交わる
「弟は諦めない方が良かったと思うんだよ。あんなに悔しそうな顔をして……」
諦めたことで、逆に苦悩してしまったマルスさんの弟の話。
俺はそれを現実逃避気味に頭で流しながら、一つ思う。
(今の状況は、諦めるべきだ)
「話って何だい、フィアちゃんや。おじさんに言ってごらん」
「何ですの?その口調」
緊張のせいか、俺の口調がおかしなことになっているが、仕方のない。
(心臓が破裂する)
まさか彼女がいきなり抱き着いてくるなんて、予想外にも程がっ。
フィアとは仲が良かったが、そういう関係になった覚えはないっ。
(一体、どういうことなんだ)
気のせいか、彼女の体が震えている気がするのは。
「……怖いのよジン太」
「……」
フィアは弱弱しい声で言う。
「……賊に捕まって、連れ去られ」
その声に、涙が混じっている気がする。
「心細くて……本当に辛い日々でしたわ」
どれ程の恐怖を味わったのか。
あの元気なフィアがこうなる程の、おぞましい体験。
俺は歯噛みしてしまう。
(もっと早く)
助けに来ていれば、ここまでフィアが傷つくことはなかったのか。
俺はしても仕方ない後悔をする。
「気にしないで……そんなことを」
彼女の抱き締めが強くなり、俺の心臓壊れそうっ。
「ふぃあさん、少し密着し過ぎでは?」
「気の所為ですわ……それに」
それに?
「貴方のお陰なの。ジン太」
「はい?なんのこと」
「貴方がいたから、わたくしは耐えられた……」
熱のこもった声で、俺の耳を刺激するのは止めろ。
色々と、我慢できなくなるからっ。
「ど、どういうことでふゅ?」
ほら、噛んじゃったじゃんっ。
「それだけ、わたくしにとって貴方は特別なの」
「特別……」
俺がフィアにとって特別な存在?
俺にとっては間違いなくそうだが、まさか彼女にとっても……。
「本当、なのか」
「……ねえ、ジン太」
声のトーンを下げ、密やかに。
「わたくしの話を聞いてくれる?」
【始まりは檻の中で】
物心ついた時から、少女は檻の中にいた。
そこから見える光の世界は、少女にとって遠いもの。
だからこその羨望はあり、彼女は檻の隙間から必死に手を伸ばした。
【でも、届かない】
あまりに遠い、自由の世界。
羽ばたくことすら出来ずに、彼女は涙を流して。
【兵隊を連れた、王様が来た】
王様はリアメルという国からやってきた。
彼のお陰で、少女は広い青空に。
「飛び立てたらなー」
【王様は酷くこだわりが強い人でした】
そのせいで少女は未だ籠の中に。
飛び立つ時を、完全に見失ってしまった。
【今までと同じ】
彼女は最初から檻の中にいたが、ずっと同じ檻の中ではなかったのだ。
色んな檻を転々として、辿り着いたのが形のないそれ。
今までよりはましだけれど、彼女にとっての不自由であることに変わりない。
「そんな時に現れたのがジン太。貴方」
【その少年は、色々な旅の話を聞かせてくれた】
少女にとってその話は新鮮で楽しかった。王様はあまり好ましい顔をしていなかったけれど、止めることはしない。
【いつしか少女は少年に特別な感情を抱く】
「……そんなことが」
フィアの語りを最後まで聞き、俺は納得していた。
どうりであんなに楽しそうに聞いていて。
(あいつの面影が重なる筈だ)
俺の親友・フリック。
外に出ることを……夢見ていた。不自由の中にいた少年。
(あいつはあいつ。フィアはフィア)
それでもやっぱり、思うところはあってしまうな。
肩入れしたい気分が更に強まった。
俺の中で、熱い想いが燃え上がっていく。
(――絶対に、彼女をここから出す)
決意が固まっていき、血肉が洗練され、俺という魂が強い輝きを放つ。
(特別だと言ってくれた)
俺だけではないと分かった。
彼女もそう思ってくれていた。
(その想いに応えたい――やってやるっ!!)
【決意を固めた後、少女に聞かれた】
【貴方の始まりを聞かせてほしいと】
【俺はそれを語り始めた】
◆遠い記憶は◆
「――今日も平和だな」
町外れの野原にて。
草むらの上に寝転がる俺は、青空を仰ぎ見ている。
俺の十倍はある鳥が、視界を横切って行った。
「ふあぁ……」
あまりの平穏に欠伸が出てしまう。
俺にとってこんなのは見慣れた光景だ。珍しくもないぜ。
「ジン太!探したぞ!」
「?」
聞き慣れた人物の声が、俺の平穏に刺激を加えた。
「ワークさん」
「ああ。頼りになるワークさんだ!」
あんまり頼りにならない大人の、太った良い人ワークさん。黒髪の中年男性だ。
親し気な笑みをこっちに向けながら、俺の方に走ってくる。
「なんだよ?なんかよう?」
「用も用さ!王様が呼んでいるんだ!一緒に行こう!」
「はあ?王様が俺を?」
「そうなんだよ!早く早く!置いて行っちゃうぞ!」
「……」
ワークさんが忙しなく急かすので、俺は頭を掻きながら立ち上がる。
上着に付いた雑草を払った。
目指すは遠くに見える、【雲よりも高い門】。
「まったく……大変な一日になりそうだなぁ」
溜息をついて、ワークさんの後に続く。
めっちゃ遅いなっ。
「……ふー、休憩!」
休むのは早いなっ。五十メートルも走ってないぞ!
「すまん、ジン太ちょっと待って」
「おいおい。足引っ張る大人って」
「仕方ないなぁ。最近運動してない」
「前からだろ」
野原で片膝を付くワークさんの姿は、とても堂々としていやがる。
「ふふ……まいったなぁ。今日は調子が悪いみたいだ」
「そうなんだ」
「……おぶってくれる?」
「ふざけてんの?」
何しに来たんだろうか、このオッサン。
「冗談だよぉ……歩いて行こうか!」
「早くっていうのは」
「それも冗談さ!はっはっはっ!」
「はぁ……」
だけどまあ、あのノンビリした王様がそんな急かすとは思えない。
俺はゆっくりと向かうことにした。
「それにしてもジン太、ずいぶんと退屈そうだったな」
「そう?」
「おう、なんというか……その歳で枯れ過ぎていないかぁ?」
まだ十歳にも満たないのに。と、彼は俺を心配しているようだ。
「んなこと言われても」
こんなにノンビリしまくった雰囲気の中じゃ仕方ないよな。
何が起きる訳でもなく、緩やかに過ぎる時の中で俺は生きている。
町の子供たちも普通に良いやつらで、人生に何の不満もない。
「人生か」
どうにも感慨深くなって、そんなことを自然に呟いていた。
「黄昏ちゃって。青春してるなぁ」
「なんでも青春かよ」
「なんでも青春さ。とにかく精一杯生きること!それが大事なんだよなぁ」
「ぷ」
「!?なんで笑ったっ」
「だってさ。あまりに力入れて言うんだもん」
ワークさんは何でも一生懸命なのが素晴らしいって価値観の人種で、俺はそんな彼の姿勢に好感を持っていた。
(なんでだっけ?)
まあいいや。
単なる好き嫌いの問題だろう、気にすんな。
(おっ!)
草むらを抜けると、もう直ぐ近くに。
目の前に聳え立つ、天を貫く大きな門。
両脇には、町を囲む水の防壁。
門の表面は所々さびているが、まるで揺るぐ気がしない。当たり前だが。
「――戻ってきたな。二人とも」
白銀の甲冑を着込んだ大男の門番、カイルさんが俺達を迎えた。
兜で頭が隠れていて素顔は見えないが、なんでも【魔法】を使えるとか。
「王が待っている。門を開けよう」
カイルさんは、後ろを振り向いて剣を門に当てた。
「おおー……」
大きな音を立てながらゆっくりと、巨大すぎる門は開く。
「先に進め。ジン太――今日はお前にとって特別な日になるだろう」
(言われなくても分かってる)
とうとうこの日が来てしまったと、俺は分かった。
決意の一歩を踏み出し、王の待つ城へと向かう。
◆向かう◆
「――着きましたか!どうぞどうぞ」
王城内の、王が待つ部屋へと着いたようだ。
見える景色はとても楽しそうに笑う人々の姿に、テーブルに並べられた食事の数々。
正直、おれには理解できない。
「まま、そんな固いことを言わずに楽しんでいってくださいよぉ」
そんなことを、接待役らしき男が言うが。
これを楽しめだと?
(お前たちが持つグラスに入っているのは)
【なんの赤だ?】
(テーブルの中央に固定されている食べ物は)
【本当に食べ物か?】
「クク……そんなこと言って、本当は刺激的すぎて興奮してるんでしょう?大丈夫、直ぐに病みつきになりますよ」
「……」
なるものか。と、言いたいところだが。
「せっかく【十人の王】の一人が催した宴。存分に楽しんでくださいますよう――ペルさん」
悲鳴が響く室内で、その赤い液体を口へと――。