衝突
「ボクが追いかける!彼女は危険だ!」
マルスさんが代わりに追いかけていった。
俺は動かなかった。
(足が惑う)
動いちゃくれないその足を、どこに向ければ良い。
ただ、この青に染められた室内で、呆然と立ち尽くすのみしか出来ない。
体の調子は戻ってきたのにだ。
(……思った以上に堪えた)
さっきあったことを受け入れるには、かなりの精神的な傷を負うことになる。
それだけ俺にとってショックな出来事だったんだ。
(お話大好きオジさん)
ふと、旅の途中で出会ったおじさんのことを思い出した。
(紙芝居を常に持っていて、子供たちに懐かれていたな)
おじさんも子供好きで、楽しそうに語っていた。
思えばフィアに話す際に、おじさんのやり方を参考にした時もある。
【ジン太君。今回のお話は面白かったかい?】
おじさんはそんな風に話しかけてきて、よく人の感想を求めていた。
【ひとりよがりの話は駄目だ】
理由を聞いたらそんなことを真顔で言われたが、つまりはそういうことなのだろう。
(聞いているフィアの気持ちなんて、まともに考えたことなかったな)
ただ自分の冒険譚を真面目に聞いてくれるのが嬉しくて、ひたすらに語っていた。
それを続けた結果がこれなのか。
「ちくしょうが」
床を踏みつけ、晴れない気持ちを晴らそうとする。
何度も何度も。
(ちくしょうッ!!)
ダンダンと部屋に響く音は、自分の情けなさを責めるもののようにも思えた。
「……船長」
マリン達が見ているというのに、みっともなく不満を発散させていく。
(調子に乗り過ぎだッ)
何を阿呆みたいに語っていたんだ、俺は一体。
あんなにも彼女の心を傷つけて、へらへらしながら聞かせていたなんて。
(俺はそんなつもりじゃっ)
なかったのにと思っても、所詮は言い訳に過ぎないよな。
色々な原因があったにしても、俺の行動がその一つなんだ。
(……大切だった日々)
大切だった人との交流が、俺の心の深い部分で支えになっていることは間違いない。
それのお陰で乗り越えられた壁があった。
【ジーアとの戦い】
彼女の肯定は・努力を認めてくれる言葉は、倒れそうな俺の原動力になってくれたのだ。
それはあの戦いだけではなく、いつだってそうだった筈。
【さあ、立ち上がろう。その光を支えに】
俺の中でそれ程に重要な彼女からの増悪は。
何度かあった裏切りは。
深く深く俺の心に突き刺さった。
【また、大切な者に背後を刺された】
「くそぉ……!」
あまりの苦しさに涙が出てくる。
いつもいつも、俺はこうだッ。
(レンドの時も・ジュアの時も)
――あいつの時だって。
(なんでだ)
どうしてなんだよ。
俺の何が悪いって言うんだ。
(俺はいつだって【努力】して)
大切な人の力になれるよう【努めて】。
【だから俺はロインとは違う】
【あいつのような想いは持てない】
「……だよな」
今ここで迷わず動けるほどの行動力を発揮することもなく、俺はただ悲観しているのみなのだから。
(あいつだったら動く)
少なくとも、あの程度の憎悪で大切な人を魔物蠢く場所に放置するような、薄情なやつではない。
「それも、思い込みか……」
結局、俺は想う人の心すら知ることが出来なかった。
(――何も分からない)
突然進むべき道に闇が現れたかのような閉塞感。
踏み出すことが出来ない。
(どこに進んでも崖があるような気がする)
真っ暗闇の中で、俺は立ち尽くしたままだ。
(希望の光は)
どっちに進めば、見つけることが出来るんだ?
「追いかけないの、船長」
「え」
暗闇の中で掛けられた声は、とても悲しそうなものだ。
「マリン」
俺は声のする方を向き、少女の顔を見た。
「大切な人、なんでしょう」
マリンの表情は、失望と期待が入り混じった、複雑な様子を見せている。
「あんなに苦しそうに泣いていたのに、何もしなくて良いの?体はもう大丈夫って言ったよね」
お前は、俺の何に失望して・何に期待しているんだ。
「……駄目だ」
気づけば、俺は弱音を吐いていた。
「だめ?」
「俺が行ったって、なにも、出来ないし、どうにも……ならねぇよ」
自分でも情けなく感じる、か細く弱弱しい声が出た。
「……」
「無理だ……ここは……マルスさんに任せよう」
今の俺には、そういうしか出来ない。
「最善、なんだよ」
これが俺の限界だ。
「そんなの、船長らしくないっ」
みじめな俺にすがるように、泣きそうな声を向けるマリン。
「最善なんて思ってないでしょうっ。そんなに悔しそうな顔をしてっ」
「……!」
俺はそんな顔をしているのか?
「それならきっとっ。わたしが知ってる船長は突き進むっ」
俺はそんな風に思われているのか?
「希望を信じてっ。突き進めるんだよっ!!ジン太さんはっ!」
マリンは両手を固く握り、少し涙を浮かべて言葉を放ってくる。
(なんでそこまで)
彼女は俺のことを過大評価しているのだろう。
(なんて)
決まっているだろう。俺の所為だ。
【進んだ先にッ!!きっと希望はあるッ!!】
「あの時――そう言ったのは、言ってくれたのは、ジン太さんなのにッ」
「……」
そんなことを目の前の少女に言ったことがある。
(マリンが落ち込んで、部屋から出なくなった時のこと)
彼女を元気づけるために言った言葉ではあるが。
(心の底から思っている)
どんな辛い時だって、俺はその考えを捨てた時はない。
努力を続けていれば、必ず希望を掴める。
(自分を信じられなくても)
努力は・希望を・信じることが出来るんだ。
(その想いをマリンにぶつけた)
「わたしは……その言葉に救われたんだよッ」
涙声で言う彼女に。
「……」
マリンはそれを受けて、自分の芯とした。
(彼女だけじゃないか)
芯とまでは行かないが、ロインの奴にも似たようなことを言ったな。
【無駄な努力なんてねェよッッ!!!】
(立ち直らせることは出来た、んだよな)
俺が暑苦しく訴えたその言葉。
絶望の中でも、希望を求めて進むべしと。
【奴隷時代に足掻いてきた】
そうすれば、きっと困難は切り開ける筈だ。
(……人生は何が起こるか分からない)
――それでも進んでいかなきゃ、何も出来やしない。
「……悪い。俺がこんなんじゃ困るよな」
マリンの頭に手を置いて、もう大丈夫と告げる。
「!船長っ」
途端に明るくなるマリンの顔。その笑顔。
さっきまでの表情が嘘みたいだ。
(不安にさせたな……)
お前に言った俺がこんなざまじゃあ、ダメだよな。
「行ってくる。お前は待ってるんだ、マリン」
「……うん。早く帰ってきてね」
「もちろんだ。……メリッサ」
「任せて。ちゃんと待ってるわ」
俺はマリンに笑いを返し、フィアが消えていった通路へと向かう。
(足が軽くて、よく動く)
どうしてだろうか。
もしかしたら、マリンに元気を分けてもらったのかもしれない。
進む道がはっきり見える。
(灰色の通路――天井の明かり。を抜けて)
先の部屋は、攻略書に載っている場所だ。
(そこまでの不安はない……と言いたいところだが)
妙な胸騒ぎを俺は感じていた。
(マルスさん。もしもの時は……)
「――もしもが起きるものだな」
マルスはある部屋で立ち止まり、その場の様子を観察する。
(ここは、【消失の部屋】)
五つの波動が輝く天井は高くも低くもなく、広さも同様に。
通路と通路を繋ぐように、床に赤い線が走っている。それが二つの通路を指し示す。
「おや。他の参加者と遭遇か」
マルスの正面に走る赤い線。
その先には、二人の男が立っていた。
一人は剣を。
一人は弓を持ち。
「……はあ、また何の鍛錬にもならない排除作業か」
「……」
(こいつらは……)
経験によってマルスの中の警戒心が反応した。
(――違う)
自然とマルスの体から雷光が迸り。
「あれ?」
瞬時に放たれた矢を右に回避した。
心臓狙いの、殺意を塗りたくった矢を。
「外したか。面倒だったから、直ぐに終わらせようと思ったのに」
雷光の戦士は走り出し、互いの心臓を奪い合う戦いへと臨む。
死の刃が迫っているのを、彼は感じていた。