深い感情
「フィルっていう俺の仲間がいるんだが」
とてもクールな奴で何でもこなせる女性。
ああいうのを天才っていうんだろうな、なんてことを何回思っただろうか。
(そんな楽勝じゃ人生楽しくないだろ)
負け惜しみじみた言葉を心中で繰り返してしまう程に、彼女は逸脱していた。人類の基準から離れすぎなんだ。
(そんな彼女が俺の最初の仲間)
どういう巡りあわせなのか。俺の旅における、最も付き合いが長い相棒はフィルなんだ。
相棒としてだけではなく、一人の人間としても一番。
(相性は悪いかもしれないが)
そんなに長く一緒にいたら、当然ながら親愛の情も抱く。
何回も助けてくれたし……俺が助けたことは……うん。
(彼女は冷たい素振りながらも)
何度だって手を貸してくれた。
いなければ死んでいた時だってある。
(そして疑問に思った)
どうしてフィルは俺を助けてくれるのか。
初めて会った時なんて冷酷に排除しようとしてた癖に。
(フィルは何故か暇つぶしとしか言わない)
なんだよそれ?本当に分からない仲間だ。
(彼女は俺をどう思っているのか)
何回も頭をよぎったが、わざわざ聞くのも恥ずかしいんで問うことはなかった。
(それともう一つ)
俺は彼女をどう思っているのか。
より深い部分にある感情は――。
「……く」
ぐらつく意識の中で両足をしっかりと保つ。
倒れはしないが、足元がひんやりするので確認した。
「水……?」
暗い視界の中に映った水面。
足首にも満たない、とても浅い水溜まりの上に立っていた。
よく見ると、足の周りに葉っぱなどが浮いている様だ。
「どこだよっ」
必死に辺りを見回してみても、不安は増すばかりだ。
「霧が……」
薄い霧が漂っていて、夜闇と混ざり恐怖を煽ってくる。
肌寒さが徐々に強くなっている気がする様な。
「誰もいないのか」
人気はなくて、建物も見当たらない。
俺は一体、何に巻き込まれちまったんだ。
(自室にいたらフィルが訪れて)
ドアを開けたら倒れそうになったから、両肩を掴んで支えたんだが。
「顔がっ」
ホラーだ。あれは。
思い出すと、ぶるりと体が動く。
「……フィルは」
その彼女の姿が見えない、どこに行ったんだろう。
そもそもこの状況の原因は。
「あいつなのか」
その可能性もあるが、この空間を見るにあっちの方が可能性は高いか。
「――七不思議」
霧の海に関して囁やかれる噂・真偽不確かな怪奇現象。
(その中に、この状況と似た話があったな)
七不思議の一。【天秤の国】。
(詳細は……いかん。そこまで深く調べてはいない)
興味がないわけじゃないが、熱心に探っていたことはない。
所詮噂と思って、深く危険視していなかった。
(覚えてる範囲での共通点は)
人気がない・異様な場所に飛ばされる・薄い霧が漂う。
(か。充分だな)
この異常事態の原因はそれなんだろうな。夢でなければっ。
(しっかりと感じられる現実感)
これは夢じゃない、ちゃんとした命の危機を含んだ事態だ。
(限界突破は使えない)
何が起きるか分からないので、足はすくむが。
「じっとしてるわけにも行かない、よな」
俺は一歩を踏み出す。
冷たい水から右足を離して、砂の上へと乗せた。
じゃりじゃりとした感触に合わせて、更なる冷たさが体に侵食する。
(どうすれば出られる)
冷や汗を流し、混乱する己を上手く落ち着けようとする思考。
とにかく事態を打開する為のきっかけを。
(前に進んで確かめるしかない)
一歩。二歩。三歩。
状況を変えるため、俺は霧の中を進む。
(フィルも見つけて、帰らないとなっ。きっと巻き込まれている)
あいつのことだから、とっくに去っているなんてこともあるか。
心配は余計かもしれないが、やっぱり気にしてしまう。
「……フィルッ!!いるかっ!?」
一応、大声で確かめてみた。
返事はなし。
「くそ。フィアのこともあるっていうのに」
こんな意味不明な状況を楽しんでいる場合じゃ……。
「!明かりが」
前に二つ、ぼんやりと浮かんでいる。
そんなに遠くは感じない距離だ。
「フィル!」
いるかどうかも分からないのに、焦って走り出す体。
不安はどちらに対してのものか。恐らく両方だろう。
「これはっ」
明かりに接近した瞳が、二本の柱のような物体を捉える。
(……照明?)
家の屋根のような頭を持った、内部から光を放つそれ。
見た記憶があるような、ないような。
(行灯とか言ったか)
その光に照らされて、挟まれるように存在する門が見える。
二本の柱を両脇に立てた、四角い通路だ。
(通った先には)
和風の小さな家。
玄関にあるのは木の引き戸。
砂利道を通り、戸の前まで歩く。
(中にいるのか?)
確信はないが気配は感じる。
「あっ」
焦りに押されて、いきなり戸を開けてしまった。
「――無礼な客人。打ち首ものね、これは」
殺風景な畳の部屋。
左には何かの怪物が描かれた掛け軸があり、人を食ってるように見えてとても怖い。
中央には二人分程度の小さい丸机があって、その奥に彼女はいた。
絶賛着替え中で着物が開けた風の状態で。
綺麗な胸と両太ももが、際どく覗いている。
だとッ!?
「ッ!?悪いっ!!出るでござるよッ!!」
即バック・速シャット!外に退避。
微妙におかしな口調になりながらも、何とか早急に対処出来た。
セーフだッ!!今のはセーフだよなっ。
(……それにしても、綺麗な肌だった)
男なら否が応でも反応してしまいそうな、美麗なその肢体。
あそこまで見えることはなかったものだから、まだ心臓がうるさい。
「落ち着いてっ。深呼吸っ」
なにはともあれフィルは見つけた。
後は、この意味不明な場所から脱出だ。
「……もう入っても大丈夫ですよ」
フィルの許しが出て、俺は再度家の中に入った。
「……それで?お前の心当たりは」
「ないです」
フィルを正面に卓につき、正座で情報交換。
黒い着物を着た彼女は、いつもより更に美しく――見とれてる場合じゃない。
「くっ!なんでこんな時にっ」
思わず弱音を吐いてしまう。
今は本当に余裕がないって言うのに、次はこれかっ。どうやって脱出したら。
「もう少し落ち着いたら?」
「!落ち着けるかよっ」
「こういう時こそ冷静さが大事」
「ッ」
冷静だってっ!?フィアの安否も分からない状況で、対処困難な状況に陥ってッ。
お前は彼女のことを何とも思ってないから良いがなっ。
「冷静で――ッ」
俺は声を張り上げようとしてしまい。
「――急かさないで。壊して死まいそう」
【死:悪・増・◆死:殺】
「……ハッあっ?」
冷や汗が一斉に。
一瞬の内に展開された悪意の渦によって、言葉を詰まらせた。
(なんだよ……これはッ!?)
首筋には斧と剣が当てられている。
静かに眼球を左に向けると、宙に浮いた弓矢がこちらの脳天を狙い。
右に向けると、槍が目玉を刺し貫こうとしていて。
(後ろから耳に聞こえる・この息遣いは)
背後から生暖かい空気が感じられ、汗の量が恐怖で増える。
(後ろに、大きな何かがいる)
怖くて振り返れない。
今にもそれは、俺のことを噛み砕こうとしている。のかっ?
「フィ、ル。お前」
「貴方は私を勘違いしているようね。――少しでも考えたことがあった?」
「なにっ」
「まあ、それもじっくり考えれば良いわ。此処は時間の流れが存在しないのだし」
こいつ、やっぱり何か知っているっ。
「二人きりでゆっくり話をしましょう。――私の機嫌を損ねたら、どうなるかしら?」
妖しく笑う彼女の姿は、いつもと何かが違く見えて。
(全身に叩きつけられる、激しい増悪――本物だ)
これまでの旅で安心していた。
彼女も、俺を仲間だと思ってくれていると。
(ずれていた?)
フィルという相棒の危険性を、甘く見ていたのかもしれない。