どっちの意味かはともかく。
「何か、借りてきて欲しい本とかないか」
「……ないです。あ、やっぱり一冊だけ」
右手で持った書物を捲りながら、フィルの言。
「なんだい。頼りになる船長に言ってごらん」
「【むかつく上司に下克上!始末法百選!】を」
「上司なんていたっけ?」
いつものジョークだな。そんな物騒な本がこの世にある筈がない。あってたまるかっ。
「そんじゃ、マリンと留守番頼むぜ。夕飯の材料も買ってくるけど、リクエストは」
「同じく」
「そっかい」
特に好物はないんだったな。助かるような気もするし、ちょっと残念な気もする。それもまた彼女らしさだが。
「多分、暗くなる前には帰ってくると思う。……なんか、冷たくないか視線」
「?なんのことやら、です。いつも通りの美女でしょう」
とぼけた風の彼女、その両目は批難の色を帯びているように感じられて。疑問が頭に生まれた。
「意味分からんな」
「意味なんてありませんから、どうぞイチャついてくれば良いじゃないですか。ケダモノ」
「……キャサリンは友達だぞ。そういうんじゃないって」
「皆、そう言うのよ。見苦しい。ああ、なんて欲望にまみれた船長なのでしょう。怖いです」
「お前が言うかっ」
ぬう、ただ批判したいだけじゃないかと思ってしまう。本当に違うんだ。
(初恋の人に)
重なる部分はあるが、それだけだよ。
「とにかく行ってくるぜ。一応、お菓子類は補充して菓子箱に入れておいたから、マリンとでも。……ああ、今日訪ねてくる客人にも良かったら」
「適当に摘みます。マリンには、とても甘い菓子だけ渡しましょう……フフ」
「嫌な性格してるぜ、お前」
無垢な少女がまた犠牲に……そんなでもないかと、考え始めた最近の俺。
(割と強かなところあるよな、マリンも。末恐ろしい)
どうか腹黒女のようにはならないでくれと願い、ドアノブを握り。
「船長」
回そうとした時に、フィルの声。
「雨が降るかも」
「はいよ。行ってきます」
崖を下り、いつも通る坂道に向かう。フィルの言う通り空は曇天模様。微妙に判断に困るくもり具合だ。
坂道を進み、木々の中へ。
「……?」
修行がてらに森を疾走していた際、誰かの気配を感じた。
例の客人だろうか?
「戦士団の人間と」
フィルによると、訪ねてくる人物は戦士団の者らしい。何の用事か。
(襲撃事件関係かな。やはり)
内心めちゃくちゃビビったあれ。必死に恐怖を抑えてたが、ダチ公にはバレてたな。
(あれの後、迂闊に王都外に出ないように言われた)
関わってしまったからには仕方ないが、面倒なことになったもんだ。お陰様で、ロイン宅周辺まで見回りが来るように。
「さっさと捕まってくれればな。どんな奴等なんだか」
「――あっ」
「おっ」
図書館の前でばったり。ショートパンツの研究好きは、俺と目を合わせると照れ臭そうに視線を逸らした。
「……奇遇ですね!ジン太っ」
「おう。外で会うのは珍しいな、普段はあんまり外出しないんだよな?」
「あはは、あんまり外に出ても楽しくないので……」
「たまには日の光を浴びた方が良いぞ。とか言っても、それすら億劫なのか」
俺には分からんな。朝起きて、朝日を浴びた時の高揚感!旅の始まりを感じさせて、やばくないかっ。
「研究仲間にも似たようなこと言われました!でもあれは、逆に駄目だと思うんですよ!ぶらつき過ぎ!」
「誰だよ……ていうか、そろそろ中に入ろうぜ」
「はい!」
二人並んで本の山への扉を開く。
曇った空は、どうやら杞憂だったようだ。
「――仲間の一人に、徹夜常連の人がいるんですけど」
席はお馴染み二階読書スペース。近くに、娯楽性が高い本を並べた本棚が二つ置かれている。読むことはないが。
「寝ないのに凄い集中力で、研究を進めていく人なんです。目が赤く染まって怖くて」
「怖いよなぁ。赤い瞳はっ」
全力で同意するぜ。油断すると片腕をもっていかれる。
「ずれてないですかぁ?話」
「気のせい、気のせい。それで、その人とは仲良いのか」
「あんまり。好きじゃないんですよ、実はっ」
ぶっちゃけ風に、キャサリンは気持ちを零した。
「あれ、お前が好きなタイプじゃないの」
「なんですかねー!こう、いまいち気に入らないと言いますか!不健康そうなのが悪いのかもっ」
「なんだそりゃ」
髪飾りをいじる仕草は、彼女の気持ちを表しているのか。
「……とにかく!なんとなくなんです!どうにかならないですかね、これっ」
「どうにかって……俺に相談かい」
「だってジン太っ。この前はナイスアドバイスだったし」
キャサリンが言うのは、ちょっとしたお悩み解決のことか。
(肩凝りに効くもんとか、安眠法とか)
役立ったなら嬉しいが、俺は先日大失敗をしたばかりなんだ。お陰様で反省会を開くことになってしまった。
「理由が分からないと」
「……それはっ」
目を泳がせて、言葉に詰まるキャサリン。思い当たらないか。
「……合わない奴ってのはいるけどな。どうしても」
「ジン太も心当たりが?」
「おうよ、当然。でもま、欠点あってこその人間ってな」
その欠点が魅力に見える場合だってあるし、難しいもんだ。
「欠けたもの……ですか」
キャサリンは視線を右に折り、窓の前にある白花瓶に向けた。
(黄色い花三本……一本だけ、顔が欠けている)
彼女は溜息一つ。
「……あなたは、昔からそうなんですよね」
「は?なんのこっちゃ」
「苦労して、足掻いて……繰り返してきた」
その息に悲しみが詰まっているかのように、空気に冷たさが混じった。
こちらを見る彼女の顔は、歪みが見えて。
「辛くなかったですか。その歩みは」
どんな感情かは分からなかったが、真髄に聞いてることは分かった。
から。
「――辛いに決まってるだろ。当たり前だ」
率直な気持ちを、素直に伝えた。
彼女の目をしっかりと見て。
「何度も吐いたし。やり過ぎて骨がイカれたこともあった。そうやって、自分に出来る限界を見極めて」
その歩みは遅かったんだろう。普通と比べても。
周囲の足跡は更に先へ、いつも映るのは他人の背中だった。その度、己のみじめさを自覚させられてしまった。
■この世界は、優れた者と劣った者の差が明確だ■
「ただ愚直に努力を続けられる程、立派な人間じゃないしな。何回も挫折して、自分に失望してきたよ」
追いつこうと躍起になって、焦って転んで後退する時もある。
どうしようもない、こんなの。と、涙を流す日。
【――くそっ】
――無駄な努力、過った回数はとても多く。それを振り切るように、継続してきた。
「……それでも、俺自身がそうしたいから続けてきたんだ」
【くそっ……!くそぉ……!!】
感謝してるんだ。あいつ等に。
「――理解しました。ジン太」
話は途切れる。
きっぱりと告げられた言葉は、俺に不安感を抱かせた。
「あなたはやっぱり……わたしと」
まるで、それは決別を知らせる音色の様だ。俺は、何か致命的なミスをしてしまった気分になって。
堪らず、彼女に問いかけた。
「キャサリン?」
「でも残念です。もうお別れしないと」
彼女は何を言っている?お別れって、どういうことだよ。
「その前に、一つだけ」
キャサリンは人差し指を立て、それをクルクルと回す。
くるくる。くるくる――。
【ぐにゃりと、悪寒が走った】
「わたしのお願い、聞いてくれますよね?」
纏まらない頭の中で、声は不思議と良く響いた。