彼の源
――赤く輝く太陽が、目に入った。
水に浮かぶ感覚を、最初に。意識はハッキリと、しない。
全身を水面に浮かばせながら、青い空の光をぼんやりと見る。
僕はどうなった?大会は。スカイ・ラウンドは。
……考えても、何も思い出せない。この場所にいると頭が回らないな。
不思議な海を漂う、朧な意識。
夢の中だな。
「……いい、気分だ」
ずっと、ここにいたい。それぐらい清々しい、やり切った気分。
これは、もしかすると。
「達成したか。優勝……」
確信が、何故か心の中にある。満たされている所為か?
「なら、行こう」
皆の元へ戻らねぇと。頑張った甲斐がなくなっちまう。
「……あばよ」
【優勝を誓う姿は、夢にあふれていた】
目を光らせ、未来に向けて邁進する馬鹿な落ちこぼれ。
「諦めたら、それだけだった」
そうしなかったから、それだけじゃなくなった。
僕の掌には、しっかりとした現実が握られている。
「……次に進まなきゃな」
達成したら、それは夢とは違うもんになるから。
焦がれていた夢に別れを告げ、新たな夢に向かう時だ――。
「――あっ!――ロイ――!やっと――よかったっ!」
見知らぬ部屋の雰囲気が、僕を包む。ほんのり体は暖かい。視界はぼやけて、よく見えない。
(部屋の光……天井のランプか……)
……鼻をくすぐる良い匂いがあるな。それに、さっきの美声は……変に耳になじむ……。
(というか、ここは知ってる場所……?)
ぼやけた視界の中で、一つの輪郭がはっきりと形を成してくる。
(右に立つ……こちらを見ている、ピンクの寝巻を着た……丸く可愛い花色の目……素晴らしい、強気の中に優しさが存在してる……心配そうな色。淡い雰囲気を持った、橙色の髪……心が癒しで満ちて……完璧だ、人間じゃない)
――なんだ、ただの女神か。
「……なに、にやけてるのよ。不気味な……やめてよね!」
「はは……頑張って夢を叶えて……次に女神が目に入ったら、そりゃあな」
ここは学院に隣接した寮の中、生徒達の個室だろう。
感じる柔らかい感触は……。
(ベッドの上か……感謝!)
僕は、親友メリッサの部屋で寝ていた。前にも来たことがある。
至福の想いを感じながら、なんとなく部屋を見渡してみた。
(前と大して変わらないか?……壁に弓が立てかけてある……調整でもしてた?……机の上に大量の書物が、メリッサらしいな……タンス……ごくり……!)
白い布団を押し退け、少しだるい身を起こし、締まらない意識を覚醒させていく。
服に目を遣ると、水色の寝間着を身に纏っていた。
(いつの間に……ん?あの矢は……攻撃崩壊の……)
床に転がった、黒い鏃と銀の箆を持つ一本の矢に目が行く。
「なに?……ああ、アレ?【おじさん】の失敗作よ。貰ったの、一応」
「おっさん、また失敗したのか……懲りねぇな」
「本当にね。体壊しちゃうわよ」
まったくと、ため息を吐くメリッサ。
心配ではあるんだろうな、あのオッさんはジン太と同類だから無駄だが……。
「……そうだ!おじさんから伝言あったわよ」
「伝言?」
「そう。【おめでとう】って」
おめでとう、か。おっさん、もしかして観に来てたのかね。
「……あれから、どのぐらい寝てたんだ。てか、何故ここに」
「あんたが優勝してから、半日ってところね。もう夜よ。閉会式が終わって、治療も終わったから、ここに運んだの。ちょっと心配だったし、あんたの家って割と遠いし」
さりげなく、僕が知りたかった事をフォローする女神。良かった!やっぱ、優勝したんだな!なにかの間違いだったら、夢に戻るところだ。
「さっきまでメイがいたんだけど……残念、帰っちゃったわ。【戦士団】の仕事もあるようだし」
「なんにィ!?」
「ふふ、あんたの手をしっかり握ってたわよー。ラブラブじゃない!」
僕!痛恨のミス!
惜しい!惜しすぎる!泣きたいZE!
「どっちの手!?右手!?」
「……すごい怒ってたけどね。理由は分かるでしょう?」
「あっ、あー、ばれたか……」
短期間での、あの成長。
ゴンザレスと渡り合い、勝利したのは事実なのだ。どうやって学院トップの実力を付けたのか?と、問われると。
「スカイ・フィールドしか、ねぇよな。……説教何時間かねぇ……長いんだよな、メイのは」
彼女を悲しませたのは心が痛むが、後悔はない。
【約束はできねぇよ】
もう既に、メイの為だけではなくなっていたのだ。
「気持ちは分かるけどね……あたしは、どうだろう……」
両目を瞑り、メリッサは思案顔を見せる。
彼女の、揺れ動く感情が伝わってきた。
「……まあ、怒ってばかりでもなかったわよ!ちゃんと、褒める所は褒めてたし!」
「!どんな風にっ」
「カッコよかったとか、見違えたとか……後は本人に聞きなさいな」
「……ふ、ふぶふ」
奇妙な笑いが、腹の底から湧き上がってくる。
「ぞわっとした」
メリッサに微妙そうな顔をされたが、止められないな。いや、ほんと。
「ケビンは〈自分にはない……良いもの見せてもらったよ。ありがとう。おいらが応援したお蔭だな!〉だって!」
「あんにゃろう。調子のってんな」
軽い性格の奴のことだ。明日には優勝の事実なんてどこ吹く風、通常対応で話題にすら上げない可能性があるぜ。
「ジョージは号泣してたなぁ……ふふ」
「浮かぶぜ、絵が」
ジョージは、直接感想を伝えるタイプ。きっと、会ったらくどくどと言ってくるだろう。
「それと、委員長……アッシュは普通に称賛してたわね。〈中々熱くなったよ〉とか、いつも通りの仏頂面で言ってたわ」
「予想通り。ぶれない堅物」
僕の中で完全に、腕を組んだポーズに固定されている真面目野郎。
今度からは、お馬鹿な行動も少し控えめにするか……。
「そしてジン太……」
「せ、先生は!?熱血野郎は後回しでっ」
「え?あ、ああ。そう。それなら」
【とても、嬉しかった。とりあえずは、それだけで……】
「先生も泣いてたわよ。悪いやつよねー。あんた!」
治療室のベッド傍で、リンダ先生は目を赤くしていたらしい。
その後、先に目を覚ましたゴンザレスを追いかけてしまったみたいだが。
「そ、そうか……」
泣くほどなんだな。そんなにも先生は。
「――嬉しいのね。ロイン」
ぽつりと、彼女の言葉が僕の心を表した。
「……は?なん、で」
「だって、そんなにも幸せそうな顔で泣いてるじゃない……」
泣いている?僕が。
「あ……」
確かに、顔を伝う涙の感触があった。目だって滲んでいるな。
「……どうしてだろうなぁ。気付かなかった」
「きっと、嬉しすぎて分からなかったの。……あんた、話を聞く度に幸福が溢れそうになってたわよ?」
「……」
それも気付かなかった。
(だが、考えてみれば当然だよな)
スカイ・フィールドの地獄で、挫けそうになる度、挫ける度に支えになってくれたのは。
(今まで、自覚はなかったが)
スカイ・ラウンドで叩きのめされた時、僕を突き動かしたものは。
(二つの苦難を越えて、僕は自身を知った)
「――あたしも同じ。おめでとうロイン。あんた、凄い根性だったわよ。……なんだか、励まされてるみたいだった。ありがとう」
僕が見たいのは、こういうものなのだと。
「……」
静かに流れる涙は、しかし長く続き。
壊れそうなほどに儚く尊い、今は過ぎ去っていく。
時間の流れが止まったように、ただ静かな時がそこにあった。外から虫の声が聞こえるような、聞こえないような。
心に染み渡る、あたたかいもの。暗闇の中で、僕が求めてやまなかった光。
夢のようだが、夢じゃない。
幸福の海の中を、僕は漂っている。
ああ、人生ってやつは本当に――。