捨てられず・しがみつく
「――貴方達がクルトに勝てたのは、状況が良かっただけ」
いつかの病室で、フィルは俺に忠告(?)していた。
「特殊な才奧の力によって、あの男は弱体化していた」
「なに……?」
「加えて・元々かなりのダメージを負っていたようね」
つまり俺達は、大幅に弱体化した奴に対して苦戦していたという話。
(天上の格)
それは俺が思っているより、遥かな高みにあるようだ。
「甘く・見ない事ね」
「分かってるさ。大丈夫だ――」
(――甘く見ていた)
(待ちやがれッ。まだ俺はッ)
戦える。
負けてないんだ。負けたらダメなんだよッ。
「グっは……ッ!?」
体に力を入れた途端・内臓が軋む感触と共に、吐血した。
(ぐそォッ)
地面に指を突き立て、思い切り力を入れても。
ただ無意味に削るだけで、何の効果も得られない。
(立てよッ)
くそやろうがッ。
俺はまだまだこんなもんじゃ。
【間違いなく・全力の一撃だった……ッ】
「オっアッ!!」
苦悶の声を漏らしながら、必死に起きようとする体に、衝撃の事実が突き刺さる。
(それを、あんなに軽くッ)
受け流されたっていうのかッ。
(破られたっていうのかよッ)
あってはならないことだろうが、そんなことはッ。
あんな、大したことない奴に完敗するなんて……。
(認められるかっ)
両腕に力を入れ、再度立ち上がろうと試みる。
が。
「ごゥッ!?」
肉体の芯を折られたかのように、力が入りやがらない。
(心にまで・罅が入ったかのようだ)
心身が壊れた人間というのは、こんなにも無力なのか?
宿敵に一矢報いることもできないほど?
(ふざけるなッ)
ふざけるな・ちくしょうが・俺が今までどれだけッ。
(決して楽な道のりではなかったんだッ)
必死になって・走ってきた人生は。
【もう駄目だ】
心の中に鳴り響く劣等感を抑えながら、鍛錬を積んできた。
【俺なんていくら努力したって】
自信なんてとっくの昔に失くして・信じているのは別のものだった。
(俺は)
【――何で俺は】
(こんなに無様なんだ)
「……」
自然と目からこぼれる涙を、止めることが出来ない。
悔しすぎて、歯が砕けそうだ。
(ノードス)
こんな奴に負けるのかよ。
(ノードスッ)
努力を否定する想いが・形を成したような奴にッ。
(ノードスゥッ!!)
そんなことあってたまるかッ。立てよッ!!
(立つんだッ!!俺の体ッ!!)
そうじゃないとッ!!
俺の今までの努力は何だったんだッ!!
(こんな野郎に負ける程度のッ)
そんなもんだったと、努力の価値を、貶める訳にはッ。
「グ、オオオッ!!」
行かねェんだよッ!!
「オオオオオッ!!」
「で、立てないのか。はぁぁ~」
奴の言葉が頭に重く響く。
吐き気がしてきた。
「――――」
無理なものは無理。
子供だって理解できる当たり前の現実が、背中に圧し掛かってどいてくれない。
(――ちくしょう)
負の感情が・一気にあふれ出してくる。
(ちくしょうくそ、なんでだ、なぜこうなるッ!!いつもいつもいつもッ!俺の努力はそれを壊す為のもんなのにッ!!こんな糞野郎に負けるなんて有り得ないッ!!何かの間違いだッ!!夢だッくそッ認められるかぁッ!?)
止まらない・止まらない。
敗北への恐怖が止まらない。
グラグラと揺れる世界は、根幹から崩壊しようとしていた。
視界が淀んで、前に見える黒のブーツが歪んでいるように思えて。
(ああああァッッ!?負けるッ!?俺の努力がこんな薄っぺらい紙みたいに容易く吹き飛ばされてッ!?負けるってッ!?)
【無駄な努力~♪】
(ああッ!?クソッ!!違うッ!!)
無駄な努力の筈はないッ。
だってよッ!?
あんなに苦しかったんだぞッ!?
(馬鹿みたいに走って、鍛えて、倒れまくってッ)
あんなに辛かったのによッ!!
(それでも少しずつ前に進めているとッ!!)
こんなこんなこんなッ!?
(こんな結果はッ!!俺の努力はッ!!)
その場で足踏みしてるようなもんだったってッ!?
【無っ駄な努力♪無っ駄な努力♪】
(あああああッ!!うるせェよッ!!黙りやがれッ!!蹴るぞテメェッ!!)
そんなそんな馬鹿な馬鹿な。
流した汗の重みや費やした年月の価値や努力が頑張りが苦痛が困難を乗り越えた日々が、無駄なんてことあってッ!!たまるかよッ!!
(なかったことになる、全て空気になるなんて)
溶けていく、価値が下がっていく。
(あの頑張りは)
努力を完全に放棄した奴に、無気力に壊される程度のもんだったとッ!?
(許されるかそんなことッ!!)
【無駄無駄無駄無駄無駄な】
(立って、戦わないとッ!!)
涙を流し息を乱したあの一時の全て労力の全てがなんでこんなにあっさりと、こんな運命は間違っている世界がおかしい運が悪かっただけだ、これは俺の全力じゃないやり直しだリトライッ!!リトライッ!!リトライをッ!!
【で、立てないのか】
(ああアああアッ!!)
立つッ。
絶対に立って。
立たないとッ。
【むだ無駄ムダなのに頑張っちゃって(笑)、あいつ何を叫んでやがるんだよ頭おかしいよなダメダメだなクズ野郎が、そんなんだから劣等者・落ちこぼれ・才能がない奴は、ぎゃははははは!!バカだあいつ!!暑苦しくて気持ち悪いどれだけ頑張ってもお前なんか】
――ア嗚呼ああアああア嗚呼ああああ嗚呼アあああああああああ嗚呼ああああああああああああああ――あ。
(……やめてくれ)
もう。
なにもかもが。
こわれて。
(敗北を)
認めるしか、なくなる。
【ほげえええええええ】
……。
……。
……ちくしょう。
俺は。
なんで・なんで・なんで。
(なんで――勘違いしちまったんだ?)
「うお、こいつは……」
ノードスが・少し遠くで言った。
そう聞こえるだけかもしれない。
(……なにを、驚いている)
……お前は【勝者】だろうが。
余裕持って見下していろよ。
(なんか、引いてないか?)
伺える奴の表情は、引き攣っているようにも見えるが。
(なにが……あっ)
視界に、パラパラと落ちる髪の毛が見えた。
(俺の髪……)
茶色くなった髪が、大量に抜け落ちているんだ……。
(精神的なもんなのか?)
おかしいほどの抜けっぷりに、俺は自分が思っていた以上のショックを受けていることに気付く。
更に、歯が少し砕けている様だ。噛み締め過ぎたか……。
「おい……どんだけだよ……」
そりゃ、ノードスの奴だって引くか。
自分でも驚きだ……。
「はぁ……もう終わりだ」
溜息を吐いて、ゆっくりと足を進める奴。
さっきは抜かなかった剣を、するりと引き抜きながら。
(おわり、か)
一歩一歩、死の時が迫る。
(――なんか、つかれたな)
気力が一気に抜けていく。
トレジャー・ルームで受けた足の傷や、殴打のダメージによって腫れた顔や腹。
それらを遥かに凌駕する、ノードスの一撃の重み。精神的にも致命的だった。
大きな炎が燃え尽きたかのように、全てに対して脱力している。
(自分なりに努力は積んできたつもりだった)
つもりなだけで、実際は結果に何の影響もないような、ちっぽけなもんだった。
蟻が象に勝つようなもん……下手すると恐竜ぐらいの差はあるかもしれない。
……やってられねェな。
(マリンもフィアもマルスさんも)
失ってしまった。
なるべく慎重には動いていたつもりだが、俺は俺が思っている以上に無能だったようだ。
(ああ)
なんでこうなっちまうんだよ。
「結局、大して暴れなかったなー。一応、門番は避難させておいたんだが……やるな!ノードス君!」
「あー、まったく怠い。お前って、変なところで用心深いよな」
「あははは。勘に近いが、あの女は排除しとかないと不味いと思ったんだ」
来るときに見かけた門番がいなかったのはそのせいか。
なんて、敵の話を聞いてぼんやりと。
(そうじゃない)
俺は。
「……じゃあなジン太」
俺にとって大事なのは。
「……」
この瞬間の。
「まだ、そんな目が出来るのか」
まだ――。
【地面に両指を食い込ませる】
「オ、ウううアッ」
両腕を支えに・立ち上がれるなら。
激痛を感じながらでも、俺は立たないといけない。
「……へえ」
死を受け入れることなんて出来やしないッ。
「ウううッ」
情けないうめき声を上げながらでも、無様に鼻水を流しながらでも、構いやしないんだ。
(俺の人生はッ)
【ぎゃはははは!!】
最初からそんなもんだッ!!
足掻いて、もがいて、その先にッ。
(行くんだッ!!)
「ま、無駄だが」
「――」
非情に振り上げられる短剣の軌跡を、ゆっくり動く時の中で見た。
(立ち上がれ、ない)
その刃を止めることは出来ず、俺は呆然とそれを目で追う。
無様に、地面を這いつくばりながら。
(チャンスは与えられない)
もう駄目だと思いながら。
何故か力強く心は叫ぶ。
(だが、どんな状況だろうと)
【うおおおおお!!】
それを――捨てるなよ。
剣が、落ちてくる。
「間に合った・わね」
轟音・土煙と共に、状況が一瞬で変化した。
「グッ!?な、にッ!?」
驚愕の声はノードスから。
非情に珍しい気がする。
(何)
俺も何が起きたのか分からない。
(一瞬でノードスが消えて)
代わりに。
とても・非常に珍しいものが見えた。
「――良かった」
こちらに振り返る、一人の女性。
とても見覚えのある、俺の相棒。
「無事で」
今まで見たことがないような優しい笑みを浮かべて、彼女は俺を守るように立っていた――。