形のあるもの
それから月日は流れ、夏の月から秋の月に移る。
「――」
少年は一人、病院の屋上で夜の町を眺めていた。
「……」
ただ静かにベンチに座り込む姿は、いつもの彼からかけ離れている。
「うぃ~。今日もぉ、酒がうまいぜー!」
「ははは!次はどの店行くよ!?」
体を固める包帯は外れ、退院は近い。薄い緑の患者衣を着て、どこからか聞こえる声に微塵も反応しないほど集中。
視線は民家の屋根に。想いの先は。
(――メイ)
最愛の女性・幼馴染みである存在へ。
今のロインには、それ以外考えられないのだ。不安と期待がない交ぜで、心は嵐に飲まれている。
(いよいよ)
その時が来たのだと。確信した。
あの日の答えを聞く瞬間、それが迫ってきている。
(心臓の動きが激しい)
汗が止まらず、時間の流れが遅く感じた。
まだか。早く。いや遅く。と、鼓動は言っているようだ。
(僕は信じてる)
彼女と過ごした時間は、とても強い絆で築かれたものであったと。
決して、簡単に壊れるようなものではないと。
【ロイン、今日はどこにいこっか?】
【メイが一緒なら、どこでも良いぜ!】
子供の頃からずっと一緒だった、誰より綺麗な彼女。僕の中ではずっと一番だ。
メイの方はどうだろう。彼女の中での、自分の価値は。好いてくれてるのは分かる。
(……いくら考えたって、妄想の中だ)
本人に直接聞けば良い。
その真意を、想いを。
「――お待たせ、ロイン」
夜の中で一層輝く、彼女に。
「ちょっと遅かったな。何か?」
屋上施設にある、掛け時計を見遣って言う。
「【特急ホース】が、トラブルで遅れて……ごめん」
「ああ、いや……」
ロインはベンチから立ち上がり、こちらに歩いてくるメイに同じく近づく。
(一歩、さらに一歩)
ただそれだけの事なのに、周りの空気が一気に鈍くなったような。
錯覚だが、心臓に悪い。
(同時に嬉しくもあるんだが)
肩ほどの金髪を揺らしながら、彼女はロインの前まで来た。
短めのスカートに、可愛らしいフリルが袖口に付いた上着はお馴染み。
(だけど、何よりは)
黒の中に浮かぶ白、ずっと彼を元気づけてくれた笑顔がそこにある。
「……ロイン。もうすぐ退院だね」
「はっ。そ、そうだけど」
「良かった。お見舞いには行ってたけど、やっぱり寂しかったの……完治してからにしようと思ったけれど、決心が鈍らないようにって事で」
「……そっか」
メイが喋る言葉には、怯えの響きが混ざっている。
「……僕みたいな何の特徴もない奴と、メイみたいな美人は釣り合わないかもしれないが」
「えっ、そんなことないよっ」
「はは。まっ、とにかくさ」
両手を見れば、不安を消そうと強く握り締められ。
「――聞かせてくれるんだろ?」
「――うん。もう逃げない」
オレンジの瞳を強き意志で輝かせ、全てを受け入れ彼女は立つ。
彼はそれを真っ直ぐ見据えて、ただ彼女の話に集中した。
「その子は、いつも泣いていたの」
始まったのは、メイの過去。
今まで聞けそうで聞けなかった、秘密の道筋。
「村の子供達とも馴染めず、川を眺めてぼんやりしてた。どうして、なんで。そんな独り言を呟きながら。……理由なんて、見つかりようがないのにね」
吐露する想いは長い歳月、ずっと秘めていたもの。
彼女は泣きそうな顔で、かつての己を紐解いていく。
「それを不憫に思ったのか、わたしの両親は村を離れることにしたの。どこか遠く離れた新天地なら、彼女の悲しみも晴れるんじゃないかって」
「……」
ロインは真剣な顔で、過去を受け止めている。
一語一句を、決して聞き逃さないように。
「……そうやって王都に来て、わたしはある人に出会った。とても強い人で、凄く格好よく見えたの」
「それって」
ロインの問いに、静かに首を縦に振るメイ。
「リィド・マルゴス。みんなの人気者、戦士団のヒーロー。拍手・称賛止まない、わたしの憧れ」
それは奇跡のような出会い。
王子様とお姫様の童話の如く、運命的な人生邂逅。
「だから、わたしは言ったのよ」
王子様への言葉は切実に。
彼ならきっと、自分が望んだものをくれる筈と。
「そして、彼は言ったのです」
望みは叶った、と思ったら失望した。
何故、あなたはそんなに強い言葉を吐くのかと。
それが――。
「本当の姿を、自信を持って誇るべきと」
それが出来たら、誰も苦労はしないのです――。
「め、イ?」
ロインの顔が、驚愕によって歪む。
視線は対面の【彼女】に、口からは声にならない息しか出ない。
無理もないだろう。
「これが」
そこにあるのは、まるで別人の姿。
「わたしの本当だよ。ごめんね、ロイン」
端正な顔立ちは、見る影もなく崩れた。
折れ曲がった長い鼻、不自然なほど膨れ上がった唇と顔、奇形と称される顔面。
どう控え目に見ても、大多数の人間が不細工と思うだろう外見の持ち主。
「みんなに馬鹿にされ。ある日、リィドさんを見て」
彼女の瞳に映った英雄の姿も、同様に乱れた面。
「あんな風になれたら良いなと思って、戦士団に入ったの」
彼女が求めていたのは、それでも認められる姿。
「……いつかバレるんじゃないかって、いつも怯えている卑怯者。――それが、わたしなのよ」
勇気を振り絞り、彼女は言った。
積み重ねてきた想いの、答えを聞く為に。
例え壊れてしまっても、それすら受け止める覚悟――。
「――壊れると思ってたのかよ。そんな事で」
「えっ?」
今度はメイが驚く番だった。
ロインは優しい笑みを見せ、彼女の目をしっかりと捉えている。
微塵も揺るがない、強き想いを込めた瞳で。
「え。じゃねぇよ。馬鹿だなメイは。そんなことで僕の気持ちが」
変わると思ったのか。と、ロイン。
「えっ、えっ、でもっ。ロインは、美人好き、だし」
彼女の顔を、温かいものが流れていく。
「そうだな。だが、それはそれ。これはこれ――僕は、お前を愛しているんだ」
それの前では、取るに足りないことだ。本心から彼は告げる。
流れる涙は、応じて温かさを増していく。
「ほん、とうにっ」
今まで抱えてきた不安が馬鹿らしくなる程、ロインは彼女を変化なく受け入れる。
築き上げた絆が、それを支えているかのように。
「ロイ、ン」
涙が止まらず、愛しい想いが溢れていく。
輝いて、煌めいて、広がっていく二人の世界。
じれったくも強い気持ちが、今ここに花開いた。
「だからこそ」
「伝えなきゃな――実は僕もそうなんだ」
「――?」
顔が崩れる。メイと同じように。
「ロイン、それはっ」
本当の自分を見せる。強い不安を抱えていた心の。
「僕の本当は」
身化・姿壊。
ストロングの派生技にして、彼とメイが行っていた行為。姿変える奥義。
「これだメイ」
ロインはそれを解き、己の真実を応えるように見せた。
(ずっと隠していた、僕の秘密)
ある日に変わったまま、自由には戻すことが出来なくなった顔。見せることを恐れていたそれを、彼が明かそうと思ったのは。
(彼女が勇気を持って、そうしたのだから)
自分も応えなければならないと、強く感じた。
(きっと彼女なら――)
怪物との戦いで、必死になって自分を庇った者に。
似た者同士の、愛する彼女へと。
(僕の真実を伝えよう)
「――は、ハハ」
だが結果は違った。
「……メイ?」
彼にとっても誤算。予想外の事実・進化【退化?】。
「はははは、ハハっ」
狂ったように笑う彼女は、恐ろしくて仕方ない。嫌でも笑ってしまう。
自らの視界に映る、【形】の異形に。
◆あまりに整った・絶妙な形。他者の感情に対して、激しい恐れと嘲笑の感情を抱かせる完璧な造形◆
脳が正確に捉えることを、拒否するほどのそれは。
「はっはははっ!い、や」
メイの体を後退させ、涙の意味を【喜】から【恐】に塗りつぶし。
築いてきたものを、あっさりと崩していく。
「どう、したん」
【近寄るんじゃねぇっ!!化け物ッ!!】
「――いやっ!!近寄らないでっ!!」
愛情など無価値だとでも言うように、綺麗な花は踏み潰され・捻じ伏せられ。
「――」
圧倒的な現実の前に、砕けて消えた。