喪失
ずっと、楽しんでくれていると思っていたんだ。
「まあっ!」
だって彼女はあんなに楽しそうに俺の話を聞いてたんだ。
誰だって、そう思うだろう?
「また今度、お願いします」
そんなことだって言ってたんだよ。
わくわくしているように俺は見えた。
だから調子に乗って、ない頭を使って、楽しんでもらおうとして。
彼女が真剣に聞いてくれるのが、俺には――。
「それが原因ですわ。ジン太」
俺の耳元で言う言葉には増悪が浮かんでいた。
そんなものを込めた彼女の声など、聞いた覚えはない。
「馬鹿な真似はよすんだ!」
「ジン太から離れて!」
「船長!」
様子を伺いながら距離を図っているマルスさん達に対し、背後のフィアは俺の首筋に牙を突き立てている。
両手を上げて降参ポーズするしかない。彼女の動きは明らかに俺を上回る。
口から血のシズクが落ちて。
「うかつに近づくと、容赦なくやりますわよ?」
「……っ!!」
首に刺さりそうな牙を横目で見ると、背筋が凍りそうになった。
「フィア。なんでだっ」
自然にそんなことを言う俺の口も、恐怖で凍りそうになっている。
否、それだけじゃない。
絶望が俺の心を満たしている。
「なんでなんだよッ」
裏切られた気分で、どうにもならない憤りを感じながら、それでもフィアに問う。
彼女がどういう想いでこんなことをしてるのかを。
「まだ分かりませんの?チャンスはあげたのに」
「チャンス……?」
なんのことか分からずに、呆けた声が出てしまった。
「なんのことだ」
「もう忘れたの?とんだお間抜けさんね」
「は?」
その言い方だと、チャンスを与えられたのが最近ということになる。
「そう数時間前。貴方と話をしたでしょう」
「あの話がどうしたって……」
フィアが語ってくれた過去・俺が語った過去。
あれは俺達の絆をより強くしてくれたものじゃ、なかったか。
「貴方に言ったわよね。わたくしの始まりを・その原点を」
語気が強まり、負の感情が分かりやすく現れた。
「始まりから、わたくしには自由がなかった」
【選択させて】
「眺めていた青い海は、とても遠く感じて」
冷たく感情が閉ざされた声が、心臓を握りつぶすかのようだ。俺が知っているフィアは少なくとも。
【自分の意思じゃないけれど】
「いつもいつも、わたくしの自由を縛る鎖ばかり」
ならいま喋っている彼女は、いったい何者なんだ。
本物のフィアだろう?
【そんな時に、貴方は】
「語ってくれたわよね?頼んでもいないのに」
彼女は俺が喜々として冒険を語っていた少女。
それを喜んで聞いてくれていたフィアに違いない。
【わたくしは憎みながら聞いていた】
「一度聞いてしまったら止められない。楽し気に語る貴方を見て。何度、その喉を……っ」
歯ぎしりを鳴らす彼女は。
「焦がれると同時に、強烈な嫉妬を抱いたの」
もう俺が知っている人物ではなくなったというのか。
(そもそも俺が描いていたフィアの姿が)
決定的にずれていた。
【檻の中で貴方の名前を口にした】
「軋んだ心を保たせてくれたのは貴方よ。ジン太」
嘘偽りなくフィアは言う。
あの時言った言葉は、少なくとも嘘ではないと。
「だって・強く焦がれたから。だって・激しく憎んだから」
どろどろの感情を剥き出しにした声で、正負が混ざり合った感情を向け、俺にぶつける。
強い・強い・不純な想い。
「一つの感情ではなく、合わせた感情が貴方を求めて止まなかった。その強い感情に支えられたのですわ」
「……」
俺は彼女の話を聞きながら半ば放心状態になっている。
フィアの言葉をちゃんと聞こうと思っても、心はどうにも受け止めるのが下手だ。
空想が削られる音がする。
(……俺がしてきたことは)
ただの自己満足で、彼女の心を無自覚に傷つけていた?
【嘘だろ】
(じゃあ、あの楽しかった日々は)
アホみたいに得意げに語っていた馬鹿な俺と。
それを楽しそうに【見せかけて】聞いていた、彼女。
決定的にずれながら・絆を深め合っていた・気になっていた・茶番のようなものだったのか。
【冗談だろ】
過去の思い出が、その色を変えてしまったように感じた。
(彼女はそんなに強い憎しみを抱えていたのか)
俺を殺そうとするほどの気持ちなんて。
「ふふ……はハっ!!」
狂ったような笑いが聞こえた。
「ああッ!!もうッ!!頭が割れそうッ!!」
正気とはとても思えない声だ。
(……そうか)
手遅れだったんだ。
(もうとっくに彼女の心は……)
「ははハははッ!!あひャッ!!みんなッ!!みんなッ!!」
泣き声まじりの狂った笑いが聞こえた。
(壊れていたのか)
俺が碌に成果が出ない空回りを繰り返している内に、フィアは数多の苦しみを受け、かつての面影を失ってしまった。
そのせいで俺に抱いていた憎しみが爆発し、こんな状況に至ると。
「……」
(どうすれば良かったんだよ)
こんなのどうしようもねぇだろ。
俺の知らないところで事は起きて、勝手に終わってしまった。
いや、知っていたとしても同じことだったろう。非力な俺に何が出来る。
(どこで選択を間違えた)
俺はどうすれば良かったんだ。
何をすれば、この結果を防ぐことが出来たんだ。
(フィアをもっと早く連れ出すべきだった)
【レスト山での一時】
そう、あの時にでも彼女に一緒に行こうと告げていれば。
こんなことには、ならなかった――。
◆そもそも彼女に会わなければ◆
【また裏切られたのか】
◆こんな最低な気分にならずにすんだ◆
【そもそも俺の自己満足だったんだが】
◆70・60・50◆
「あはハっ!ジン太ッ!!こんなに素敵な姿になって!」
フィアは俺の髪に触れているようだ。
冗談みたいなことを口にしている。ある考えが浮かんだ。
「フィアさん!ここで彼を殺して何になる!他の参加者はキミを狙っているし、魔物だっている!協力して脱出しよう!」
マルスさんが必死に説得しようとするが。
「ははハ――無駄」
フィアは乾いた笑いと共に、説得を一蹴した。
「なんだって?」
「だって・ずっとそうだったもの」
彼女の言葉は続く。
「最初から・鬱陶しいそれはあった」
悲痛な叫びにも聞こえる、諦観に染まった声を出すフィア。
「その次も。更に次も」
全てを諦め、自暴自棄になった人間の発するもの。
今までに何度か聞いたことがある。
「いつだって縛られてきた・この人生」
彼女の口から聞きたくなかったそれは、今の俺には近しく感じられる。
「どうせ・また・もう・全部」
未知の中に、彼女は暗闇しか見出せていないのだろう。
「この息が詰まる鎖はッ。消えてくれないッ」
(フィア)
俺は拳を握りしめながら、彼女の言葉を受け止めていく。
(その先に踏み出せないのか)
先にある希望を・光を信じられなくなった少女に、俺が告げるべき言葉は。
「――グっあッ」
言葉の代わりに肘打ちを放った。
「ジン太ァっ!!」
即座に振り返り、腹を左手で押さえて後退する彼女と向き合う。
右手にあった牙は、緑の炎に包まれている。
(魔物消滅のタイムラグ)
構成獣が消滅する前に分離したその一部は、一定時間のこり続ける時がある。
(時が来れば炎を上げる)
俺はその時を見計らい、彼女の驚愕の隙を突き、肘による攻撃を行った。
「……ッ!!」
「……」
対峙してようやく見えたフィアの顔は、別人のように歪んでいた。
(そうであってくれれば)
まだ楽だったのかと、一瞬だけ思ってしまった。
「ジン太君!」
「けがはッ!?」
息を乱しながら駆け寄る仲間たちと、不利と見て、海の部屋の三つある出入り口の一つに走り出すフィア。
(――ああ)
追いかける為に全力を尽くすなければいけない両足は、気力を失ったかのように固まってしまった。