混沌影響
「あちらの治安ですか?相変わらず最悪ですよ、いつも通りです」
複数存在する異海の中でも、【最悪】とされる第七異海。
ただ道を歩いているだけでも首を刎ね飛ばされ、油断すれば一気に地獄を見ることになる、劣悪環境。
正義は淘汰され、悪意渦巻く、正常な論理を持つ常人なら直ぐに正気を失う場所だ。
そうなった要因は様々だが、邪悪な【十人の王】による支配が影響しているのは間違いないだろう。
「うん?私のせいではないだろう?」
悪意は強く影響を与える。
王の中の一人が齎した強烈な悪意によって、沈んでいった男がいた。
【赤く染まった異常な光景に流されて】
「――ペルさん?」
【彼の意識は引き戻された】
「……」
頭を押さえて無言状態の男。
不滅成滅人の第一部隊・守護遂戦人に所属する、総隊長の下の地位、準:総隊長を務める兵。
名をペルという。
「――気にするな」
「……」
ペル達の現在地は【丸い部屋】。
中央に大きな柱が立った黒い壁の部屋だ。そこには微妙に粉塵が舞い、戦闘の跡を伺える。部屋にぽつぽつと、緑の炎が上がっていた。
「やっぱり危険な気配がするな」
弓を持ったユーリは、少し離れて背後を歩くペルを振り返り、異常者を見るような目を向けた。
「失礼だとは思うが、あんたに聞いておきたいことがあるんだよ」
「……なんだ?」
ペルの本質を探るように、ユーリは問いを投げた。
「あんたが管理しているコリン雪原で、行方不明事件が起きただろう」
問いは既に答えを確信しているかのようなもので、ユーリは実際に確信している。
「子供が十七で、大人が五だったか。この前は少し有名な盗賊を討伐してたし、仕事はちゃんとやってるんだろうが……」
今向かい合ってるこの男こそが下手人であると。
鋭い眼光で問いかける。
「それが……?」
ペルの顔はいつもの無表情。
微塵の変化も見られない。
「――とぼけんな。糞野郎」
両手で赤い弓を構えるユーリ。張られた糸を引く右手。
「波動砲……本気か?」
そうすることで発生する半透明の長い矢。金色に輝く、討伐の波動砲。
それを敵意を持って向けるということは、すなわち。
「――ここであんたを討つ」
凛とした声で向けられた矢先は、確かにぺルの頭蓋骨を狙っている。
「不滅成滅人の兵として」
ユーリの灰色の瞳が攻撃の意思を示した。
今にも死闘が始まりそうな雰囲気に、部屋全体が異常な緊張に包まれる。
「……」
ペルは。
「はは」
小さな笑いはユーリの口から漏れた。
構えていた波動砲は解かれ、部屋にはただの緊張が戻る。
「いやいや。悪いなペルさん」
「……」
軽い笑みを顔にはりつけたまま、ユーリはペルに謝罪した。
「俺があんたを討つはずはない」
断言するような口調で言うユーリ。
「なんせあんたは、今まで色々と助けてくれたからな――なら許すよ。俺は善人ではないしな」
「……」
「俺達は一蓮托生ってわけだ」
再び前を向き、ユーリは静かに歩き出した。
「……」
ペルも同様に、トレジャールームの奥へと進んでいく。
「……」
【スプーンを持って、その先を向けて】
【向ける先は、見たことない食物だ】
【本当に食べられるのか?・自分も持っているそれを?】
「……」
考える男の。
あの時に感じた気持ちを。
心臓が張り裂けそうな情動は。
【スプーンの動きから分かる】
【楽しんでいたな】
「……クク」
不気味に歪んだ口元は裂けているようにも見え、感情の深度を表す。
ペルはそれを再確認して、歩みを先に進める。
●■▲
「……ん?」
意識が覚醒する。
記憶を整理する。
(俺は……寝てたのか……)
なんだかんだで疲れはあったからな。自然に意識を失ってしまっていたようだ。
(うん?背中の感触が?)
なくなっている。安心したような、少し残念なような。
「……起きるか」
懐かしい藁の感触から離れて、冒険の続きを。
そう思ったところで、ようやく気付いた。
「あれ?藁が……」
藁がないぞ。下を見ても、周りを確認しても発見できず。
俺は絨毯の上に寝ていた。見覚えのある絨毯だ。
「ここは。まさかっ」
「――目覚めたか。ジン太」
狼狽する俺の耳に、凛とした男の声が聞こえてくる。
「フッ、久しぶりだな。五年ほどか?」
俺から十メートル程離れた位置に、壁に寄りかかった男がいる。
ただものではない雰囲気を纏う戦士。
(鍛え抜かれた鋼の上半身)
を持ち・濃すぎる胸毛を生やして、頭にブリーフを被り、それの穴からアヒルの顔のようなリーゼントスタイルを見せつけている、三十代ほどの変質者。
ただ者じゃない変質者。
(だれだよ)
俺は本能的な恐怖を感じて、座り込んだ体勢で後ずさった。
「どうした。そんなに怯えて」
自分の格好をちゃんと認識しろよ。変質者。
「……おれのこと忘れてしまったのか」
お前と知り合いになった覚えはないぞ。
あまりの衝撃に記憶から消してしまったのかもしれんが。
「――たとえ忘れても、おれはお前のことを兄弟だとおもっている」
良いこと言ったぜ風の顔はよせ。俺は恐怖しか感じない。
いつ兄弟になったんだよ。兄弟を名乗るんなら、まずその格好をやめてくれ。
ゆっくり近づいてくるんじゃねぇっ。
「だからジン太……!?」
突如、変質者が寄りかかっていた壁が爆破された。
(今度はなんだああああああああぁっ!?)
吹き飛ばされた変質者は、俺の近くの床に顔から叩きつけられた。
「ごふっ!ま、まさかアイツらが来てしまったのかっ」
頭から血を流し、よろよろと立ち上がる彼。
(何が、起きているんだ)
さっぱり分からない。
誰か教えてくれ。この展開の経緯を俺にもしっかり分かるように説明してくれ。
(頭パンクしそう)
それなのに意味不明の状況は更に加速する。
「よおお~う!!落とし前つけさせてもらおうか!!」
「ゲーッヒヒ!!三丁目の斎藤は既に始末したぜよ!!」
「――悲しき宿命。終わらせなければいけないだろう」
「お前今……【瞬き】したな?【それ】が命取り。【お前】の命取り」
(パンクした)
煙を裂いて、壁の向こうから新たに現れた変質者四人。
もうなんだよこれ。
意味わかんねぇよ。俺だけなのか?俺の理解力が低いだけなのか?
しかも。
(全員、同じ顔おおおおおッ!?)
最初の変質者と同じ顔、姿なんですけどォ!
「……びびんなよ兄弟」
お前の兄弟あっちだろ。
「俺が付いてる!!」
お前も恐怖の対象なんだよ。
「ここは俺が足止めをする。構わず先に――」
「お願いします。じゃっ」
言葉を待たず、俺はダッシュで逃走した。迷いなく。
後ろは振り返らない。振り返りたくない。
「兄弟!!お前と過ごした日々!!楽しかったぜ!!あばよ!!」
(相打ちになってくれ)
切に願いながら、俺はこの場の全体を見渡す。
(間違いない。ここは場面破壊の中だ)
高い天井や、存在する珍妙な物の数々。
俺はまた、あの忌々しい場所に来てしまったのか。
(どこにいけばっ!?)
「こっちだゲス!!兄貴の犠牲を無駄にしちゃいけないでゲス!!ジン太!!」
大きなリスがなにやら喚いて怪しい扉に誘おうとしていたが、スルーして進む。
「ジン太!!ぼくっちを信じるんでゲス!!罠なんてないゲスよ!ゲ~スゲス!!」
くそ、早いとこ出口を見つけないとなっ。
(俺の頭が侵食される前に!!)
混沌とした場にいることによる常識の破壊。
(決まり切った法則・定められた約束を壊される嫌悪感)
俺はその恐ろしさを味わっていた。
「やあ。滑稽なる者」
更なる恐怖は突如として。