特別
【お前は、特別な存在だ。フィル】
どうでも良いから忘れていた、その言葉――。
遠く離れた大きな川まで、怠惰なる男は吹き飛ばされた。
凄まじい水しぶきが舞い、水面からの衝撃が彼の体に響く。
「ぐ……ッ!!」
荒野を震わせるかのような、空気をねじ切る暴風の矛。
それを受けてもなお健在なのは・彼の異常性を表していた。
(防壁は間に合ったが……)
即座に立ち上がったノードスの服はボロボロで、所々が血に染まっている。
武器には目立った損傷がないが、世界を軋ませる暴風は、怪物の肉体だろうと容赦なく切り裂いた。
(……あー)
気怠そうに首を回す彼の瞳は、濁り切っていて、どうにも光を映さない。
(まったく……)
近くで音立てる、大きな滝を鬱陶しそうに見ながら。
「うざってェなァ」
滝が一瞬で形を変え、無数の超大剣となって、彼の元へと引き寄せられる。
その速度は音速に迫り。
「――全方位・殲滅陣」
短剣を水底に突き刺し、スペル・チャージを行う超速動作で対応するノードス。
(世界の器に・アクセス)
才力を扱う行為とは、他の存在が持つ才を、本体に無断で使うことに相違なく。
(許可申請・承認――時間)
そんなことは世界の条理が許さない。
なので世界の器と己の器を繋げ・世界からの許しを貰う必要がある。
その工程の為に発生する力を動力という。
(刹那・短縮・短縮・短縮――)
つまり異常な動力を持つノードスは。
(発動・開始)
(殲滅・完了)
音速の刃を難なく迎撃・破壊する速度・威力で、全方位に殲滅の波動砲を放つことが可能なのだ。
(ひさしぶりだ)
一瞬にして広がった赤い閃光は、全ての刃を打ち砕いて無力化させた。
(反動がきついが……やっぱ甘くない)
飛び散った水が荒野の方まで雨を降らせ、迸った衝撃波は周囲の地形を粉々に砕き、川の形を変えてしまった。
(次は?どうすんだい)
まるで気にも留めず、自信を殺しうる怪物の動向に注視する彼。
(お前は、本当に冷静だった)
注視しながら、かつての戦場が頭を過る。
(どんな時でも淡々と・作業的に敵を排除していたよな)
黒滅鬼と恐れられた少女の、冷酷無慈悲な蹂躙。
敵が兵として戦場に立った者なら、まったく容赦はせずに消し飛ばしていく姿。
【纏った黒衣の軽装は・彼女自身の手によって生み出された・最強の鎧となる才物】
圧倒的な防御性能によって傷一つ付かず、それとは無関係に、微塵も感情を【感じず?・感じさせず?】に戦い抜いていった彼女は、同じ天上にすら畏怖の念を抱かせた。
【あれが……十五にも満たない少女だと?】
ぽつりと言ったのは、三十年以上の戦闘を積んできた、基本的には努力によって高みに上ってきた男だ。
【凄まじい、わね】
銀髪の女性も、素直にその光景を驚愕の表情で見つめていた。
【……ほーう、やるじゃん】
自身が同等の才を持つ怠惰なる男は、彼女の別部分を評価していて。
【我らが勝利の女神に!祈りを!!】
その容姿もあって、神格化する兵もいる。
ドルフのように、味方が嫌悪感を抱くような殺戮を行っていた訳でもなかったが故。
【そう――あれは人間じゃない。現象と言った方が良いな】
誰が言った言葉だったか、彼女を的確に表す言。
「……」
称賛を耳にしても・彼女は何も感じない。
(不快)
逆に抱く感情は、どんどんと悪性の沼に嵌まっていった。
「……」
それでも行動は変わらずに、どこまでもどこまでも、熱意とは無縁の戦闘を行ってきた。
生き残る為の熱も・信念に向ける熱も――。
「堕落流星――!!」
全てこの時に収束させるために抑えていたのではないかと・思わせる猛攻――。
「おいいっ」
上空の光景に、顔をしかめざるをえないノードス。
(空を埋め尽くすほどの、光の槍だとっ)
青白い光を放つそれは、鋭い穂先を地に向けて降り注ぐ。
(どこまでっ)
あまりにでたらめなその光景に、冷や汗をかくのは仕方ないだろう。
「やるしかねェか」
それに対応する為に動ける彼も、また規格外なのであるが。
(よく見ろ・観察しろ)
目を凝らすノードスは、槍の雨を観察し、綻びを見つけ出そうとする。
(――あった)
右前方に向けて疾走する彼の目には、僅かなその隙間が映る。
(あそこなら、攻撃を凌げる)
安全地帯に向けて、一直線に。
(間に合うか)
迫る雨。
動く両足。
加速する体感時間。
(届けッ)
――破壊の雨が、水の大地を崩壊させた。
(すげーな)
連続する大きな破壊音と、抉れ飛び散る大地の合成現象。
滝の音など彼方に消え、その場を変貌させる破壊の雨は、地形そのものを抉り・食らっていく。
それは正に怪物の所業。
人を殺める力ではなく、【世界】を殺す力。
【お前の力は、いずれ復活する脅威を打ち倒すものだ】
力を振るう少女は、かつて生まれ育った場所でそう言われたことがある。
【だからお前は特別】
崇高な宿命を背負った特別な存在であると。
【そのことを決して「どうでも良いのよ。そんなことは」
だが彼女にはもっと大事なことがあった。
特別な存在であるとされた自分より大事な【特別】を、壊させはしないと。
(――ナマケモノ)
破壊煙の中で立っている、忌々しい邪魔者を見た。
小癪にも逃れたケダモノに。
(狩)
時間差を生じさせて撃った槍を、ぶち込んだ。
(頭・粉砕)
操作されたそれは・安堵するノードスの背後から迫り。
「あぶね」
灼熱の剣によって、あっけなく砕け散った。
(ナマケモノ・悪手よそれは?)
【ぎし・ぎし・ぎし】
「――はっ?」
世界が軋みを上げながら、異常の矛を彼に向ける。
(動きが)
重くなっていく体。
(こりゃ、すこし)
ノードスは悟った。
己が既に罠に掛かったことを。
(わざと隙を作った、かっ)
(今頃気付いたナマケモノ・遅すぎるのよ何もかも)
ノードスの周囲に発生する力は、理解不能のものであるが故。
「ぐッ!?おッ!!」
ぐんぐんと彼の肉体を押しつぶすかのように、周囲の力が収束していく。
全方向からのそれは、逃げ場もなく。
(いつの間に、こんなもんバラまいていやがったっ)
よく目を凝らせば、正体不明なりに目視することは出来た。
(まさか、波動同士の衝突の際に……今までの大雑把な攻撃は、全部注意を逸らすためかっ)
しかし既に手は遅い。
見えていてもどうしようもないほどの圧力によって、少しずつ・着実に、ノードスは死地に追いやられていく。
【ぎし・ぎ・し】
(くそ・がァッ)
みしみしと音を立てる彼の肉体。
(さっきの波動砲の反動で器がっ。それを使う時を待っていたっ!?)
燃え盛る短剣には罅が入り。
「このっ、化け物がァッ」
怪物が、窮地に叫びを上げた。
「閉じて・捻じれて――潰れ・失せて」
【ぎし――】
ばたんと・閉じて。
「フ」
後には何も残らなかった。
「フ・フフフ」
●■▲
「まだまだ……っ」
矢の連撃を耐えきっている。
それが天上の放つものとなれば、持つ意味が違ってくるのだ。
(私がやらなければならない)
強い使命感を支えに、彼は盾を構えて死線を越えていく。
もう盾はひび割れているが、心は折れていなかった。
(彼等を守るのは、立派な戦士としての責務だ)
己に定めた信念を全うしようと、全力全開で踏ん張る彼の姿は、決して揺るがぬ岩壁の如く。
「おお!!」
気合いの言葉は、天上相手だろうと一歩も退かない姿勢を強める。
新たに放たれた矢が三本、彼に襲い掛かろうとも。
(耐える!!)
展開した防壁によって、それらを防ぐ。
(……重いッ)
徐々にひび割れていく壁は、とてもその攻撃を受け切ることが出来ない。
壁を貫き、盾を貫通して、イギーの肉体を抉るだろう。
(……ッ)
しかし彼は怯むことなく、両足をしっかりと地に着けて、後方の仲間たちの為に少しでも時間を稼ぐ。
(あれからどのぐらい経った、皆は船に戻ったか?)
迫りくる矢の為に振り返ることすら出来ずに、それでも己のやるべきことをやろうとする。
(この道は大きく曲がっている……射線上から逃れるまで時間を稼げばっ)
三本の矢が、作り出した壁に突き刺さった。
(ッ。それだけでは、ダメだッ)
衝突する雷光と・守護の霧。
発生する淡い光が、霧の盾と共に散っていく。
(あっちが、こちらを少しでも脅威と思ってくれているのならっ)
その中で踏ん張る彼の力は、逆に上がっていく。
盾が、その強度を増した。
(少しでも、私が敵を引き付けるッ!!)
弾かれる、必殺の一矢。
今まで多くの同胞を守ってきた盾が、雷光の矢を防ぎ切る。
その責務を果たすために、より強さを増して。
(来いッ!!)
当然、矢は止まらない。
それでも彼の守りは怯むことなく、そこに在った。
「――おッ?」
イギーの脇腹に鋭い痛みが走った。
「……」
赤く染まる腹部。
「な……」
驚きの感情のままに持つ盾には、綺麗な小さく丸い穴が空いていた。
「まさ……か」
口から漏れ出る血を気にする余裕もないままに、防御不可の矢が続々と襲い掛かる。