未知の恐怖
「うるさい……のよ」
話が終わったあと、彼女はぽつりとつぶやいた。
(くそッ)
俺の言葉は刺さらなかったのか……。
「勢いだけで……わたくしを……ッ」
「フィアッ」
スカートを握りしめ、強く歯ぎしりしている様だ。
逆効果、だった?
「ジン太……ッ!!」
「……!」
距離を開けて向かい合った俺達は、互いに踏み出せずにいる。
(心臓が痛くなるな……ッ)
あまりの緊張に、呼吸が上手く出来ない。
発する声が何もかも虚無に消えてしまいそうな錯覚すら覚える、
(持ちこたえろよッ)
ここが正念場だッ。
踏み止まって、彼女の想いを受け止めるんだッ。
「アハは……」
苦しそうな笑みを浮かべながら、彼女は両手で頭を抱える。
「希望・絶望・希望・絶望……ッ」
ぶつぶつと呟く言葉からは、確かな苦悩が伝わってくる。
「どっちに寄るかッ……どうすれば良いかッ……」
苦悩に飲まれた彼女に対して、俺は何をしてやれるのか。
(俺が伝えるべきことは、全て伝えた)
なら後は、フィアの動きを待つだけだ。
(彼女がどう動くにしても)
全力は尽くしたのだから、俺に言える言葉は言ったのだから。
(フィアの決断を、信じて待とう)
「……」
鐘の音がどこからか聞こえてくる。
(島の西にある、このトレジャー・ルームの近くには)
大きな櫓があって、巨大な鐘が設置されていた筈だな。
(俺の心臓と重なる音)
鼓動と鐘の音が重なり合って、不安感と緊張感を倍にして、俺の中で暴れ回っているようだ。
(早く、早くっ)
急かされる俺の感情。
(マルスさん達もいるしっ。一応、ここは危険な場所ではあるっ。一刻も早く立ち去りたいっ)
マルスさんとメリッサなら他の参加者に後れを取るなどあり得ないと思うが、心配だ。
(さっき聞こえた大きな音は……)
マルスさんの戦闘音か?
(魔物と遭遇して……)
交戦した……にしては、大きな音だったような。
「ハッははは……」
才力で強化されたトレジャー・ルームの壁が、破壊された音に思えた。
(やはり不安が)
スタート地点で見たアレのこともあるし、慎重にならなければ。
「ふ、フ」
「……」
両目を何回も開閉して、狂ったような視線で俺を見るフィア。
(無理やり連れて行く)
そんな考えが頭を過ったが、出来ないことだ。
(精神が不安定なフィアは危険だ……それに)
彼女の意思を無視して、力づくで連れて行くなんて。
(駄目だろう。それは)
「フはフ……」
「……」
数分が経過したと思う。
相変わらずフィアの視線は狂気を向けていて、笑い声は途切れることない。
(何を考えているんだ……っ)
増していく不安を抑えながら、彼女から目を逸らさない。
「は」
ぴたりと、笑い声が止まった。
「?フィ――」
「――ギャオオオオオンッッ!!」
「ッ!??」
耳をつんざくような、馬鹿でかい叫び声が室内に響いた。
あまりの勢いに体が一瞬硬直してしまう。
「な、なんだッ!?」
何が何だかわからずに混乱する俺。
フィアも同様で、かなり狼狽えている。
「くそッ、一体ッ!?」
後方、声がした方に視線を向ける。
(と)
向けた先の壁にヒビが入るのを、見た。
(強化された壁、が)
壊されるはずがない、
「だ、ろ?」
言葉を引き金に、壁が大きな音を立てて壊された。
「――チャーンスだな。運が良い」
聞いた覚えのある声が、俺の耳に入る。
「狙いのお姫様が、こんなところにいるなんてよ」
粉塵と、散った花弁と、床に散らばった植木鉢の中から、人影が姿を現した。
「この機会――無駄には出来ない」
……なんだ、こいつは。
(ヤバい)
「それはそうと……たすけ――ぷぎゅっ」
現れた脅威の大きな右手で、頭を掴まれていた人影の顔は壊された。
ずるりと、右手から滑り落ちる顔を失くした人体。
「はハは。やっぱり」
「……ッ」
フィアと俺の前に現れたそれは、二本羽を持った人型巨体の怪物。
(黒い肌に、大きな一本角)
俺の二倍はある大きさの構成獣(?)は、右手から血を滴らせながら歩み寄ってきた。
「おい……」
しかし俺の視線は、そいつの左手に集中している。
「それは」
怪物が左手に持っているのは、壊れた黒い弓。
(メリッサの――)
●■▲
「ッ!なんだあれはっ」
「……魔物なのだろうが」
「今まで出てきた魔物とは、強さが桁違いだぞっ」
消失の部屋にて謎の魔物と遭遇したユーリ達。
「俺の才奧は魔物相手じゃ意味ないし、ひやりとしたよ……」
「……」
二人共、衣服に戦闘による汚れと傷があり、それなりに激しい戦いがあったことが伺える。
「あれは……スタート地点のアレだな」
ユーリが思い出すのは、洞窟の部屋にあった物。
「……もう一つの鉄格子か」
「入口の格子の隣にあったから、なんだと思ったが……まさか、あんなのがあるとは」
トレジャー・ルームに入る際、ユーリは入口隣にあった鉄格子を目にしている。
「奥に閉じ込められていた訳だ……」
「さっきの鐘が合図だろうな」
「……」
「あの女、今頃ほくそ笑んでやがるだろうぜ……」
怪物が消えていった通路を見ながら、どうしたものかとユーリ。
(あんなのがいたら、碌に探索も出来やしない)
これからの攻略法を考える彼だったが。
「?」
その異変は、並んで立つ二人を襲った。
「うお!?」
「!?」
床から突如発生した青い炎が、ペルの体を飲み込んだ。
(さっきの戦闘で発動条件を満たしたかっ)
咄嗟にペルへと腕を伸ばすユーリ。
「ちっ!」
伸ばした腕は空を掴み、後には何も残らない。
ペルの姿は、この魔境の何処かへと消え去った。
(……まいった)
消えた相方を見て、ユーリは少しため息を吐く。
「どう動くべきかな」
未知の怪物が彷徨う、魔境の宝探し。
(割と想定外が多い)
最初は舐めていたイベントだったが、蓋を開けてみれば手こずっている。
「……」
これから先の困難を見据え、彼は。
「――まあ、なんとかなるか」
余裕の笑みを見せるユーリは、決して楽観的なわけではない。
確実的な実力に裏打ちされた発言だ。
彼は今までロドルフェの兵として、天力を扱える者だけが所属できる特殊な兵科で弛まぬ努力を積んできた。
(強くなる為に、時には非道な手も使って……)
【へえ、なるほど。この血を飲めば……】
【ああ】
間違いなく、人一倍の鍛錬を積んできた自負がある。
それに生まれ持った秀才も加わり、確かな自信となって彼を支えていた。
「多少の想定外くらい、修正して見せよう」
苦戦することもあるし、何でも楽に出来る訳ではない。
しかし、最終的には彼の思惑通りに事は進む。
(シュ――ポッ)
前進し続ける男は、マルスが入ってきた通路へと姿を消した。
◆海の部屋◆
「はっ!はっ!」
息を乱しながら、逃げてしまった少女は海の部屋に戻ってきた。
(なんて、こと)
恐怖に染まった瞳で、部屋の中を見渡す彼女。
(いない、いないッ)
視線を彷徨わせるその姿は、激しい悲壮感が感じられる。
(いないよぉっ!!)
大量の冷や汗が流れ、心臓の鼓動が異常に加速している彼女。
「どこにいったのっ。マリンちゃん……ッ」
アスカールの戦士メリッサは、恐怖と後悔と罪悪感と絶望に飲まれようとしている。
【いやぁああ!?】
「……ッ」
突然出現した魔物に対し、全力の矢を放ったメリッサ。
しかし攻撃は通じず、彼女は窮地に追い込まれた。
(そのあとっ、そのあとはっ)
【怪物が持っている、原形を失くした肉の塊を見て】
【自身がそうなるのを、鮮明に想像してしまった】
迫りくる怪物を前にして、頭が真っ白になったメリッサは。
(気づいたら、違う部屋に)
マリンを置いて自身が逃げたことを認めるのに数分。
そこから部屋に戻るのに、更に数分。
(マリンちゃんッ)
何度見渡しても、守るべき少女の姿はない。
(あたし、なんてことを……ッ)
自分が守らないといけなかったのに、逃げては駄目だったのに、覚悟はあった筈なのに。
命を守る鎧が壊れた途端に、メリッサは無様に逃げ出してしまって。
(なんでなんでなんで)
彼女は涙を流しながら、最悪のパターンをイメージした。
(あたしのせいでマリンちゃんが……)
吐き気を堪えながら、自分がすべきことを必死に考える。
(一刻も早く探さないとッ)
そう思い、別の部屋に走り出そうとして。
「え?」
メリッサは動けなかった。
体が動いてくれなかった。
(なに、この鎖)
メリッサの体を縛る、無数の鎖。
(なんなのッ)
実際にあるわけではない、恐怖の鎖が彼女を止める。
(早く行かないとッ)
強くそう思っても、聞こえてきた魔物の鳴き声によって。
「ひ」
強くイメージが膨れ上がる・自身が泣き叫びながら死んでいく光景が・命乞いしながらグチャグチャにされる展開が。
楽に死ねるなら、まだ良い。
(いや)
部屋から出た途端、あの魔物に生きたまま喰われる可能性も過る。
(いや、いや、いや)
彼女は部屋の中心に立ち尽くしたまま、呆然と時が過ぎるのを待つ。
「こんな……こんなの」
【そそそ、その子犬から離れてぇっ!】
子供の頃、自分より強い相手に、怖くても頑張って立ち向かっていたメリッサ。
【なんだよ!ビビってるくせに!】
足を激しく震わせながら、自身の情けなさに嫌悪感を抱いた。
人一倍臆病な自分が、メリッサは嫌で。
【……】
ちゃんと誰かを助けられるように・友人を巻き込まないように・しっかりと善を貫けるように、彼女は強くなろうと誓った。
「お願い……ッ。動いて……ッ」
心の底から願うように、メリッサは言う。
「動いてッ、あの魔物にッ」
立ち向かおうとする彼女は。
「あっ」
部屋に残っていた、赤い塊を見てしまい。
「ああ、うぅ」
自然と体の力が抜け、静かに両膝を着いた。
ぽきりと、メリッサの何かが折れる。