無力
(メリッサに手伝ってもらって、習得した一撃ッ)
アスカールで地道に試していた技が、ようやく日の目を見た。
(波動砲を重ねた、強力な拳)
かなりの反動が器に来るが、どっちにしても長期戦は出来ない。
(一か八かだッ!!)
「……ギャオオッ!!」
「ッ!!」
弾き飛ばされながらも踏み止まる怪物。
太い両足が床を削り、その勢いを殺していく。
停止するのに時間は掛からず、その程度の影響しか与えられなかった。
(ちくしょうッ!せめて、もっと万全ならッ)
さっきのバーストの反動で消えていく虹を感じながら、俺は歯噛みする。
(これ以上はッ)
痛む拳を押さえながら、次の行動を必死に考え。
(?)
目前の敵に異変が起きた。
「ギャオオ……」
叫びがどんどんと小さくなり、目を閉じる怪物。
「……なんだよっ」
そのまま床に両膝を付き、奴は動かなくなった。
静かな時が俺の周囲で動き出す。
「勝った、のかッ?」
ビビりながら、慎重に怪物へと近づく。
「……」
どれだけ観察してもまるで動く気配はない。
まるで死んだように佇む怪物を前にして、俺は判断に迷う。
(ど、どうすっかな、これッ)
倒したにしては崩壊現象が起きていないし、だからと言って下手に刺激するのもなんか……っ。
(放置しておいた方が無難)
もしここで再起動したら、強化が剥がれた俺は嬲り殺されるしかない……。
(放置、しようっ)
恐る恐る怪物から距離を開け、撤退しようとする。
後ろ歩きで慎重に……ッ。
「ん?おわっ!?」
一瞬だけ気を取られたせいで、足が崩れ、尻もちを着いてしまう。
「ほわっ」
心臓が飛び跳ねそうになりながら、怪物の様子を確認。
特に変化はなし。
「ふー、びびらせやがって……」
額を右手で擦りながら、俺はゆっくり立ち上がった。
「……しかし、酷いもんだ」
花の部屋を見渡して、甘い香りを阻害する、嫌な臭いの発生源に目を遣った。
「……うげっ」
思わず吐き気に襲われる。
長い旅の中でこういう類を目にしたことは何度かあるが、何度見ても苦手だ……。
「……」
少し、思案する。
(これからの行動は……)
「……」
床に落ちた黒い弓を見る。
(メリッサの弓に似てるが、やっぱり別物だ。びびったっ)
というかこの弓……他にどこかで見たことあるような。
(あれは、洞窟の部屋の石板だったか)
確か、その絵が描かれていた位置は――となると。
(この怪物……もしかしたら)
俺は更に思考を巡らせながら、【行動】を開始する。
(フィアの事も心配だが、マリン達に合流するのが先か?)
例の件もあるし、海の部屋にフィアが行っている可能性も。
もちろんいない可能性もあるが。
(……迷っている暇はない、早く行こうっ)
【確認】は済んだ。
限界突破が消えた状態でこの危険な魔境を進み始める。衣服はボロボロに汚れて、体力を消耗していた。
(花の部屋から出て、海の部屋へ)
来た道を引き返し、隣の部屋に移動する。
(この部屋に出る魔物の行動は分かっている。なんとか戦闘を避けて――)
無機質な目が・俺の姿を捉えた。
「――」
部屋に踏み入れた足が止まる。
心臓が衝撃で壊れそうになる。
恐怖で叫びそうになってしまって。
(俺より大きな、ムカデの様な・この魔物は――攻略書に情報が載っていた)
それを必死に抑えるために、思考を埋め尽くそうとする。
(かなりの固さを持ち【今の状態では勝機なし】、スピードも常人を上回り【きっと追い付かれ】、もし捕まったら【中、身をじっくりと抜かれて・殺される】)
急速に噴き出る汗は、止めることが出来ず。
必死に震えを止めようとする度、神経がごりごりと削られていく。
(音さえ立てなければ大丈夫、襲ってこない・攻略書にはそう書いてあった・しかしこの行動パターンは書いてなかったぞ・じゃあ間違っているのか、冗談じゃっ)
息をするのすら激しい恐怖を伴い、止めてしまう。
瞬きの音すら危険に思えて、目は開いたまま。
何が合図で地獄の扉が開くか分からない。い。い。
(限界突破に頼れない)
それだけのことで、こんなにも【違う】のか。
(は、やく。去ってくれっ。こっちを見るなッ)
一歩先に、死が待っている。
普通の死ではなく、より残虐なそれが。が。
(動くな、頼む、動かないでくれ、そんな死に方はいやだ、痛いのはいやだ、苦しいのはいやだ、こんなところで死んでたまるか、なんでこんなことに、もっと慎重になっていれば、ああちくしょうふざけんなくそ、が――)
「……」
大ムカデの牙が、嫌な音を立てた。
「……ッ」
離れた、瞬間に、動き出す。
(はやくッ)
部屋の様子が見えないほど・はやく。
「はッ……!!ハッ!!」
気付いたら、そこは部屋同士を繋ぐ通路内。
「ひッ!ふッ!」
息を乱しながら、自身の生存を認識した。
(生きてるッ。切り抜けたッ)
腕は付いてる、足も付いてる、心臓が動いている。
(……ああ、生きた心地がしない)
通路の壁に寄り掛かりながら、足を止め、この瞬間の生を・通り過ぎた死を実感し。
(……だが、まだだ)
もう一度、死が待つ場所へと行くことになる。
「……ぐッお」
想像したら、息が止まりそうになったので。
「おおッ」
額に拳を打ち付けて、心を奮い立たせる。
恐怖で震えまくっている体を、再び動かす為に。
「よ、しッ」
息継ぎを済ませ、先の部屋へと足を進ませる。
(必ず、目的をッ)
ふらつきそうになる足を、しっかりと動かす。
部屋までの道のりが、とても忌々しく感じた――。
◆洞窟の部屋◆
「これは……なかなかっ」
スタート地点・洞窟の部屋。
両目を閉じて立ち尽くす彼女は、脳内で才物の【情報】を扱っている。
(混沌とした状況になってきたっ!)
楽し気に体を震わせる理由は、イベントの様子を見た為だ。
(まさかあの子が、【駆逐者】を退けるほど強いなんて)
鉄格子の奥に存在した怪物をジン太が凌いだことも、既に理解していた。
(しかも、藁の部屋の【罠】によって弱体化した状態で)
そして、当然ジン太達の不調の原因も分かっている。
(藁の下に隠されている装置によって、毒が散布される仕掛け……作動させたのは、あの二人)
石板上のヒントから、仕掛けのある部屋へと向かったユーリ達。
休憩の為の行動で、ジン太達は知らず知らずの内に毒を受けて。
「フフフ。さて、希望を掴むのは誰になるやら」
ルリはこの先の混沌を思い浮かべ、微笑を漏らした。
◆???◆
「どこ……ここ……?」
マリンは・先の見えない暗闇に取り残されている。
「船長、メリッサさん、マルスさん……」
恐怖によって一心不乱に逃げた先は、攻略書にも載っていない場所。
「うう」
彼女は壁を背に、膝を抱えながら床に座り込んでいる。
「いたい……」
鼻から流れる赤を、右手の甲で拭うマリン。
逃げる際に転んで、鼻を強打してしまった。
「さむい……」
叫びだしそうな程の恐怖感に、体の震えが止まらない。
【がたがた、ぶるぶる】
(わたしは)
この先どうなってしまうのか?この化け物渦巻く魔境で。
(船長はっ)
無事なのだろうか?まさか。
「ううぐっ」
重なる恐怖にすすり泣きながら、彼女を覆う闇は深くなっていく。
情けない自分から、目を逸らすように。
「ううっ、ううううッ」
泣いてもどうにもならないが、そうするしかないマリンは。
深く、深く、どこまでも深く――。
【踏み出してみせるんだッ!!】
飲み込もうとした闇を、一筋の光が切り裂いた。
「……船、長」
自分の心から、力が湧いてくるのを感じる。
恐怖の鎖を壊すような、勇気が。
「……」
いつだって、彼女はそれを支えに頑張ってきた。
「いか、なきゃ」
ならばその人を失うわけには行かないと、精一杯の気力を出して。
「わたしは、船長の」
大切な人の役に立つために、彼女は震えながら立った。
もしもの時は、その身を犠牲にする覚悟で。
「役に、立つのッ」
横からの衝撃に、マリンの歯が砕けた。
「ごッぶッ!??」
衝撃で床に転がるマリン。
「はッ!?ひゃっ!?」
突然の激痛に顔を歪めながら、自分が立っていた場所を見ると。
「ひッ!?」
そこにいたのは、二メートルほどの人型のカエルのような魔物。
手の爪も牙も鋭く光り、無機質な瞳でマリンを見る。
「……」
怪物は鳴き声を発さず、その鋭い牙をかちかちと鳴らすのみ。
牙には、赤が。
「ぎッ!?やッ!!」
何も考えられないマリンの頭。学んだ力など使う余裕もない、戦うことすら出来ない。
とにかく怪物から距離を取ろうと、床を這って進む。
【進んだ先にッ!!】
「やらぁっ!!ああああぁっ!!」
恐怖の叫びを上げながら、絶望に染まりながらも、彼女はか細い希望を目指していた。