進む先
彼女はジン太をどういう風に見ているのか?
「頑張り屋さんだよね!本当にっ」
普通に頑張ってる暑苦しい人。
それが一つ。
「あんまり構ってくれないけど……わたしが資料室で寝てると、ベッドまで運んでくれる」
マリンに関心がないわけじゃないようだ。
「優しい……のかな。何かある気がする。そこは」
善人というほどではなく、もし困っている人がいても、行き過ぎない範囲で助ける人物。
要するに非情なわけではない。
見捨てる時には普通に見捨てるが。
「でも、何も感じないわけじゃないよね」
当たり前のように嫌な気分になり、それを仕方ないと思い、また人生を歩む男。
「そっちの方が」
彼女にとっては好印象のようで。
善人は不快なものでもあるようだ。
「だってね」
両親の影響なのかもしれない。
「……とにかく」
彼女にとってジン太は大切な存在であるようだ。
「それだけじゃないよ」
マリンは彼の姿を見つめている。
追いかけるように彼女は走る。
「待ってよ。船長」
必死になって、ジン太の背中に手を伸ばす。
「置いていかないでっ」
役立たずと思われて捨てられるのが怖い。
「思ってしまうからっ」
その為にマリンは頑張った。
料理も。
掃除も。
頼まれたことも、頼まれないことも、とにかく挑んで失敗して。
「何回やっても駄目だなぁ……」
思い通りに行かな過ぎて、失敗の度に絶望を味わって、一時期塞ぎ込んだ時があった。
「やったって無駄じゃないかな」
逃げたこともあったのだ。
「諦めたい、ことだって」
膝を抱えて座った体勢で、窓から射し込む夕陽を眺める。
部屋から出なくなった日。
「頭の中で」
鳴り響く音は、チクタクチクタク。
うるさくって仕方がないようだ。
「もう」
なんでこんなに喧しいのだろうと。
頭を抱えて、耳を塞いでも意味はなく。
「いや」
過去に、館で聞いた言葉が続いて。
その時の気持ちが襲ってくる。
「――ッ」
すすり泣きながら、そこで立ち止まる彼女に明日は見えない。
心の重さはどんどんと増していき、負の想いのみが溢れる。
「……?」
聞こえた声は隣の部屋から、とても暑苦しい。
あの男しかいない。
「船長」
少女の心に活力が戻った。
硬直したような肉体に力を入れ、ふらふらした足取りでドアへと。
「船長……」
重いドアをなんとか開け、廊下へと出る。
「あ……」
左を見ると床に置いてある、お盆の上に載せられた食事。
殻にこもって聞こえなかったが、何度かジン太が訪れていた。
「……」
申し訳ない気持ちを抱えながら、ジン太の部屋に向かう。
どうやら入口が少し開いている様だ。
マリンはそっと中を伺った。
「――熱血ッッ!!!」
(わあぁ……)
思わず後退りしてしまうぐらいの熱気を感じる姿。
ただ器具を用いて懸垂を行っているだけなのに、無駄に気合いを入れているジン太。
「明日は来るッ!!青春を忘れなければッ!!いつだってッッ!!」
半裸姿で繰り返す言葉は、激しい熱意を纏って放たれていく。
「たとえ先が見えなくてもッ!!深い暗闇に思えたとしてもッ!!」
誰に対して言っているのか、彼は言葉を続ける。
「一歩を踏み出してみせるんだッ!!やってみなければ分からないッ!!」
「進んだ先にッ!!きっと希望はあるッ!!」
「――」
マリンはじっと彼を見ている。
彼女は目を逸らせないでいた。
(こんなわたしのことを)
ジン太は信じてくれているのか。
役立たずと切り捨てず、待っていてくれているのか。
(なんで)
彼女は疑問を感じながらも、少しずつ心が楽になるのを実感した。
「おおおおお!!」
翌日から、また彼女は頑張り始めた。
「だめだっ。やっぱりっ」
ただし上手くいかないのは変わらず、いきなりは立ち直れない。
包丁で切ってしまった右手が痛い。
「立ち直ったのね、マリン。船長は自室にいるわよ」
フィルに治療してもらった時に、言われた言葉。
「……また」
彼女はジン太の部屋に行き、その姿を目に移す。
挫けそうになる度に、何度でも。
「くそッ!!これじゃないッ!!」
今日は肉体的なトレーニングではなく、床に座って何やら本を読んでいるようだ。
「まだだッ!!やってやるッ」
彼の周りに積まれた本の山や、散らばった書類群。
「くそっ」
苦悩の言葉を吐いていることから、順調には行ってないことが分かる。
頭を掻きむしり、ああでもない、こうでもないと試行錯誤。
「船長……」
マリンはそんな姿を見ながら、どこか自分に重ねていった。
どうにも躓いてしまう現実の溝。
(――先が見えない)
本当に信じた光はあるのか?
努力は報われるのか?
(きっと、みんな)
それが頭を過る時はあるだろう。
努力を続けている人間なら、そんな瞬間は存在するだろう。
(闇の中で進み続ける、彼)
足掻いている・希望を信じて進み続けている。
苦しくても前へ。前へ。
(――希望を信じて)
日常に散らばった努力のかけら。
それを掻き集めるように、マリンはジン太の姿を追い求めた。
支えになってくれたのは、いつだって彼の頑張りで。
(――掴み取り、自分のものにする)
「――あアあああああああッッ」
咆哮する少女。
今まで何度も逃してきた力を掴んだ。
(放さないッ!!)
何度も痛い思いをして、それでもチャンスは来なかった。
痛みを堪え、今度こそはとマリンは諦めないで。
(もうちょっとッ!!)
血を流してきた日々、苦しんできた修行。
枕を涙で濡らした、挫折の時間を乗り越えて。
「――や、った」
遂に彼女は、求めていた成果を手にした。
内に力を感じる。
「よ」
糸が切れたように傾く体。
全ての気力を使い切り、床に倒れていく。
「……頑張ったわね」
それを受け止めたのは、最後までマリンの手助けをした者。
いつか彼女がされたように、大切なものをしっかりと抱きとめた。
「えへ、へ。ありがとう」
「礼を言うなら、本でも欲しいわ」
「わかっ、た」
疲れ切ったマリンの視界はぼやけ、今にも気を失いそうだ。
だが、まだやりたいことがある。
(船長に)
すでに窓からの光はなく、外は闇に染まっていた。
●■▲
「……くっ」
自室に戻ったジン太は苦境にいる。
力は戻らず、状況は変わらず、なのに目的の場所は近付いて。
壁に対しての準備が足りない。
「……俺はっ」
ベッドに座って、持った本を速読する。
現在は書物を漁り、少しでも目的達成のヒントを得ようとしているが。
(落ち着け。逆効果だ)
激しい焦りの感情が作業の遅れを招く。
悪い流れに陥る、彼の精神。
(落ち着ける、かよ)
「――船長。話があるの」
声とノックが聞こえた。
「マリン」
少女の声にジン太は応え、本を脇に置いてドアを開けに行く。
(なんだ?)
ドアノブを掴んで、開けて、先にいる少女を視界に映した。
マリンは藍色のネグリジェを着ている。
「あのね。わたし」
部屋に入れたマリンから、その話を聞くジン太。
「……」
話は終わり、ジン太はベッド傍の椅子に座った状態。
「わたし……これで、一緒に戦える……よ」
途切れ途切れに言う少女は、その身をベッドに沈めている。
とうとう限界が来たのだ。その目は今にも閉じようとしていた。
「――そうか」
話を聞いたジン太の心中は如何ほどか。
素直に称賛してくれるのか、頑張ったなと褒めてくれることは。
それとも、悪い感情を抱くのだろうか。
(船長は才力を欲しがっている)
それは普段の彼を見ていれば分かる。
あの必死な姿から、よく理解できるだろう。
その力をマリンが持ったと知れば、彼はどう対応するのだろうか。
(一緒に戦いたくないとも)
マリンを危険に巻き込みたくないとも、当然思ってはいるだろう。
それなら彼は。
「頑張ったなマリン。それでこそ俺の仲間だッッ」
(きもちわるい)
純粋に思った彼女の眼には、必死に何かを抑えている熱血男の顔があった。
無理してクールを気取る、変顔男は空回り。
(でも、ほっとする)
彼女の頭を撫でる手は、どこまでも優しく、温かく。
(よかった)
きっと嫉妬をしていないわけでも、戦わせることに思うところがないわけでもない。
「だがッ、できれば今度はもっと安全なことをだなッ」
それらを押し流すほどに、ジン太は報われた努力に対して感嘆しているのだ。
大切な者の努力なら尚更に。
「船長」
「なんだッ」
「ぷふ」
「!?」
あまりにむさ苦しい男の顔に、少し笑ってしまうマリンは。
「前に進むって、幸せなこと、だね……」
まだ先にあるそれを想いながら、静かに意識を手放した。