場違い
「――――」
遠く離れたフィルは、埃っぽい資料室内で虫の知らせを受け取った。
(マリン)
自分の大切にしている玩具が壊れてしまったような、感覚。
それは、船長にも危険が迫っていることを告げている。
「……」
並んだ多くの棚から取り出した木箱を抱えながら、数秒動きを止めて。
「それはそれ・ね」
また何もなかったかのように、行動を開始した。
彼女には、彼女のやるべきことがある。
(天上の二人――)
エルマリィとノードス。
彼等は別の異海から、こちらの海に来た。
(その方法を探らないと)
方法に心当たりはあった。
◆――残ってくれる気はないのか?◆
綺麗な紫を描く丸い天窓から暖かに射し込む光が、天上の者達を祝福していた。
室内にいるのは天上が三名に、王と壁際に並んで立つ騎士達。
「はい。契約は果たしました」
銀髪の女性が凛々しく言う。
「……」
部屋の中央に敷かれた毛皮の絨毯の上で向かい合って立つ、傭兵と雇い主。
「……ふむ」
雇い主は、赤いマントを羽織った初老風の男性。
青い瞳を光で輝かせ、威圧感を伴いながら傭兵二人を見る。
「考えを変える気は……ないか」
非常に残念そうに、スタルトの国王である男性は声を落とした。
この時が引きとめる最後のチャンスであったのだが。
「――はは、何度も言いましたけど、もう戦いからは足を洗うつもりなんですよ。契約にもあった通り、もう他の存在に雇われて戦うことはしません」
傭兵の片方・赤髪の美青年が、言葉を返した。
身長は高くもなく低くもなく、ゆったりとした緑の上着から露出している両腕は、細く研ぎ澄まされている。
「それほどの力を持ちながらか」
スタルト王は訝しげに青年を見る。
「信じられませんかね?」
にこやかに対応する青年は、とても血生臭い雰囲気など感じさせないが。
「お前は特にな。血肉を欲する【怪物】・ドルフよ」
王は確信をもって、天上の一人であるドルフを人外と称した。
「うーん。そう言われると否定できないんですが……」
軽く頭を掻きながら、困った風のドルフ。
「アレを、楽しんでいたのは事実ですし……」
その軽い動作で、彼は数多の兵士を葬ってきた。
笑いながら、歓喜しながら、ぐちゃぐちゃな光景の中を走り回っていた。
あまりに圧倒的な蹂躙ではあったが。
「本当に楽しい・非日常だった……」
彼はそのことに優越感など一切感じたことはなく、ただ血と悲鳴と混沌にまみれた戦場を愛していた。
「お前の両親については……悪かったな。恨んでいるか?フィル」
「いいえ。まったく」
部屋の出入口付近の壁に寄り掛かっていたフィルは、ドルフにそっけなく言った。
「それよりも」
彼女は先程の話に関して切り出した。
「楽しかった……ならば何故?」
部屋から出て行こうとするドルフに問うたフィル。
当然とも言える、その疑問。
「――それ以上に疲れてしまった。だけだよ」
最後にそう言い残し、彼は【戦場】から去っていった。
「そしてお前もか。エルマリィ」
「ええ。私には私の目的があります」
残ったもう一人の傭兵・赤い瞳のエルマリィ。
白い上着の上に黒い胸当てを装着し、全体的にラフな印象を与える姿。
彼女は王の問いにきっぱりと答え、引きとめるのは無駄であると示した。
「他の海に行きたいのだったな?」
「はい」
生真面目に王の言葉に対応していく。
「……何を探し求めているかは知らんが、見つかると良いな」
名残惜しそうに彼は言い、エルマリィの背中を見送った。
「……」
「……」
フィルとすれ違う際に、エルマリィは足を止める。
「珍しいな。貴女が見送りとは」
「別に」
二人は特に仲が良いというわけでもなく、交わす言葉は淡々としていた。
「……達者で」
静かな言葉で別れを告げ、彼女は大きな扉を開けて退室。
(導きの灯り)
それを持って別の異海に向かったエルマリィは、【新たな戦場】で戦い続ける。
◆つまり、あの女には◆
(渡る術があったということ)
それならそれで、エルマリィがこっちにいてもおかしくない。
(彼女一人だけなら――ノードスは)
本来の導きの灯りには、使用制限が存在する。
(一回使えば、もう使い物にならない)
ならば彼等が他の異海にまで攻めてくることは出来ない筈。
ノードスが渡った方法が、灯りに寄るものなら。だが。
(もしかしたら)
何か別の方法を持っている可能性もあるかもしれない。
(それ以外にも調べることはある)
冷静に、木箱を四角い机の上に置いた。
その中にあった革のファイルを取り出し、目当ての情報を探していく。
「……」
管理されている品物の情報・物の流れ・ノードスとエルマリィの行動記録など……。
(ノードスが異海に来たのは……)
エルマリィと同時期であるとの情報があり。
(行動を共にしていた……あの二人が?)
フィルの認識が正しければ、あの二人は仲が悪かったはず(というか、ノードスが一方的に殺意を持っていた)。
「パイプ役・かしらね」
それらしき男の存在はあった。
(――ガルドス)
出身は不明。
エルマリィとノードスと共にこちらの異海に渡ってきた、ロドルフェの総隊長。
(この男が二人を繋ぎ、一緒に異海へやってきたと……)
それならば、他の手段は存在しないことになるが。
「……」
彼女の頭の中で、何かが引っ掛かっていた。
「次は――」
【どくん】
「これは――?」
新たな資料を手に取ったフィルは、驚愕に言葉を詰まらせた。
●■▲
「――これは」
何だ?
「……」
目の前に倒れているマリンは、ぴくりとも動かない。
近くに転がった大根は赤く染まっている。
「マリン」
「――」
呼びかけても返事はない。
そもそも俺は、ちゃんと声を出せているのか。
(喉が渇く)
彼女の頭(?)から流れ出す血が地面を伝い、俺の喉まで侵食し、何もかも干乾びさせていくようだ。
(ゆれている)
頭の中がグラグラぐらぐら、僅かな光明が朧げに・儚げに、不確実性を増し・増して。
(しっかりして、くれ)
もたついている場合じゃない。
次の行動を。
(俺はなにを)
したいかなんて、決まっていた。
逃走中だろうが、無様な。
(仲間を犠牲に)
する覚悟を決めて・足を進ませた筈だ。
なのに、足が思うように動いてくれやがらない。
(マリン)
死んでしまったのか?本当に。
(そんな)
確かめないと分からないが・今は逃げるべきだ・まだ間に合うんじゃないか。
(間に合うって――どっちが?)
助ける方か・逃げる方か。
(どっちでも良いから早く)
動かないと。
「――なんてこった……」
「ッ!?」
最悪だ。
無意味だ。
無様だ。
(追いつかれた、迷った挙句にどちらも不可)
マリンを横目で見ながら、クソ野郎が目の前に。
(この野郎のせいで)
マリンは死んだ。
俺の所為じゃない。俺は自分の身を守るために大根を弾いただけで、こんなことになるなんて思っても見なかった。
(だが実際になったじゃねェか)
じゃあ俺のせいってことに・いやいやふざけんな。
(全部こいつがッ)
このふざけた野郎がッ。
(大根なんて投げるから、この――野郎?なんで泣いてやがる)
「うッおおおおっ。すばらしい!羨ましい!」
赤く染まる倒れた少女を見ながら、涙を流し、感嘆している大男。
「なんだよー!あのリアクション!あの死に様!」
羨むような声で、視線で、ガルドスは右拳を強く握りしめながら少女を称賛している。
握った拳から血が出た。
なにを考えてやがるんだ?こいつは?
「くっそー!卑怯だろそれはー!」
死に追いやったのはお前なんだぞ?
なんでそんなに軽いんだ。
「その発想はなかったわー!あー!先にやられたー!」
ズボンのポケットからメモ帳らしきものを取り出して、なにを描いてやがるんだ?
「メモメモ」
緊張感がまるでない。
まるで休日の何気ない一時のように、死と血の舞台の上を、空気も読まずに・むしろそれを壊そうとするかのように、ガルドスは暢気に楽しんでいた。
(こいつは・おかしい)
まるで全てが整えられた美術品の群れの中に、いきなりそれを乱す滑稽なオブジェが混ざったかのような、圧倒的な異質。
今まで異常な人間は何人も見てきたが、こいつはそもそも立っている世界が違うような・見ている形がずれているのではと。
(なんでそんなに楽しそうに)
この状況の中、いられる?
「とんだ掘り出しモンだな!やったぜー!」
まるで馬鹿にしてはいない声で、あの最後を喜ぶお前の心の中は一体どうなって。
「そんなに羨ましいなら・直ぐに似たような頭にして差し上げますわ」
ガルドスの雰囲気を壊すような、とても恐ろしい声が聞こえた。
「――ただし、思い切り悲劇的に死ね」
その主を確信する前に、ヤツの上方で黒い羽が舞い。
「えっ。なにこの死亡フラグ的な――」
「ごッッッぐぱッッッ!??」
上からの奇襲。
鋭い漆黒のクチバシが、ガルドスの大きな頭を赤く弾けさせた。