見えないもの
「お茶飲みますか?」
「……ああ」
あれから何十分経っただろうか。
半ば強制的に付き合わされ、俺はフィルと向かい合って他愛ない会話をしている。
「貴方は本当に愚かです」
「……」
というか、なじられているのかも。
「なんでわざわざ死地に赴くのでしょうか。特殊な性癖ですか?それなら喜んで手助けするのに」
湯呑み茶碗:第三異海に存在するコップに、急須で湯茶を注ぐフィル。
それだけなのに変な色気を感じるというか、いちいち絵になる奴だな……。
「……いただきます」
「どうぞ。お口に合えば嬉しいです」
「これ、この家の中にあったんだよな」
「そうです。不安?」
「ああ。だけどお前のことだから、確認はしたんだろ」
「したわよ。毒見も」
軽くそんなことを言う彼女に、ため息が出てしまう。
「あのなぁ。もう少し自分を大事にしろよな」
「あら。心配しているのね」
「ばか。しないわけあるかっ」
意外そうな顔で言うもんだから、少し声を荒げてしまった。
「……まあ最初の仲間だしな」
「仲間。……そういうことになりますね」
「初めは勝手にお前が付いてきてたがな」
あの雨の日の出会いを経て、フィルは俺の前に姿を現すようになった。
俺を仕留める為に追ってきたかっ。とか、思っていたっけな。
(それを違うと思い始めたのは何時だったか)
ただ見ているだけの時もあったし、共に戦う時も。
徐々に旅仲間のような感覚になっていった。
「――フフ」
「何を笑ってやがるっ。この野郎」
「すいません。思い出したら、少し」
いったい何がおかしいのやら。
割と想像できるのは良いことなのか。
「……楽しくはあったな。あれはあれで」
「本当ですか?」
「本当だ」
彼女は色々と油断ならない存在ではあったが、少なくとも旅の邪魔をしようとはしなかった。
悪い奴ではないと思っていたんだ。
「……なあフィル。聞いても良いか?」
「なんでしょう」
俺は湯呑みを持って、茶を飲みながら心を纏める。
(これからする質問は、今の行為と同じだ)
あまり得体のしれないものを口にしたくないが、飲まないとフィルがどう反応するか分からない。
(同様に。彼女が今までハッキリと答えなかったことを)
改めて探ろうとするのは、危険ではあるだろう。
(どうやったら出られるのかとか、知ってそうだが教えてくれない)
しかしこの状況を打破するには、新しい何かが必要ではないかと考えた。
なので彼女の心をより深く――。
「お前は」
「言ってしまいましたね」
ナイフが俺の頭目掛けて――。
「……悪い冗談はよせよ」
「許してください。てへぺろです」
ドスっと、机の中心に突き刺さる刃物。
……冗談なら良いがな。
「私が貴方に付いていった理由ですよね」
震える手で湯呑みを置いた俺の代わりに、彼女は質問を察してくれた。
「……簡単に言えば。興味を持ったから」
「興味を」
暇つぶしと言っていたのは、興味をもって観察したいって意味だったのか?
「そんな感じです」
「予想すんな。びくりとする」
とにかく、話してくれなかった事の一端を聞くことができた。
(より細かく)
踏み込んでみるか、少し思考してみる。
(フィルの動機、彼女の根本)
それを知って、ちょっとでも此処から出るきっかけになれば。
(純粋に知りたいとも思う)
彼女の異変を見て、その気持ちが強くなったようだ。
この増悪の理由を確かめないとな。
「……持った理由はなんなんだ」
「……」
沈黙が訪れた。
心臓に悪い静止の時を、堪えながら待つ。
「それは」
フィルの視線が強まった気がした頃に、彼女の口が開いた。
「――おもちゃは好きですか?」
「はい?おもちゃ?」
「はい玩具。とても種類が豊富な、遊びの定番」
「?」
何を言っているんだ、このフィルは。いきなり玩具の話に変えるなよ。
(いや?待てよ)
前に玩具遊びがどうとか言っていたが、まさかそれのことか。
半分冗談だと思って受け止めていたが、それがどう関係するんだ。
「つまりは・視点の話ですよ」
「ますます分からん」
「――道を歩いていると、ふと人形を見かけたんです」
「……なんの話だ」
俺はフィルの言動が理解できず、その顔をまじまじと見てしまった。
「とても可愛いウサギの人形なんですよ?簡単に千切れそうな両腕を動かしていて」
問いを無視して無表情で語るフィルの目には、冗談の気配がない。
「その人形は熊の人形と並んで歩いていまして、親子なんでしょうね」
冗談ではないなら、なんだって言うんだ。
「熊の人形が遊んで欲しそうにいていたので、私は付き合ったのです」
訳が分からない内容を、淡々と話し続ける彼女の真意は?
「熊は吹き飛び、犬の玩具は私を叱りました」
教えてくれフィル。お前には何が見えているっていうんだ。
「あんなに怒るなんて――良い子ですよね。人形」
「お前は……マリンが……どうしたって?」
「ですから、マリンは犬の玩具なのです」
「はっ?はっ?」
なんでマリンが玩具になるんだよ、お前の妄想内イメージとかそういうのか。
「はずれ。残念よ」
やれやれ風の態度でフィルは言う。
「――あたりはなんだ」
混乱の極みにある思考に達して、逆にきっぱりと言葉が出た。
そろそろハッキリさせたいんだよ。
「……だから」
「ある日のおじさんは・髭が生えた豚の人形に」
「その日の少女は・スカートを穿いたキリンの玩具に」
「貴方の親友は・奇形な茶髪の化け物人形に」
「仲間のマリンは・壊れた犬のように」
「右を見ても・左を見ても・どれだけ目を凝らしても」
「私は・そういう風にしか映らない」
「――?」
言葉を告げ終わったフィルは目を閉じた。
「まだだぞ」
俺は納得していない。そういう風って。
混乱続きの頭で、考えた言葉をぶつける。
「……お前の視覚には何か」
「どうなのかしら。それだけじゃないのよね」
「まだ、なにか、あるのか」
そろそろ頭が、壊れそうだな、なんて。
「他人を玩具にしか感じられないと言ったら」
「本気で言ってるのか」
じりじりと多数の凶器が、俺の方に向かってくる。
きっと俺の後ろにもあって、四方を囲まれているのだろう。
「ひどい。本気なのに」
お前のことだから疑ってしまうんだよ・いくらお前でもと信じられないんだ。
ずっと一緒に旅してきたんだぞ。そんなのってありかよ。
長い旅の中で、いろいろな人の価値観は見てきたけど。
「疑うのなら証明しましょうか」
俺達のことを、玩具程度にしか思ってなかったとかよ。
お前はその目で、人の姿すらまともに認識してないのか。
「今・この場で」
嘘だよなフィル。嘘だと言ってくれ。
そしてこの迫る狂気群を止めてくれ。
「ごめんなさい。嘘です♪」
「な、なんだ。やっぱりっ」
「本当は人間のように見ることもできるんですよ、但し球体関節と生気のない眼はどうしようもなくて」
「冗談……え」
「呆けた顔してる場合ですか」
フィルの言う通り、俺の周りのナイフ・包丁・ノコギリ等は、命の危機を明確に感じ取るレベルまで接近していた。
心臓の鼓動が早くなり、口が乾く。
「や、やめろっ」
「悪いのは貴方です。私の言うことを信じてくれないのですから」
「信じたくないんだよっ」
「どちらでも同じこと。なら実際にやってみましょう」
「やるってなにをっ」
凶器群は残り三センチ程度にまで近づき、なおも止まらない。
速度は遅く・確実に進み。
「――私が平気な顔で・船長を解体したら、証拠になるでしょう?」
俺の肌にひんやりとした感触を伝えてきて。
(赤い)
「なんて。壊れたら意味ないわね」
一瞬で凶器は消失し、代わりにフィルが触れそうなほど近くにいた。
俺の左に何気ない顔で座っている。
「ですが、少しは私のことを理解してくれましたか」
そして、俺の切れた左頬に触れようとしたので。
咄嗟に顔を離して、拒絶の意思を示した。