準備
「行くぜ。マルスさん」
「ああ、遠慮せずに来てくれ」
ロード号甲板中央で、向かい合うマルスとジン太。
甲板上を照らす光は、霧の海からの脱出を告げている。
「――ヒャハハハハハハハッ!!海が俺様を呼んでいるッ!!一直線ッ!!欺瞞なしだッ!!」
船首上で高らかな声を上げる長身男性が一人。
才物に宿る器の作成者の才を利用し、内部構築を使用して生み出された存在・管理体。
ロード号には複数の管理体がいる。
「誰にも俺様は止められないッ!!」
その中の一人である、輪っかが複数繋がった形の特徴的な長い髭を生やす男。前開きのジャケット・緑を着ている。
迫る風圧で黄の髪を乱されながら、遥か彼方の水平線を目指す。
「ハッパー様のお通りだッ!!」
威風堂々という言葉が相応しい彼は、ラルドとは違った方向性で船を導く。
(才物の状態確認ッ!!)
彼は目を閉じ、情報化された才物の状態を確認する。
(錨は用済みだ!)
あらかじめ現在の海に落としておいた、ロード号と繋がった才物である錨。それから発せられる位置情報を確認し、ハッパーは接続機構を作動させる。
「余分なモンは捨て去ってッ!!」
接続を断ち切って、余計な才力を剥ぎ取るハッパー。どの道、才の不足で動かなくなると判断してのこと。
「突き進むぜッ!!ヒャハハハハ!!」
「フンッ!!」
「ハッ!!」
格闘を繰り広げるジン太達。
交わされる拳と蹴りの勢いは凄まじく、彼等の本気が伝わってくる。
「ッ!!」
屈んだ体勢から、ジン太の鋭い右拳が腹に突き刺さった。
「むっ!?」
響く衝撃を受けながら、マルスは怪訝な顔を見せる。
「しッ!!」
返される拳を、後退しながら両腕で受けるジン太。
「ごっ!?」
とても強力な一撃に、腕の守りは崩され、大本ごと弾き飛ばされる。
そうして背後のメインマストにぶつかった。
「す、すまない!勢い良すぎた!!」
「いや、大丈夫だっ」
すぐに立ち、再び拳を構えるジン太。
焦りが見える姿は、未だ復調に至っていないと言っている。
「どうすればっ」
自然に出た言葉は切実に。
(調べはした、聞きはしたっ)
上手く限界突破を使えなくなってから、彼はありとあらゆる手を使って元に戻そうとした。
(探った果てに空振りだッ)
結果的に成果はなく、焦りが膨れ上がっていく状態。
自身で決めた目的に皆を付き合わせ、己は無力という現実。
(肝心の俺がこれじゃ、ダメだろうがッ!?)
マルスとの戦いで分かること。才力者との大きな差がそこにはあった。
攻め・守り・スピード、あらゆる点で大きく後れを取る有様。
(今の俺は無才者と同程度の力しかない)
その無力感を味わいながら、少しでも鍛えようとジン太は頑張っていた。
(くそォッ!!無能がッ!!)
あれだけの努力を積んでおきながら、こんな時に何も出来ないとはと。
凄まじい劣等感がジン太を襲う。
(チクショウッ!!俺はッ)
【もう少し自信を持てよ!大事だぜ。自分が自分を信じてやらないで、どうすんだ】
(分かってるッ!!そんな事はッ)
親友に言われた言葉を噛み締め、それでも劣等感は晴れない。
記憶に根付いたものが邪魔をする。視界を奪う。
「くそォッ!!」
マイナスの感情を乗せて放った拳は、見事に空振り。
「ああッ!?」
勢いが付いた体はマルスの脇を通り抜け、甲板上を不格好に転がった。
「……くそ」
仰向けに寝ながら、全身に浴びる陽射しを感じる。
流れる汗がひたすらに気持ち悪い。
【お前なんか】
「ッ!!」
心に渦巻く激情・焦燥感が一気に加速したかのように、ジン太は勢いよく起き上がろうとして。
「ずいぶんと酷い顔してんなァ。ジン太!」
「……ハッパー」
彼に声を掛けるハッパー。
「お前は、変わらずムカつく顔してんな」
ジン太は起きながら、ハッパーに言葉を返す。
「ヒャハハ!分かっちまうか!」
「丸わかりだ」
「おうとも!だっせーって思ってるぜェ!」
「この野郎がッ」
殴り掛かるジン太と、笑いながら受けて立つハッパー。
「ヒャハハ!!欺瞞は嫌いだッ!!心の何処かが馬鹿にしてるなら、俺様は隠さず表に出すぜ!!ポリシーのようなもんさ!」
「そこを抑えるのが人間だろうがッ」
二十センチほどの身長差がある相手に、果敢に立ち向かうジン太。
「俺様は管理体!!だッ」
丸太のように太い右腕が、豪快に振るわれ、彼に襲い掛かった。
「当たるかっ!ノロマっ」
「ぬんっ!?」
「……喧嘩じゃ、ないか」
二人の戦いを眺めるマルスはつぶやく。
【なんだかんだで仲いいよ!一緒にご飯食べてる時とかあるし。船長は認めないけど!】
赤い髪の少女は言っていた。
だから心配する必要はないと(嫌そうな顔はしていたが)。
「……かもなぁ」
ジン太とハッパーの戦いは、明らかに修練の意味合いを持っている。
ただの喧嘩とはまるで違う。
「お疲れ様。マルス」
「……アン」
親友である女性の声に、彼は緊張を解く。
彼女は鍛錬用のラフな格好で傍に来た。見える腹筋は健康的に引き締まっていて、汗が煌めいている。
「すごい汗よ。休んだら?」
シャツ姿のマルスは、息を切らしながらうなずく。
「そうしようと思っていた。彼が代わりをしてくれるようだ」
「あの五月蠅い人か」
「人とはキミらしいな」
「管理体も人間だ。私はそう思う」
少し力を込めて言うアン。
「あの人が、私にそれを教えてくれた」
「……そうだったな。キミは」
マルスは過去を少し思い出している。
「あんなに必死になって、管理体の不遇について訴えていた時期あったね」
「若かった……どうしても分かってほしくて」
【もう帰ろうっ】
【まだまだっ。どうしてっ】
「迷惑かけたわね」
「ははは、微笑ましいじゃないか」
「今は流せるわ。……多分」
「成長したなぁ」
「どうか。……絶対に認められない気持ちを、あの情熱を失ったのは成長?」
ジン太を見ているアンは物憂げに。
「彼には近いものを感じるんだ。マルス」
「ジン太君に……」
「あの必死な姿、宿した本気」
どこか後押しするように、眺めている。
「彼は何に急かされているのかしら」
「……」
「マルスには分かる?」
「分からない。けど、頑張っている姿は応援したくなるし」
マルスもまた、ジン太を見ていた。
「諦めてほしくないとは思うよ。彼には」
「……なにを?」
「自分の可能性をだよ」
断言する言葉に熱がこもる。
「彼には、そうあってほしいから」
「背中を押すって言うのだろう」
「そうさ。だからもっと頑張らないとなっ」
「……ふふ、付き合おう」
「どうした!もうへばったかよ!」
「んな訳あるかッ!!」
船外で行われる特訓は確かな熱気を持って、やがてくる試練の時へと向けられている。
◆それは船内も同様で◆
「がああッアアッ!!ぐアァッ!!」
「……」
船内・マリンの部屋。
置かれた机の上には大量の書類などが積まれていて、彼女の勤勉さが伺える。
机上にある犬の玩具は、ジン太からプレゼントされたものだ。
「ああアっ!!」
室内に響く苦悶の声は、マリンの限界を知らせていた。
才物を装着して立つ彼女の口からは涎が垂れ、目は光を失おうとしている。衣服は所々が破れ、肌の傷を晒していた。
(辛い、苦しい、もう、だめ、肺がいたい、息ができない、――どうして?こんなに苦しい思いをっ、わたしはっ)
流す汗の量は尋常ではなく、今にも倒れそうな有様。
「もうッ……すこしッ」
しかし彼女が踏ん張る理由は、ようやく才力を取得できそうだからだ。
(もうすぐっ、もうすぐっ、なのにっ)
積み上げては崩れ、また積み直し。
才力を形にするだけで、彼女は通常の十倍以上の労力を使っていた。
(――お願いだからっ、もってッ)
そうしてようやく掴めそうなチャンスですら、今にも消えようとしている。